39 その日3
彼が自分のリボンを腕に結んだ時は「そんなのでいいんだ」と拍子抜けした自分がいた。
けれどその認識が間違いだったと、サリカは場内を見つめながら思い知る。
馬を進める騎士達の中、腕に巻いた緑色のリボンが風になびいて大きく揺れている。
それが自分のものだと分かっている分だけ、一緒に連れ歩かれているようで気恥ずかしい。
風に揺れるほどけた自分の髪が、心許なくて手で押さえる。
そうすると、今度はラーシュがほどいた時の感触を思い出して……そんな時にラーシュとふと視線が合ってしまい、わけはわからないが焦って逃げ出したくなる。
(何これ……異常に恥ずかしいんだけど!)
小さい頃、騎士が主役のおとぎ話を読んでいるときは、こんな気持ちになるとは思いもしなかった。
お姫様が「苦しい時にもあなたの側にいられるように」と願いをかけて結ぶお話に、サリカは感動こそすれども、身につけた騎士を見て恥ずかしさにもだえるものだとは想いもしなかったのだ。
(お姫様ってのは……意外に鈍感力があるというか、器が違う人じゃないとやってられないんだろうな……)
自分のもの、しかも女物だとありありと分かる代物を身につける相手を見て、嬉しいだなんて思える人は、相当心臓が強いに違いないとサリカは思う。
しかも自分の頭のリボンがないのだ。もう、出所があからさますぎて泣けてくる。
それなのに周囲が騒がないのは、ひとえにラーシュのせいだ。
……彼は一人だけ、兜を被っていないまま入場してきた。
黒灰の髪を日の下に晒しているのは、ラーシュだけなのだ。
槍が当たった時、死亡することだけは避けるために、皆兜を身につけているはずだ。素の状態で大丈夫なのかと周囲がうろたえるのも当然だ。それに比べれば、サリカのリボン事件など些細な事だったのだろう。
「大丈夫ですの? ラーシュ様は」
「あれは規定違反にはならないのですか、殿下」
ティエリですら真っ青になり、ハウファはエルデリックに尋ねている。女官達よりもルールに詳しいエルデリックがうなずくや、周囲の召使い達からうめき声が上がった。
サリカも唇を噛む。
どうしてラーシュはあんなことをしているのか。まさかサリカが目立たないようにするつもりなわけでもあるまい。なんらかの支障が生じたのだろう。
(お願いだから、怪我しないで……)
サリカは恥ずかしさを頭から振り払うように、それだけを念じながらじっと座っていた。
***
そんなサリカを、近くにいたハウファは横目で観察していた。
ハウファは、どこかへ行って戻ってきたサリカが、結んでいた髪をおろしていた事に首をかしげていた。
尋ねれば枝にひっかかってほどけたのでと、もごもごと語尾を濁しながら明らかな嘘をつく。
そして試合が始まる段になって、サリカが食い入るように見つめているラーシュが、腕にサリカの髪を結っていたのと同じ緑のリボンを結んでいるのだ。
もう、明らかに何があったのかわかった。
ラーシュを見ているサリカは恥ずかしそうで、でも目をそらしたら負けだといわんばかりに、前を向いていた。そこだけがいまいち、恋愛的大展開があったのではというハウファの予想を裏切る行動だったが。
(前よりはいいけれど……でもまぁ、これでも充分ではないかしら)
ハウファは思う。
そもそもエルデリックがサリカとラーシュをくっつけると言い出した時も、ハウファは無理ではないかと思ったのだ。
