17 犯人と記憶
ぴちゃん。
水の上に水滴が落ちる音が響く。
音の源は、手前にある雨どいだ。雨が降るとその場所にだけ水がにじんでくるのだろう。水を受け止める木桶の中には、指先ほどの深さで水がたまっている。
木桶には、天井から細く光が差している。天井にいくつか空気穴が空いているようだ。地下だからと、様々な方法で湿気を溜めないようにしているらしい。
おかげでここは『地下牢』と呼ばれる場所に抱いていた、じめじめとしたイメージが薄かった。
ざらついた黄色っぽい石壁に触れてみたサリカは、少し湿気ってはいるが、思っていたよりさらさらとしていることに驚いていた。
「地下がカビ発生し放題になると、上階にまで影響が出るんですよ。王宮の牢獄塔の場合、貴族を入れることが多いですからね。上階を利用させることが多いんですが、そこまでカビ臭かったらしくて。なので何代か前に上階に押し込められていた王族が、出獄後に国王に要求して改装させたらしいんですよ」
のほほんとバルタ王宮地下牢の歴史について語ったのは、サリカとラーシュを呼びに来た、フェレンツ王の騎士ブライエルだ。
サリカ達は今、王宮地下牢に囚われている人物の様子を検分してもらいたいと呼ばれてきていた。
近頃は地下牢は使わないのだというブライエルの話の通り、両側に並ぶ鉄格子のある部屋には誰もいない。そうまでして処罰するような者が、使用人の中に出ていないからだという。
「それもこれも、大事になる前に処分して、王都内の牢獄に移すからなんですけどね。だから今は奴さんの貸し切り状態で……ほら、あそこです。一番奥」
ブライエルが最も奥の右手側を指さす。
人の気配はほとんどしない。
そのことに、静かなんだな、とか大人しいのかと思う以前に、サリカの背にぞわりと泡立つような感覚が走った。
「あ、あの。まさか拷問しすぎて、死にかけとか……ないですよね?」
最初に危惧したのはそれだ。
地下牢に放り込むということは、基本的に声が響かない密室で、それなりの尋問をするためでもあると聞いたことがある。主にサリカ自身の母親に。
殺されかけた本人としては、相手が金銭以外の理由からそれを黙秘するならば、多少荒っぽいことになっても白状させて欲しいとも思う。前後関係を確認できなければ、自分どころか家族まで巻き込む事になるから。
けれどできれば血なまぐさいことはしてほしくない。
そんなことを考えながら尋ねれば、あっさりと答えがもらえた。
「安心してください。そういうのは今の時代、あまり必要ありませんからね」
口元や目尻の笑いじわすら頼もしい風貌のブライエルは、柔らかな笑みを浮かべる。
彼の言葉でほっとしかけたサリカだったが、続きを聞いて口元がひきつる。
「今は薬で充分ですよ。廃人になる前にはおおよその人が白状しますから、本当に我々にとっても楽な時代になったものです」
「…………」
「ただ薬が弱い段階ですと、答えた内容の裏をとらなくちゃいけないので、真偽を判断するのに時間がかかりますがね。バルタではめったに最初から大量投与なんてことはしませんけれど。うん、戦争中や非常事態にはこの限りじゃないでしょうが」
それはそれで怖いな、とサリカは思う。
自分の意思とは関係なく、考えたことが口からだだ漏れるように告白してしまうのだから。
ただ、後ろ暗い所さえないならば、あっさりと弱い薬の時点ですべてを話し、裏をとってもらえさえすれば無実だと証明できるだろう。
薬を投与する相手が、公正な人間でありさえすれば、だが。
「ただ口がゆるくなるんで、個人的に知られたくない秘密やへそくりの隠し場所までついでに話してしまう人もいますが。だから守秘義務を普段から徹底しているんですよ。聞いた話を漏らしたと噂されたら、大人しく綺麗な方法で白状してくれない人ばかりになりますからね」
続けられたブライエルの話に、サリカは前言撤回しようと思った。
確かに冤罪であっても、これでは自白剤が受け入れ難いのも仕方ない。
うっかり話す範囲が自分ではどうにもできないなら、尋問相手が悪ノリしたら、どこまでしゃべらされるかわかったものではない。他人に漏らさないとはいえ、決して知られたくない弱みを握る人間がこの世に発生するとわかっていて、あっさりと受け入れる者はいまい。
「で、今回捕まえた男の場合はどうなんだ?」
この恐ろしい話に、ラーシュは眉一つ動かさずに質問していた。
尋問とか地下牢とかに慣れているのだろうかと、サリカは両腕を自分でさすりながら考える。
「依頼された事は白状しましたよ。それも金銭のやりとりではなくて、彼自身の犯罪をバラすことを盾にとられたらしくて、少々話して頂くまで時間がかかりましたが」
ブライエルが話しているうちに、該当する牢の前にたどり着く。
怖々と中を覗いたサリカは、中に見覚えのある男の姿を見つけた。が、横を向いて眠っているようだ。与えられていた毛布にくるまり、寝息をたてている。
