34-ミフィシーリア、立つ
会議室──普段、ユイシークやガーイルドを始めとした重鎮たちが様々な会議に使用する部屋──に、宰相であるガーイルド・クラークスの激した声が響き渡る。
「どうしてこうなるまで発見できなんだっ!? 斥候や物見は何をしておったのだっ!?」
どん、と会議室の机にガーイルドの大きな拳が振り下ろされる。
哀れ剛拳の標的となった机は、真っ二つに割れて会議室の床へとその骸を晒す。
今でこそ宰相という政治家に収まっているものの、ガーイルドは『解放戦争』中は将軍であるラバルドと並び称される武将であった。
その鍛え上げられた肉体はいまだに衰えを見せず、その膂力で殴りつけられれば机など斯様な有り様となる。
そんな激昂した宰相の様子に、国の重鎮たちは静まり返る。ただ一人、宰相の横に座っている女性を除いて。
「お鎮まりください、宰相殿。ここで宰相殿が頭に血を昇らせては、納まるものも納まりません」
「は……みっともない姿をお見せして、申し訳ありませんでした、ミフィシーリア様」
落ち着きを取り戻したガーイルドが、姿勢を正してミフィシーリアに低頭する。
だがガーイルドが激するのも無理はない。ミフィシーリアは表面上は落ち着いた佇まいを維持しながら、内心でそっとガーイルドを慰めた。
現在、王都の東西と南に広がる平野部に、敵──セドリック・エーブルの手勢が展開していた。
その数はそれぞれ三方にざっと一万ずつ。
軍事に不勉強なミフィシーリアには、なぜ敵が王都を取り囲むように包囲しないのか疑問であった。
本来このように攻め寄せられた場合、街や城を完全に取り囲むように包囲するのが常道ではないのか。
この疑問に関しては、この部屋に来る前にガーイルドが教えてくれた。
「奴らは小僧の異能を怖れているのだろうて。奴の異能……『雷』の異能を以てすれば、万の敵をも一人で打ち破れるからな。事実、『解放戦争』中はそのような局面はしょっちゅうだった。だが、三方に分散しておっては……」
「シークが一方を攻撃している隙に、残る二方が一気に王都に押し寄せる……ですか?」
「然様。ふむ、小僧が言っておった通り、なかなかミフィシーリア殿は頭の回転が早いな」
例えシークが三方の内の一方を相手取ったとしても、現在の王都の戦力は五百しかない。
その五百では、どう足掻いても残る二万の敵には抵抗できないだろう。
「……どうやら敵は戦力を傭兵に偽装させ、数人ごとに分けて王都近郊まで進軍してきた模様です。現在、王都では常備軍の抜けた穴を補うために傭兵を募っております。そのために発見が遅れまして、気づいた時にはあのような……」
ミフィシーリアが回想に耽っている間も、宰相と重鎮たちの論議は続いている。
「言い訳はいい! それよりも重要なのは、六十倍の敵戦力をどうやって退けるかだ!」
「そ、そんな魔法のような方法があるわけがない! 例え陛下がこの城におられたとしても、陛下が相手取れるのは一方面の軍勢だけだぞっ!?」
喧々諤々、会議室の中で論議が飛び交う。だが結局、誰一人として有効な打開策を見出す事はできずに終わり、ユイシークが戻るまで籠城する事が決まっただけだった。
丁度その時である。
会議室に一人の兵士が姿を見せたのは。
「も、申し上げます!」
片膝を着き、顔を下げたままその兵士は告げる。
「王都に住まう貴族の方々が多数、謁見を求めて登城されております! 如何いたしましょうか?」
謁見の間。
言うまでもなく、国王であるユイシークが様々な者たちと謁見を行う場所である。
その謁見の間に、大勢の身形の良い者たちが集まっていた。
その数は三十人以上はいるだろう。年齢も三十台前半から五十台後半まで、様々な者たちがいる。
彼らは王都に住まう貴族たちであり、王都に敵勢力と思われる軍勢が押し寄せた事で、慌てて王城へと集まって来たのだ。
そして今、その貴族たちは宰相であるガーイルドの命により、謁見の間へと集められている。
