3 サリカが王子の女官になった理由
ティエリの言葉に、サリカは笑って流すしかない。
サリカが王子の言葉を『察する』ことができる理由は、決して開かせないからだ。
そもそも王の信任も篤いイレーシュ辺境伯家の当主の孫であるサリカだが、辺境伯家の令嬢だったサリカの母が平民の織物商人と結婚したため、身分的には完全に『ど平民』である。
本来ならば、一人だけしか居ない王子様の女官に、貴族の血縁とはいえ、サリカのような人間を使うことは滅多にない。
貴族令嬢や王子の世話係をしてみたい貴族のご婦人方なら、他にいくらでもいるのだ。
それでもサリカが国王直々に選ばれ、頼まれて女官をすることになるという、いささか異常な就職の仕方をした理由は、当の王子エルデリックが『しゃべれない子供』だったからだ。
金髪碧眼の絵に描いたような美しい王子様、エルデリック殿下は言葉が話せない。
赤ん坊の頃は誰もそのことに気づかなかったらしい。
泣き声は出せたからだ。
けれど三歳になっても発語が遅くて、医者に診せてもよくわからないという回答が帰ってくるばかり。
とうとう王妃様が不安で夜も眠れなくなり、毎日泣き暮らすようになり、国王が後生だからと知り合いだったサリカの祖母に相談した。
なぜならサリカと祖母と母は、人が心で思う事を聞き取れる特殊能力を持っていたからだ。
この能力は、サリカの家系に伝わる特殊能力の一端でしかない。
むしろ人の心を操る方が、メインかもしれない。
かつてはその力を乱用し、戦況を変え、『死神』と呼ばれた者もいたという。
ちなみにサリカは怖いので、ほとんど使ったことはない。万が一の場合に身を守るため、使い方を習得しておけと母に言われて練習させられたくらい、消極的である。
そして、この秘密を知っているのは、近親者の一部と国王、他信頼できる一部の者だけである。
どうしてそこまで秘匿するのかといえば、この特殊能力は権力者であってもなくても、野心を持つ者には非常に魅力的な力だからだ。
気に入らない事を言う相手の心を操ってうなずかせるだけでも、充分ひどいと思うのに、やろうと思えば自殺だってさせられる。
非常におぞましい代物でもあるのだ。
この力のせいで祖母は家族をなくしたといい、破天荒な母ですら誘拐されたことがあるほどだ。
それを聞いて怖がらないわけがないのである。
さて、サリカの祖母がエルデリックと会って話した結果、判明した理由というのが、エルデリック殿下はただただ『しゃべれないだけ』というもの。
声を出すためにのどを震わせることはできる。
だから泣き声が出せたのだ。
そして言葉を組み立てることはできる。事実、その後文字をかけるようになったエルデリックは、筆談で何ら問題なく意思疎通ができるようになっていた。
けれど発声しないのは、エルデリックの無意識下の問題によるらしい。
その問題については、サリカの祖母でもどうにもできないことだったようだ。
エルデリック自身も話したいとは思っているらしいが、自分でもどうしたらいいのかわからないらしい。
原因はわかったものの、エルデリックが他人と意思疎通がとりづらいのは変わらなかった。
意思疎通のできない子供が無言で走って庭へ逃げて行ったり、廊下に飛び出していくわ、泣く理由がわからないため、王妃の女官達もエルデリックには手を焼いていた。
エルデリックが文字を覚えれば、筆談でどうにでもできると分かっていたものの、まだ四歳のエルデリックにすぐどうこうしろというのは不可能だった。
本人自身も不自由きわまりない状況に度々泣きだしたりと気の毒な状況だったという。
そこで白羽の矢が立ったのが、サリカだった。
齢12歳にして女官職についた時には「遊ぶ時間がなくなる……」と暗い気持ちになったサリカだったが、エルデリックが素直で可愛く、そして自分になついてくれたことで、サリカの気持ちはすぐに変わった。
ずっとこのままエルデリックを見守って生きて行きたい。
サリカはそう願うようになったのだった。
正直、自分が結婚して家族を持つことに、サリカは非常に後ろ向きだ。
この特殊能力のせいで、相手も慎重に選ばなければならないせいでもある。
恋をしたあげく、けれどその相手が信用ならない相手だったらどうしたらいいのか。恋は盲目ともいうし、そのせいで自分が暴走して家族を巻き込んだらと思うと、とても恐ろしくてできない。
しかもこの仕事をしていれば生きていけるし、我が子のようなエルデリックがいればいいではないかと思ったのだ。
だから今日、エルデリックがサリカの手伝いを断ったことについては、ちょっと寂しかった。
12歳という微妙なお年頃で、急に着替えを見られるのが恥ずかしくなったのかもしれないが。
それはそれで、子供が自分の元を巣立っていくように感じられて、もの悲しい気分になるのだ。
やがてエルデリックが着替えを終えて、寝室から姿を現した。
冬の厳しいバルタ王国らしい、膝までの裾長の衣を羽織る形の衣服は、常盤緑に銀の刺繍の派手ではないけれども高価な代物だ。それが朝日に金の髪がきらめくエルデリックによく似合っている。
さすがは私の王子と、サリカは誇らしい気持ちになりながら、朝食の席につく姿を見守った。
「あんたホントに王子病よね……」
隣に立つ同僚の女官ティエリがそう呟いた。
ちなみにティエリは、サリカが犬猫を引き連れて行進していたのを見かけて以来、犬猫子どもといったたぐいの気持ちを理解できる、変人だと確信しているらしい。
ある意味間違っていないので、サリカはそれを否定しないでいる。
食事が終わるころ、一人の騎士がエルデリックを訪ねてきた。
黒灰色髪にこれまた地味な灰色の上着を着た年上の青年は、エルデリック王子の父親、フェレンツ国王に仕え始めた騎士ラーシュだ。
長めの前髪の間から見える伏せがちの灰色の目からは、けだるそうな色気という妙な印象を受ける人である。
騎士なんてものは、そこそこの試合を行い、王に叙任されさえすればなれるものだ。
元が貴族だろうと農民の次男坊だろうと、騎士になった後はその名誉ある称号はめったなことでは剥奪されることはなく、国王に仕えるもよし、腕に覚えがあるならば気に入った貴族の元で食客になったりすることもある。
時には自分の耳目を広げるための旅をしては、盗賊などを退治して報償を受け取り、それで生活している人もいる。
だが二十歳を少し過ぎたくらいだろうと思われるラーシュは、一見して所作の流麗さが際立っていた。
おそらく良い家の出身なのだろうとサリカは思っている。
その縁で国王に仕官したのだろう。
騎士ラーシュに先導されて、エルデリック王子は朝の国王一家の日課どおり、拝殿へ向かう。
拝殿の奥に据えられているのは、炎から人々を守ったという女神のご神木を模した銀の樹だ。
御神体へ向かってひざまずく国王一家を離れた場所で見つめながら、サリカも両手を組み合わせていた。
(ああ女神様。私はずっとこんな穏やかな生活を送りたいだけなんです。どうしてお見合いなんて試練が降りかかるんですか……)
エルデリック王子の後ろで、サリカはお見合いの取り消しを願い続けていた。
叶えてもらえるはずがないと分かっていながらも。




