6 水面下で胎動する事態
「あー、やっぱ自力かぁ」
国王に会った後、エルデリックを部屋に戻したサリカは、エルデリックの教師に頼まれた物を持ってくるために書庫へ向かっていた。
次の授業に使うため、国内の詳細地図が必要らしい。
とぼとぼと歩きながら、サリカは何度も何度もため息をつく。
「もう、これはお母さんの書いた七箇条の3もだめだったし……」
第4の手段は、とサリカは検討する。
「4番は、絶対お見合いの席に行かなきゃいけないんだよね。いや……誰かあのロアルドって人を好きな女の子を探しておいて、場所を私のやりやすい所に設定させて、身代わりにその女の子を突入させてみる? その間にお見合い相手はその女の子なのよって、言いふらすとか?」
だんだんと黒い思考に傾きかけていたサリカは、自分の考えに没頭しすぎていた。
更には誰も通りがからないだろう、書庫への近道に使う庭の木立の中にいて、木のざわめきで音が聞こえにくかった。
だから気づかなかった。物陰から、自分の背後に移動した人影に。
異常を察したのは、剣を鞘走らせる金属音だ。
はっと振り返ったサリカが見たのは、すぐ傍で剣を振り上げた頭巾を被った兵士の姿だった。
「っ――――」
声を上げることもできないほど驚きながら、サリカはとっさに横に避けた。
けれど足が上手く動かず、逃げるには足の動きがぎこちなさすぎる。
一方、砂色の頭巾に鎖帷子の上から緑地のチュニックを着た兵士は、再び剣を振り下ろしてくる。
今度も避けられたのは、万が一のためだといって、祖母に護身術を学ばされていたおかげだろう。
けれどサリカの手には武器などない。
逃げるしかないのに、こんな風に襲われる状況が初めてだったので、足が震えて歩くようにしか兵士から離れられない。
頭巾を被った兵士は、口元も布で覆っているため、その表情がわからない。
ただ通りがかった見知らぬ娘を襲おうとしただけなのか、それともサリカを狙ったものなのかも判別しにくい。
それでも確かなことが一つある。
(わ、私ここで……死ぬの?)
このままでは、そう時間もかからずに兵士に斬られてしまうだろう。
なによりこんな人通りのほとんどない庭の端では、斬りつけられて命まで奪われなかったとしても、いつ他の人に気づいてもらえるか。
自分の死が現実味を帯びて感じられたサリカは、頭から血の気が引いた。
「たっ、たすけ……」
叫ぼうにも声がかすれる。
もう一度振り下ろされる剣を避けようとして、上腕に痛みが走る。
斬られたのだ。
サリカの二の腕には服に引き攣れたように裂けた跡と、血の赤が広がりはじめ、兵士の剣にも血痕が付着している。
――――もうだめだ。
逃げることを諦めたサリカは、息を吸う。
サリカは、その間に自分の心の奥深く、自分に繋がるもう一つの世界へと視界を変える。
そこには無数の光が星のように瞬いて、まるで雲のように広がっているのだ。
自分もまた、一つの星の瞬きとなってその中にある。
サリカは自分の周囲にある星々へ向かって、少しいつもとは出し方を変えた声で命じる。
《その耳は、不快な音に悩まされる》
瞬間、金属音が兵士を襲った。耳を塞いだ兵士が、思わずといったように行動を止める。
それは現実の音ではない。
兵士の脳内に直接聞こえている音だ。
サリカが視ている星とは、人の精神。
サリカの目に見えるこの世界は、精神だけを俯瞰した世界で、精神世界から相手を特定し、干渉するのが『能力』の本質的な姿なのだ。
距離は現実と似ているので、サリカに近い場所の星が、この兵士に繋がっているのだ。
サリカは手近な者達の心に、無差別に力を使って影響を与えたのだ。
少しでも兵士から遠ざかろうとしながら、サリカは心の中で悪態をつき続けつつ、次に兵士の精神を特定しようとする。
そうして兵士を人事不省に陥らせ、縛り上げて捕まえるつもりだったのだ。
(全くどうしてこんな急に、お見合いやら殺されかけたりして悩まなきゃいけないのよ! そもそもこの力だって使い慣れてないんだってのに! 絶対再起不能にしてくれるわ!)
その苛立ちは、サリカが視ている星を、戦くように複数揺らがせた。
一方金属音に戸惑っていた兵士は、サリカの悪態と共に意識を揺らされてしまったのか、それで我に返ったようだった。
木を二つほど隔てて隠れたサリカへ向かって、歩いてくる。
サリカは更に遠くへ逃げようとした。
(やっぱり使い慣れてないと、探すの時間がかかっちゃう!)
