44 その言葉の意味
「はぁ……」
ため息をつけば、サリカが心配そうに自分を振り返る。
なんでもないと首を小さく横に振れば、それでは納得できなかったサリカがちょこちょこと近づいてきて耳打ちした。
「やっぱり何か殿下に言われたんでしょ?」
朝から、ため息をつくたびにサリカはそう尋ねてくる。
疑っているのだ。
朝の礼拝へ行く際、歩きながらエルデリックがラーシュに話しかけてきたことが珍しかったせいと、その後にラーシュが一刻に一度はため息をつくので二つの事象が結び合わさってしまっているのだろう。
あとは、ラーシュがあれ以降サリカにべたべたとしないせいか。
実は正解なのだが、ラーシュとしても話すわけにもいかない。
そんなことをしたら、まだ完全に心が『こっち』寄りではないサリカは、エルデリックの方へ走って行ってしまうだろう。
ラーシュはなんでもない風を装い、広間の中央で貴族令嬢と向かい合って立つエルデリックに視線を向ける。
けれど疑いを心に芽生えさせたサリカは、まだ納得できないらしくじっとラーシュを横目で見ている。
それでも問い詰めるようなことはできまい、とラーシュは思う。
なんといっても大事な王子のお勉強の時間だ。
と、そこでラーシュはふと思う。
エルデリックのことを見つめていられる時間は、今までサリカも楽しそうに彼だけを見つめていたはずだ。それなのに、今日はラーシュを振り向く時間が長い。
そう気づくとラーシュは少し心が浮き立つ。
どうせなら、このままサリカに気にしてもらって、ずっと自分を振り返っていてもらおうかとまで考えた時だった。
【なんか楽しそうなんだけど、殿下とそんな心浮き立つような秘密を作ったの?】
「…………!」
唐突に耳の奥に吹き込まれたような声に、うっかり叫び声を上げるところだった。
振り返ればサリカが、非常に楽しそうに笑みを浮かべている。口は閉じたまま。雑談をするわけにはいかないからと、能力をつかって話しかけてきているのだ。
気になることを追求するために使うなど、とんでもない能力の無駄遣いである。
【話しかけてみればなんか楽しそうな雰囲気だし。殿下にありえないけども無理難題でも言われたのかと思ったけど、心配して損したわ。ていうか、殿下と二人だけの秘密だなんて悔しいっ、なんで殿下は私とだけ秘密を作ってくれないの……】
とうとうサリカは明後日の方向に悔しがり始めた。
(お前と殿下の秘密なんていくらでもあるだろうが)
ラーシュは呆れたように心の中で返事をした。
伊達に八年も親密に仕えているわけではあるまい。今はどうかしらないが、最初はエルデリックとてサリカを年上の人間として頼っていただろうし、彼女だけに明かした失敗や秘密などいくらでもあるだろう。
【あるけど、他人と秘密を共有してるのに私に話してくれないのが寂しいじゃないの】
(独占欲か……)
ただ単に、自分が混ざれない、自分が知らないことがあるというのが嫌なようだ。
最も安全な人間だからとすべての愛情を傾けたからなのだろうが、それもゆくゆくは止めてもらいたいものだ。
だからラーシュは意地悪を思いつく。
ついでにこうして会話した内容ならば、エルデリックにも内容を知られることはない。
(この会話は殿下に秘密をつくっているようなものじゃないのか? 殿下に聞こえないように会話しているんだからな)
【殿下に言っちゃえば秘密じゃないもの】
(それならこれは? ……サリカ、殿下に嫉妬してるのか、可愛いところもあるんだな)
【……っ】
おそらく言われ慣れていないのだろう。心が繋がっているせいか、能力などない自分にも彼女の戸惑いがわずかに伝わってくる。
それが妙に楽しい。
【それ……ぐらいなら、なんとか話せるし】
(じゃあ別な話にするか。キスの味はどうだった?)
サリカが今までになく動揺する。
現実のサリカも、目を見開いてラーシュを見返していた。
【な、ななな、なんてこと聞くのよ!】
(内緒話だからな。しかも絶対に他人には聞かれないとなれば、なかなかいつもは聞けないことを尋ねる良い機会だと思った)
そう言って、ラーシュはサリカに小さく微笑んでみせる。
(それに聞きたいだろう。せっかく怪我までして勝利を掴んだんだ。あげくに良くなかったと思われていたら困る)
更にサリカは動揺し、ややしばらくしてから尋ね返してくる。
【……あ、怪我どうなの? もう痛くない?】
どうやら話をそらそうと考えたようだ。しかしこんなあからさまでは話を逸らす役に立つわけがない。
(怪我はいい。キスのことを知りたい。教えてくれるだろう? 俺とは、嫌じゃなかったと言ってたが。なら、良かったのか?)
