番外編8 始まりの時の思い出と
※ラーシュの過去話と、その後の部分は本編終了後の時系列になります
運命を変えたのは、自分の一言だった。
「我が……主」
なんの拍子に、意識が切り変わったのかは覚えていない。
王宮の伯父の元へ訪問した後、王宮の庭を散策していた時だったことぐらいしかその時あったことは覚えていない。
気付けばラーシュの言葉を耳にした母は、息をのんで目を見開いていた。
信じられない、信じたくないという気持ちが、いつも優し気で穏やかな顔に出ていた。
慌ててラーシュの口を塞ぎ、まるで逃げるように抱えて王宮から連れ去った。
後にも先にも、ラーシュを抱えて全力疾走する母親の姿を見たのは、その時だけだったと思う。
だから分からなかったのだ。
なぜそんな言葉をつぶやいたのかも、母がそうまで怯えた顔をする理由も。
今考えれば、母親はまだ五つの子供にそんな説明をしても仕方ない、理解しきれないと考えたのだと思う。
だから何も言わずに、帰りの馬車の中でラーシュの母は謝り続けていた。
「ごめんね、ごめんねヴィリアード」
その当時の、ラーシュの名前を繰り返しながら。
翌日の夕暮れには、実に珍しいことにラーシュの伯父が家にやってきた。
母と良く似た黒髪の伯父は、大人になってみた時に鏡に映った自分を見た時に、ああ自分の顔立ちを少し柔らかくしたような人だったんだなと思った。
伯父は応接間の一つにラーシュと母の三人だけで入ると、そこでラーシュ母に命じさせた。
「ヴィリアード。跪きなさい」
命じられた瞬間、ラーシュはふっと意識を失って、気付いたら言われた通りにしていた。
母親は涙ながらに伯父に訴えた。
「どうしましょうお兄様。私、私の子が。ヴィリアードがどうして……」
「これも私達の罪なのかもしれない。賢者の血族を利用してきたから」
「でも私達が賢者様を死神に変えて苦しめたわけではないわ! なのにどうして今なの?」
「そんなことを言っても、何も解決しないよ。とにかく話が漏れないよう。そして王家の人間と会わないようにしなくてはならない……特に、妹と、母も厄介だ。あのことを悔しがり続けている人だから、必ずカタリーナを焚きつけてこの子を取り上げようとするだろう」
「ヴィリアードは……体が弱っていることにします。家から出さないようにしたら……」
「多分、しばらくはもつと思う。時間を稼いで、その間にどうにか国外にでも出す算段を……」
母と伯父の会話はしばらく続いた。
けれどそう長くは無かった。できることが限られていたからだ。
ラーシュを国外の、ステフェンス王家の人間が接触できない場所に逃がすこと。それしか対処法がないからだ。
そうまでしたのに、叔母はラーシュの変化に気付いた。
結局は強盗の襲撃に見せかけてラーシュの母は殺され、彼自身は叔母の言うことを聞く人形にさせられたのだ。
あの時の伯父と母の会話の内容を理解できるようになったのは、叔母の気が向いて昔語りをしたからだった。
「ねぇ、おとぎ話を聞かせてあげましょうかヴィリアード」
楽し気に口の端を上げる叔母のカタリーナは、聞きたいとも聞きたくないとも言わないうちに話し始める。
「ステフェンスが数十年前にリンドグレーンと戦争をしたのを知っている? その時にステフェンスは賢者の一族の居場所を突き止めて、ついに一人を捕まえることができたの。捕まえられた賢者の血を引く男は、しがない村人だった。畑で食べ物を育てて暮らしていたのよ。その声で、歌で、側にいる者全てを支配できる力を持っていたのに」
能力を駆使して逃げる男とその息子を、一度はステフェンスも見失った。けれど数年かけて見出した時には、男を捕獲することができた。
ステフェンスはリンドグレーンとの戦にその男を使ったという。
賢者の血族にも効く麻薬を見つけ、従わせることに成功したからこそ、そんな真似ができたのだとカタリーナは語った。
「従軍した者が昔語りをしてくれたことがあるわ。開戦前の最後の交渉を行う使者のふりをさせて、賢者の血族を一人でバルタの陣営へ送り出したらしいの。本当はリンドグレーンの陣へ到着してから実行させるつもりだったのだけど、どうしてか両国の陣の間で歌い出したのよー―この歌を聞く全てのものよ、呪われろと」
カタリーナにその時の様子を語った者は、陣の後方にいたらしい。
かなりの距離があってさえ、その声ははっきりと届いたらしい。
聞いた者は、こみ上げるような嘔吐感と背筋を這い登る恐怖を感じたようだ。
恐ろしさにステフェンス側の兵も、血族の男から遠ざかろうとして、一時前線は混乱したらしい。
リンドグレーンの側も、何かに気づいた者達は一斉に撤退しようとしたようだったという。
