34 翌日のラーシュ
噂に晒されるのは予想できたことだった。
ラーシュが貴族として出席していて見かねてサリカを庇っても、同じ事だったに違いない。公衆の面前でキスをされた女の子を助けるのだ。はやし立てられるのは覚悟はしていた。
それでも最後にフェレンツ王が出てきたことで、多少は軽減されたとは思うが、やはり王宮内を歩けばちらちらと視線を向けられ、訓練場では騎士仲間達が遠慮無くからかわれた。
「よぉ、昨日は随分ご活躍だったみたいだなラーシュさんや」
訓練場の武器庫へ返却しに行けば、ちょうど行き合った騎士にもそう声を掛けられた。
城内警備の隊長職にいる騎士だ。
この国ではフェレンツ王が騎士の仕官について判断し、要所ごとに監督官として配置することが多い。そういった者は見習い騎士の指導もするので、中年の髭が濃いこの男も、エルデリック王子と似たような年頃の子どもが付き従い、武器庫の管理官とやりとりしていた。
「陛下にくれぐれもと言われていたんだ。殿下にとって無くてはならない杖のような人物だからな」
ラーシュはもう何度繰り返したかわからない言い訳を口にした。
とても本当のことなど言えない。
よもや自分を下僕扱いできる女が、変な男に取り込まれては困るからなどとは、能力のことを抜きにしてもラーシュの矜持が傷つく。
「まぁ察しがいい女ってのは、楽なもんだよな。女官でも女房でも。うちのも何も言わなくても全て飲み込んでくれる察しのいい女だったらよぉ……」
そう言って、中年騎士は数秒遠い目をした。
ラーシュはそんな夢がみられる中年騎士がうらやましかった。サリカはそんな察しのいい人間ではない。
「それなら陛下にも感謝されただろう、良かったな」
「そうですね……」
ラーシュは中年騎士に同意しておく。
確かにフェレンツ王にはよくやったと言われた。けれど素直に嬉しいと思うには心苦しいと思っていた。
女性が無理矢理に口づけをされた上、さらし者になる状況だった事を可哀想だと思ったのは事実だ。けれど瞬間的に、自分にとってマズイと考えたことが自分の心にひっかかっていた。
もっと純粋な気持ちで助けられたら、こんなにも重苦しい気持ちを引きずらずに済んだだろうか、とラーシュは思う。
一週間後、もっと噂になるようなことをするのだと思えば、さらに気が重い。さすがのラーシュも気が引けて、つい他の方法はないのかと考えてしまうほどだ。
自分だって抵抗がないわけでもないのだ。サリカよりも割り切れるだけの話で。
だからか、サリカにあんな啖呵を切ってしまった。
(俺は、何であんなことを言ったんだ……)
羞恥心から目を背けるために、つい大人ぶった態度で何も気にしていない体を装ったのは否定しない。あとは、ラーシュの中にも少し残っていた、幼い頃の憧れが少しあったのだろうと思っている。
騎士物語といえば、ラーシュの故国でも子供にはよく読まれていたものだ。不遇な状況に囚われるまでは、ラーシュもそういった憧れの世界をもってはいたのだ。
その一端は、バルタ王国で騎士として自由に過ごした時間に解消されたように思う。
誰も昔の自分を知らない国で、まるで無残に人を切り刻んだことなどないように、清廉潔白なふりをして試合でとどめを刺さないように、それゆえの難しさの中で勝利を掴んで。身分のことなど忘れて、一騎士のように王に仕える栄誉も得た。
勝利の報償にサリカからの口づけを願うのも、主筋の姫からの信頼を願うようなものだろう。
(いや……姫というには無理が……)
ある程度異常には慣れているはずの自分の耳にも衝撃的な、数々の変態発言。エルデリックだけに向けられてはいるものの、驚くような変態行動。
サリカのことといえば、これらのことを同時に思い起こさずにはいられなかった。
ただ、ラーシュの考えていた能力者というものを、良い意味で裏切ってもくれた。最初ラーシュが感じていた能力者への恐れを、あらかた押し流すような斜め上の行動が多かったのだが。
度々迷惑をかける、けれど憎めない存在。そして見捨てられない。
そういった事情や感情を考え合わせると、サリカは妹のような存在に近いのではないかという気がしてくる。
……妹がいないので、実際はどうなのかわからないが。
ついあれこれ考え込んでしまったラーシュは、端から見ると明らかに手放しで喜んではいなかった。
その様子に、中年騎士は特に不思議にも思わなかったようだ。今日一日からかわれ続けているのを見ていたからかもしれない。代わりにラーシュが武器庫の管理官に渡したものを見て、尋ねてくる。
「そういえば長槍借りてたのか? お前使えるのかよ」
「……まぁ人並みに一通りは。でないと試合をえり好みすることになって、こうして仕官できるようになるまでの間、さぞかし生活に困ったでしょう」
答えれば、中年騎士は大きく口を開けて笑う。
「お前はそもそも都市試合で目をかけられたんだったな。長槍の試合だって出てるよな」