【良……っ!?】
サリカの顔がみるみる赤くなっていく。
そして恥ずかしげにうつむいた。……大変楽しい。
しかも声に出さない会話なので、いくらサリカをいじめてもエルデリックにはわからないのだ。
(なんだ『せっかく』したのに良くもなかったのか? 泣きすぎでわからなかったか……)
水をむけてやると、サリカがぱっと顔をあげてうなずく。
【そ、そうそうっ! よくわからなくてっ】
思った通りの返事に、ラーシュは口元が笑ってしまいそうになる。
【よくわからなかったというのは傷つくな……。覚えていてくれてもいいだろ?】
【え、あ……その、ごめん】
【仕方ないな。もう一度するか】
【うえぇっ!? なんで!】
【お前、ティエリ殿あたりにきっと聞かれるだろ、どうだったって。嘘ついたらティエリ殿にはすぐバレるだろうな。そしてティエリ殿が誰かにそれを話したらどうなる? せっかくあんな演出までしたのが無駄になるだろう】
【や、そんな……うぅぅぅ】
サリカは真っ赤な顔で涙目になってラーシュを恨めしそうに見上げてくる。
【お……覚えてるもん】
恥ずかしさにふるえる心が伝わって、ラーシュは耐えきれずに笑みをこぼす。
ラーシュは少し楽しかったのだ。こんな風に誰かに振り返ってもらうために、色々と考えて実行するのは始めてだったから。
と、そこで頬に刺さる視線を感じた。
見れば、何かを察したらしいエルデリックがこちらを見ている。
すぐに逸らされたものの、エルデリックの目は言っていた。
『彼女自ら好きだと言い出すまでは、目に余ることをしたら、国王から結婚の許可が出ないようにする、と言ったのを忘れていないね?』と。
朝方、エルデリックが掌に書いた文字。
その脅し文句の最初に綴られていたのは、ラーシュの本当の名だ。
ヴィリアード・クロア・エランデール
この名を、おそらくはフェレンツ王以外の者に漏らす、という脅しだろう。
ただそれだけで、ラーシュが誰かに恋をするだけで国家間の問題になる。いや、それ以前にフェレンツ王の元で一騎士のふりをしてはいられなくなる。
ラーシュの伯父は国王だ。
王子ではなくとも、そんな人物が他国の平民の娘を望むとなれば、今こうしてサリカの気持ちを傾けようと腐心することさえ醜聞になる。
バルタの要職に就く貴族達もそれを許さないだろう。エルデリックがサリカを求めた場合以上に。
だからラーシュは、一瞬血の気が引いたのだが。
(まさかあの王子は、自分と同じような立場に陥らせたいんだろうか)
自らは自由がきかないから。
年齢の壁があるせいで、自分の思いを押し通すこともできない上、サリカはエルデリックを可愛い弟ぐらいにしか考えていない。それなのにラーシュが意識されているらしいことも不満だし、サリカに自覚を促して迫ることが嫌なのかもしれない。
しかしそれではラーシュがサリカを守れなくなる可能性もあるのだが。
(とはいえあの王子なら、そんな状況に陥ったなら、俺がサリカを守れるよう側に置く方策を思いついてそうなんだよな……)
そんな彼の複雑な心境が、名前を公にするという行動に込められているのはラーシュにもわかる。
そんなエルデリックは、サリカの事を任せたくないけれど、彼女を間違いなく守れるのはラーシュだから、仕方なく許可しているのだと釘を刺したかったのだろう。
早く、サリカが自覚してくれないかとラーシュは思う。
好きだと言ってくれるのなら、エルデリックもラーシュを止められない。もしラーシュの何もかもの情報を流されたとしても、サリカがうなずいてくれさえすれば、どこへでもさらって逃げられるのに、と。
そのためにもサリカに自分の事だけを見てくれるよう努力したいのだが、拗ねているエルデリックの前では手が出しにくい。
そう思ってため息をついていたラーシュだったが、サリカが顔を真っ赤にして横を向く姿に、やる気を出していた。
脈がないわけではない。
ならば王子のいないところでサリカの気持ちをむけさせるように、努力するだけだ。
(とにかくなんとかしたい)
ラーシュはしみじみと思う。
特別美人ではないあっさりした顔立ちかもしれないが、小さな顔も意外に長い睫毛も、厚すぎない唇も可愛らしいと思う。
その顔が恥ずかしさで赤らむ様子をまだまだ眺めていたいのに、そのためにはサリカに好きになってもらわないとならない。
こうして能力を使って貰えれば話はできるし、内容が内容だからサリカは絶対にラーシュから言われたことをエルデリックに漏らしはしないだろうが、肩に手を置くことさえできないのだ。
そのためにはどうサリカに行動するべきか。
恥ずかしさのあまり話を打ち切ってしまったサリカの横で、ラーシュはそんなことを考えていた。