これからは嫌がらずに訓練しよう。サリカはそう心に決める。
しかしここから生き延びなければその計画も無駄になるのだ。サリカは兵士をもう一度足止めしようと無差別に精神に干渉しようとする。
けれど兵士の方が早い。
追いついた切っ先を避けて、サリカは転んだ。
尻餅をついたまま、再び振り上げられる剣に思わず顔を背ける。
同時に、何かが頭上から降ってきた。
重たい音を立てて、サリカの目の前に着地したのは、人だった。
「え……」
灰色の上衣。黒髪。
彼は着地する前から抜いていた剣で、サリカに襲いかかろうとした兵士の剣をはじき、返す刃で切り裂く。
「……っ」
人を斬る瞬間も、血が飛び散る様も初めて見たサリカは思わず身をすくめる。
そして振り返り、サリカに向けられる灰色の瞳に息を詰めた。
じっとサリカを凝視しているわけではないその視線が、なぜかひどく恐い。
更に恐ろしいことに――――
「お命じの通り、敵は再起不能に致しました。我が主よ」
そう言って、サリカの前に膝をついたのだ。
「あ、あるじ?」
あるじって何だ?
主君ということではないのか。
サリカにとってはエルデリックやフェレンツのことで、間違っても平民なサリカ自身に向けられるはずもない呼称だ。
だいたい、この人はどこから降ってきたのか。
突然目の前に飛び降りてきて足は痛くないのかとか、いつもはサリカを一顧だにしないのに、どうして突然主呼ばわりするのか。
とにかくサリカはわけがわからないことばかりだった。
「な、なにこれぇぇええっ!?」
思わず叫んだ声に、ラーシュがはっとしたように瞬き、膝を突いた自分の状況と目の前で地面に座り込んでるサリカを見る。
「……ああ、そうか」
小さくため息をついたラーシュは、立ち上がる。そして不快ため息をついた。
「自分一人で納得してないで、説明してくれない?」
サリカの問いに、ラーシュは心底嫌そうな顔をした。
「俺の方も聞きたい、お前は何だ?」
「何って、どういうこと?」
聞き返されたサリカは面食らう。
今思い切り奇矯な行動に驚かされたのは、サリカの方だと思うのだ。
なのになぜ、その変人としか思えない事をしでかした相手に、こんな質問をされなければならないのか。
問い返したサリカに、ラーシュは更に変なことを尋ねてくる。
「お前は……賢者の系譜の人間か?」
「は、賢者?」
首をかしげるサリカ。あまり聞き慣れないながらも、どこかで聞いたことのある単語のような気がしたが、思い出せない。
するとラーシュが言い換えた。
「バルタでは賢者ではわからないか。それならば……死神と言えばどうだ?」
「し、しにが……」
サリカは思わず周囲を見回してしまう。
気絶してしまった男以外には誰も居ない。
そこでほっとして、でもラーシュがそんなことに気づくなんてともう一度彼を見上げれば、ラーシュはますます渋面になっていく。
「心当たりがあるようだな」
「え? あ、ああぁぁあ!」
そう言われて、サリカは自分が言い訳のきかない行動をとっていたことに気づいた。
あからさまに人目を気にしていれば、知っていると言っているようなものだった。
(土の中に埋まりたい……)
サリカは身を隠してしまいたかったが、この身の能力はそういう方向を向いているものではない。
なんて役に立たない能力だと思った時、ふとサリカは思いつく。
記憶消去もできると聞いたのだが、ほんとうだろうか、と。
じっとラーシュを見ていると、相手も嫌な予感がしたのだろう。
「……俺の記憶は変えられないぞ?」
「ちょっ、なんでそんなことまで知ってんの!?」
不穏な空気を察したところで、それが記憶のことだとはわかるまい。そんな発想が出てくると言うことは、サリカが『記憶を変えられる』と知っているからだ。
けれどラーシュは、すぐには理由を言わなかった。
「お前はこの後時間があるのか? いや、作ってもらわなければならんが」
とりあえず彼にサリカを害する気持ちもなく、事情を話す気もあるらしいので、サリカは素直に返事をする。
「少しの間居なくても大丈夫だとは思うけど……」
「ならば、陛下の元へ行け」
「陛下?」
ラーシュがフェレンツ王のことを持ち出したことで、サリカの不安が少し減る。
どうやらラーシュがサリカのことを言い当てた件については、フェレンツ王が係わっているらしい。
それならそうと言ってくれればいいのに、ラーシュは相変わらずだるそうな顔で告げる。
「これは俺が始末しておく。先に行ってろ」
そう言うと、ラーシュが気を失った不届き者の足を掴み、ひきずりはじめる。
そこではっとサリカは思い出した。
「あの、その人逃がさないで下さい!」
牢に入れた後で、サリカの秘密を知っていて襲ったのかどうか確認しなければならない。
なにせ今まで、祖母や母と違って『秘密』のことで襲撃されたことがなかったのだ。
王宮で暮らしているから、ある程度保護されている状況だというのもあるだろうけれど、母親が苦労して生まれた時からそんな力などない子として育て、サリカ自身もそう装ってきたからこそだと思っている。
それが崩れたのかどうか、もしそうなら出所がどこなのかを調べる必要があった。
「……いいだろう」
先ほど膝をついてへりくだったとは思えないその口調。
そしてサリカを『死神』の血縁ではないかと疑った理由。
サリカは訳がわからないながらも、お見合いとは別に、何かの事件にまきこまれてしまったのではないかという予感がしたのだった。




