21 再襲撃
呆然とするサリカに、ナイフを突きつけている召使の女が言った。
「村へ戻る途中に、少し深い谷川があるだろう? お前さんはそこから落ちて死ぬことになってる」
「え!?」
さらりと未来の死因を告げられて、サリカはあっけにとられた。
「ちょっとどうして!? なんで私を殺すの? あなたは一体……」
けれど召使いは答えてはくれない。
そりゃそうだ。全部話してくれる親切な人間が、ナイフで人を脅すものかとサリカは思い、ぎゅっと唇をかみしめる。
(なんとかしなくちゃ!)
まずはラーシュを呼ぼうとした。けれど思い留まる。
王宮の召使いだと思っていたこの女さえ、なぜかサリカに刃を向けてきたのだ。エルデリックの警護から彼を離したとたん、エルデリックに誰かが襲いかからないとも限らない。
(私一人でも、なんとか……)
エルデリックに万が一のことが起きる方が怖い。だからサリカは一人で解決することを選んだ。
谷川まではほんのわずかの時間だ、サリカは急いでこの召使いに能力を使おうとする。
小さく呼吸し、精神世界に切り替えたサリカの視野に広がるのは、靄の中に光が点々と灯る光景だ。
自然が多い場所は、霧の中を探すような状態に置かれることが多い。
それでも魂の光が少ないおかげで、ほどなく召使いの心を見つける。
一気に眠らせようとしたそのとき、力を使うために触れた召使いの心の声がサリカの脳裏に響く。
(早く、早く!)
(始末しないと殺されてしまう)
(でも本当にこの娘さえ殺せば、返してもらえるの?)
(だけどやらなきゃわからない。ならやるしかない)
サリカはその内容に息をのんだものの、力は使ってしまった後だった。
召使いの女はその場にくたりと倒れ伏してしまう。
「……どうしよう」
心の声はそうそう誤魔化せない。サリカの能力を知らない相手ならばなおさら。だからこの召使いは、誰かを人質にとられて言う事を聞かされているだけなのだ。
しかもサリカが何も使わずに、彼女を眠らせてしまったことは、この召使いの記憶に刻まれてしまっている。
無事に彼女が助かっても、そのまま帰すわけにもいかない。
戸惑っていたサリカは、叫び声に我に返った。
「おい、なんで倒れてる!?」
「どうした!?」
「一緒に乗ってた召使いの方が倒れてるんだ!」
馬車の御者席には二人いたようだ。片方が中をのぞき込み、召使いが倒れているのを見つけたようだ。
しかも御者と会話が出来る小窓から、衛兵の服装をした男が矢でサリカの事を狙ってきた。
「おい、傷つけたら偽装が……」
「何も持ってないはずなのに女がやられてるんだ、毒を使うような女かもしれねぇ。先に殺っておかないと、こっちが殺されちまう!」
「待て、もうちょっとで崖だ!」
片方の、おそらく手綱を持っている側に説得されても、もう一人は矢を引っ込めない。
あろうことかサリカに向かって容赦なく射ってくる。
とっさに避けようと、サリカはその場に倒れ伏した。
「いっ……!」
それでもサリカは運動に優れているわけではない。
動きが鈍くて矢をきちんとはかわせなかった。腕を矢がかすめ、痛みに思わず叫び声を上げる。
こんな怪我は今までしたことがない。転んですりむくのとは訳が違う。しかも痛みで気が散って、とても能力を使うどころではない。
うずくまって震えるしかないサリカは、そのまま殺されるかもしれないと泣きたくなったが、
「それ以上はやめておけ! 事故じゃないとばれたら分け前がもらえんだろうが!」
御者だろう、低い声の男が弓の男を叱咤する。
「それよりもう降りるぞ!」
馬車が速度を緩め、御者席から人が降りていく物音がした。
ここで降りなければ、死んでしまう。
その一心で、サリカは馬車の扉に体当たりして外に転げ落ちた。
「くそっ、戻れ!」
弓を持っていた男が、剣を抜いてサリカを脅す。けれど転がり落ちた時に打った膝がいたいのと、恐怖でサリカは動けない。
サリカはとっさに叫んだ。
能力を使い、金属的な悲鳴にも似た音として彼らの脳裏に響いた。
「うわっ」
「ぎゃっ!」
あまりの音に衛兵の服を着た男二人が耳をふさぐ。
しかしそこまでしかできない。
一瞬ひるませた間に逃げようにも、サリカは足が笑ってしまって立ち上がれなかったのだ。
そのままあきらめるしかないと思ったそのとき。
――――サリカ!
