43 思惑はさらに遠ざかり
「さ、これで解決ですわね!」
王都コザ地区にほど近い屋敷の中で、黒髪をきっちりと結い上げた女官長は、珍しくも笑みを浮かべて勝利を宣言していた。
なにせ庶民も含めた大観衆の中でのキスだ。
しかも国王と王子の許可の元で行われたものである。もう誰も、サリカが王子の婚約者になるとは考えないだろう。勝者が褒美としてもらい受けた女性なのだから。
舞踏会で騒ぎまで起こしてくれた甥には申し訳なかったが、あちらは約束を履行しておけばいいはずだ。ロアルドが好きなだけ引きこもれる金額は渡したので問題ない。
女官長としてもやっとこれで問題から解放され、わけのわからない企みに荷担することもなくなるのならば、別に自分の計画が上手くいかなくともいいのだ。
大変すがすがしい気持ちだった。
「私もそれは良かったと思いますわ。ヨランダが王妃になる障害がなくなったということですもの」
ソファに向かい合わせて座る義妹のマリアは、嬉しそうに微笑む。
基本的に娘が王妃になれれば、悪事も悪いことだと想わない義妹のことは好きではないのだが、そんな彼女と頻繁に話に来なくても良いと思えば、女官長は楽しく微笑み合えた。
「そうでしょうとも。あのまま陛下と王子のお気に入りな女官を殺そうとしていたら、さらに捜査の手が厳しくなって、あなた方の資金の出所まで追及されていたでしょうから……これで万事解決ね」
「本当にそうならなくて良かったわ」
調子に乗った女官長のあてこすりにも、義妹はほほえみを崩さない。
しかしその話に横やりが入った。
「いいえゾフィア殿。追及の手を逃れるためには、絶対にあの娘を殺す必要が出てきましたぞ」
義妹の夫セネシュ伯爵と、彼が連れてきたクリストフェルが部屋の中に入ってくる。
クリストフェルの言葉に女官長は眉をしかめた。
「どういうことでしょう。既にあの娘は王子殿下ではなく、別な者と恋仲になったのですわ。大観衆の前でそれが公開されたのですもの。陛下とて殿下の花嫁にはできないはず」
「そういうことではないのですよ」
マリアが女官長の横に移動し、クリストフェルとセネシュ伯爵が向かい側に並んで座る。
真正面の席に着いたクリストフェルは、人が良さそうな顔に似合わぬ鋭い視線を女官長へ向けてきた。
「あの娘は、存在するだけで危険なのです」
「存在するだけって」
女官長は目を白黒させる。どこか抜けた感じの頭が良い方でもないサリカが、存在するだけで陰謀をくじくような真似ができるとは思わない。しかしクリストフェルの意見は違うらしい。
「薬を使ったというのに、なぜ詳細に仲介者の姿形を知っていて探し回れたのかと思えば……あの娘のせいだと考えれば間違いない」
「一体……どういうことです?」
何か人違いではと思って聞いていた女官長に、クリストフェルが言う。
「以前、あの女官を崖から落ちたと偽装して殺そうとしたことがありましたでしょう。あの時、行方不明になった者が見つかりましてね。……ところでゾフィア殿は『バルタの魔女』と『ステフェンスの死神についてはご存じで?』」
唐突に振られた別な話題に、とまどいながらも女官長はうなずいた。
死神は昔、ステフェンス王国の軍に対峙するバルタの軍の前に、一人進み出て、死の歌をうたったという男のことだ。
バルタ軍の半数以上が彼の力により眠らされ、一方的な虐殺の犠牲になった。
魔女の方は、存在は定かではない。けれど同じくステフェンスとバルタが武力衝突を起こした際、その女性はステフェンスが擁する死神を再度使おうとしたときに、それを阻止し、時のステフェンス国王を討ち取る手伝いをしたという話がまことしやかに広まっていた。
どちらも荒唐無稽な話だと女官長は思っていた。
「あの娘は、おそらくその子孫だ」
「……え?」
女官長は、言われた言葉の意味がよく飲み込めない。
サリカは平民とはいえ、身元がはっきりしている娘だ。なによりもそんなそぶりなど見せたことがない。
「でも、まさかそんな……。人を眠らせるとか、そんな魔法みたいなことができるわけがありませんでしょ?」
女官長は笑う。けれどクレイストフェルやその隣にいたセネシュ伯は渋い表情をしていた。
