32-お守り
一夜を共にした翌朝。
朝食の席で、ミフィシーリアはユイシークから出兵する日取りを聞かされた。
「明日……ですか?」
「ああ。準備が思いの他早く進んだからな。明日、反乱鎮圧に出発する」
例の会議から三日。それだけで出兵の準備が整ったのは異例の早さである。
この三日、侍従長でもあるリーナが忙しそうに様々な手配や手続きを行っていた事を、ミフィシーリアは当然知っている。
それはリーナだけに限らず、ガーイルドやケイルといった文官は誰もが同様であり、その皆の努力の甲斐もあって、この短時間で出立の準備が整ったのだ。
「鎮圧軍として近衛隊から三百と、王都の兵三千から二千を引き抜き、雇った傭兵二百と合わせて二千五百人を派兵する予定だ」
「相手は……ランバンガが率いている反乱軍の数は、確か千人でしたね」
二千五百対千。戦力差は歴然であり、普通に考えれば王国軍の有利は動かない。
加えて、ユイシークやジェイク、そしてラバルドといった一騎当千の強者までいるのだ。反乱軍に敗ける要素はまず、ない。
それでも、戦場に赴く以上はどうしたって不安が残る。
それが表に現れていたのだろう。ユイシークはミフィシーリアを安心させるように微笑むと、ぽんと彼女の頭の上に掌を乗せた。
「安心しろって。確かに王都の守りは一時的に手薄になるが、各地の貴族から応援の兵を集めている。すぐに王都の守りは万全になるさ」
「わ、私が心配しているのは王都ではなく──っ!!」
思わず立ち上がって身を乗り出した彼女の身体を、ユイシークが突然引き寄せた。
そして、そのままミフィシーリアの桜色の唇をやや強引に奪い取る。
文字通り、突然口を塞がれたミフィシーリアは、最初こそ驚きの表情を浮かべたものの、やがてその表情は蕩けたものへと変わっていく。
「判ってる……おまえが俺を心配してくれているのはな。だが、俺は王だ。何よりもまず、王としての責を果たさねばならない」
唇を離したユイシークは、ミフィシーリアを優しく見詰めながら告げる。
「はい……それは私も判っております……でも……絶対に帰って来てください。約束ですよ?」
「おう。すぐに反乱を鎮圧して帰ってくる。そしたら……おまえを正妃に迎えるからな」
一瞬だけ互いに見つめ合った二人は笑みを浮かべ、どちらからともなく再び唇を重ね合わせていった。
ミフィシーリアは、自分以外の四人の側妃たちに自分の部屋である第六の間に集まってもらった。
「お守り……ですの?」
そして集った側妃たちと、偶然遊びに来ていたコトリを前に、ミフィシーリアは足を運んでもらった理由を述べた。
「はい。戦に赴くシークのために、何かお守りのようなものを作れないかと思いまして……皆さんは、『解放戦争』中はどうされていたのですか?」
「うーん……当時はボクやサリィたちも前線ではないものの、同じ戦場にはいたからねぇ。あまりそういう物をシィくんにあげた事はないなぁ。というか、そんな暇がなかったっていうのが正しいけど」
「そうでしたね。まあ、私の場合は彼と一緒に前線で戦っていましたが」
「うん、コトリも! コトリもパパと一緒に戦っていたのよぉっ!!」
「私があいつと出合ったのは戦後だもの。今までそんな事をするような機会はなかったわ」
側妃たちの言葉に、ミフィシーリアは意外そうな顔をする。
ユイシークのためなら何をおいても行動しそうな四人が、今までお守りを作った事がないとは思わなかったのだ。
「当時のわたくしたちは、誰一人としてシークさんが敗けるとは思いも致しませんでしたわ。だから必勝の願掛けやお守りなど、考えた事もありません」
「それにシィくんには『治癒』の異能もあるしね。少しぐらいの怪我、自分で治しちゃうもの。そんなシィくんが酷い怪我をするとしたら……」
「それは自軍が壊滅的な被害を受けて敗北した時、でしょうね」
「でも、パパがいる以上、敗けるはずがないのよっ!!」