「けれど相手も顔を隠していたようで。依頼した相手の顔をよく覚えていないようなんですよ。それを陛下に伝えたら、あなた方を呼ぶように言われまして」
そこまで聞いて、サリカはフェレンツ王の意図を悟る。
だからブライエルに尋ねられても、すぐに答えを返すことができた。
「見せてどうなるとは思えませんが……中へ入ってみますか? 薬の副作用で熟睡しているので、安全ですよ」
「では、お願いします」
牢の鍵を開けてもらったサリカは、ラーシュとともに中に入る。そしてラーシュにブライエルから鍵を預かってもらった。
「ラーシュさんに返しに行って頂きますので」と話し、ブライエルには一度地下から出てもらう。
その一連の行動で、ラーシュもサリカが何をしようとしているのかわかったようだ。
「お前、その男の心の中を覗くのか?」
サリカはうなずく。
「そうよ。この人が自分では思い出しきれなくて、それを聞いた陛下が私に見せるように言ったのでしょう? 陛下も私じゃないと犯人の手がかりが掴めないと思ったのに違いないわ」
サリカは眠っている男の側に膝をつく。
そして毛布の中から飛び出していた手の甲に触れながら、ラーシュに説明した。
「本人が思い出せなくとも、記憶というのは頭の中に残るものなの。それを私が探り当てて、相手の顔や特徴について陛下にご報告するわ。時間がかかるかもしれないけれど、直近の出来事だから、上手く夢にでも見ていてくれれば、すんなりと覗けると思うんだけど」
その方法でしか、犯人の手がかりがつかめない。
サリカは自分と家族を守るためにと自分に言い訳しながら、むき出しの土床の上に座り、目を閉じた。
***
さきほどの訓練が良かったのだろうか。
すんなりとサリカの視界が切り替わる。
なによりも今は、対象者に触れている。その手の感触に導かれるように、まっすぐにある一つの光の中へとサリカの意識が吸い込まれた。
瞬間、さらに目の前の光景が変化する。
この地下牢とは違うけれども暗い場所だ。
傾いた建物の中は木箱の破片が散乱し、土埃まみれの衣服を着た男達が目の前に立っていた。
腕を振り回し、暴れているのはこの心の持ち主、サリカを襲った犯人である男だ。
犯人は叫ぶ。
薬を出せと。
対する男達は、三人ともがそれはできないと答えた。
金がないなら無理だ。ただで手に入れられると思ったのか。暴れるならこちらにも考えがある。
彼らの返事に、犯人の頭の中で様々な考えが行き過ぎる。
金は前の薬のためにすべて使ってしまったこと。男は街道や山道を行く商人などの護衛業をしていたが、薬を使うようになってからは粗暴だからと倦厭されるようになったこと。それでも薬ナシでははっきりと物を考えるのも難しい。
そのうち混乱してきた犯人はさらに暴れ、結局は三人の男にたたき出され、近くの小川に落とされた。
生活用水として使われる二の川に落ちた犯人は、浮いていた野菜くずなどにまみれ、叫びながら川から上がった。
そんな彼の前に、見知らぬ老人が立つ。
外套のフードを深くかぶった老人は、しわだらけの顔をしていた。他の王都の縁に住む数多の老人と同じく、カミソリをあたっていない顎には白いひげがぼさぼさと生えている。
日の光からは影になっているせいか、目の色はわからず、街道で芸を見せる妖術使いのように外套で体全体をくるんでいて、背丈が小柄なことしかわからない。
自分を見下ろしている老人に、犯人は怒鳴った。俺をバカにしているのかと。
すると老人は口の端を上げて笑った。
「お前薬が欲しいのだろう? あの小屋でねだっていたのは『幽霊薬』か? けれど幽霊薬を飲み続ければそれほど時をおかずに廃人になろう。しかし儂は解毒剤を持っている。もし解毒剤がほしいなら、ちょっとした用事を引き受けてくれたなら、ただでやろう」
老人の言葉に、犯人は「助かった」と考えた。
すぐさま老人に解毒剤をねだる。
しわだらけの手から解毒剤を受け取った犯人は、その小瓶の中身を一気に呷った。すると嘘のように頭もはっきりし、復調した。そしてまだ解毒作用は不完全だから、次の薬は成功報酬で出すと言われる。
もう一度先程のような心の奥からぞわぞわとする感覚に捕まるのは嫌だった犯人は、老人の手配した衛兵の制服を着て、王宮の中に入り込み――。
それからもややしばらく記憶を覗いていたサリカは、異常に気づき、あわてて能力の使用を止めた。
***
「うそっ!」
思わず口に出しながら目を開いたサリカは、眠り続ける男から手を離す。
大声を出したのにもかかわらず、犯人の男はみじろぎ一つしない。
「どうした?」
不思議に思ったのだろう。尋ねてきたラーシュに、サリカは困惑したまま状況を話す。
「この人、ずっと同じ夢を見続けてる……」
かなりはっきりと、そして速やかに目的の記憶を見ることができたと思えば、犯人がその出来事を夢に見ていたようだ。
