62 大切さの方向性
「殿下、あなたは分かっていてやったと言うんですか! それを手紙で後から俺に知らせて、一体何をしたいんですか!?」
ラーシュは叫ばずにいられなかった。
この年下の王子が、尚も冷静な表情のまま、自分を見つめているのが腹立たしい。
なにせ自分と同じようにサリカを大事にしていると思っていたエルデリックが、サリカを守らずに、拉致されるのを放置したのだ。
思わず上着の隠しから取り出した手紙を取り出し、エルデリックに投げつけた。自分の肩に当たっても、エルデリックは平然として膝上に落ちた紙を拾い上げる。
その中には、サリカが計画を実行する前に『拉致させる』予定だと、エルデリックの字で書かれていた。
拉致犯はブライエルだ。
尋問のために薬を扱うブライエルは、サリカの暗殺未遂で捕らえた後で殺された男について、使われた麻薬の出所を探っていた。
しかし相手の尻尾がそちらの方面から掴めないので、囮となるために、麻薬やより尋問に使いやすい薬を購入する事を繰り返した。
結果、ブライエルは見事敵方から接触された。王の騎士である彼が違法薬を手に入れた事で、脅しかけられたのだという。
せっかくつり上げた成果を、ふいにするわけにはいかない。更なる手がかりを得るため、ブライエルは敵側の要求を実行することにした。
しかし王に経緯を直接報告すると、王の騎士だと分かっている相手方にブライエルの動きを察知されてしまうと考えた。そこで彼は、エルデリックに裁可を仰いだのだ。
エルデリックを経由してフェレンツ王から許可を貰ったブライエルは、女官長に薬を盛って昏睡させることで相手を安心させた。
すると、いよいよサリカ本人を拉致するよう指示された。
ブライエルからそれを報告されたエルデリックは、それも実行するよう指示した。
その経緯を手紙に記し、ラーシュに後から渡してくれるよう、フェレンツ王に託して。
手紙を読んだ後、ラーシュが受けた衝撃は言い表せないほどだった。
今こうしている間にもサリカは、どこかへ連れ去られているかもしれない。それを想像するだけでも不安と心配でたまらない気持ちになった。
なにより、サリカは最も信じていたエルデリックに裏切られたのだ。
知ってしまったら、どれほど彼女がショックを受けることか。考えるだけでも息苦しい気持ちになる。
それなのにエルデリックは、何の痛痒も感じていないように、次の頁に記した文字をラーシュに見せてきた。
〈君ならきっと、怒ってここへやってくると思ったからだ。それも全て、必要な事だったからだよ〉
未来を予測して、周到に用意されていたエルデリックの文字は、ラーシュの怒りを煽るだけだった。
「必要!? 一体何にです! そもそも貴方はなぜそんな危険な事をしたんですか! サリカに万が一のことがあったらどうするのですか!」
拉致された直後に、殺される可能性だってある。
それに命はとられなくとも、人一人の心を壊して言う事を聞かせる方法など、いくらでも存在するのだ。
〈どうするんだろうね〉
エルデリックは書いた文字を見せ、それから自分の字を見下ろした。
優しげな面差しの少年には非常に似つかわしくない、自嘲気味な笑みを浮かべながら次のページをめくる。
〈本当の所、僕は彼女を愛しながら憎んでいるのかもしれない。自分の手には入らない物を、壊したくなるみたいに〉
だからこんなにも酷いことでも、必要だからと実行できてしまうのだと。
そう書き足すエルデリックに、ラーシュは呻く。
(俺が……サリカを、決して王子の妃候補にはならない状況に置いたからか?)
