19 女官長様の作戦変更
それは、来るはずがないと思っていた呼び出しだった。
あの礼拝堂訪問後のお茶会後、三日ほど何の動きもなかったので、サリカは終わったことだと思いはじめていたのだ。
「サリカさん、女官長様が執務室に来て欲しいっておよびになっていたわ」
ハウファの言葉に、サリカは口を「え?」の形に開いたまま静止した。
その手は、まだ少しサリカよりも背が低いエルデリックの肩に、大粒の藍玉石のブローチでマントの襟元を留めようとしていたところだった。
金色のさらさらとした髪から薫る石けんの香りや、きめ細かな肌を凝視できるこの機会を堪能していたサリカは、三秒静止した後、とりあえず予定していた動作を続ける。
いかに女官長が呼んでいようとも、サリカが優先すべきはエルデリックである。
王子殿下のご用の方が、女官長の呼び出しよりも重要だ。
だからマントを着せかけた後も、ゆっくりと衣服を点検し、エルデリックに微笑みかける。
「大変素晴らしい着こなしです、殿下。ほんとうに……」
続きの「おいしそう」という言葉は、さすがのサリカも口に出さなかった。
シックな黒地に赤と白のラインが入った包み紙の中から、そっと顔を覗かせる金粉がふりかけられた高級菓子のようだとは、エルデリックには伝えられない。
エルデリックは珍しくも外出するので、そのための着替えだった。
一緒に行くのはフェレンツ王ではない。件のご学友達だ。
彼らに囲まれて他の者が近づかないようにし、彼らに補佐されていれば、エルデリック自身が細やかに応対しなくともなんとかなる、という作戦らしい。
城の中に閉じこもったままでは、強さを誇示する戦争もない時代では求心力を失ってしまいかねない。エルデリックのかわいらしさをまずは庶民に見せ、親しみと子どもに対する好意からエルデリックの人気を盛り上げようという、尚書府による画策らしい。
サリカもそれには賛成だった。
エルデリックの可愛らしい微笑みを見れば、みんなすぐに好きになるだろうと確信していたので。
それによって珍しくも『国民から愛でられる王子』という形で立場が固定されたなら、今後の国の運営もやりやすいことだろう。
もちろんサリカはついていく要員に潜り込んだ。
殿下に何かあればすぐ気づける自身があることを一生懸命主張し、襲撃の件で心配している王子に対しては、一緒について行けばラーシュも付随する上、護衛もエルデリックのために盛りだくさんで一番安全ではないかと。
エルデリックに予定を伝えに来た侍従長を説得し、エルデリックにも了承させたサリカは、着いていく気満々で暗い赤カブ色の超地味な外出用ドレスを着ている。
女官長を倒したものの、世にはまだ「縁結び」が大好きな人種がいるのだ。行き遅れのサリカを哀れんで、同じ手に出る者が出てこないとも限らないので気を抜くわけにはいかなかった。
地味すぎない? とティエリにも指摘されたのだが、
「私は殿下の影なのよ。目立っちゃいけないから黒っぽいので充分」
と言ったら、呆れたようなため息だけが返ってきた。
それでも地味さだけしか指摘されなかったので、一応レースなどもほどこされた衣服は、センスのいいティエリの点検はパスできたのだろう。
従って、サリカはエルデリックと共に王宮のエントランスへ向かうつもりだった。
しかし女官長が呼んでいる。
そしてエルデリックに戻るまで出発を待っているからとまで言われて、仕方なく女官長の元へ向かったのだった。
「なんか、やらかしたかな……」
お見合い以外で女官長に呼び出されるのは久しぶりだった。
そして以前呼び出しされた時には、もれなくお説教がついてきたので、サリカは自分の行動を振り返る。
三日前までは、確かに何も失敗はしていないと思う。
二日前にやらかした事といえば、エルデリックが脱いだ服を抱きしめて着替えを手伝わせてくれないことを嘆いていたところを、ティエリに見られたぐらいだろうか。もちろんティエリに頭を叩かれた。
昨日はそれでエルデリック補充ができたので、大人しかった自信がある。
続けていた『能力』の訓練で気が逸れた時に、うっかりラーシュに命令をしてしまい、歩いていたラーシュが急停止させられたせいで、つまずいて転んでしまったが。これも別に女官長に怒られるたぐいの出来事ではないだろう。
とにもかくにも、聞いてみなければわからない。
思い切ったサリカは、えいやっと女官長の執務室の扉を開いた。
と、そこであんぐりと口を開けそうになる。
「サリカさん」
女官長はサリカをみて、にこやかに言って席を立った。
その姿にサリカは一生懸命口を閉じながらも、頬がひきつりそうだった。
女官長がこれほどまでに愛想が良かったことなど、そうそうない。彼女なりに女官長としての職務を全うしようとしているので、女官長はやや仕事に厳しい方の人なのだ。
そのため来客や王族以外には、あまり満面の笑みなど見せない人だ。
この間強引にお茶会に連れて行かれた時以来ではないだろうか。
それがどうしてサリカにこんな全開の笑顔を向けてくるのか。
(……仕事のことじゃないな、これ)
サリカはそう察したものの、扉を開けてしまっては仕方ない。無視して扉を閉め、逃げるわけにはいかないのだ。
「あの、お呼びとうかがったのですが」
「ええそうよ。待っていたわサリカさん。まずはそちらに座って……」
椅子を勧めようとした女官長に、サリカは首を横に振る。
「いいえ、できれば手短にお願いしたいので、このままで。これから、王子殿下の王都ご視察に同行する予定ですので」
きっぱりと言えば、女官長は少し残念そうだったが、機嫌を悪くした風でもなかった。
(……ますますアヤシイ)
警戒するサリカに、女官長は「では単刀直入に」と前置きして言った。
「先日、一緒にお茶の席にいらした騎士のラーシュ様についてなのですけれど。もしよろしければ、私が後見人としてあの方の親代わりをしますわ」
「……親代わり!?」
ラーシュの親代わり?
