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そして明日を壊す為、  作者: 新殿 翔
魂を明日へと結ぶ為、
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動き出す天秤

 紫峰七海が起きてまず最初に感じたのは、味噌汁のいい香りだった。



「……紡?」



 口にしてから、気付く。


 かつで自分達の為に食事を用意してくれた彼女は、もういないのだと。


 今も昏睡状態のまま、双界庁が所持する施設の地下深くで拘束されている。


 そもそも、今七海がいるのは第一特務の隊舎である、あの屋敷ではない。



「……くそっ」



 誰にでもなく毒づいて、七海は身体を起こした。


† † †


 今に顔を出した七海の視界に、ちょうど食卓に朝食を並べている伊上栞の姿が移った。


 そんな姿も、いつかの彼女にダブって見えて、七海は内心で舌打ちをこぼす。



「あら、おはようございます、紫峰さん」

「ああ……」



 いつもより心持ち低い声を返し、七海は遠慮なく食卓に座り込んだ。


 そんな七海を、栞は穏やかな目で見つめる。



「もう少しで支度が出来ますから、待っていてくださいね」

「ああ、悪いな」

「いえ」



 栞を見て、出来た人間だ、と思う。


 いきなりの来客に、よくもそこまで穏やかな顔ができるものだ、と。



「……そういえば、七海さん」

「あ?」

「一つだけ、お聞きしたかったのですが……」



 だから、七海にとってその問いかけは、完全に不意打ちだった。


 まさか栞という人間に、そんなことを言われるなど、予想だにしていなかった。



「――なにをそんなに焦っているのですか?」



 一瞬の、無音。



「なんだと?」



 そして、七海の鋭い視線が栞の笑顔を睨み付けた。



「テメェ……なんだと?」

「お気に触ったのなら、申し訳ありません。ですが、どうしても気になってしまって……戦場さんは、随分と大きなものを抱えて息苦しそうな顔をしていました。八束さんも焦っているようでしたが、それは急ぐあまりの焦り……きっと時間をかければ、目的の場所にたどり着けるでしょう。しかし……あなたの焦りは、目的地の見つからない焦りだと感じました」

「なんだ、お前、カウンセラーかなにかかよ?」

「そんな大層なものでは……ただ、昔から人の気持ちに敏感、とは」

「はっ……うぜぇな」



 にべもなく、何の遠慮もなしに七海は言い放つ。


 そんな切りつけるような言葉にも、栞は笑みを崩さない。



「知ったかがおで語るなよ。テメェに何が分かんだ? あ?」

「……ええ、おっしゃる通り、私には分かりません」

「なら黙ってろ」



 これで話はお終いだ、とばかりに七海は双眸を閉じた。


 栞の姿を視界から追い出すように。



「……この村は、自然しかないような場所です。ですが自然を見つめると、その大きな豊かさの中に自分の悩みが見えてくるものです……お時間があれば、ぜひ散歩などしてみてください」