サリカの結婚をしたくない、という意思は強い。
年頃の女性としては頑なすぎて、何か男性に対して偏った思い込みをしているのではないかと思うほどだ。話してみると、そういうことではないようなのだが。
普通、20歳を過ぎたら普通の女性はかなり焦る。
慣習が染みついた周囲からは何か欠陥があるのだろうと思われるし、近しい人間には叱られる。男性側からも結婚相手としては見られなくなる。それで焦ってもどうにもできずに苦しみ、思い悩んだ末に神殿に駆け込んでしまう者どころか、引きこもってしまう者もいるのだ。
けれどサリカは、むしろその年頃になってほっとして見えた。
後ろ指さされることが怖くないのかと聞けば、結婚を周囲に勧められにくくなるから楽だとまで言うのだ。そしてまだ子どもの王子を甘やかして嬉しそうにしていた。
そんな一般的な女性からはかけ離れた感覚の持ち主だったサリカが、まるで常識的な令嬢のように、試合会場にいる騎士を見つめているのだ。
ハウファはその進歩に驚いた。
何があったのだろう、とつい悟られないようにサリカを盗み見てしまうのも当然だろう。
兜を脱いでしまっている事に衝撃を受けていたティエリ達も、ラーシュの腕のリボンにようやく意識が向いてきたようだ。
目を輝かせてサリカを振り返り、ひそひそと話し出す。
サリカと勝つ約束をしたラーシュが、何か秘策を思いついて兜を脱いだのだとか、予測を語り合っているようだ。
そのうちに、どこかから情報を仕入れてきた召使いが戻ってきて、先の対戦で兜が一部ゆがんだせいだと伝えると、少しだけがっかりした顔をする。
その様子がおかしくて思わず笑いそうになったハウファは、ふとエルデリックと視線が合う。
サリカとラーシュを近づけようとしていたエルデリックは、ハウファに小さく笑ってみせた。
そして、試合は再開された。
***
(み、見てられない……)
サリカは開始位置についたラーシュから目をそらしそうになる。
兜をかぶっていない理由は、ティエリ達が尋ねるより先に教えてくれたのでわかったのだが、実に無防備そうに見えて不安だ。
うっかり顔に当たってしまったらどうしよう。
そんなサリカの心配を置き去りに、号令と共に二騎が出走する。
ぐいぐいと近づいていく二人の騎士の距離。
しかもラーシュがやたらに速度を出している気がする。
槍を盾で防いでも、自分の勢いの反動で大けがをするのではないか。そう思うと、サリカはとうとう目をとじてしまう。
(やだ怖い……)
一瞬、脳裏をよぎったのは、ずっと昔の記憶だ。
小さかった自分とそう変わらない背丈の男の子。
背中に庇ってくれたその子も耳を塞いでしゃがみこんでいて、周りを囲んだ大人達も耳を塞いでいた。
それは七歳の頃、一度だけ人攫いに遭った時のことだ。
逃げようと思って、恐いことを言い聞かされていたから使わずにいた能力を、このときばかりはとサリカは利用した。
けれどサリカの力は確かに発揮されていたのに、人攫い達は行動を止めることもなかった。
ただ不愉快そうに顔を歪め、そして振り上げられた拳が、サリカを庇った男の子に振り下ろされて――
どっと重たい砂袋を地面に落としたような音に、サリカはびくりと身を震わせた。
続いて割れんばかりの喝采が聞こえ、サリカの近くからも、金切り声のような歓声が上がった。
(え、近く?)