その謁見の間へとガーイルドと共に向かう途中の廊下に、ミフィシーリアの見知った顔が集まっていた。
「……皆さん……」
ぽつりと零したミフィシーリアに、一同を代表してアーシアがにっこりと笑いかけた。
「話はケイルくんから聞いたよ」
「これからお馬鹿な貴族たちとやり合うのでしょう? 微力ながらお供しますわ」
アーシアに変わってそう答えたのは、いつものように扇で口元を隠すサリナだ。おそらく、その扇で隠された口元はにやりとした笑いを浮かべているに違いない。
「私も武人の端くれです。何かのお役に立てるでしょう」
「私は腕っぷしは駄目だけど、頭脳労働ならそれなりに自信があるわよ?」
そう続けたのは、もちろんマイリーとリーナだ。
「実はね、さっきパパと繋がったの。パパは今、ランバンガの反乱軍を片付けて、こっちに向かっているそうよぉ。あ、ランバンガを片づけたのは、パパじゃなくて『魔獣使い』だって。だからパパには怪我一つないそうだから安心してね」
「もうすぐシークさんたちも帰ってきます。それまでの辛抱ですから」
貴重な情報を知らせてくれたコトリと、いつものように慈母の如く微笑むアミリシア。
自分の事を思い、様々な手助けを行ってくれる「家族」たちに、ミフィシーリアの目元にじんわりと光の雫が浮かび上がる。
「ありがとう……ご……います……」
喉を詰まらせながら、ミフィシーリアは「家族」たちに礼を述べる。
「ほらほら、これからが正念場だからね。こんな顔してちゃ駄目だよ?」
アーシアがミフィシーリアに近づき、彼女の目元を自分のハンカチでそっと拭う。
「ボクたちは全員、ミフィの味方だから。ミフィの思う通りにしたらいいよ」
皆が優しい視線を向ける中、アーシアは愛しい「妹」をそっと抱き締めた。
謁見の間に入った途端、その場に居合わせた全員の視線がミフィシーリアたちに集まる。
宰相と四人の側妃、そして公爵であるアミリシア──そのアミリシアの隣にはコトリもいる──を引き連れた形で入場したのだ。どうしたって視線は集まるというものだろう。
「宰相閣下とミナセル猊下がいらしゃるのは判るが、なぜ側妃様たちまでも……?」
「しかも、第五側妃様が先頭とは……あの噂はやはり……」
「それより、陛下が不在の今、どのようにして王都を囲む軍勢を──」
「やはり、最早降伏するしか──」
口々に言葉を交わす貴族たちが見詰める中、ミフィシーリアとその一行は、主不在の玉座の前まで来るとそこで謁見の間に集まっている貴族たちへと振り返る。
「この危急の折り、ご足労大義であった」
一同を代表し、一歩前に出たガーイルドが高らかに告げる。
そしてそれを合図に、集まっている貴族たちは我先にとガーイルドへと質問を浴びせていく。
「陛下ご不在の今、王都に残された僅かな兵で、王都の外に布陣している大軍に抗えるのかっ!?」
「陛下は今、どこにおられるのだっ!?」
「まさか、自分だけ逃亡したなどという事はあるまいなっ!?」
「わ、我らも早く王都から逃げ延びねば──」
「彼我の戦力差は明らかだ! ここは潔く降伏すべきではないのかっ!? そうすれば、奴──セドリック・エーブルも我らの命まで奪うとは言うまい!」
「わ、私が家は中立を宣言するっ!! 特に王国側にもセドリック側にも与するつもりはない! 我が家は中立である!」
勝手な事を口走る貴族たち。
もちろん、彼らの最も気にしているのは自分たちの保身である。果たして、このまま王国側にいても勝利は薄いのは明白。
それならばいっその事と、大っぴらに敵対するセドリック側に寝返ろうとする者までが現れる。
「そ、そうだ……!! 宰相や側妃、ミナセル公爵の首を手土産にすれば、セドリックも我々を軽視できまい──」
誰かがそう言ったのを皮切りに、ぎらついた視線が宰相以下、側妃たちへと向けられる。
そして誰かが一歩、前へと踏み出した時。
それまで厳しい表情で貴族たちをじっと見据えていたミフィシーリアが、動いた。
