理の外
紫峰の運転する車が、市街地を離れ、深い山の中へと入っていく。
「この道スピード出したら気持ちよさそうだな」
「やめろよ」
ぽつりとこぼれた紫峰のつぶやきに、すかさず注意を飛ばす。
確かに、他に走っている車なんて一台もないし、多少スピードを出しても誰にも咎められそうにはない。
だが、だからといって紫峰の好きにさせるのは嫌な予感しかしなかった。
「あはは……安全運転でお願いします」
助手席に座るナビ役の伊上も、笑みをひきつらせていた。
「ちっ、うっせぇな。わかってるよ」
「……まったく」
俺は深く座席に座りなおした。
まだ目的地についてもいないのにこの調子じゃ、ついてからはもっと面倒が増えそうだ。
「……」
面倒と言えば、俺と同じく後部座席に座っているやつが、その最たるものだろう。
さっきから一口も喋っていない仏頂面……八束だ。
ただ黙りこくっているだけならまだいい。
しかし、遠慮なしに魂の圧力を垂れ流しにしているのはどうなんだ。
おかげでこっちは、ここまで気を使いっぱなしだ。
なにせこの状態の八束を放っておけば、すれ違った車の運転手は気絶し大事故を起こし、通行人は続々倒れる集団昏睡事件の発生だ。
仕方なく、俺が強引に八束の魂を車内に押さえつけている形だ。
……伊上は随分と辛そうな顔をしているが、諦めてもらうほかないだろう。
「八束、到着したらさすがにそれは抑えろ。住民に迷惑だ」
「『黄泉軍』様が守ってあげれば?」
ガキか。
明らかに結の方が精神年齢が高いぞ、こいつ。
「……っ」
「ん?」
しかし、不意に八束が表情を渋く歪めたかと思うと、魂の圧力が弱まり、ついには八束の身体に綺麗に収まってしまった。
「……分かってるわよ、六花」
「なに?」
「なんでもない」
八束はそれきり、窓の外に視線を向け、きつく口を噤んでしまった。
……なんて言ったんだ?
六花、とか聞こえたが……。
まあいいか。こいつの癇癪が収まったのなら、それはそれで。
「伊上、あとどれくらいで到着するんだ?」
「もうすぐっす。この山二つ越えた先ですね」
「山二つは、もうすぐ、じゃないと思うが……」
随分と辺鄙な場所にあるもんだ。
自然豊か、と言えば聞こえはいいが……。
「クソ田舎だな。コンビニあんのか?」
「あはは……一軒だけあるっす。まだ潰れてなければ。マイナーなチェーンで二十三時閉店っすけど」
歯に衣着せない紫峰の言葉に、伊上が苦笑しつつ答える。
「その時間から先になんか欲しくなったらどうすんだよ」
「その前に買ってください」
「マジかよ。この日本に、まだそんな不便な場所があったのか」
言って、紫峰は肩を落とした。
「さっさと調査を終わらせて帰るか」
「こっちとしても、不安を早めにつぶしていただけると助かるっす」
「……ああ」
頷き、俺は改めて伊上からの頼みを思い出す。
山で起こる怪奇現象、か。
山火事が起こっていたはずなのに、少しするとその火は綺麗に消えて、調べても痕跡がない。
爆音が聞こえてくるが、その発生源らしきものは存在しない。
そういった現象が繰り返し確認されているらしい。
だが、飽和流出といったサワリの出現が関係している様子はない。
……となると、考えられる可能性はなんだ?
新しく発生した魂装者が自分の力を試している……ということなら、過去に例がないわけではない。
新しく手に入れた力ではしゃいでしまう人間というのは、決して少なくはない。
もし、そういう話であれば簡単なんだが……。
――と、考えていると、ふと違和感を覚えた。
どう言葉にすればいいのだろう。
そう、高層ビルのエレベーターで昇っていくときに、耳の奥で気圧の変化を感じるような……そんな感じ、だろうか。
なんだ……?
すぐにいは消えた違和感だが、妙に気にかかった。
「気のせい……か?」
一応、魂の感覚を研ぎ澄ませてみるが、もう何も感じ取れない。
俺以外には誰も気づいていないようだし……やはり、錯覚か?
