38 その日 2
次にラーシュが当たったのは、優勝候補の一人だと言われていた騎士だった。
ラーシュよりも大柄ではあるものの、ジュラという騎士ほど巨大というわけではない。それでも槍の扱いが上手く、膂力で何人かをなぎ払うようにして馬上から落としていた。
「あの騎士、槍を替えたのね」
当の対戦相手の騎士が入場してきた時、めざといティエリがそう言った。けれど誰も前に持っていた槍がどんなのだったのか覚えていなかったので、首をかしげるだけだった。
そうしているうちに、審判を行う兵の号令で、ラーシュと相手の騎士は馬を走らせる。
右手に抱えた槍を、ラーシュがわずかに持ち上げる。
敵側はさらに上段に構えた。
すれ違うのは、サリカの目にはほんの瞬きする間のことだ。
その全てを追い切れたわけではない。
ラーシュが直前で身をかわすように動き、肩口を狙った敵の槍が軍衣の端を貫く。
引きずられるように馬から落ちかけたラーシュは、敵の槍を盾で跳ね上げながら耐えきった。
二人の位置が入れ替わる。
そしてようやく、サリカはそれに気づいた。
「え、血……」
ラーシュの盾を握る腕。その肩に近い所の袖が裂け、赤黒く染まっていくのが見える。
「斬れるだなんて……」
同じことに衝撃を受けたハウファが、眉をひそめて呟いた。
「鋭すぎない?」
「刃をつぶしても、勢いをつけたら斬れるものなの!?」
「殿下……」
サリカは一番詳しいだろう人物を振り向く。剣を扱わないサリカ達よりも、エルデリックはこういったルールを熟知しているはずだ。
エルデリックも真剣な表情でラーシュを見ていた。
けれど彼はサリカに言った。
【今までにも、こういうことはあったよ。けれど判断するのはラーシュだと思う】
こういうこと、と言うのだから、おそらく相手の槍の刃が完全につぶされていないことを見て取ったのだろう。それなら止めるべきではないかと思うのだが、エルデリックはラーシュの判断に任せろと言うのだ。
けれどラーシュが試合に参加する要因を作ったのはサリカだ。
思わず、サリカは立ち上がって上の席にいるフェレンツ王を仰ぎ見る。
王族用にしつらえられた観戦席の上で、こちらもラーシュ達を見ていたフェレンツ王も、何も言わない。サリカと目が合っても、自分は何もしないと言わんばかりに小さく首を横に振ってみせるばかりだ。
(止めないのは……私のせいだろうか)
サリカの結婚阻止のために勝ち上がってきたというのに、このチャンスを逃したくないからフェレンツ王も止めないのか。
不安になったサリカは、再びの号令の声に、はじかれたように試合場を振り返った。
怪我もそのままに、馬を走らせるラーシュの姿が見えた。
一方の敵は、怪我をしている相手だからと少し余裕の見える表情をしていた。
それもすぐに驚愕の表情に変わる。
相手の槍が盾に衝突するが、表面を滑ってそれた。代わりに跳ね返ってラーシュの兜に当たる。
その衝撃を耐えたラーシュの槍が、まっすぐに相手の首を狙った。
敵も避けたのだろう、どう動いたのかサリカにはわからなくても、ラーシュの槍は肩口にあたるのが見えた。
槍の衝撃に、敵の体が馬上から投げ出される。
その数秒後、一人鞍上に姿勢を正して座るラーシュが馬足を緩めて止まった。
振り返った彼に降り注ぐ賞賛の声。審判が勝者の名前を呼ぶ。ラーシュの名を。
ティエリもハウファも、召使い達も立ち上がって彼の名を叫んだ。
そしてサリカは、
【様子を見てきてほしいな】
エルデリックの言葉に背中を押されるようにして、ラーシュを探しに行った。
槍試合はちょうどそこで、上位者が決まったようだ。
一時休憩をとるらしく、人々は飲み物などを買い足しに移動をはじめていた。
サリカはその中を、柵を回り込むようにして会場への出入り口から外へ出た。
ただ、彼女一人きりではない。後ろから騎士ブライエルが追って来ている。
この日は試合で側にいられないラーシュの代わりにと、フェレンツ王がサリカの護衛をさせているのだ。
