32 祝宴の翌日
ラーシュに胸がときめくなど、問題が大きすぎて血迷ったんじゃないだろうか。
(きっと気の迷いよ、そうに違いない……)
ときめくのなら、多分王宮に上がってきた直後の方がときめきそうな気がするのだ。
あの頃は、とてもだるそうな雰囲気をかもしだしながらも、顔の良さでその欠点も覆い隠せていた。しきりに噂をしている女官や召使い達の姿も見ながら、そうか格好良い人なんだなと思っていたものだ。
しかし今のサリカは、下僕状態で這いつくばる姿まで見た上、キレて何度も叱られる有様だ。ある意味気心の知れた仲間ではあるものの、お互いに苦渋の上でとはいえ変態の真似まで晒した仲なのに、ときめくことなどあるわけがない。
だからサリカは、ラーシュが無表情のままハムのように縄で巻かれた姿を思い出してから眠った。
おかげで朝起きると、やはり昨夜の感情は、ロアルドのせいで心が乱れていたせいだと結論付けることができた。
「そうよ。助けてくれる人だからと感謝で崇めたい気持ちを、ちょっと勘違いしただけよね」
そう思いながらいつも通り仕事を始めたのだが。
「ねぇねぇどういうこと? ロアルドさんに遊ばれてるの? それとも遊び人がとうとう本命を見つけた方?」
今日の勉強のため部屋を出たエルデリックを見送った後、にやりと笑いながら迫ってくるのはティエリだった。
狙った獲物を見つけた猫のように、じわじわとサリカとの間を詰めてくる。
「いや、別に遊ばれてるわけじゃないし……ていうか、ロアルドさんて本当に遊び人なんだ?」
「知らなかったの? まさか知らずにおつきあいしてたわけ?」
呆れた様子でティエリが話してくれたのは、ラーシュから聞いたのとほぼ同じ情報と、ささやかな付加情報だ。
「つ、付き合ってはいないわよ」
「ならどうしてあんな場所でキスしたのよ」
矢継ぎ早のティエリの質問攻めに、サリカは泣きたくなる。
本当の事を言えないのはかなり辛い。
いろいろ伏せた末に言えるのは「訳が分からないが、何かの利害の関係でサリカに結婚を迫っている」くらいだ。しかしそれでティエリが納得してくれるわけがないのだ。
「わ、わかんないよ……ただその、女官長様がほら私にお見合いさせようとしてたじゃない? あの人がその相手で……」
「気に入られたってこと?」
「どうなんだろ、わかんない……」
絶対にあり得ないと思うが、だからといってティエリに『お前の為だ』なんて言い方でキスされたなどと話せる訳がないのだ。
曖昧に濁していたら、ティエリが眉を寄せて言う。
「でも、最初に庇ったのってラーシュ様よね? そこまでするんだからあの方もそこそこサリカのこと悪く思ってないんじゃないの? っていうかあんたってばしっかりラーシュ様に隠れてたわけだし、嫌じゃないんでしょ。……まさか二股がけするの? それでも私は面白いけど」
「ううぅぅ」
サリカは明確に返事ができない。
どちらとも恋愛の予定もないし見合いの予定もない。ましてや結婚の予定もだ。
しかし今後の計画上、ロアルドは迷惑なのだということはできても、ラーシュの方を否定はしずらい。そしてロアルドを否定したなら、ラーシュとの方が真実の恋人なのかとティエリはうわさ話をばらまきかねない。
そこそこ面倒見が良く、人付き合いの悪いサリカにとってティエリは色々な噂を教えてくれる有り難い人ではあるのだが、ティエリはそこが厄介なのだ。
そんなわけで、サリカは悪い女の見本のような返事をするしかなかった。
「えっと、とりあえずまだどちらも知り合って浅い相手で判断できないから、もう少し時間を掛けてよく吟味を……」
「ちょっ、二人ともキープする気!? あの結婚したくないサリカが成人男子相手にその発想が出てくるだけ快挙! やっぱり顔なの? 殿下にめろめろなのも顔が好みだからなの?」