変に異変に対し意識しすぎたせいだろう。
軽く首を振って、いったん余計な考えを追い出す。
考えるのは目的地についてからでもいい。
俺は、窓の外を流れていく山の光景に意識を向けた。
† † †
それがどこか、誰にも形容は出来ない。
物質は存在しない。
魂も存在しない――その二つ以外は。
「――感じるな。微かだが……これは、なんだと思うね?」
「さあ。私はあなたほど、敏感じゃないから。私が感じるのは、彼のことだけ」
「ふん、例の……全く、年下趣味も大概にしておいたほうがいいぞ」
「ふふっ、そういうのじゃないよ」
堂々とした声に対し、どこかほのぼのとした穏やかな声が響く。
「ただ、彼の未来を守ってあげたいと思った。あの、どうしようもなくつまらない世界で、私が感じた真実は、それだけだから」
「そうか……それでこんなところまで来て、そんな姿になってしまうのだから、彼も幸せだろうな」
皮肉っぽく、けれどその奥には確かな賞賛を込められていた。
この域に至った以上、その想いに嘲る要素など一つとしてない。どちらも、それをはっきりと認識していた。
「そんなことを言うなら……あなたに思われる世界に生きる全ての人が、まず幸せだよ。あなたがいなければ……」
「やめてくれ。守りたい、などと思ったことは一度としてないよ」
軽く笑う声に、穏やかな声も微笑みを返す。
「私は、ただ、ここでこの世界が終ってしまうのはつまらないと、そう思っただけだ。お前は世界に飽いていたようだが、私はあれで、あの世界が嫌いでなくてね。這いまわる有象無象を見守るのも、悪くはない」
「物好きだなあ……私は、この魂の愛を注ぐ相手は一人でいいよ……あ、親愛、だからね」
「いちいち言うところが怪しいというのだ――《魔獣》よ」
呆れた声で告げ、その空間に存在する片方が僅かに動く。
「行くの――《天秤》」
《天秤》と呼ばれた存在が、蠢く。
それだけで、世界を滅ぼしかねないほどの力が揺れる。
「おっと……少しは気を付けてよ。世界の澱が溢れだすところだった」
《魔獣》の文句に、天秤がおどける気配を見せる。
「お前がいなければ、やらないさ」
「……いつまでも私がいるわけじゃないんだから、気を付けてよ?」
言いつつ、《魔獣》は自らの臓腑に落ちた澱の量を確かめる。
あと少しかな、と小さく呟いた。
「しかし、なんだ……これが当たりだといいんだが」
「そうだね……《天秤》《魔獣》……ここまで来て、もう延命は限界だろうし、そろそろ次の世界に続く理が欲しいところだけど」
「まあ、期待だけはしよう。とはいえ、この程度の微かな反応では、ハズレか、あるいは既によほどくだらない理を成してしまったか……私の理は失敗だったかもしれないな。なまじ、ある程度まで高めてやる理であるが故、そこに甘え、そこに自ら収まり流出しようとする者が減ってしまった。前にも、なんだったか……ああ、『魔王』とか言ったか」
《天秤》が、嘆息をこぼす。
「理外にて新たな理を成すだけの器があったというのに、わざわざ天秤の理の内で憧れの為に僅かな理となる……自分を狭めるとは愚かなことだ」
「でも、嫌いじゃないでしょう?」
這い回る有象無象を見守るのも悪くない、ついさっき出た言葉だ、
「私も、『魔王』ちゃんは嫌いじゃないよ」
「お前は随分、彼女から嫌われているようだがね……前に負けたのが、よほど効いていると見える」
「あの時は私も外れたばかりで上手く制御できなかったんだから、許してほしいな」
「そうもいくまい。あの時の雪辱を晴らすために、いろいろやっているようだしな」
「『伊邪那美』、か……」
「『魔王』は貴様に対する手札の一つ程度にしか考えていないようだが」
「……まあ、その時、私を止める人は決まっているんだけどね」
「本当にご執心だな」
苦笑し、《天秤》は自らの一部を切り離した。
大きな力から離れた一粒が、落ちていく。
「さあ……新たな世界の種はどこにある? 見せてくれよ、このつまらなくて愉快な世界の行く末を」