牢の一件で顔見知りになったブライエルは、しっかりと張り付くように護衛するのではなく、少し離れて自由にさせてくれながらもサリカの周囲に目を光らせてくれるので、とても有り難い。
試合会場となる小さな丘を囲む場所には、人が集まることを目当てに、屋台などを出す者達が大勢いた。
お祭りの時の街路と変わらない賑やかさのそこよりも、会場に近い場所に木の柵で区切られた区域があった。天幕がいくつも張られているそこは、出場者の控えの場所だ。
その中に、藍色の織布に王国の紋をあしらい、黄の房飾りをほどこした布をまとった葦毛の馬と、黒の軍衣を纏った灰色の髪の騎士を見つけた。
早速怪我の治療をされたのか、腕には白い包帯が見えた。
そして彼の周りには、フェレンツ王の騎士達の姿があった。
騎士仲間と話している姿に、サリカは戸惑った。
ラーシュも和やかな表情をしているように思えたサリカは、邪魔をしてしまうようで悪い気がしたのだ。
このまま声を掛けずに帰って、ラーシュは平気そうだとエルデリックに報告しようかと思ったが、その前にラーシュの側にいた騎士が彼女に気づいた。
「よぉオカン。お前の愛娘がご訪問のようだ」
(オカン?)
その呼び方に首をかしげたところで、ラーシュが振り返る。
彼がやや気まずそうな表情を浮かべたので、やっぱり邪魔ではなかったかと思ったのだが、ラーシュが手招きしたので逃げようもない。
とつとつと近寄りながら、サリカは他に人がいるので正直に理由を言うわけにもいかず、つい言い訳がましく言わずにいられなくなる。
「えーと、殿下がこう、様子を見て来なさいっていうもので、ちょっと元気かなーと……」
そのくせちらちらと視線は怪我をしたカ所を見てしまう。
するとラーシュは、近くまでやってきたサリカの手首を掴んで言った。
「とりあえずわかった、ちょっとこっち来い」
ラーシュがサリカの手を引いていく。
反射的に付いていきながら振り返れば、先程までラーシュの側にいた騎士達が楽しげに『おお、親子水入らずだってよ』と言い、ラーシュがいるからか、ブライエルもその場に留まってこちらに手を振っている。
「親子? オカン?」
わけのわからない単語にサリカは首をひねりながら、それでもラーシュについて行った。なにせ自分達が気兼ねなく話すには、誰かが側にいては困る。ラーシュが連れ出してくれる事は有り難かったのだ。
やがてラーシュが立ち止まったのは、人気のない林の中。
しかしあまり木も密集していないので、周囲に人の姿がいるかどうかすぐわかる場所だ。
誰にも聴かれない場所に来て、サリカはほっとしながらまず頭を下げた。
「あの、ごめんなさいラーシュ」
「……なんでお前が謝る?」
「だってそんな怪我まですることになっちゃって……痛む? もし辛いならここで止めてくれた方がいいと思うんだ。殿下や陛下には申し訳ないけれど、一時的に田舎に帰って、ほとぼりが冷めるまで結婚したふりするとか。なんか別な方法とるから……」
自分がロアルドの策に引っかからなければ、こんなことにはならなかったのだ。だからそう申し出たのだが、ラーシュにきっぱりと言われる。
「それは俺が嫌だ」
「え?」
「お前が気にしすぎなんだよ。これぐらいの怪我なら、まぁわりとある方だ。相手の鏃が研がれたままとか実に累計的すぎて、こっちの気が抜けそうだったぐらいだしな」
「え、良くあるって……でもそれじゃ規則違反じゃないの?」
「始まってから気づいた場合どうなる?」
逆にラーシュに問われて、サリカは頭を悩ませながら応えた。
「えーと、試合は一端停止で。違反者は失格よね?」
「場合によっては、怪我をした俺もその後出場できなくなる。治療だなんだと時間がかかってるうちに、試合が終わってしまうこともあるからな。それじゃこれまでの苦労が水の泡だ。皆、騎士ならそれを分かってる。だから誰も止めなかっただろ?」
サリカはうなずくしかない。
