51 呼びかけ
誰かが、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
けれど眠くて、目を開くのがおっくうだった。しかも、その声も風音のように定かではなく、むしろ子守歌のようにサリカを眠りに誘う。
「さり……」
「さり……か」
けれど深く深く潜るような感覚と共に声が聞こえ始め、ふとサリカは知っている人の声だと気づく。
「ん……お祖母ちゃん?」
もしかして、と呟いた瞬間、サリカの意識は鮮明になり眠気が吹き飛ぶ。
そして星が瞬く空の中のような空間で、一人の女性と向かい合っていた。
サリカには、そこが精神世界であることがわかる。
目の前の女性は淡い緑の上品そうな衣服を纏い、半分ほど白くなった髪を、緩く編み上げてまとめた貴族らしい出で立ちの老婦人だ。
落日を思わせる濃い琥珀色の瞳の彼女は、薄くしわがある顔に柔らかな笑みを浮かべて言った。
「どうもお前は、眠るとなると徹底的に他を遮断する気がある子ねぇ」
ほんとうに赤子の頃から変わらない。
そう言われたサリカは、驚いてぽかんと開けた口を一度閉め、かすれた声をだす。
「ほんとに……お祖母ちゃん?」
問いかけられた相手はうなずく。
「それ以外の誰に見えるのかしらねぇ。もうお祖母ちゃんの顔を忘れてしまったの?」
「いや、忘れてない。忘れてないんだけど、突然だったから」
遠くにいるから、こんな形であってもすぐに再会できるとは思って居なかったのもある。
なにせ祖母は南にある温暖な国リンドグレーンにいるのだ。祖母にフェレンツ王が使いを送ったけれど、祖母の手元に到着するまではまだまだ時間がかかるはずで。
だからサリカは八方ふさがりで悩んでいたのだ。
祖母よりも近い位置にいるサリカの母親では、能力の使い方もどんぶり勘定なのですべて破壊しかねないので頼めないし、サリカの方は能力が弱いせいで、ある意味母のように全てを破壊しかねない。
だからラーシュのことも、ただ目覚めを待つことしかできないと絶望していたのだ。
「可愛い孫のために、知らせを受けてすぐに逢いに来たっていうのに、喜んでくれないの?」
サリカの祖母は、両手を腰に当ててため息をついてみせる。そんな仕草をするところは、サリカの母親とそっくりだ。
「でもお祖母ちゃん、どうやって!?」
どうやってこんな早くに連絡がついたのか。尋ねれば、どうやらフェレンツ王がサリカの母に連絡をとり、そちらから祖母に伝わったようだ。祖母自身はまだリンドグレーンにいるらしい。
祖母はサリカの母の連絡の仕方を愚痴る。
「あの子は変に力んだ力の使い方をするものだから、耳元で大声出されたように感じになるのよ。もう年寄りの年代になってきた私には辛いから、加減するように言っておいてもらえないかしら、サリカ」
ため息をついた祖母は、そこで気持ちを入れ替えたのか、まっすぐに真剣な眼差しに変わる。
「さてサリカ。話はおおよそ聞いたわ。私の帰りを待てない案件があるそうね? 騎士の若者が目覚めないと聞いたけれど」
「うん……」
「その騎士は、毒の効果は抜けたはずなのに目覚めないから、過去に麻薬を常習したせいかもしれないって話だったが、それで合ってるかい?」
サリカはうなずきながら、期待した。
もしかして祖母は、こうしてサリカの心に直接語りかけてくるように、ラーシュにも呼びかけてくれるのだろうか。
かくして状況の確認をした祖母は、サリカに言った。
「じゃ、がんばりなさい我が孫よ」
「えっ……」
サリカはぎょっとして、思わず反論してしまう。
「やっ、だってお祖母ちゃん、私の半端な力じゃ絶対ぐっちゃにしちゃう! ラーシュに恨みもないのに一生昏睡状態のままとかなったら、責任とれないよ!」
いよいよとなっても、一か八かサリカの力で目覚めさせるよりは体に衝撃を与えた方がマシだと思って居たのだ。
けれど祖母は可笑しそうに笑う。
「お前も良い子に育ったわねぇ。力を使うのを逡巡するのは正しいことよ。けどね、お前のお祖母様が行き当たりばったりで物を言う人間ではないことも、わかってほしいものだわね」
ほっほっほと、以前会った時よりもさらに老人じみた笑い声をたてながら、サリカの祖母は言った。
「良いことを教えてあげようね、サリカ。お前の母さんだと、隣国にいる私と会話をしようと思っても、こんなにスムーズにはいかないのよ。大声のくせにとぎれとぎれになるから、騒音じみてて困るの」
大音量でとぎれとぎれの声しか聞こえないと聞き、サリカは「ああぁ…」と納得の声を漏らす。
何を言っているか聞き取らなきゃいけないのに、聞くのが嫌になるほどの大声とは、確かに騒音みたいだろう。
そこまで考えて、サリカははっとする。
「え、じゃあなんでお祖母ちゃんと私は、こんなはっきりとしゃべっていられるの?」
「そりゃお前の能力が、夢、に親和性が高いからだろうね」
やれやれようやくわかったかと、祖母は呆れたようにため息をつく。
「本当に内の娘達ときたら、変なところで鈍くて困るわね。今、私が入り込んでるのはサリカ、お前の夢よ。起きている間はお前と接触するのは難しいけれど、なぜか夢の中だとすんなりといくのよね。だからたぶん、お前の能力が夢というものに適正があるんでしょうけれど」