騎士の試合は庶民の娯楽にもなるので、各地の領主は年に二度は必ず開く。しかし剣なのか槍なのか、集団戦なのかはその時々による。剣しか得意じゃないからとその試合のみを探していては、国の端から端まで移動したあげく、年に参加できる回数も極端に減ることになるのだ。
「しかし珍しいな、槍持ち出して訓練とは。なんだお前、急に今度の御前試合に出ることにしたのか?」
「王子殿下もご覧になるらしいからな。それならば殿下の騎士として出ておくべきだろうと思った」
実に『ありそう』な答えを口にすると、中年騎士はあっさりと納得したらしい。
「殿下と言えば、そう言えばお前さんが庇ってやった女官のことだが。殿下がお気に入りすぎて嫁に考えてるって噂も聞いたな」
中年騎士が世間話のついでとばかりに口にした話題に、ラーシュは目をまたたく。「え?」と言いそうになったのを、とっさに抑えて尋ねた。
「なんでまたそんな噂が……。殿下の花嫁選びをするにはまだ早いと思うんですが」
「ほれ最近ご学友って言って、同じ年頃の子どもを集めてるだろ。ただの学友なら男だけでもいいが、娘が混じっているならまぁ、そういう意味だろう? なのに同年代に興味はなし、あの女官殿もそろそろ行き遅れとはいえ、ぎりぎり殿下と結婚できない年齢差というわけではない」
サリカは20歳でエルデリックは12歳だ。
あと三年。成人するころにエルデリックがどうしてもと望めば、年の差だけならば過去に例がないわけでもない。
一粒種の王子に、しかも話せないという足かせのあるエルデリックがその要望をしたとして、フェレンツ王や貴族達にみとめられるのはかなり困難だろうが。
(いや……しかし)
ラーシュはサリカに抱きつかれていたエルデリックが浮かべた、意味深な笑みを思い出す。
サリカはエルデリック可愛さに目が曇りすぎて気づいていなが、明らかに、あの王子は分かっていて行動している。
思えば祝宴の時もやたらとサリカに接触し、しなくてもいいのに二人で踊ることまでしたのだ。
あれが、周囲から与えられた花嫁候補やそれを狙う貴族達への牽制だとしたらどうだろう。
(それではサリカが危険だろう)
エルデリックとて、サリカのことを大事に思っていないわけではないはずだ。今やほとんど彼女の手を借りないで済むとはいえ、エルデリックの生活を支え、無条件に……多少変態的ではあるにしても、愛情を注いでくれた相手だ。だからこそ頬をかじるような行為も、受け入れていたのだろう。
そんな相手を、わざと危険に晒すとは思えないのだが。
(しかしあれもなんていう……どこかの恋人同士のような……)
あの光景を思い出してため息をついたラーシュは、そこでふと気づく。
まさか本当に、エルデリックはサリカを望んでいるのだろうか。その牽制のつもりで、ラーシュに自分の一面をわざと見せていたのだろうかと。
でもそれはそれで疑問が増える。サリカとの結婚をエルデリックが望んでいるなら、なぜラーシュに恋人役を任せたのだろう。そのつもりなら祝宴にしてもエルデリック自身が矢面に立てばいい。
今なら子供だからこそ、無言でサリカに抱きつくだけで、充分ロアルドを制することができたのだ。
それとも話せない上まだ未成年の自分では、そんなことをおくびにでも出せば非難された上引き離されるとでも思ったのか。
(どちらにせよ、殿下はおそらくサリカが好きなのだろう)
母親代わりでありながら、恋人のように思っている。それは間違いないと思うのだ。
そうなると、なんとなく一週間後のことについて、エルデリックに顔をあわせ難いと思い、ラーシュは胃の中がむかむかとしてきた。
「おい、なんか大丈夫か、そんな暗い顔をして」
ため息をつきながら考え事に没頭してしまっていたラーシュは、中年騎士に心配される。
「いや大丈夫です。ちょっとやんちゃな王子とアホ女官のしでかしそうな事を想像すると、なんだか胃が……」
「なんか、殿下の側仕えっつーのも大変そうだなおい」
中年騎士が同情してくれたそのとき、武器庫に別な騎士がやってきた。
「あれ、騎士の鏡ラーシュさんじゃないっすかー」
軽い調子の彼は、国王付きの騎士の一人だ。ラーシュと同年配ながら、その軽さと笑顔のせいか、年下にみられやすい男だ。
そんな元同僚騎士がはずむ口調でラーシュに告げた。
「君の女官ちゃん、さっき右宮殿塔の北庭で、花盗人と一緒にいたけど大丈夫ですかー?」
それを聞いてラーシュは罵声を上げながら駆けだした。
「あのば……、なんで毎回やっかい事に捕まるんだーっ!!」
走り去るラーシュの姿を見送りながら、騎士二人がつぶやく。
「なんか、あいつ見てたらうちのオカンを思い出した」
「あー、そんな感じかもっすね。何もかもだるそうな顔してるのに、意外に面倒見がいいと思いません?」
「でも王子殿下の所に異動してからだよな。やっぱり例の女官のせいだと思うか?」
「……おそらく?」
うなずいたラーシュの元同僚は、フェレンツ王から命じられたあれこれの指示とそこにつながる人物の事を思い出し、にやりと笑った。