しかも犯人の夢は、サリカを襲撃した後、楽しかったのだろう子供時代のことや、もてはやされた頃の記憶、そして再び解毒薬をもらうくだりへと続き、ぐるぐると同じ記憶ばかり再生する。
記憶そのものを覗かなくてもよかったので楽だったのだが、それが夢だと気づくまでにサリカは時間がかかってしまったのだ。
けれどそんな風に同じ夢をぐるぐると見続けるのはおかしい。
そして夢特有の不可解さが全くないのだ。
空を飛ぶのでもいい。水の上を走るのでも、唐突に場面がとぎれて別な記憶や、見聞きしたことが誇張された光景が広がっているのが普通の夢のはずだ。
これでは、脳がただ強く残っているわずかな記憶を再生しているだけでしかない。それはもう、脳が考える力を大分失っているせいではないだろうか。
不安になったサリカは、一度記憶を見ようとするのをやめたのだ。
「麻薬のせいかな……」
「麻薬?」
「レーレクって、知ってる?」
犯人の夢の中で出てきた麻薬の名に、ラーシュが顔色を変える。
「近頃はやり始めてると聞いた麻薬だ。やたら習慣性が強いが、最初は皆、安価な痛み止めだと言われて少量を騙されて飲むという事件が起こってる」
ずいぶんと危険な麻薬のようだ。
「それってかなり短期間で廃人になってしまうの?」
「大量に飲めばそうなるだろうが……」
「まさか」
ラーシュの言葉にサリカはふと思いつく。
麻薬というのは、飲んでしばらくは頭がはっきりとしているように感じ、薬が抜けてくると急に不安定になる物が多いと聞いている。
それなら、麻薬を大量に溶かした液体を解毒薬と偽って飲ませれば、一時的には治ったように感じるだろう。
しかもその後、麻薬が切れるより先に自白剤を飲ませていたら、尋問を行おうとした人間には状態がわからないだろう。そして二つの薬の効果で、廃人になってしまったのではないだろうか。
だから、脳が不可解なほどにいろんな記憶をつなげた夢をつくることができない。
そして強く残っている記憶しか、思い浮かべられないのだ。
「ちょっと、起きてちょうだい!」
サリカは慌てて犯人を起こそうとした。
ラーシュに驚かれるほど叫び、ゆさぶったり、頭をはたいたところで騒ぎに気づいたブライエルまで駆けつけてきた。
「どうした?」
血相を変えて牢の中に入ってきたブライエルは、犯人が起きて騒ぎ出したのではないと見てとって、ほっとした様子になる。
が、サリカから何をしても目が覚めないと聞いて、渋い表情になった。
どうやらブライエルの見立てでも、犯人がもう目覚めることはないのは確定のようだ。
***
「こんなことなら、最初から陛下にお任せしないで、自分で見ておけばよかったかな……」
地下牢から戻りながら、サリカは呟く。
ブライエルの話では、牢に連れてきた時にはいろいろと話すことができたし、自白剤を使ってしばらくも会話ができたのだという。
ただ途中で眠り込むようになってしまい、今朝食事を口に運んだ後は、ずっと目を閉じたままだったようだ。
ブライエルも、それは副作用のせいだと思い込んでいたらしい。
「仕方ない。麻薬常習者かどうか、知る方法がなかったんだからな」
あきらめろと言ってくれるラーシュに、サリカは少し気が楽になる。
「それよりお前、記憶の中が覗けるのなら、生きている限りはなんとかなるってことなのか? たとえば死にかけた人間とか」
尋ねられたことに、サリカは首を横に振る。
「頭の中が薬で破壊されちゃったら無理よ。それでもおばあちゃんなら、少しは記憶をほじくりだせるかもしれないけど……」
「お前達、ほんとに尋問いらずだな」
「体に優しくて、薬の副作用なんてのもないし、そこだけはすばらいと思ってる」
「いや……それは人によりけりだろ……」
薬とは違い、サリカ達の能力の場合は黙秘権どころか、嫌がっていても引きずり出されるのだ。そちらの方がより『人でなし』と思う者も多いことだろう。それはサリカも理解している。が、自分の命がかかっていることだ。こればかりは嫌でも非情になれるというものである。
そこでふと、サリカは不思議に思った。
ラーシュが以前下僕扱いされていたところから、逃がされたことは聞いた。けれどそれができるということは、その変態はサリカと同じ能力を持った人物のはずだ。その人は記憶を覗けなかったのだろうか?
サリカの祖母も母も、同じような力が使える。
だからふと、ラーシュが逃げてきた相手というのも能力者なのだろうから、ラーシュはそのことについても知っているのだろうと思ったのだが。
「…………」
尋ねかけたサリカは、はっとして口をつぐむ。
礼拝堂へ行く途中、下僕扱いされていたときのことに触れたら、ラーシュはひどく嫌がっていたのを思い出したからだった。
(故郷を出るくらいなんだから、酷い目にあったんだろうな……)
そう思えば、多少の態度の悪さも仕方ないのかとサリカは思ったのだった。