声が聞こえた。
思わず振り向いたサリカは、崖になったその下。蛇行した坂道が林の隙間から垣間見える場所に、土煙を上げて走る騎馬を見つけた。
けれどその人影はまだ小さい。
とてもたどり着けないと、サリカは絶望的な気持ちになる。
「気づかれたのかよ!?」
「早くとりあえずこの娘を谷に放り込め! それから馬車を落とせばいい」
衛兵達もラーシュの姿に気づいた。そして彼がやってくる前にと、サリカを一人が抱えて谷へ向かって歩き出す。
(だめ、もう間に合わない)
ラーシュがせっかく来てくれたのにと、唇をかみしめたサリカは、そのとき不思議と彼の声がはっきりと聞こえた。
「命じろ、サリカ!」
木立の向こうに隠れたラーシュの姿は見えない。
けれどサリカは、反射的にラーシュが命じたまま叫んだ。
「ラーシュ、助けて!」
緊張で震え、とても彼には届かないような小さな声。
それでも目を閉じ、慣れ始めた彼の気配をたどって伝えた瞬間だった。
ざっと突風がふいたかのように、木立からラーシュの姿が飛び出す。
彼はまるで風そのもののように、崖を駆け上がってきた。
ほんの一呼吸で顔が見える距離まで近づくラーシュに、衛兵達は慌ててサリカを崖下へ放り投げた。
「…………っ」
サリカは呼吸を止める。
叫んでいいのか、泣いていいのかわからない気持ちの後、落下する感覚に背筋が凍った。
ラーシュが名前を呼んでくれているのが聞こえる。
けれど口を動かすことすらできずにいたサリカは、唐突に何かにぶつかった。
背中を受け止めたものは、堅い地面でも、木の枝でもない。受け止めるために差し出され、抱き込んで守ってくれたラーシュの腕だった。
ほっとしかけたサリカは、自分を抱きかかえたまま、元の崖上まで駆け上るラーシュに驚いた。
とても普通の人間にできることではない。
崖上に戻れば、サリカを受け止めるラーシュの姿を見ていたのだろう。呆然としていた衛兵姿の男達が、泡を食って馬車に乗り込み逃げだそうとした。
ラーシュは彼らを追いかける。
走り出した馬車にすぐ追いつき、サリカを肩に担ぎ上げ、抜き放った剣を一閃した。
馬車の車輪が一つ壊れる。
そのとき曲がり角にさしかかっていた馬車は、傾いたまま横倒しになり、走り始めていた勢いのまま地面を滑り――――
サリカは思わず目を閉じた。
けれどそれでは足りない。自分の顔を覆いたい。耳をふさぎたい。
でも腕が震えて持ち上がらないのだ。ただただ、すがるようにラーシュの服の肩口を握りしめることしかできない。
そのうちにラーシュが剣を収め、サリカを両手で抱え直した。
「……無事か?」
すぐ近くでサリカを見つめるラーシュの表情は、少しだけ焦りが滲んでいる。
今はもう正気に戻っているのだ。
ほっとすると、なぜかがちがちと歯を鳴らしてサリカの体が震え始める。けれどそのおびえが、もうどれのせいなのかサリカにはわからなかった。
殺されかけたことなのか。
弓で傷つけられたせいなのか。
自分の声一つで豹変し、敵を谷底へ落としたラーシュに対してなのか。
分からずに、サリカはただラーシュを見つめ返すことしかできない。
そんなサリカの戸惑いを察したのだろう。ラーシュは静かにサリカに語りかけてきた。
「いいかよく聞け。お前、さっき力を使っただろう。俺もその影響を受けて『ありえないこと』を人前でしてみせている」
サリカはうなずきながら思った。