彼女たちはそれ程までに彼を信じているのだ。
彼がいる以上、敗北はあり得ない。そして敗北があり得ない以上、彼が酷い怪我を負うことはない。
おそらく、それは彼女たちの心の奥底にある絶対不変の法則なのだろう。
そんな彼女たちに比べて、自分は彼を心配するあまりに弱気になり過ぎ、お守りなどという気休めを作ろうなどと言い出すとは。
ミフィシーリアは、彼を信じきれない自分が恥ずかしく思えてしかたなかった。
「────でも」
他の側妃たちに顔向けできないような気がして、思わず俯いていたミフィシーリアの耳に、静かで優しげなアーシアの声が響く。
「そういうのもいいよね。今まで作らなかった分、ボクたち皆で張りきって作っちゃおうよ」
「そうですわね。どうせなら、アミィさんもお誘いしません?」
「じゃあ、コトリがアミィさんに知らせてくる!」
そう言うが早いか、コトリは風のように第六の間を飛び出して行った。
そして、そんなコトリの姿に「生みの親」であるマイリーは溜め息を零す。
「やれやれ。いつになったらあの娘は、落ち着きというものを身につけてくれるのでしょうか?」
「あら、コトリあのままなのがいいのよ。あの娘にはいつまでもああでいて欲しいわ」
そう言ったリーナに合わせて、五人の側妃たちはくすくすと笑い合った。
コトリに腕を引かれたアミリシアが第六の間に現れるのに、それ程時間を必要とはしなかった。
そして、アミリシアは側妃たちから自分が呼ばれた理由を聞かされる。
「それはいい考えですね。さすがはミフィ。よく思いつきました」
アミリシアに誉められ、ミフィシーリアは思わず笑みを浮かべる。
「それでお母さん。お守りの何かいい案はないかな?」
「古来より戦場に赴く夫や恋人に、身の安全を願って贈る物の定番といえば、女性の髪を用いたものですね。例えば、髪で編んだ腕輪とか」
他にも、布に髪で相手の名前を縫い込む、などといった物もあるとアミリシアは教えてくれた。
「……何か、定番過ぎておもしろくありませんわね」
「サリィ……ここでおもしろくないと言い出すあたり、随分とあいつに毒されていない?」
「あら、それはシークさんと共ににいたという証に他なりません。どれだけ彼に毒されようが、それはわたくしにとって光栄な事ですわ」
「そうまで言い切っちゃえると、ある意味立派だね……」
扇で口元を隠して優雅に笑うサリナを見て、逆にアーシアは呆れたように肩を落とした。
だが、製作に利用できるのは今日だけである。サリナが言うような「おもしろいもの」を作る余裕はないだろう。
皆で何を作ろうかと相談するものの、今一ついい案が浮かばない。
そんな時。
何かを閃いたらしいコトリが声を上げた。
「あっ!! ねえねえ、みんな! こんなのはどうかなっ!?」
一夜明けて。
王城を取り囲む城壁の内側に、本日出立する二千五百人の騎士や兵士が、全ての準備を整えて整列している。
彼らは、これから現れるであろう国王を待っているのだ。そして国王の号令一下、反乱を鎮圧すべく王都を出発する。
だが、予定の時刻になっても国王は姿を見せなず、兵士たちの間に動揺がさざ波のように広がっていく。
そんな時、ユイシークに変わってガーイルドが姿を見せ、整列した兵士たちに国王が遅れている理由を告げた。
「現在、国王陛下は愛する側妃様方に、しばしの別れを告げておられる! ここは側妃様方のお心を察し、今しばらく待つがよい!」
国王と側妃たちの仲をよく知る騎士や兵士たちは、それならば仕方ないと納得顔で頷き、再び落ち着きを取り戻していく。
そんな兵士たちに対して、ガーイルドは平然とした態度を見せつつも内心ではかなり焦っていた。
なぜなら、国王が出陣する際には必ず必要とする物が、ユイシークの手元にないのだから。
この時、ユイシークはまだ私室にいた。
彼は私室の中を、苛立たしげな様子で落ち尽きなくうろうろと歩き回っている。