「うぅぅぅぅ。確かに殿下の顔も大変好みだけど……」
あの天使のような姿形に、言葉を話せないという重荷を背負っているにもかかわらず、まっすぐな心根にサリカはやられたのだ。
「サリカ、私少し早めに休憩ね!」
サリカの返事を聞いたティエリは、エルデリックの部屋を飛び出して行く。十中八九、話を広めに行くのだろう。
止める間もなく去っていった彼女に伸ばした手を、サリカはぱたりと下ろす。
ため息をつき、サリカは作業を始めることにした。
エルデリックの寝室から服を持ち出し、召使いに洗濯を頼むのだ。
廊下へ出ると、あちこちに人の姿が見える。
朝の時間帯は特に王族の居住する棟にも人通りが多くなるのだ。掃除に食事の下膳、王族に仕える人や滞在している貴族への対応などで召し使い達の姿も多い。
その中をサリカは進んでいく。
やがて到着したのは、扉の前にまで山盛りのシーツが詰まった篭が置かれた場所だ。
そこにいた召使いの一人に、サリカはエルデリックの衣服だということ、ほつれのある場所を告げて持っていたものを渡す。
次はエルデリックの昼食について、調理場の者に伝言をしなくてはならない。
以前は散歩がてらのつもりで庭を横切っていたサリカだが、宮殿の中を通っていく。
そうすると、必然的に貴族達が行き交う場所を通ることになる。
たまに視線を感じるのは、サリカの勘違いだろうか。
意識しすぎだと思うと、不意に笑い声がサリカの耳をつく。
横目で確認すると、目が合った貴族の男女がさっと視線をそらした。
(噂、されてるんだろうなぁ)
あんな大集団の前でキスするなど、それこそ結婚式ぐらいのものだろう。いい噂の種になったに違いない。
そうか、結婚式であんなこっぱずかしい事をするのは、他人様にその姿を見られている羞恥心から、一時の勢いで離婚したりしないようにという戒めなのかもしれない、などとサリカは考えながら、急いで貴族が少なく見える回廊へと突き進む。
調理場へ近づけば近づくほど、貴族の姿は見かけなくなっていった。
ほっとしたサリカは、壁のない渡り廊下から庭の緑に目を移し……「げ」と口に出してしまう。
どうしてそこにいたものか。
庭を横切ろうとしていたロアルドを見かけてしまったのだ。
当然サリカの奇声のせいで、ロアルドもサリカに気づいてしまった。しかもさっさと声を掛けられてしまう。
「サリカ殿、少しお時間を頂いても?」
もうそうすると無視して逃げるわけにはいかなくなってしまった。
仕方ないのでサリカは答えた。
「今、少し急ぎますので……」
「お時間は取らせませんよ。先日の釈明をしたくて……」
しおらしくうつむくロアルドを、放置していくこともできた。けれど、身を守るために必要としていた人目が、ここでは悪い方に働いた。
――ほらあの方……。
――ロアルド様に口づけされたって。
――え、じゃあロアルド様の思い人? なのになんで断ってるの?
――嫌なら変わってほしいわよね!
こそこそと聞こえる声に、サリカは少しやさぐれた。
(やっぱり、おモテになるんですねロアルドさん……ちくしょう顔のいい男っていうのはこれだからっ!)
浮き名を流している上財産狙いの結婚をしたと言われていても、ロアルドはうらやましがられる物件らしい。
とにもかくにも、こんな非難にさらされる場からはなんとか逃れるしかない。仕方なくロアルドにうなずいたサリカは、叫べばすぐ誰かに聞こえる場所で、なおかつ自分達が隠れられるだろう低木の生け垣のところまでロアルドを誘導した。
「……で、何のご用ですか。先日の無礼な振る舞いについての謝罪でしょうか」
開口一番、サリカはけんか腰の言葉をロアルドに向けた。
するとロアルドは、驚いたように目を見開き、それから微笑んだ。