自分の物にならないのなら、どうでもいい。そう残酷に斬り捨てるような真似をしたのは、そのせいかと考えたのだ。
ラーシュにもわかっていた。
エルデリックが、自分の姉代わりともいえるサリカに特別な感情を抱いていたことを。
しかしこの状況を決定したのは、ラーシュとサリカが恋人同士だと不特定多数に印象付けることを許容した、エルデリックだ。
だからこそ、ラーシュは勘違いしたのだ。
エルデリックはサリカのことを好きではあっても、決して自分の側に置ける人ではないと諦めているからこそ、他者に任せられるのだと。それでも守りたいからこそ、自分を守り手に選んだのだと。
しかしそれは、ラーシュの勘違いだったらしい。
「なら……どうして俺に譲ったんですか。手に入らないと、サリカに八つ当たりするような真似をするぐらいなら……」
それ以上言葉を続けられずに、歯を食いしばる。
サリカをエルデリックに渡した方がマシだ。
誰かの物になるのを見ているだけになっても、生きていてくれた方がいい。けれど容易には口に出せない。それぐらい、ラーシュも彼女に執着しているからだ。
じっとラーシュを見つめていたエルデリックは、ようやく真新しい紙に文字を綴る。
〈ラーシュ。今の君にとって、サリカは世界の全てなんだろうね。そこに存在してくれるなら、自分の物ではなくても、心の中で崇めて生きていくよすがにできればと耐えたくなるほどに〉
「崇める……」
エルデリックの言葉に、ラーシュは考え込む。
確かに、崇めているのかもしれない。彼女無しに生きていけるのは知っているけれども、居なくなれば指針を失ったように途方にくれるのは、少し信仰心にも似ているだろう。
エルデリックの気持ちは違うというのだろうか。そう思ったラーシュに、エルデリックは言った。
〈僕は、彼女を女神のように崇拝したいと思った時には、禁じられてしまった。彼女の祖母に……僕が望めば、サリカは命の危険に晒されるからと〉
エルデリックの側にサリカを置くことを推薦したのは、サリカの祖母サエリだ。
そして自分の言葉を聞き、他の人のように会話をしてくれるサリカを慕い、自分を理解してくれる中で、最も年の近い彼女を、エルデリックはずっと側に置きたいと思うようになった。
ほぼ同じ目線で自分に接し、笑い、哀しんでくれる最初の友達だったサリカに惹かれるなというのは、無理な要求だったのだろう。
けれどそれを打ち明けたサリカの祖母には、きつく戒められたのだ。
〈僕は直系では唯一の王位継承者だ。国を捨てるわけにはいかない。父を捨てるわけにもいかない。でも、それでは最後の最後までサリカを守り続けることはできない。だからサリカの祖母に拒否された〉
エルデリックとて、なりたくて王子になったわけではない。
但しそうでなければ、言葉の話せない自分がこんなにも大事にされることもなく、生きて行けなかっただろうということも、エルデリックにはわかっていた。
サリカに出会わせてくれた父親のことも、施政者として尊敬している。そんな父親を悲しませるのは本意ではない。
そして自分がその地位から逃げ出せば、サリカは理解をしてくれるだろうけれど、悩み苦しむだろう。
何よりも、この立場があるからこそ、幼いエルデリックの側にサリカはいてくれる。そのことを痛いほどエルデリックは理解していたのだ。
誰かが傷つくことを恐れるサリカは、エルデリックが地位を持ち、沢山の人間に守って貰える存在だからこそ、安心して側にいるのだということも、わかっていたのだから。
彼女に側に居て欲しいと望んだエルデリックは、だから王になる道から外れるわけにはいかなかった。
〈そう思って望まないようにしていても、彼女は危険に晒された。けれどやっぱり彼女を、自分のものにするわけにはいかない。それでは彼女に僕という重石を背負わせることになるだけだ〉
エルデリックの文字は、心の中にある炎を写したように荒れてゆらいでいく。
〈過去も、本来受けとるべき富も地位も失ったとしても、素直に彼女を好きだと思える君がうらやましい、ラーシュ〉
エルデリックの紡ぎだした文字に、ラーシュはようやくエルデリックの気持ちを理解する。
愛し、大事にされているからこそ、エルデリックはその軛から抜けられないのだ。
全てを捨てられなければ求めてはいけない相手を好きになっても、他の全てと同時に彼女をも失ってしまうかもしれない恐れ。
自分は何一つ持たないからこそ、そんな苦しみを知らずに済んでいるのだ。
〈君には僕がどれだけ苦しいかわからないだろう? 心から愛した人をそう扱えず、人に任せるしかないこの身を。彼女の全てを手に入れることなんて、最初からできなかった。だから君にも、それなりのことを要求させてもらいたい〉
「……要求?」
問い返すラーシュに、エルデリックは用意していた頁へ戻って開く。
〈君には、過去を清算してもらうよ。サリカを得たいのならば〉
エルデリックはさらに頁を繰る。
〈サリカを狙う相手。それはセネシュ伯爵と繋がりのあるステフェンス貴族だ。そして国王にその地位を剥奪された後に逃亡した、ステフェンスのある高貴な女性を匿っていることまで分かっている〉