フェレンツ王も何も言わず、エルデリックでさえも止めなかった。
ラーシュは子どもに言い聞かせるように説明してくれる。
「勝てないと察した相手に、脅しをかけるために潰してない槍を使う人間はいるんだ。死亡事故にならなくても、次に当たるだろう相手から金をもらってわざと違反をする者もいる。
俺はそれも分かっていてやってるんだ。それに、こういうのは嫌いじゃない。多少超えなきゃいけない壁は高い方が、男ってのは楽しいものだからな」
だから心配するなと言うラーシュに、サリカ理解できずに拗ねた表情にになってしまう。
「命あっての物種だと思うんだけど……」
「それはそうだ。だから死ぬような真似はする気はない。さっきのあれだって、勝てると思うから続行しただけだ」
勝てると思ったというラーシュに、サリカはそれでも不安を払拭できない。
「でも、死亡事故だってあるって聞いたし、怪我してるなら尚更危ないと思うし……」
人生に絶対などない。
きっと大丈夫。そう思っても実際にその通りになるばかりではないのだ。
まだぐずるサリカに、ラーシュはため息をつく。
呆れられただろうかと思いつつ、でも諦めて試合を止めてくれたらいいと思っていたのだが、ふいに右手首を掴まれて目をまたたく。
「え、なに?」
「お前は案外、自分以外のことには心配性なようなんでな。そんなに心配なら、古式ゆかしいお守りをもらっておこうかと」
「古式ゆかしいお守り?」
思い当たらずに戸惑うサリカが、手首を惹かれてラーシュにぶつかってしまう。
肩を保護する鎧に頬が触れ、自由だった左手がラーシュの鎖帷子を覆う軍衣に触れる。
それから今の状態が、まるで先日ラーシュに口づけられそうになった時と似た態勢だと気づき、サリカは一気に緊張した。
(ま、まさかお守りって)
よく恋人同士や夫婦で、旅や戦の出陣前には口づけをするのは知っている。帰ってきますようにという、約束のためにするのだということも。
まさかと思いつつ、それを連想して顔がぶわっと熱くなりかけたサリカだったが、かかえられるようにラーシュの腕が伸ばされたかと思うと……なんでか頭のあたりでごそごそと動かされる。
「え?」
何をしているんだろうと思えば、結い上げていた髪がはらりと落ちていく。
「こっちは返しておく。試合終了までに件の暗殺未遂事件の犯人がまたなにかしてきたら、突き刺してやるつもりでどこかにしまっておけ」
そう言ってラーシュが差し出したのは、髪留めのピンが数本。
「こっちはもらっておく」
ラーシュは手に持ったままの深緑色のリボンを包帯の上から巻き付ける。
「え、それ私のリボン……お守り?」
自分の持ち物をお守り代わりにされて、サリカは戸惑う。
「知らないのか?」
ラーシュに首を傾げられるが、サリカとて知らないわけではないのだ。
特に戦場で、慕う相手の持ち物を身につけることで、お守りにするという慣習ぐらいは。
「いや知ってはいるけど……それでいいの?」
サリカの持ち物で、果たしてお守りになるのか。むしろこんな目に遭っているのはサリカのせいなので、呪いのアイテムにならないだろうか。
そう言ったら、聞いたとたんラーシュが吹き出した。
「なら、俺はお前以外の誰から貰えばいいんだよ?」
「う……まぁそうかな」
これから、入賞できればキスする事が決まっているのに、他人様からお守りをもらうわけにもいくまい。
納得したサリカだったが、自分の騎士のようなことをしてくれると思わなかったために、まだ戸惑う。
それでも「もう時間が来るから戻ろう」と歩き出したラーシュを引き留め、言うべきだろうことだけはなんとか口にした。
「あ、あのね、ラーシュがそういうなら死んだりしないって信じるから、その……ご武運を」
物語のような様式的なお守りをほしがったラーシュに、サリカは様式美だろうと彼の勝利を願う。
するとラーシュは少し目を見開き、やがて彼にしては驚くほど柔らかな笑みを見せた。
「ああ、もちろんだ」