「……」



 七海は、何も答えなかった。


† † †


 屋敷の縁側に朱莉が腰を下ろしていた。


 彼女の視線の先では、結が木刀を黙々と振っている。


 それは、発つ前の朔から言いつけられた鍛錬だった。


 結はなんのごまかしもせず、それどころか言いつけられた以上の内容をこなしていた。


 朱莉がこうして結を見守っているのは、そのためだ。



「結ちゃん、もうそのくらいにしておきましょう」



 誰かが止めないと、結はどこまででも続けてしまうから。


 今この屋敷にいる人間で、それができるのは自分だけだと朱莉は自覚していた。


 朱莉にとって真央は尊敬する人物だ。


 第二次飽和流出を一人で抑えた英雄……多くの人を守ったその力には憧れを抱く。


 だが、だからといって子供の面倒を見れるような性格ではないというのは、重々承知していた。


 お姉様……戦場さん以外には本当に興味を示さないからなあ。


 内心で苦笑しつつ、朱莉は冷やしたスポーツドリンクのペットボトルを持って結に歩み寄る。



「……もう少し」

「駄目ですよ。それ以上は身体を壊しかねません」



 言って、ペットボトルを押し付けるように渡し、代わりに木刀を取り上げる。



「……」



 結は不満げな顔をしつつも、ペットボトルの蓋を開けて、口をつけた。



「……冷たい」

「嫌でしたか?」

「ううん。でもお兄ちゃんとか、七海お姉ちゃんは、いきなり冷たいものを飲むのは身体に悪いって……」

「ああ……それは、そうでしょうけどね……過保護だなあ」



 少しだけ呆れた笑みをこぼし、朱莉は結の頭を撫でる。



「でしたら、これは秘密にしておいてください。あの二人に怒られたくないので」

「うん」



 結が小さく微笑む。



「……ところで、結ちゃんはどうしてそんなに、自分を鍛えたがるんですか?」

「それは……お兄ちゃんも、やってるから」



 誰かの真似をしたい。


 子供らしい理由だが……それだけでは、ここまでやり込む理由には薄い気がしてならなかった。



「それだけですか?」

「……」



 続けて問いかけると、結が視線を軽く逸らす。



「結ちゃん?」

「……その」



 おずおずと、結が唇を開く。



「お兄ちゃんが、いつも私のことを、気にしてくれるから……」

「え?」



 それが鍛錬に繋がる理由になるのかと、朱莉は首を傾げる。



「今回も、私のことを気にして、なんだか、あまり行きたくなさそうだった」

「それは……そう、ですね」

「だからね……私がお兄ちゃんと同じことが出来たら、安心してくれるかな、って」

「――……」



 はにかみながら告げる結に、朱莉は呆けた顔をした。


 まだ幼さから抜け出していない少女の想いが、それほどまでに誰かに捧げるものなのかと……結の人を想える心に、思わず呼吸すら忘れた。


 『勇者』として……小さな少女の魂を、祝福せずにはいられない。



「……あなたは、とても強いんですね」

「強、い……?」

「ええ……力ではなく、心が」



 不思議そうに首を傾げる結に、朱莉の言葉の意味がどれほど伝わっているだろうか。


 だが、通じつともかまわないと朱莉は笑う。


 分からずとも、結はそれを成しているのだから。



「あの……朱莉お姉ちゃん」

「なんですか?」

「私、お兄ちゃんみたいになれるかな?」



 答えを、迷うことはなかった。


 戦場朔は強大な魂装者だ。


 『黄泉軍』という規格外な存在に届くものが、この世にどれほどいるのか。


 少なくとも朱莉は、彼と同格の者を真央以外に知らない。


 だが、それでも、しかし……。



「ええ、もちろん」



 強さとは、魂装者であることなどではないと、朱莉は断言してみせる。



「すぐに……もしかしたら、戦場さんよりもずっと、ずっと強くなれますよ」

「うんっ! 頑張る!」



 屈託のない笑顔に、朱莉も笑みを深める。



「あの……それとね」

「はい?」

「……お兄ちゃんたち、早く、帰ってくるかな?」



 それだけは、少しだけ寂しげに問いかけた結に、朱莉はその小さな身体を抱きしめてやりたくなって……我慢しきれずに、両腕で包み込んだ。



「お姉ちゃん……?」

「すぐに帰ってきますよ。過保護ですからね、彼は」

「……うん!」


† † †


 そして、誰にも気づかれることなく、なんの前触れもなく。


 現世に、強大な何かの、その一片が舞い降りる。



 ――天秤よ、破滅と未来の狭間で軋んで叫べ――。




 仮の形を定めた彼女は、湖のあるその村を見下ろし、つまらなそうに鼻を鳴らす。



「なんだ、あれは……? 過去にしがみつくなど、愚かな」



 人。


 けれど、決定的に何かが違う。


 誰かが《天秤》と呼んだ女は、ゆっくりと歩き出した。


† † †


 そして、夢を見る。


 夢だと分かってしまう。


 なぜならそこに、あの人がいたから。



「……どうして」



 こんな夢を見るのか。


 会いたい?


 会いたいさ、もちろん。


 だがそれは現実でだ。


 夢の中で会う事なんて、意味がない。


 ないと分かっている……そのはずなのに、こうして夢に出てくるなんて、自分の心の弱さを突き付けられているようだ。



「なあ、そう思うだろう?」

「……夢って、そんなマイナスイメージ抱くようなものでもないと思うんだけどな」



 あの人はそう言って、小さく笑った。



「それに安心して。これは夢だけど、夢じゃないから」

「は?」



 この人がわけのわからないことを言うのは、割と日常のことだったけれど、夢の中でもそれは変わらないらしい。



「まあ……ちょっとしたタイミング、かな。彼女が身じろぎしたことで生まれたさざ波に声をのせて……そんな感じ? 分かるかな?」

「……いいや?」

「だよね」



 苦笑し、あの人は周囲を見回した。


 瓦礫まみれの、俺の内側を。



「うん、澄んだ空気……妹さんが綺麗に持って行ったお陰だね」

「……」

「っと、ごめん。嫌な話しちゃったね」

「いや……」



 そう答えるものの、どうして声が暗くなってしまう。


 あの人は、そんな俺の変化に当たり前のように気付いて、少し困ったように笑った。



「あ、そういえば、あれ、ちゃんと持ってる? ほら、あの刀」

「……当たり前だろ。姿を消す前に、あんたが俺に唯一俺に残した物なんだ」



 今も大事に、俺の部屋に保管してある。



「あはは、なんかちょっと、恨みがましく聞こえるなあ」

「何も言わないで消えて、何も思われてないと?」

「……あはは」



 あの人は、今度は誤魔化すような笑顔で、頬を掻く。



「よ、よーし、朔君、お姉ちゃんが一つ、キミに助言をしてあげよう!」

「いきなりだな……」

「ずばり、もうすぐ世界は滅びます!」

「あ?」



 しかも、なんだこの唐突感は。



「滅びる?」

「そう。だから、しっかり気構えておくようにね」

「なんの気構えだ。世界が滅ぶことへの?」



 奇妙な夢だ。


 どうして、こんなことを言われなくちゃならないのだろう。



「違うよ」



 彼女は、笑顔で俺の言葉を否定する。



「世界を滅びから救うための気構え」

「……?」

「大丈夫!」



 俺はまるで理解できていないのに、あの人は満面の笑みで親指を立てる。



「朔君ならやれる! なにせキミは、私のたった一人の弟子で、弟分で、かわいい甥だからね!」

「はあ……」

「というわけで、よろしくね!」

「あ……!」



 背を向けたあの人に、思わず手を伸ばす。


 これが夢の出来事だとわかっていても、もう少しだけ……。



「大丈夫。またすぐに会えるよ……いや、会わない方が、いいんだけどねぇ……」


† † †


 そして、夢は醒め、俺は天井に手を伸ばしていた。



「……なん、だったんだ?」



 俺はぼんやりとした頭で、しばらく手を伸ばしっぱなしでいた。


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