10 困惑する騎士の独り言
「殿下、一生ついていきます!」
そう言ってサリカがエルデリックの手を握りしめる。
そのまなざしから読み取れるのは、エルデリックへの崇拝だ。それでいて握った手をこっそり両手で包むようにして撫でたり、自分の頬をくっつけたりと、あきらかに堪能していた。
話には聞いていたが、サリカの王子の溺愛ぶりは目に余るほどだった。
今まではエルデリックを迎えに来る時に会うだけだったので、その片鱗を見ることがなかっただけだったらしい。
ラーシュはため息をつきながら、でも、と思う。
確かにこのサリカならば、ラーシュを奴隷扱いすることはないだろう。
フェレンツ王やエルデリック王子の常識的な命令に従うのだから、暴走しても止めてもらえることは確実だ。
何より彼女自身が、ラーシュに興味がない。
先ほどもラーシュと『くっつけるため』という理由付けでさえ、おもしろくないおもちゃを差し出された猫が、ふんとそっぽをむくのに似た対応をするくらいだ。
今は飼い主であるエルデリックに愛情を示すことに余念がなく、ラーシュなど家具と同レベルの扱いだろう。
だから自分にとって安全だとわかる。それでも、心理的に不安だった。
過去の経験が、ラーシュの脳裏にちらつく。
優しいふりをして、油断させてから突き落とす者の姿を。
その力に逆らえないのなら、せめて自分が傷つかないように油断してはならないのだ。
彼女はラーシュの心を無視して、体や行動を支配できる人なのだから。
しかし本当に、この主従はなんなのだろうとラーシュは眉をひそめた。
サリカに、自分を甘やかせたままにしている王子。
ラーシュも『普通の子供』がどうだったのかは他人の様子を見た限りでしかわからないが、十二歳にもなって、頭を撫でられて素直に喜ぶのが信じられなかった。
ただでさえ軍事衝突が度々ある王国バルタの王子で、しかも剣術訓練も馬術訓練も行っているのだ。そろそろ男らしさに憧れ、婦女子に幼い子のようにかわいがられることを嫌がる年頃だと思うのだ。
しかも、子供のようにサリカに甘かされているように見える王子の、サリカの腕や頬への触れ方。
お返しとばかりにサリカの手の甲に、自分の頬をよせる姿に、サリカは何も考えずに喜んでいる。
が、とても子どものように無邪気なものではないように思うのだ。
サリカを見つめていたエルデリックが、ふとラーシュの方を見た。
目を細めてうっすらと微笑む様からは、
ラーシュに「気づいているんだろう?」と問いかけているように見える。
(わかっててやってるのか? この王子は……)
いつもは言葉を話せないせいか、大人しく従順な王子フェレンツ王の懐の深さにも驚いたラーシュだったが、その息子のエルデリックは、変人な女官よりも更に得体のしれない恐ろしさを感じさせる。
それにしてもこの王子は、自分の女官から本質を隠してどうするつもりなのだろう。
人の心の裏を考えてしまうラーシュは、この頭がめでたい恐ろしい能力を持つ女官より、王子の方に微妙に警戒感を抱いたのだった。
その後ラーシュは、異動の引き継ぎをするため、部屋を出た。
しかしエルデリックについている騎士はたった二人で、すでにフェレンツ王からの伝令が来ていたようで、意思疎通がすんなりとできた。
けれど唯一の王子に対して、護衛役だけではなく、戦になれば側近ともなる騎士が二人だけとはあまりに少ないのではないか。
疑問を抱いたラーシュは「もっと沢山いるかと思った」と感想を漏らした。
ラーシュのように思う者は少なくないのだろう。
二人の騎士は、答え慣れた様子で疑問について説明してくれた。
不自由な身のエルデリックは、あまり外出することがないこと。国民に声をかけられても、言葉を返すことができない。そして不測の事態が起こっても、彼は助けを呼ぶことができないからだ。
そのため常駐する人数が必要ではないので、フェレンツ王の要請を受けて、国内の巡察に出ている者もいるとのこと。
「全部合わせたなら、三十人ぐらいはいますよ」
バルタ王国の伯爵家の四男だという騎士は、そう言って笑った。
彼と話した後、ラーシュはフェレンツ王の元へ行く。
王子への挨拶を済ませたことを報告したラーシュは、人払いを頼んでから、執務机に座るフェレンツの前に立ち、エルデリックの計画について話した。
その特殊な能力があるから、サリカを気に掛けていたフェレンツ王に、今後の方針を報告しておく必要があると考えたのだ。
ラーシュから話を聞いたフェレンツ王は楽しげに笑った。
「なるほどね。子供のわがままで大人を振り回す振りをするのか。エルデリックもなかなか……」
再びくつくつと笑うフェレンツ王の顔は、砂の城を作る子供の姿を暖かく見守るような表情をしている。
(……そんな可愛いものか?)
