例の汚水
自らとエステルに煙り避けの風魔術を使ったあと、透は敵が密集していると思しき地点に向けて全力で走った。
透が掛けた風魔術は、咄嗟の思いつきだった。
火災で人の命をもっとも奪っているのは、火ではなく煙だ。
その煙が充満しているフィンリスに、なんの対策も取らずに踏み入るのは危険である。
ならば、日本のビルに設置されている『エアカーテン』のような魔術があれば、ある程度煙を吸引せずに済むのではないかと透は考えた。
対象の固定方法は、≪ライティング≫の魔術から流用した。
あとは、周囲をぐるぐる回る風をイメージし、魔術を正しく発動するだけである。
結果は一発で成功。
現代日本の利器をイメージすると、魔術はかなり成功しやすいようだ。
透は道すがら、発見したシルバーウルフを紙くずのように斬り捨てていく。
そこには、フレアライト・ダンジョンで見せたような温情は一欠片もない。
それは当然だ。
フレアライト。ダンジョンの時と現在は、まるで状況が違う。
相手は人間を襲い、人間を殺したのだ。
見逃す義理はない。
透がシルバーウルフを切りながら進むと、一際火災が激しい街の中心部にやってきた。
そこは透が何度も通ったことがある、共用井戸が設置されている広場だった。
「うわぁ、これは……どうしよう」
透が感じていたシルバーウルフの気配が、ほとんど消えてしまっている。
あまりの火災の激しさに、シルバーウルフさえ巻き込まれたのだ。
一体どういう理屈か、建物だけでなく、石畳も燃えている。
燃える火の勢いが激しく、かなり火から離れているというのに透の肌がチリチリと焼けるように痛む。
はじめは≪ウォーターボール≫を消防車の放水のようなイメージで放とうかと考えていた。
だが、それだけで鎮火するとは思えないほどの火の勢いである。
勿論、透は≪ウォーターボール≫で大量の水を生み出せる。
だが大量に水を生み出そうとすると、どうしても勢いが付いてしまう。
現在の透は、魔術のコントロール力に不安が残る。
うっかり加減を間違えて≪ウォーターボール≫で辺り一面が更地になる未来が、透にはありありと想像出来た。
「どうしよう……どうしよう!?」
走ってきただけでなにも出来ないなんて、そんな情けないオチだけはなんとしてでも避けたい。
考えて考えて、考え抜いた透は、はたと思い出した。
「そういえば、<異空庫>に放り込んだいらない水が大量にあったな……」
ネイシス教会を清掃した時に、排水されずに溜まった水を、透は<異空庫>に入れっぱなしにしていた。
どこかで捨てようと思ってはいたが、ずるずると後回しにしてしまっていた。
あれを上手く放出すれば、消火活動が出来て余分な在庫も減らせる。
一石二鳥ではないか!
思い立つと同時に、透は早速<異空庫>からの放水を開始した。
<異空庫>を開くと、中から水があふれ出てきた。
はじめは蛇口から水が出るような様子だったが、<異空庫>の〝口〟の形状を変更すると、水が出る勢いが増し、遠く広く拡散するようになった。
「これだけだと微妙だから、風魔術で水滴が遠くまで遠くように……っと」
刃を潰した≪エアカッター≫で、ネイシス教会で回収した汚水――もとい使用済みの水を押し出していく。
はじめは難しかったコントロールも、徐々に透の意のままに操れるようになった。
使用済み水はあっという間に火を鎮火させていく。
一体どういう理屈か透にはわからなかったが、火が消えるのならなんでも良い。
「ゴブーゴブーゴブーっ♪」
口笛を拭きながら、透は使用済み水を放出する。
激しく出火している建物も、水を掛けるとあっさり鎮火するので、透は楽しくなってきた。
「あ、あなたは……」
不良在庫の大放出を行っていると、透の耳に覚えのある声が届いた。
消火活動はそのままに、透が顔だけで振り向くと、井戸の近くでCランク冒険者であるルカが眦を決していた。
「どうしてあなたがここにいるんですの!?」
「どうしてって……」
そんなに驚くことだろうか? と、透は首を傾げる。
しかしすぐに思い直す。
きっと、劣等人が最前線に来たことで、身を案じてくれているんだろう。
(優しい人なんだなあ……)
「フィンリスが大変なことになってるなら、黙っていられません。僕だって、一応は冒険者の端くれですから」
「……そう、ですわね」
不良在庫が<異空庫>から消え、消火活動が一旦終了した頃、不意に背後から声がかかった。
「トール!」
「……リリィさん?」
透の後ろに、小さい体とは不釣り合いな大きな杖を手にしたリリィが立っていた。
まるで親の武器を大事に抱える子どものようである。
「トール、あの水は、どうやって手にいれた?」
「うっ!? あーあー、あれはえーと……」
不良在庫の正体について核心に迫るリリィの問いに、透の背中を冷たい汗がダラダラと流れ落ちた。
――まずい。これは、非常に不味い!!
もしかしてリリィは、透が汚水処理をしていることに気がついているのではないか?
こんな致命的で致死的な状況で、不良在庫を処分してたなんて、不謹慎にすぎると怒っているのではないだろうか?
そう考えた透は冷や汗を流しながら、どう答えるべきか頭を悩ませる。
「沢山使って、平気?」
「だ、大丈夫、です。いらないものだったんで」
「えっ?」
「んっ?」
透の答えに、リリィが硬直した。
(やっぱり、リリィさんは僕が不良在庫処分していたことを知っているんだな……)
透は観念して、正直に話すことにした。
「ごめんなさい。実はすごく大量にあって、どこで捨てようかって悩んでたんです」
「そんな、もったいない!」
「えっ?」
「んっ?」
なにかが噛み合っていない。
だが、透はなにが噛み合っていないのかがわからない。
ひとまず、リリィは透の不良在庫処分について、確信を得ているわけではなさそうだ、ということは判った。
なので透は、全力で誤魔化すことにした。
(いまなら多分、大丈夫。まだ間に合う!)
「り、リリィさんはこんなところで、どうしたんですか?」
「――そうだ、魔物。トール、力を貸して」
「僕なんかの力で良ければ」
リリィの真剣な眼差しに、透は間髪入れずに答えた。
透は劣等人だ。誰かに頼られるほどの力はないと、透は考えている。
けれど、真剣に助けを求められれば、答えないわけにはいかない。
「しばらく、詠唱する。だから、守って」
「了解」
リリィの言葉に、透は深々と頷いた。
【魔剣】を顕現し、シルバーウルフの襲撃に備える。
その【魔剣】を見た二人の目が、一様に驚きに染まった。
だがそれも束の間、ルカは鉄のメイスを構え周囲を見回し、リリィは杖を前にかざした。
「我願う――。
悠久の刻を越え、闇を照らし、闇を暴き、闇を貫く者よ。
邪に染まり悪を尽くし、闇に落ちたる愚かなる者共に、
偉大なる光の力以て、天より怒りの鉄槌を落とさんことを!」
前にかざしたリリィの杖が、飽和した魔力によって浮遊を始めた。
杖が、次第に白い光を纏っていく。
杖の先端から落ちた光が、リリィの足下に魔方陣を描いていく。
その魔方陣が完成したとき、リリィが高らかに叫んだ。
「≪神聖無尽光弾≫!!」
リリィのワードで、杖の先端から頭上に向かって激しく輝く光が打ち上がった。
その光はある一定の高さまで上がると、ぴたりと停止。
即座に光が弾け、いくつもの弾となって地上に降り注いだ。




