23 上滑りな推測と焦りの末
女官長の執務室が飴色の書棚や机など簡素な家具しか置いていないのにどこか華やかなのは、臙脂の敷布や壁に掛けられた明るい色遣いのタペストリーがあるからだろう。
夜も深まる頃、そこを訪れたのはロアルドだった。
「お待たせしました、叔母上」
机に向かって書き物をしていた女官長は、やや憔悴した顔にほっとした表情を浮かべて立ち上がる。
「王宮に呼びつけてごめんなさいね」
そう切り出して、ロアルドを壁際のカウチへ座るよううながした。
女官長はその向かい側に座ってから、ふと思い直したように立ち上がろうとした。
「悪いわね、お茶の一つも出さないで……」
「気になさらなくて結構ですよ、叔母上。ここへ来るのをあちこちに気取られるのもなんなので、別な夜会に寄ってきたばかりですから」
そう言って微笑むロアルドからは、確かにわずかに酒の香りが漂ってきていた。
「それよりも、明日お会いする予定と伺っていたのですが、急に早められたのはどうしてですか?」
尋ねたロアルドは、少し首を傾けて付け足す。
「……サリカさん、彼女の暗殺計画でも早まった、とか?」
女官長が息をのむ。
「あなた……いつ知ったの?」
女官長はこの一件に義妹夫妻が関わっていることは話した。けれどサリカが暗殺されそうになっているから、それを止めるためにお見合いをさせようとしたことは、ロアルドに知らせていなかったのだ。
だから暗殺のことなど知るわけがない。
今までロアルドには、王子妃選定の支障になりそうなサリカを、誘惑して引き離してほしいとしか伝えていなかったのだ。
驚く女官長に、ロアルドが種明かしをする。
「叔母上が頼っていらしたほどのこの顔ですから。少し、前回サリカさんとお会いした屋敷の中に、しばらく隠してもらえるようお願いしたのですよ。そうしたら、うなずいてくれる人が多くて。おかげで叔母上の夫君のご親族が泣きついている様子や、ご親族ではない方のお話などが聞こえてきまして」
「聞いて……いたの? 帰ったはずだと思っていたのに」
にっこりと笑顔を浮かべて、ロアルドは肯定する。
「あの後、独自に調べもしました。秘密裏に囚われた人間が誰なのかは探れませんでしたが、一部の騎士とその者達に使われて動いていた者が探していたのは、麻薬を扱う者。叔母上の義理の妹君でしたか。彼女の家は麻薬を扱っているのだという推測ぐらいは私にもできましたよ」
ロアルドの話を聞き、女官長は脱力したようにため息をつく。
「知ってしまえば、危険が増すだけなのに……」
「叔母上」
ロアルドはそんな女官長に苦笑いする。
「強引な手口が得意だからと、私に手伝いを依頼してきたのは叔母上です。そんな素行の悪い私に、職場の部下を誘惑させようというのですから、胡散臭くないわけがないでしょう? 定規のようにまっすぐな叔母上がそこまでするとなれば、よほどの事情……それも犯罪が絡むと考えて間違いない。そう思えば、担ぐ片棒の事情を知りたくなるものではないでしょうか?」
「そう……それはそうね」
女官長は納得せざるをえない。
自分がどんな役割をさせられようとしているのか、知らずに薄氷の上を歩きたい者はいないだろう。
たとえ知った後で後悔したとしても。
「知ったのなら、もう猶予がないこともわかるわよね? 今日もあの子は殺されかけたのよ。なんとしてもサリカと婚約するよう仕向けて! 一日でも早くあの子と結婚して暗殺を止めてくれるのなら、あなたの借財もなにもかも、間違いなく秘密裏に処理してあげるから」
鬼気迫る勢いで言われたロアルドは、一瞬驚いたように目を見開いた後で、穏やかに微笑む。
「それほどに、彼女は危険なのだということですか……叔母上はお優しい。なによりも私を選ぶあたり、本当に悪事に向かない方ですね」