エルデリックの意味ありげな視線に、背筋が寒くなったラーシュはそう思う。
けれどエルデリックは不自由さを抱えていても、この国唯一の王子だ。他者からの気遣いを恐縮して受け取るだけの素直な子供では、国の将来が不安というものだろう。
ただやっぱり、大人びた思考の年下というのは複雑な気持ちにさせられるものだ。
ひとしきり笑ったフェレンツ王は、ラーシュに問いかけてきた。
「それで、君はどう思った?」
「どう、とは?」
何を聞きたいのかと返したラーシュに、フェレンツ王は言った。
「君を支配できる人間は、我がバルタに三人いる」
サリカ、サリカの母親、サリカの祖母のことだ。
「三人とも様々な理由から、その誰もが君の意志を無視して支配することはないだろう。君の安全を私が保証できるのは、彼女達三人の心映えを私が良く知っているからだ。彼女らは君のような人に助けを求められれば、たとえ君の国……ステフェンスが戦争と引き替えに君を要求してきたとしても、退ける力を貸してくれるだろう」
そこでフェレンツ王は一度息をつく。
「だから、君が彼女のことを苦手だと思うのなら、誤解を解ければと思ってね。サリカも私にとっては大事な預かり物だ。彼女の祖母は親友だからね。何より息子が母親のようになついている。だから守りたくても、人の力では限界がある。だから君が協力してくれるのは嬉しい。それならば君に、この状況を利用して欲しいんだよ」
フェレンツ王の言葉に、ラーシュは目を瞬く。
「どういう意味ですか?」
「君は、ステフェンスに対する人質だ。だけどその役目は、守られた場所で幸せに暮らすことに他ならない。そのためにステフェンス王は君を私に預け、戦争をしないというこちらの願いも叶えた」
フェレンツ王は微笑んで付け加える。
「彼女の側にいれば、まぁ予想外のことはいろいろ起こるだろう。けれどもサリカは決して、君に迷惑をかけないようにしてくれる。それを実感できれば、君の過去の傷も少しは薄まるのではないかと思っているんだ。……それでもまぁ、人として合わないという場合もあるからね。そうしたら彼女の祖母の方に君を預けるよ。だからサリカを狙う相手を捕まえるまで、今の状態でやってみてほしいんだ」
わかってくれるかい? と問われて、ラーシュは困惑しながらうなずく。
「陛下は……」
「ん、何かな?」
「なぜ、元は敵国であるステフェンスの人間である俺に、そうまで気を遣ってくれるんでしょうか?」
フェレンツがまだ王子だった頃、バルタとステフェンスは大きな戦争をしている。
王になった後でも、小競り合いは幾たびもあったはずだ。
そんな過去がありながら、ラーシュの伯父はバルタに頭を下げてでもラーシュを救おうとしてくれた。
ラーシュにとって、伯父の行動には理解できる理由がある。
けれど、フェレンツ王がこうまでラーシュに肩入れしてくれる理由はないはずだ。
尋ねられたフェレンツ王は、目を細めて答えた。
「昔ね、自分の意思を曲げられて嫌がることを強制されていた人がいて。その家族が彼を救いたいと必死になっていた姿を見たことがあるんだ。その家族の方は私の友人で……彼女はその家族を失った。あんな人の姿はもう二度と見たくないと思ったんだよ。
まぁ、渇水で苦しむ村を見つけたら、井戸を掘ってやりたいと思うだろう? 自分にその力があれば願いを叶えてやろうと行動するだろう。私が君にしているのは、そういうことだと思ってくれればいいよ」
フェレンツ王のたとえ話は、ラーシュにはよくわからなかった。
かわいそうな人間を見て、すくい上げる手伝いをしたいと願うことはおかしくはないが、本当に同情と守れるか分からない約束だけで、ここまでラーシュのことを気遣えるものなのかという疑問は心の底に残った。