ティエリや、いつもは静かなハウファの声まで聞こえる。
「勝った-!」
「とうとう決勝よ決勝!」
まさかと思って目を開いたサリカが見たのは、槍を振り上げて自分を称える観客に応えるラーシュの姿と、落馬して失神したのか身動きひとつしない対戦相手。
ラーシュは笑みを浮かべていないものの、他に怪我もなく、サリカ達の方を見てエルデリックやフェレンツ王に一礼してみせる。
「勝っ……た?」
呟けば、脳裏に声が届く。
【ラーシュが勝ったよ、サリカ】
振り向けば、エルデリックがうなずいてくれる。
(そうか勝ったんだ)
少しほっとしたサリカに、エルデリックは続けて言った。
【サリカ、ラーシュが君のために戦ってくれるのは、嫌なの?】
「え……」
尋ねられた内容に、サリカは不意をつかれたように戸惑う。
(嫌というわけでは……)
【僕が剣の練習で同い年の子に勝った時は、もっと喜んでくれたよね。ラーシュじゃだめなの?】
(そうじゃないんです)
サリカはため息をつき、端から見るとエルデリックを黙って見つめ続けている状態はまずいので、前に向き直って心の中で答える。
(たぶん、殿下がこの試合に同じような理由で出場したなら、やっぱり私は……怖くなって、勝手も大喜びできなかったと思います。殿下が私のせいで怪我をしそうになっても、こんな人が沢山いる場所じゃ助けられない。殿下が大事なのに、そんなことさせられません)
たぶんサリカは、まだ7歳の頃のことをひきずっているのだ。だから自分の弱い能力ではと思いながらも、他人を守れずに傷つけられてしまうことが恐いのだ。
するとエルデリックは言う。
【じゃあ、ラーシュも大事?】
サリカは逡巡した。
いつもいつも、エルデリック相手には大事ですとか、大切だという言葉を言っていたし、何回でも素で言える。
けれど他の人に対しては言葉に詰まる。
エルデリックはどれだけサリカが愛情を示しても、沢山の人に守られるとても安全な人で、他の人はそうではないからだ。
誰かに厳重に守ってもらえる存在だから、サリカが心を傾けても、エルデリックは誰かに攫われたり傷つけられたりしない。サリカの半端な力で守れずに、傷つけられるようなこともないから安心していられるのだ。
だけどラーシュは。
サリカの声があれば彼は強くなれるから、迷惑をかけて申し訳ないと思っても不安になることはなかった。ある意味サリカの能力が彼の助けになっているので、この状態はサリカが守ることができている、という解釈もできる。
それに大事というよりはラーシュの言う利害の一致という言葉から、今までは協力者という気持ちが強かった。
けれどそうして一緒に過ごす間に、たぶんラーシュのことを協力者以上には思えるようになっていた。
最初はフェレンツ王に命じられたからとはいえ、保護者みたいにサリカのことを守ってくれた。それだけではなく、怖がった時には抱きしめて帰ってくれた。サリカがお見合いを回避するために、ずいぶんな事も受け入れてくれた。
そんなラーシュだから、手助けができない状況で、怪我をした彼にもうやめて欲しいと言うほどに大事だと思う。
だからエルデリックに答えた。
(大事……です。だからラーシュに怪我されたらと思うと……)
見ていられない、とサリカは告げる。
するとエルデリックは言う。
【大事ならちゃんと見てあげないとだめだよ、サリカ。僕ならそうしてほしいと思うよ。せっかくサリカのためだけに戦ってくれてるんだから】
もう一度振り向けば、エルデリックは穏やかに微笑んでいる。
サリカが大好きな可愛らしい笑みだ。
【ラーシュだってせっかく勝っても見ていてくれなかったら、すごく拗ねると思うんだ】
付け加えられた言葉に、サリカはちょっと笑って……今度は目をそらさないようにしようと思った。
それで少しでも、ラーシュに報いることになるのならと。
――が、決勝戦が始まってすぐ、サリカはそれをひどく後悔する。
「う、ううぅぅ」
試合を見てはいる。顔を覆った指の隙間からだが。
左右を見れば、ハウファも口元をおさえているし、ティエリも不安そうな表情だ。
既に三度激突したラーシュ達は、お互いに折れた槍を取り替える。その頬には飛んだ破片で傷がついていた。