ラーシュは思わず立ち上がった。
「殿下、それはまさか……」
震え声で尋ねるラーシュに、エルデリックは最初から答える気がなかったようだ。次の頁に書かれていたのは、その人物の名前ではなかった。
〈サリカを迎えに行ってくれるだろう? 案内は彼がしてくれるよ〉
エルデリックが卓上のベルを鳴らす。すると隣の控えの間から、ブライエルが姿を現した。
サリカを拉致した男だと思えば、ラーシュは心に怒りが湧き上がって殴りつけたくなる。けれど彼の行動はまだ、ラーシュにも理解できた。
彼は王国の歯車として動いただけなのだ。
主君であるエルデリックの命じた通りに動いた。そして彼にとって、サリカは特別な人間ではない。だからこそ万が一の場合には殺されかねないというのに、エルデリックの命令に従ったのだ。
ラーシュもまた、昔は意思と関わりなく人を殺した人間だ。だから彼を責められないと思いながらも、ついにらみつけてしまう。
そんなラーシュに、ブライエルは苦笑してみせた。
「全部、殿下から聞いたか? お前が女官殿を大事にしてるのはわかってるが、俺は謝らない。だが殴られてやることならできるが、どうする?」
「……本当は、暖炉の火の中に投げ込んでも気が済みそうにない。だが今はサリカの居場所の方が先だ。早く吐け」
「おお恐い」
ブライエルは肩をすくめてみせた。
「だが、ここでしゃべるわけにはいかない。殿下から聞いただろう? 首謀者のことを。ここを出てからでなければ、こちらの動きを知られてしまう。そうして女官殿をより危険な状況に置きたいのか?」
サリカの為にならない。
そう言われてはラーシュも強くは出られない。
仕方なく堪えたラーシュは、ブライエルに押されるようにして部屋から出た。
向かうは、サリカが拉致されたという場所だ。
***
ラーシュとブライエルが出て行った後、ハウファが戻って来てエルデリックのために暖かな茶を用意していた。
霧雨が空気を冷やすのか、春も深まった時期だというのに、今日は少し肌寒い。暖炉にも火を入れているが、やはり暖かな食べ物が欲しくなる。
しかし差し出された茶に口もつけず、自分が文字を書いた紙が暖炉の炎の中で燃え尽きるのを見守った後、エルデリックは側に座ったハウファに尋ねる。
〈ハウファ、僕は強欲すぎるのかな〉
「殿下?」
差し出した手の上に書かれた言葉に、ハウファは眉をひそめる。
何のことだかわからないだろう、とエルデリックも思う。
けれど、誰かに言わずにいられないのは……おそらく、エルデリックも流れ始めた物事に、少なからず不安を感じているからだろう。
〈僕は全部欲しいんだ。けれど全部が手に入らないなら、片手分であれば、欠けがあっても許そうと思う。代わりにその他は取りこぼせない。そのために手段を選ぶつもりはないんだ〉
たとえ愛する人を、一時でも傷つけることになっても。
無事でいてくれると信じてはいる。けれど、それが願望でしかないこともエルデリックにはわかっているのだ。
それでも願いを叶えたい。
だからこそ自分は強欲だと思うのだ。
何も知らないサリカにまで、エルデリックのために生き残れと谷底に突き落とすような真似をしたのだ。
――そんな僕を、彼女は嫌わずにいてくれるかな。
エルデリックは声もなく、口元だけをうごかす。
それまで訳が分からなかったからか、首をかしげていたハウファが、ふいにじっとエルデリックを見つめた後で、口を開く。
「殿下、もしかしてそれはサリカのことで――」
けれどハウファの問いに答えが返されることはなかった。
突然、扉が開いてセネシュ伯の私兵がなだれ込んできたのだ。
そして入ってきたのは、やせ気味のセネシュ伯と娘だ。
「殿下、おくつろぎのところ失礼いたします」
態度ばかりは慇懃に、セネシュ伯は一礼してみせる。
「今日は殿下にお目にかけたいモノが手にはいりまして、ぜひ観覧にお連れしたいとお誘いに上がりました」
微笑むセネシュ伯に対し、ハウファが立ち上がってエルデリックを庇おうとする。
「ちょっと、何をなさるの!? 殿下の騎士はどこ! なぜこんな事を見逃したの!?」
けれどハウファは私兵に取り押さえられ、エルデリックは別な兵に腕を引かれて立ち上がらされる。
ハウファの問いに答えたのは、セネシュ伯だ。
「騎士の皆様方は、旅のお疲れをいやして頂くために眠って頂いております。女官殿にも同じようにお休み頂きましょう」
そう言った側から、ハウファに近づいた私兵が、彼女の口に薬を押し込んで口と鼻を押さえつけ、無理矢理飲み込ませる。するとハウファは、驚くほどあっさりと気を失った。
「では殿下、まいりましょう。なに、一緒に来て頂ければまたこちらにお戻り頂きますし、女官殿や他の方にも危害を加えたりなどしませんから」
笑顔で誘いかけて歩き出したセネシュ伯の後に、エルデリックは腕を引かれて続く。
その表情を不安そうに装いながらも、うつむいたその一瞬に、こらえきれずに小さく口の端が上がった。