今、彼女の中にあるのは大きな失意。
駄目だ。
ここにいる我が身を守る事しか考えない貴族たちでは駄目だ。
自分を含め王国に属する貴族は、こんな時こそ団結しなければいけないというのに。
そして何よりも、王都に住まう三万人の市民たちを守らねばならないというのに。
──国って奴は民のものだ。俺たち王や貴族が広げた傘の下に、民が集まって初めて国はできるんだ。それを忘れちゃいけない。
かつてユイシークはミフィシーリアにそう言った。
その民を守るのは貴族の役目である。
そんな貴族の本質も忘れ、保身に走り宰相や側妃にまで手を出そうとする愚かな者たち。
そんな者たちに背を向け、ミフィシーリアは玉座の据えられた段へと一歩、足を踏み出す。
ちらりと一度だけ「家族」たちを振り返れば、彼女の愛する「家族」たちは皆一様に微笑んでくれている。
その微笑みに背中を押され、ミフィシーリアは玉座へと向けて段を登り出す。
突然そのような行動に出たミフィシーリアに、宰相たちへと詰め寄ろうとした貴族たちも思わず立ち止まり、その視線を一斉にミフィシーリアへと向ける。
その視線を背中に感じながら、段を登りきったミフィシーリアは眼下に集まる貴族たちへと振り返り、そのまま腰を下ろした。
──玉座の隣に据えられた、もう一つの椅子へと。
しん、と静まり返る謁見の間。
誰もが皆、今彼女が取った行動の意味を理解した。
自分に全員の視線が集まるのを確認し、ミフィシーリアは口を開く。
「──私、第五側妃であるミフィシーリア・アマローは、先日、ユイシーク陛下よりこの椅子へ座るように求められ……私はこれを受けました」
ざわり、と動揺が謁見の間に広がる。
そしてその動揺が納まりきらぬ内に、四人の側妃たちが行動に移る。
アーシアを始めとした側妃たちは、一様に玉座の前に跪きいてそっとその頭を垂れたのだ。
「カノルドス王国第一側妃、アーシア・ミナセル」
「同じく第二側妃、サリナ・クラークス」
「同じく第三側妃、マイリー・カークライト」
「同じく第四側妃、リーナ・カーリオン」
四人は右手を左胸に当て、頭を伏したまま名乗りを上げる。
そして、一同を代表してアーシアがその続きを謡うように続ける。
「我ら四人、ミフィシーリア様がその席に就いた事を心からお祝いし、併せて絶対の忠誠を誓います」
アーシアの言葉に頷き、ミフィシーリアは続けてガーイルドとアミリシアへと視線を移す。
「このガーイルド・クラークス、カノルドス王国宰相として、ユイシーク陛下より聞き及んでおりまする。側妃様方と同じく、ミフィシーリア様に忠誠を誓いましょうぞ」
「私、アミリシア・ミナセルも同様です。公爵として、また陛下の叔母として、ミフィシーリア様がその席に就かれる事を認め、ミフィシーリア様に永久の忠誠をここに誓いましょう」
ガーイルドとアミリシアもまた、その場に跪いて低頭する。
そんなアミリシアの横で、コトリも同じように跪く。ちらりと上げたその顔には、とても嬉しそうな笑みが広がり。
──がんばれ、ミフィ。
声に出さず、口の形だけでコトリはそう告げた。
「陛下が──夫が不在の今、この国……カノルドス王国は夫に成り代わりこの私、ミフィシーリア・アマローが────」
玉座の横の椅子に腰を下ろし、ミフィシーリアはそっと目を閉じる。
そして再び開かれる瞳。そこに宿るは確かな決意の光。
「────いえ、ミフィシーリア・アーザミルド・カノルドスが守ります」
これが、カノルドス王国に正式なる王妃が現れた瞬間だった。
『辺境令嬢』更新!
とうとう……とうとうここまで来たっ!!
連載当初から構想していた、ミフィが正式に王妃となる瞬間っ!! もう、ずっとこのシーンが書きたかったっ!!
しかも、その決定的瞬間に相方が不在というのが、なんともらしいと言うか何と言うか(笑)。
さあ、ゴールは目の前っ!! あと少しがんばろうっ!!
次回もよろしくお願いしますっ!!