やはりラーシュが崖を駆け上がって来れたのは、自分の能力の影響だったのだ、と。
「見た人間が触れ回れば、お前が今まで隠したがってきたことがバレて、今まで通りの生活すらできなくなるだろう。今までお前と普通に接してきた人間も、いずれ死神の血縁だと知ることになり、どういう対応をするかわからない。そうなれば陛下に願って、王宮の片隅で隠れるように生きて行くしかなくなる」
だから、とラーシュは言った。
「俺たちは自分を守っただけだ。同じようなことがあれば、俺はお前の命令する声がなくとも、同じ事をしただろう」
「うん……うん……」
理由はわかっている。納得もできるのだ。
サリカのことが隠せなくなれば、同時にサリカは家族をも危険にさらしてしまうことになるのだから。
けれど、サリカはどうしても体の震えを止められない。
ラーシュは仕方なく、そのまま指笛を吹いた。
やがてやってきたのは、ラーシュが乗り捨てた馬だ。
サリカを自分の前に乗せようとした。
が、震えだけならまだしも、サリカの手がラーシュの服を握りしめたまま離せなくなっていたのだ。
困ったようにその手を見下ろしていたラーシュに、迷惑に思っているだろうとサリカは考えていた。
きっと強く引っ張れば、手から布は抜き取れるはずだ。ラーシュならそうするだろうと思ったのに。
ラーシュはふわりとサリカを抱きしめてくれた。
頭まで覆うように腕と手のひらで抱えられて、サリカは閉じ込められる感覚に、ゆるりと自分の心に安堵が広がるのを感じる。
けれど、戸惑う。
「え、あの……ラーシュ?」
どうしてこんな、慰めてくれるようなことをするのだろう。サリカのことを、可哀想だと思ってくれたのだろうか。
「お前が、人を殺すことを『怖い』と思う奴で良かったよ」
ラーシュは、問いかけた言葉の返事になっているのか分からない事を言う。
「だから怖いなら、しばらくそうしておけ。怒らないから」
「……うん」
よく理解できなかったけれど、どうやらラーシュは、他人の心を操る能力を持っている人間は、人を簡単に殺そうとすると思っていたのだろう。
サリカがそうではないことがわかって、ほっとして――――だからこんな風に慰めてくれているのだとサリカは考えた。
血も涙もない人間だと疑われていた事は気になるけれど、でも今はどうでもいいとサリカは思った。
それが理由でも、サリカを甘やかしてくれるこの腕から、離れたくはなかった。
***
エルデリックの元へは、ラーシュが気を遣ってくれたのか、かなりゆっくりとした馬足で戻った。
その頃にはサリカの震えも収まり、手もラーシュの服から離すことはできたけれど、
【サリカ!?】
腕の矢傷のせいでエルデリックに驚愕され、そして馬車とともに召使いと衛兵二人が谷底に落ちたことを隠すわけにもいかず、その場は騒ぎになってしまった。
けれど説明はほとんどラーシュが請け負ってくれた上、サリカはエルデリックによって馬車に閉じ込められるようにしてかくまわれ、そのまま帰途についた。
王宮に戻った後は、さすがに召使いの一人が死んだというのに、その理由をでっちあげるわけにはいかなかった。
ただどうして彼らが死んだのか、馬車が転落したのか、その理由は上手くごまかすしかなかったが。
そしてサリカが殺されかけたという話に女官長は、顔色が蒼白になっていたのだった。