サリカにはどうしてそんなことを言い出すのかさっぱり分からなかった。けれど女官長はそんなサリカの様子を、戸惑っているだけだと思ったらしい。
「安心なさってサリカさん。お父上が商家の方とはいえ、あなたはイレーシュ辺境伯家につらなる方。ご結婚ともなればおじいさまに認めて頂ける方である方がお父様方にもお話しやすいでしょう? けれど異国からご両親を呼ぶ訳にもまいりませんでしょうし。なので私が後見人となって、婚約の手助けをしますわ」
ところでお式はいつのつもりなんですの? と女官長は話し続ける。
あっけにとられていたサリカは、ようやく女官長の言葉の意味を理解し始めた。
(ようするに、この間ラーシュをお父さんみたいな人だから……って言ったから、今度はさっさとラーシュと結びつけようとしてるってこと!?)
結婚するなら誰でもいいとは、サリカも驚いた。これは本気で、行き遅れ娘を片付けようと躍起になっているだけなのかもしれないと思う。
しかし女官長への疑いが薄れたところで、当初の問題に変わりはないのだ。
サリカに結婚するつもりはないのだから。
そこでサリカは、婚約式の衣装について蕩々と語る女官長を止める。
「あの、女官長様。私たちはまだ結婚という話まではしていないのです」
そもそもが嘘なので、結婚どころか付き合ってすらいないのだが、それは秘密である。
サリカの言葉を聞いた女官長は目をまたたいた。
「まぁ……その。本当に? でもあんな親密だったのに?」
親密と言われることには反論できない。
ラーシュがお姫様抱っこという過剰表現をしたのは、そもそもサリカの力のコントロールの問題だ。そして親密じゃないと言うのも、なんだか恐ろしかった。
言ったとたん、再び恐ろしいまでにロアルドのことを押してくるだろう。
そしてロアルドが再びどこかで待ち構えるに違いない。
女官長が趣味で仲人をするのはさておき、未だにロアルドが同調している理由がサリカには理解できなかった。その辺りもとても不気味だ。女官長の仲人好きに乗じたのが、彼だという見方もできるのだから。
なのでサリカは、女官長の疑いをそのまま温存する方向で話す。
「ええと、ラーシュ様とは知り合ったばかりで……その、以前申し上げた通りに私も仕事が好きなわけですし。なので、あちらにその気はあるみたいなのですけれど、私が待って貰っている状態なのです」
そう話したところで、サリカは時間が気になっていた。
エルデリックは待っていると言ってくれたけれど、全員がそろっているのにぐずぐずしていては、エルデリックがごねて出発が遅れたことになってしまう。
エルデリックの名誉が傷つかないよう、急いで集合場所へ向かわなくてはならない。
「それではすみません、出発の時間が迫っておりますので」
だからサリカは女官長に頭を下げてその場を辞した。
***
慌てて出て行くサリカを、女官長は引き留めたりはしなかった。
一人きりになった部屋の中で、女官長の顔から、はりついていた笑みが抜け落ちる。
女官長は考えていた。
どうやらサリカは、ラーシュと一緒になる気はあるらしい。
けれど『ゆくゆくは』では困るのだ。今すぐ決めて貰わなくてはならない。
早急にサリカが婚約をして、確実に王子妃選びに影響を与えない存在になることが重要だった。
「ラーシュ様を焚きつけることは、できるかしら……」
しかし付き合っている上、結婚を自分達で納得して引き延ばすことにしている以上、少し急かした程度では結婚を早めてはくれないだろう。
とはいえ、これ以上時間をかけるわけにはいかない。少なくとも今週中に結果を出せなければ、サリカ自身の命が危うくなる。
「やはりあちらに頼むしかないわね……」
呟いた女官長は、執務机の引き出しから便せんを取り出す。
そして短い手紙を綴り、自宅へと届けさせたのだった。