けれど賢者の血族の男に近い者は、撤退どころではなかった。
倒れ伏して悶え苦しむ無数のリンドグレーンの兵と、その前にぽつりと立つ男の姿が見えた時は、異様な感じがしたという。
兵たちの鎧が鈍い光を反射して苦しみうごめいている中、男だけは何も無かったかのように謳い続けていたのだそうだ。
「けれど麻薬が強すぎたのかしら。その男は間もなくその場に倒れて亡くなったらしいわ。だから次を探した」
ステフェンスは男の家族を探した。
子供がいたはずだったが見つからず、あきらめかけた時に、その子供の方が父親の消息を探してステフェンスに居たのだ。
今度こそ、周到に薬漬けにした。
その時、もう他に血を引く者がいないかもしれないと考えた当時のステフェンスの王は、賢者の血族を増やそうとした。
「賢者の血族に、当時の王……私の祖父で、あなたにとっては曽祖父になるのかしら? 王族の娘をあてがったの。ステフェンス王家には薄らとだけど賢者の血が流れていたから、娶せれば必ず能力を発揮する人間が誕生すると考えたのね」
けれど姫が身ごもった様子はなく、そのうちに問題の青年は、バルタ王国との間で戦争が起こったためにそちらで利用しようとしたところで、バルタ方についた別な賢者の血族の娘に殺された。
娘の方は、青年の妹だったのではないかと言われている。
落胆した王だったが、王族の娘が混乱に乗じて姿をくらました末に、密かに女児を産み落としたのを知った。
その子には賢者の力はなかったが、一縷の望みを抱いた王は、その娘に幼い頃から特別な血を引いているのだと教え込み、洗脳して王太子の妻にしたのだという。
「だからね、たぶん私やあなたの母は、賢者の血を再び入れたから少し能力が強く出たのだと思うの。そこに貴方が現れた」
くすくすとカタリーナは笑う。
「ステフェンスの古い文献でね、賢者の騎士の血族という記述があるのよ。賢者の身を守るために、その声に従って竜をも倒す最強の戦士だと。その血までが王家に発現するなんてね。ステフェンス王家の人間にも利用されつくされる呪われた人間が現れればいいと思った、賢者の呪いなのかしら?」
酒が回り始めたのか、叔母はケタケタと笑い始める。
その間に、ラーシュは過去の母と伯父の会話を思い出していた。
――私達が賢者様を死神に変えて苦しめたわけではない。
母がそんなことを口にしたのは、このせいだったのだと。
後にラーシュは、賢者の騎士の話をサリカに語った。
叔母の話が絡むために、詳細まで話したのは婚約をした後のことになったが。
聞いたサリカは「ふーん」と、他人の晩御飯の献立を耳にしたようなどうでもよさそうな反応をした上で、ちょっと考えてからぱっと笑ったのだ。
「それだったら、私の方がその騎士だったら良かったな」
「は? なんでだ?」
「だってもしそうだったらよ? 間違いなく私、家族で行商してたと思うの。そもそも小さな村に定住したのって、私を放置しておけないわ、辺境伯の城に平民一家が住んでいるのはおかしいわ、城に私だけ預けるなんて嫌だってお父さんが泣きながら拒否したからだし。万が一の時には私の方が強いなら、連れ歩いても問題ないじゃない」
そういえば、サリカの父は元々行商をしていたのだという。
定住したのは辺境伯令嬢のサリカの母のためかと思ったが、力弱いサリカのためだったようだ。
「そうしたらね、きっとステフェンスにも行ったんじゃないかな? お母さん気にしないでずかずか突き進む人だから、しがらみがある国だとか考えないと思うの。そうしたら万が一にもラーシュが、やっぱりその騎士って血のせいで利用されてても、私とお母さんがもっと早くに助けてあげられてたかもしれないわ」
だからそうだったら、ラーシュはもっと早く幸せになれたのにね。
そんなことをサリカが言うので、思わずラーシュは彼女を抱きしめてしまった。
「えっ、や、ラーシュここ王宮! 声は聞こえなくても、王宮の窓からここ、見えちゃう!」
恥ずかしがって身をよじるサリカは、もう前のように地味な恰好などしていない。
ラーシュが「もう地味にする必要なんてないだろう」と贈った、薄紅色の衣装を着ているし、上半分だけ結いあげた髪には、便乗したようなタイミングでエルデリックが贈った、髪飾りが挿してある。
首筋からは、同僚達から勧められたという香水がかすかに薫った。
「大丈夫だ。よく見かける光景の一つとしか思わないだろ」
「ちょっとそれ、見られてるって前提の話でしょ!」
サリカが怒ったり恥ずかしがったりと忙しく騒いでいたが、ラーシュはしばらくサリカを離さなかった。
そうでなければ照れた顔を見られそうで、気恥ずかしかったからだった。




