26 誤解の対価
人間、縛られて喜ぶ者はそうそういない。
例外はサリカの父親ぐらいだろう。
よって縄で縛られれば、傷つく。しかも人前で、自分が縛られるのが好きだと思われてしまっては、なおさらだろう。
だから縄をほどいたラーシュと女官長の部屋を立ち去った後、サリカは急いで空き部屋に飛び込んだ。
そこでひざまずき、両手を組み合わせたところに額をくっつけるように頭を下げた。
「大変申し訳ございませんでしたラーシュ様」
サリカはラーシュに懺悔した。
そもそもはサリカの口からでまかせで、縄でしばられるのが趣味と思われてしまったのだ。
おかげで今回のような事態になってしまった。
これはとにかく謝るしかないと、サリカは早々に頭を下げることにしたのだ。
が、ラーシュの反応が薄い。
いつもなら嫌みのひとつも飛んでくるはずなのに、どうしたことだと見上げてみれば、ラーシュはけだるそうな表情ながら、何も言わずにサリカの背後にある窓を見つめていた。
このけだるそうな顔は、彼の仕様だ。
思えば部屋に引っ張り込む前、縄を解かれているあたりから、何も言わずにいたのではなかったか。
(まさか……放心してる?)
サリカは試しにラーシュの目の前でひらひらと手を振ってみたが、これまた反応がない。
どうやら本当に放心状態になっているようだ。
「あの、大丈夫? 生きてる?」
改めて話しかけてみると、ようやくラーシュが気の抜けたような声でぽつりと言った。
「今ほど……お前に俺の記憶を消す能力がないことを、惜しいと思ったことはない」
それも当然か、とサリカは思う。
ただ縄にしばられた姿を、それが自分の趣味だという建前でみせねばならなかっただけでも辛かっただろう。
しかも目の前には自分と同じ格好をした人間がいたのだ。相手を通して我が身を振り返らざるをえなかったラーシュは、現実逃避もしずらかったに違いない。
でも、と思ってサリカは言った。
「ラーシュが忘れちゃっても、私が覚えてるし……。ロアルドさんも覚えたままでしょ? それじゃぐるぐる巻きにされた姿を忘れてくれたわけじゃないし、内心では思い出して、笑ってるかもしれないよ!?」
少なくとも自分なら、そう思っていないか気になる。
サリカが言えば、ラーシュは疲れたように尋ねてきた。
「お前は笑う気なのか?」
「そうじゃないけどもっていうか、そんなこと絶対しないから! だけどロアルドさんはどうかわからないじゃない?」
芋虫姿をさらされても、ロアルドという人の内面をよく知ることができたわけではない。だからサリカは彼の内心を推し量れないのだ。
先程のことにしても、サリカが喜ぶと思って顔に笑顔を貼り付けてがんばっていただけなのか、本気で目覚めてしまったのかわからないほどだ。
あれが偽装ならば、間違いなくロアルドの心の中に、黙々と蓑虫にされるラーシュの姿が、笑い話として記憶されているはずだ。
しかしラーシュは首をゆっくりと横に振った。
「それでもいい……。俺が覚えていない限り、笑われたってわからないだろうが。その方が精神的にマシだった」
「確かに……正論だわ」
自分が気づいたりしなければ、誰が何かを考えているなどと不安に思う必要もない。
そう考えると、自らの非常に恥ずかしい姿を晒したラーシュの、心の傷たるやどれほどのものなのかとサリカは不安になる。
「あの……うちのお祖母ちゃん呼ぶ?」
記憶を消した方がいいというなら、サリカでは無理なので、祖母か母親を呼ぶしかない。そう思って提案したのだが、ラーシュは首を横に振った。
「いや……もういい」
深くため息をついてラーシュは言う。
「今回『あっち』が……お前の父親のまねをしたのだから、おそらくは余所に漏らすということはないだろう。ロアルドという奴も、恥ずかしいとは思ってるだろうからな。でなければ女官長の部屋でひっそり簀巻きになっているわけもない。だからとりあえず、これ以上広まらなければいいとする」
はき出すように理由を語ったラーシュは、最後に付け加えた。
「それよりサリカ、お前があの変態を実行する相手に嫁がなくて良かった……」
サリカは(え、それって?)と思い目を瞬く。
「心配してくれるの? ありが……」
礼を言おうとしたサリカだったが、その言葉は途中で遮られた。
「俺を変態だと思ってる相手とお前が一生関わることになってみろ。またあんな真似をさせられる可能性も、あんな変態状態を見せられる可能性も激高になる。それはさすがにな」
ラーシュが心配していたのは、自身が変態と関わりたくないという理由からだった。
ちょっとがっかりしたサリカは、知らずに肩を落とす。
「いや……まぁ、私もあんなのはもう見たくないけど……」
父親のはさすがに見慣れてしまったので、時折帰省した際は『これは病気だから』と生ぬるく笑うだけで済ませられる。
だがマトモだと思った相手があんな格好をしているのを見るのは、サリカにとっても衝撃的だったのだ。
しかし次のラーシュの言葉に、サリカはさらに落ち込む。
「お前の場合はもっと悲惨じゃないのか? あそこまで縁談を推し進めようとしたぐらいだからな。結婚後も逃げられないように、お前の父の噂とセットで性癖として広められる可能性はある」
「ぐ……」
身から出た錆とはいえ『縄で縛られて喜ぶ男性が好き』と世間に広められてしまうのはさすがのサリカも辛い。肉を切らせて骨を……どころか、そのまま出血多量で儚くなりそうな状態だ。
サリカは一瞬遠い目になる。
(お母さん……やっぱりお父さんが憧れとか、私には荷が重い回避法だった気がします……)
そして思う。
なぜ母はあれで平気なのだろう、と。
永遠の謎についてしばし黙考した後、サリカは改めてラーシュにわびた。
「……お見合い、回避できて良かったわ。その……この変態話はさすがに陛下の命令外だろうし、何かこう、心が穏やかになれそうなお詫びの品でも、後日差し上げたいと思いますのでええ。これにて先ほどの屈辱的状況については、お許しいただけましたら重畳……」
しみじみと言えば、ラーシュがそれならば、と言った。
「物はもらっても邪魔になると困るからな。お前が何か一つ俺の言う事をきくということで、無かったことにしよう」
重々しい口調で告げられた要求に、サリカはなんだか怖い気がしたが、ここはうなずくしかない。
いつもサリカのせいで、下僕モードにて苦行をさせられているのはラーシュなのだ。
サリカの方がたまに言う事を聞くぐらいは、あってしかるべきだろう。
なのでラーシュの提案を受け入れたのだった。