それだけならまだしも、初回に兜のないラーシュの頭の横を相手の槍がかすめていくのを見た瞬間、サリカは息どころか心臓が止まるかと思ったのだ。今もまだそれが尾を引いて、胸がどきどきとしたままだ。
相手の方も二度落馬しかけていた。一度はラーシュの槍を避けるためで、もう一度は鎧の肩をかすめたためだ。
エルデリックも顔から笑顔が消えていた。
【ラーシュ、思ったより腕の怪我が痛むのかな】
ラーシュの怪我をした腕は、包帯の上に血が滲んできていた。
この上、打ち合いの際に大けがを負ったり、落馬して骨折などしたらどうしよう。そう思うが、ラーシュには手出しはしないように言われている。ひっそり彼に能力で命令でもしたら、サリカのことを許してはくれないだろう。
「勝敗ってどうすれば着くんだっけ……」
後ろで召し使いの女性達が囁き交わす。
「肩や胴に槍先がきちんと当たるか、馬から落とすかよね?」
「どっちにしろ当たればまず落馬するものね……」
話の内容に、サリカはぞっとする。
(ラーシュに槍が当たられちゃ困る……)
槍があたって打撲傷になるのも恐いが、落馬だってかなりの衝撃を受ける。
とにかく無事でいてくれと思いながら走り出したラーシュを見つめた。
四度目の衝突。
双方とも盾で相手の槍を防いだが、ラーシュの腕は傷が痛むのか、大きく体が揺らいだ。
槍は盾の端を滑ったからか、ラーシュも相手も折れていない。
そのまま仕切り直して、五度目が開始された。
まっすぐに相手へ先端を向けられた二本の槍を、防ぐように掲げられる盾。
そして衝突の瞬間、ラーシュがわずかに姿勢を低くしたように見えた。
次の瞬間、槍が折れ砕ける音と共に、二人は馬上から投げ出されそうになった。
相手は仰向けに転落。
ラーシュは横倒しになって、それでも盾を捨てながら鞍に手を伸ばし、馬にしがみついて耐えた。
一瞬遅れて、相手の騎士が落馬する鈍い音が耳に届く。
槍も盾も無くしたラーシュが馬上で態勢を戻し、右手を挙げた。
会場に詰めかけた人々が、荒れ狂う波のような歓声を上げる。
勝敗が決まったのだ。
「……!」
思わずサリカは立ち上がった。
同じように、ティエリ達も立ち上がって、目の前の柵まで駆け寄っていく。
ラーシュはサリカ達の近くまで馬を進め、やがて駆け寄ってきた兵に手綱を預けて地上に足をつけた。
少しふらついたものの、あれ以上どこか怪我をしたりはしていないようだ。
そして彼の前に、開かれた柵から試合場へと出たフェレンツ王が立つ。
ラーシュは王の前に膝をついて頭を垂れた。
フェレンツ王が、普段の彼は出さない声量で勝者の名前を会場に響かせる。
今度は穏やかな言祝ぎの声と、拍手がラーシュに贈られる。
それをラーシュはなんでもないことのような表情で受け止めていた。しかも少しだるそうな雰囲気を見せている所に、サリカは笑いそうになる。
けれど笑い声は上げられなかった。
喉が震えて、声が裏返ってしまいそうで。あげくに目が腫れぼったくて、ぬぐわないとすぐに目の前がにじんでくる。
ただ見ているだけの時間が終わって、ようやくラーシュのことを心配しなくても大丈夫だと思うと、なおさらに涙が浮かんでくる。
少しぼやけた視界の中、フェレンツ王がラーシュに問いかけた。
「試合の賞金と勝者のために用意した剣を与える。そのほかに、何か望むことがあれば言いなさい」
筋書き通りの言葉。
「では、ある女性から祝福の口づけを請うことを、お許し下さい」
筋書き通りの答えに、会場が騒ぎ出す。続けて新しい余興が見られるという喜びに。
フェレンツ王の許可をもらい、立ち上がったラーシュが目を向けたのはサリカだ。
まるで物語のような流れに、ティエリ達が黄色い声を上げて喜んだ。けれど彼女達は、ふっと心配するようにサリカの顔を覗いた。
「大丈夫?」
「泣きすぎよ、はいこれ」
ティエリに渡された手巾で、サリカは大丈夫だとうなずきながら涙を拭う。
それでも泣きやめない自分に戸惑う。
もうラーシュは勝ったし、試合も終わったのだ。彼がこれ以上、能力を使わずに戦って怪我をすることもなくなった。安心していいはずなのに、ぽろぽろと、すくった手からこぼれる水滴みたいに涙が出てくるのだ。