ロアルドはそう続ける。
どこか哀れむような眼差しに、彼を見上げていた女官長は不安になる。
「受けては……くれないの? もう降りたい? あの子も悪い子じゃないわ。慣れてしまえば……きっとあなたのことを、あなたの事情を理解した上で愛してくれるでしょう」
その問いに、ロアルドは首をゆるりと横に振った。
「いいえ、降りたりしませんよ。私にとっても悪い条件ではありませんからね。叔母上の申し出も、彼女も」
それに、とロアルドは言った。
「少し興味があるんですよ」
「サリカさんに?」
女官長は首をかしげてしまう。
サリカ自身は、さして美人というわけではない。
今まであの変態思考については女官長もよく知らなかったが、時折奇行に走る癖があるらしいとも聞いていた。
お見合いを押しつけようとしている側なのにどうなのかと思うが、女官長としても、ロアルドのような生粋の貴族が興味を持つような娘ではないと思うのだ。
だからこそ、容姿もすぐれたロアルドを差し向ければ、サリカはすぐに女官長の思惑通りに動くだろうと思ったのだ。
……上手く行かなくて、逆に拍子抜けしているほどに。
そんなサリカに興味があるということは、あの奇矯さがいいのかと思った女官長だったが、ロアルドの観点は少し違ったようだ。
「考えたことはありませんか? ゾフィア叔母上。普通の女性が、あれほどまでに仕事に固執する、その理由を。叔母上自身もそうでしょう?」
ロアルドの言葉に女官長は無意識のまま唇をかみしめる。
女官長にとって、この仕事は自分の心を保つ最後の城なのだ。
夫に顧みられず、子供を産んだ愛人を夫が大切にする様を隠されもしなかった女官長だが、家でどれほどないがしろにされても、王宮にいる限り彼女は女官長として一定の誇りを持つこともでき、敬われるから。
だからこそ、自分の職場の人間に他者が介入して、めちゃくちゃにされるのが許せない。
そのうちに女官達に手出しをされるのも嫌になった女官長は、それぐらいならばと、国王の後添えの問題や、政争に使われそうになっていた女官に自らお見合いを勧め、成就させて遠ざけてきたのだ。
またそのことで当の女官の親から感謝されることも多かった。女官長としてもそれなりの相手を選んでいたので、結婚に満足したのだろう。
それが快感になってしまっているという事もあるが。
自分の事を思い返した女官長は「ああ」とそこでようやく思い至る。
ロアルドは、仕事に固執するサリカにも、何かしらの理由があると考えているのだ。
「貴方の言う事にも一理あるけれど、サリカさんは家族とも円満そうですし、お爺様方にもかわいがられているらしいですし……」
そこではっと、女官長は目を見開く。
「やっぱり、王子殿下を毒牙にかけようとしてるのかしら!?」
「え!?」
女官長の結論に、ロアルドは自分の予想と違いすぎたためか、すっとんきょうな声を上げる。
しかし女官長としては、それぐらいしか思いつけなかったのだ。
「サリカさんは確かに、殿下に異常な執着をしていらっしゃるのよ。王子妃を狙っているというより、変態行為に及ぶために虎視眈々と殿下の隙を狙っているから、女官をやめたくないのかもしれないわ! なんとかしなくては。王子殿下を変態からお守りするためにも!」
「え、ちょっと叔母上……? もしもし?」
叔母の暴走に、ロアルドはやや体が引き気味になる。
そんな彼は、ぎっと鋭い女官長のまなざしに刺し貫かれて、標本になったかのように身動きがとれなくなる。
「目には目を。変態には変態を。あの子を救ってやるには、こちらにも強引な手法と覚悟が必要なのです」
そう宣言した女官長は、次に実行すべき策をロアルドに告げた。
女官長の話を聞いたロアルドは――――夕方の女官長よりも、さらに青い顔色になって、王宮から帰宅したのだった。