そこで、と祖母は話を進めた。
「その眠ったままのラーシュという子も、おそらくは夢を見ることはできているでしょう。そこに入り込むことができれば、夢の中にある本人の心と接触して、起こすように仕向けることもできるはずよ」
「理屈はわかるけど……本人を無理に起こすってことでしょう? 夢をのぞき見ぐらいはしたことがあるけど、その夢に介入して変化を起こして……何かまずいことにならないかって心配で」
「無理に介入しなければいいことでしょう」
祖母はあっさりと答えた。
姿形は貴婦人のようでも、元はあちこちを一人で旅していたという祖母は、きっぱりと物を言うくせがある。
「お前は夢を無理に変更しようと思うから、恐いのでしょう? けれど夢に沿ってやればいいだけよ。そして少しずつ誘導するの。旅の途上にある標識の向きを、気づかれないように少しずつ行かせたい町の方へ変えてしまうように。どちらにせよ、他人で、しかもかなり距離がある相手では私には無理だから、お前がおやりなさい」
「う……」
確かにラーシュの一番近くにいるのはサリカで、祖母がはっきりと「やりなさい」と言うならば、サリカにはできるだけの能力があるのだろう。
そう思うくらいに、サリカは祖母の発言を信用していた。
「行きなさい、サリカ。私がかつて自分の目で見て選び取ったように、あなたに必要な未来を手に入れられますように」
祖母の祈りの言葉が、サリカを光のようにやわらかく覆ったような気がした。
それがうたかたのように消えていくような感覚の中、サリカはぐいと水の中から引っ張りあげられるように意識が浮上し、目を覚ました。
寝入ってからそれほど時間は経っていないのだろう。
誰かが来た様子もないし、窓の外は日が高い。
「……ううぅ。やるしかないか」
祖母の言葉を思い出し、サリカはまず立ち上がって扉の外にいる衛兵に声を掛けた。
「寝不足気味なので、少しの間眠っておきたいんで、誰かが来ても中に入れないでくれませんか? ……その、寝顔見られたりしたらちょっと恥ずかしいので」
サリカが恥ずかしそうにうつむけば、壮年の衛兵は笑いながら請け負ってくれる。
これで部屋の中に誰かが入って来る恐れはなくなった。
能力を使うにあたって邪魔を排除できたサリカは、改めて寝台脇の椅子に座り、上掛けの上にラーシュの腕を露出させ、手を握る。
いつもより少し体温が低い、ラーシュの手。
握り返してこないことに少し切ない気持ちになりながら、サリカは目を閉じる。
ラーシュの心を見つけるのは簡単だ。
なじんだその感覚に吸い込まれるように、サリカはするりと中に入り込む。
ラーシュの心の中は、夢が途切れている時間なのか、静かで薄暗い。
黒い霧が漂うようなその中にゆっくりと舞い降りるような感覚に、サリカは浸る。
ここにいれば、やがてラーシュが夢をみればその中に入り込むことができる。
それがわかっていたので、目を閉じてじっと時を待っていたサリカだったが、
――ああー、麗しのーご主人様ーぁ
(…………?)
何か変な歌が聞こえた。
どこか調子っぱずれで、だけど声はどこかで聞いたことがあるような、良い響きの男性の声。
――ときどーき、素直になっちゃうのがーすてきよー
――でもたいていー、おおよそーな感じで、強がりばかりなのよー
独り言かと言うような歌詞に、節をつけて音程を上げ下げしているような感じの、雑音と言って差し支えのないような歌だ。
あまりにひどい上、ラーシュは夢を見ていないようなのに、一体全体どうしてわけのわからない歌が聞こえるのか。
眉間にしわを寄せながら目を開いたサリカは、いつのまにか落下が止まっていた体に気づき、そして前方にぼんやりと浮かび上がる人影に気づいた。
(なんで……? これは、ラーシュなの?)
ラーシュの心の中なのだから、これはラーシュなのだと思うのだが、サリカは戸惑った。
なにせ格好がおかしい。
つばの大きな帽子はふさふさの鳥の尾羽をいくつも飾って、造花まで添えている。梔色のシャツの上から着た常磐緑のジレまでは少しいつもよりも派手な装いだと思えたのだが、下は少しふくらみを持たせすぎた半ズボンにブーツだ。
前時代的な南瓜パンツにやや似たその服を着た彼は、あきらかに中身がラーシュではない。サリカに地味だといいつつ、さりげなく似たような落ち着いた色しか着ないラーシュが、こんな色と形を選択するわけがないのだ。
その顔が見たくて、サリカは暗闇の中を飛ぶように近づき、問いかけた。
「……あんた……誰?」
すると男が振り返り、答えた。
「ようこそ我が主様。初めてお目もじ叶います」
優雅な仕草で一礼してみせたその男は髪の色が白く、長くて肩口で結んでいる以外は、双子のようにラーシュそっくりの顔だった。
「ラーシュ、なの?」
ラーシュの心の中にいるのだから、彼自身のはずなのだが、いろいろと認めたくない格好すぎて、サリカは戸惑う。
一方白髪のラーシュに似た男は、満面の笑みを浮かべて言った。
「私をラーシュと呼んでくださってもそれは貴方様のご自由に。そもそも私は貴方様の第一の僕。その意向に従うまで。でも初対面の記念に、せっかくだから私のこと踏んでみませんか?」
その言葉を聞いた瞬間、サリカは思った。
間違いない。こいつは変態だ、と。