「あの娘を殺させようとした者が、どうやら逆に崖に落とされたそうですがね。川に流された先で一命を取り留めまして……それでも両足はもう役に立たなくなっていましたがね。その者の言う事には、あの娘は、彼らのうち一人を何も使わずに眠らせたようで」
「あの子……が?」
「彼女は毒を使うような者であれば、むしろ対処のしようもあったのでしょうが。他に何も手に持ってもいなかったのに、奇怪な音を聞かせたりもしたそうですな」
言われて女官長はだまりこむ。
毒など、サリカは接したこともないはずだ。それなのに人を眠らせたという。
信じたくはなかった。そもそも女官長は死神や魔女の話を、戦場特有の興奮状態の中で見た幻を、そうであればいいと願った者達が現実のものとして語ったのだろうと考えていたからだ。
ただ女官長が笑い飛ばせないのは、実践に出た者の多くが証言していることと、サリカを登用した理由についてだ。
王子の気持ちをさ察するのが得意、というのは王宮に仕え始めてからわかることで、それ以前のサリカは、ただ親族に貴族がいる平民の子だ。
それなのに、なぜ当時問題のある子どもと思われていたにせよ、ただ一人の王子付きとして抜擢されたのか。
「まさか……陛下は、このことを」
「知っておられるでしょうな。でなければ王子殿下の側に、そのような者を置くはずがない。殿下の特殊な状況だけではなく、殿下の周囲の悪意から守るために配していると考えることもできますな」
反論しない女官長の様子に、クリストフェルは我が意を得たと少し表情を緩めた。
「おわかり頂けたでしょう。そんな魔女が側にいたのでは、我々が取り入る隙はありますまい。かの魔女達は人の心を操り、また人の心を読み取ると聞きましたからな」
「心を……読み取る」
反芻し、女官長は唇を噛みしめる。
心を読むことができれば、なるほど、サリカはエルデリックの側仕えに最適だ。言葉が話せなくとも会話ができるのであれば、王子の言いたい事全てを察して当然だった。
そこではっと気づく。
「なら、私たちのしたことも気取られていると?」
「まだ気づいてはいないでしょう。既に心を読んだ後ならば、あなたは既に地下牢行きだ。私達もそうでしょう。けれどそうなっていないのならば、なおさら始末するのなら気づかれないうちにするべきでしょうな」
クリストフェルはふっと息をついて続けた。
「とにかく、あの娘に関してはあなたの生ぬるいやり方では困る、というのは分かっていただけましたかな? しかしあなたが部下思いの女性だということはわかっております。であればあなたは、もう一人についての方が行動しやすのではないでしょうか?」
そう言ったクリストフェルが目配せすると、セネシュ伯が青い液体の入ったガラスの小瓶を差し出してきた。
「あの騎士は異国の者。バルタ王国を愛する貴方であれば、心易く対処できますでしょう。……混ぜて飲ませるのです。そうしてあの騎士を動けなくすることができなければ、あの娘は殺せない」
「え……」
異国の騎士。それはサリカと恋仲だというラーシュのことだろう。なぜそうまで警戒するのか。サリカを殺すのに邪魔だからだろうか。
わけがわからない女官長は、瓶を受け取るために手を伸ばすこともできず、首を横に振る。
「あの者は陛下のお気に入りです。死ねば暗殺未遂事件以上に、陛下が犯人を捕らえるべく動きますわ。それではあなたがたも都合が悪いのでは……」
「やるならば今のうちが良いでしょう。命の危機に二度も陥ったのにバルタの魔女が出てこないとなれば、出てこられない状況にいるのか、冥碑に名を刻んでしまったのか……。他の親族が出てくることもないのは、あの娘以外には能力を持っている者が現存しないのか、今動けない状況にあるということです」
クリストフェルは口の端を上げて微笑んだ。
「なにより、護衛をしている者も少し問題がありましてね……。何、その薬では死ぬことはありません。あの娘の方は、我々でなんとかしますよ。やってくださいますね?」
女官長の手を掴み、クリストフェルは小瓶を押しつけてくる。
「わたくしからもお願いしますわ、お義姉様」
隣でマリアが微笑む。
夫と似た顔が作る笑みに、女官長はぞっとした。
自分は夫に認められたいがために、なんてところまで足を踏み込んでしまったのだろうと。