そんなユイシークを、同じ部屋にいるジェイクが呆れながら眺めていた。
「──────まだか? まだコトリは見つからないのか?」
「焦ンなよ、シーク。おまえも国王なら落ち着いてどんと構えておけって」
「そうは言うがよ? 昨日コトリが俺の旗を借りたいと言って持って行ったまま、まだ旗が戻って来てないんだぞ? あれがなきゃ戦には行けないだろうが!」
それは彼が言うように昨日の事だった。
コトリが執務中のユイシークの元を訪れ、出兵の際に掲げる彼の旗を見てみたいと突然言い出したのだ。
どうせいつものコトリの好奇心であり、一目見れば満足するだろうと思って、ユイシークは深く考えずに彼女に用意してあった旗を渡してやった。
そしてその後、結局コトリは旗を返しには現れず、そのまま一夜明けて出立の時刻になった今でも、旗は彼の元に戻らないまま。
国王が出陣する時、王国の旗の他に王家を示す旗を掲げるのが通例となっている。
王家の旗は文字通り戦の旗印となる大切なもので、ユイシークのいる本陣には常に立てられていなければならない。
この旗がないという事は、ユイシークが討たれた事を意味するからだ。
「申し上げます! ミナセル公爵猊下以下、側妃様方がお見えになりました」
「アミィさんたちが……?」
私室の前にいた衛兵が、アミリシアの来訪を告げた。
いくらイライラしているからといって、叔母であるアミリシアや愛する側妃たちを拒否できるわけもなく、ユイシークは彼女らの入室を許可する。
そして私室の扉が開かれると、アミリシアを先頭にアーシア、サリナ、マイリー、リーナ、ミフィシーリア、そしてコトリが揃って部屋の中に足を踏み入れた。
「どうしたんだ、全員揃って……あ、コトリ! 俺の旗をどこやったっ!?」
コトリの姿を見たユイシークが問い質すが、彼女はそれに応えずにこやかに笑いながらある人物へと視線を向ける。
そして、それはコトリだけではなかった。
アーシアが。
サリナが。
マイリーが。
リーナが。
そしてアミリシアが。
六人の視線は、一斉にミフィシーリアへと向けられた。
彼女たちの視線に押されるように、ミフィシーリアは静かにユイシークの前に進み出る。
「申し訳ありません。昨夜は皆で徹夜してこれを作ったのですが、思いの外時間がかかってしまいまして」
そう言いながら彼女が差し出したのは、現王家であるアーザミルド家の紋章が描かれている彼の旗だった。
「こ……こいつは……」
その旗を思わず見詰めるユイシーク。
緋の生地に鮮やかな色使いで、剣を抱いた乙女が祈りを捧げている様子が縫い描かれている。それがアーザミルド家の紋章だ。
そして、その紋章を取り囲むように、七つの名前が縫い込まれていた。
「……おまえたちの名前……か?」
「はい。アーザミルド家の紋章の周りに、私たちの名前を縫い込みました。縫い糸の一部には、自分たちの髪が使われているのですよ?」
ユイシークは、ミフィシーリアが差し出す旗と、愛する女性たちを何度も見比べる。
「どうか、これを戦場にお持ちください。身体はこの王都から動けませんが、私たちの心はこの旗の元、常にシークと共にあります」
「……承知した。おまえたちの気持ちは確かに受け取ったぜ。改めて礼を言う。ありがとうな」
「ご武運を。無事にお帰りください」
「なに、俺には勝利の女神が七人も付いているんだ。敗けるはずがないだろう?」
ユイシークは愛する女性たちと順に抱擁し、そっと口づけを交わしていく。
そして、国王は二千五百の兵を率いて王都を発つ。
その様子を城壁の上に立った五人の側妃と二人の女性が、いつまでも無言で見送っていた。
『辺境令嬢』更新です。
いよいよ、ユイシークが戦場に向けて出発しました。そして、それを見送るミフィを始めとした側妃たち。
何となく、死亡フラグっぽいものを感じたは自分だけでしょうか(笑)。
では、次回もよろしくお願いします。