それでもティエリの手巾のおかげで、前よりも周りがよく見えるようになる。
ティエリ達は心配そうに、そして仕方ないなという表情で少し離れていく。ラーシュの邪魔をしないように。
フェレンツ王もいつも通りの暖かな笑みを浮かべていて、その側にはいつのまにかエルデリックが立っていた。
そしてラーシュは、柵の外側へ出てまっすぐにサリカの目の前にやってきた。
「なんだお前、どうして泣いてるんだ?」
ラーシュは困ったような顔をしながらも微笑んでいる。
「だって、今日は本当に怪我するんじゃないかと思ってて」
心配で何もできないことが歯がゆくて、辛かったのだ。大事な相手を守れないというのは、こんなにも苦しいのかと思ったほど。
「もうこんな危ないことしないで……。もう怪我するのを見るのは恐いよ。何かあったら今度はもうこんな手は使わせない」
どんな手でも使っていいから、ぎりぎりの状態で戦うのは見たくなかった。だから今のうちにラーシュに言っておきたかった。
なのにラーシュは笑う。
「無理だよ。お前のために、たぶん何度でも危ない橋は渡る事になるだろうからな」
サリカは言い返せない。なにせまだ自分は殺されそうになっている身だ。
けれど子どもみたいにかんしゃくをおこして、泣き声を上げそうになる。
なぜこの人はこんな時まで、サリカを安心させる言葉をくれないのかと。どうして心配だってわかってくれないんだろうと。
きっと心配しすぎて、自分はひどく我が儘になっているのだろうと、サリカは頭の隅でふと思う。
「ラーシュのいじわる……」
サリカは思わず悪態をついてしまう。
けれど彼を頼るしかないのだ。傷つくかもしれなくても、サリカを間違いなく守ってくれるこの人を。だからこれだけは言わなくてはならないと思った。
「でも、勝ってくれてありがとう。かっこよかったよ。それにちょっと、本当はおとぎ話のお姫様に憧れて、でも私には無理だって諦めてたから……本当は嬉しかった」
するとラーシュがふっと笑ったのがわかった。
「まいったな……。本当にお前にはかなわないよ」
そう言いながらも声が照れているのがわかる。喜んでくれたのだ。
それが感じられてサリカも心の緊張がほどけて……さらに泣いてしまいそうだった。
しかしそんなことをしている場合ではない。ロアルドとの結婚を回避するために、彼にキスを贈らなければならないのだ。
目をまたたいて涙を散らして見上げる。
それでも残った涙を、ラーシュが指先で拭ってサリカの頬を包み込む。
「俺に祝福をくれるか?」
ラーシュの眼差しは、見つめ返しているとサリカの体の奥をじわじわと焦がしていくような熱を持っている。
そのことに戸惑いながらもサリカはうなずき、膝を少し身をかがめてくれたラーシュに顔を近づける。
泣きすぎたせいか恥ずかしさはどこかぼやけて感じられていた。けれど替わりの弊害が生じていた。
「どうしよう、なんか、よく見えなくてちゃんとできなかったらごめん」
涙でにじんで、ぼんやりとしかラーシュの目鼻が判別できないのだ。見当違いのところにキスして、ラーシュが笑われるかもしれないと思ったサリカだったが、
「……ならサリカ、目を閉じてろ」
言われてサリカは素直に従う。
泣きすぎたのか、目がはれぼったくて閉じると楽だった。頭を支えるように手が回されて、自然にサリカの顔が上向く。
そして少し温度の低いやわらかな感触が、サリカの肌に触れる。
最初は両方の目元。
それから頬を滑るように涙をぬぐい、唇に触れた。
(ラーシュとキス……してるんだ)
そう感じた瞬間、周囲の声が遠ざかって聞こえなくなった気がした。
ティエリ達の楽しそうな悲鳴や、遠くからはやし立てるような声も聞こえたはずなのに、サリカは急に静かな場所へ閉じ込められたように感じる。
やがて長すぎるのではないかという時間の末、ラーシュの唇がさらに強く押しつけられる。
驚いた瞬間に滑り込んだ熱い感触に、ほんの少し涙の味がした。
慌てる間もなく、ラーシュの唇は離れて行く。
その口づけは、何かとても大切な約束を結んだように感じられて、サリカの開いた目に新しい涙が浮かんだ。




