おとぎ話
寄生木妃は、昔の夢を見ていた。
まだ自分が罪を犯す前の、平和な日々を。
妃は、母が寝物語に利かせてくれるおとぎ話が好きだた。
いつかの時代、どこかの国の王様には三人の娘がいた。
一番上のお姫様は、綺麗な金色の瞳を持つお姫様だった。
二番目のお姫様は、綺麗な銀色の髪を持つお姫様だった。
けれど一番下のお姫様は、どこにでも生える野草のような緑の髪と瞳をしていた。
王様はある日、お姫様たちに欲しいものを訪ねた。
一番上のお姫様は、自分の瞳と同じ金の着物が欲しいと言った。
二番目のお姫様は、自分の髪と同じ銀の外套が欲しいと言った。
しかし一番下のお姫様は、どこにでも生える野薔薇が一輪欲しいと言った。
金の着物と銀の外套は、すぐに街の服屋でみつかった。
王様は、わがままを言わない一番下のお姫様のために、特別綺麗な野薔薇を用意するため、町はずれの花畑へと向かった。
そこに咲いていた美しい薔薇を一輪詰むと、どこからともなく竜が現れて言う。
「私の庭を荒らす愚か者は誰だ!」
王様は腰を抜かしながら、必死に弁明した。
「私は娘の為に美しい薔薇が欲しかったのです」
王様が事情を説明すると、竜は感心するように頷いた。
「金の着物や銀の外套ではなく、一輪の薔薇を求めるとは、一番下のお姫様はとても優しい心の持ち主だな。よろしい、一番下のお姫様をここに連れてくれば、今回のことは許そう」
口の端から恐ろしい炎を覗かせながら言う竜に何度も頷き、王様はお城へと逃げ帰った。
王様は悩んだ。
竜の言葉を無視すれば、国が焼き尽くされてしまう。
しかし、自分の娘を連れていけば、きっと竜に丸のみにされてしまう。
そこに一番下のお姫様が現れて尋ねる。
「お父様、いったいどうしたの?」
「なんでもないよ」
「いいえ、とても疲れたお顔だわ。私にお話しください」
王様は、お姫様に全てを打ち明けた。
するとお姫様はにっこりと微笑んだ。
「私は国のために、竜のもとへと行きます」
お姫様は王様が止める間もなく、竜の庭へと向かった。
そこで竜は言う。
「私に嫁になってくれ」
「そんなことは出来ませんわ」
最初は断ったお姫様だが、それから庭で竜と暮らすうちに、徐々に、竜の心優しさに打ち解けていく。
大きすぎる手で一生懸命、おいしい料理を作ってくれた。
寒い夜はその身体で風から守ってくれた。
転んでひざをすりむいたときは、どんな怪我や病気も直すという素晴らしい薬をくれた。
お姫様はついに、竜と結婚することを決めた。
「怖い顔のあなた。綺麗な心のあなた。これからずっと、一緒におります」
お姫様が誓いの口づけを竜と交わすと、突如、まばゆい光が生まれ、思わず目を瞑った。
次に目を開いたとき、お姫様の前には、とても美しい王子様がいました。
「あなたの口づけで、竜になってしまう呪いがとけました」
それから二人は、結婚式を挙げ、末永く幸せに暮らした。
――ありがちなおとぎ話だったけれど、妃はこの話が特別好きだった。
自分も、こんなお姫様のように、心優しい人と結婚したいと、幼心に思った。
けれど……。
彼女は、お姫様にはなれない。
彼女は、竜になってしまったのだから。
† † †
妃が目を覚まして、一番最初に見たのはひび割れた天井だった。
それから、鼻先を埃っぽい空気が流れていく。
体を起こせば、そこが荒れ果てたビジネスホテルの一室だと気付いた。
カーテンは千切れ、窓ガラスが割れ、壁などほぼ一面が崩れ落ちてしまっている。
横になっていたベッドも、スプリングなどは駄目になっていて、とても寝心地がいいものではなかったが、それでも硬い床で寝るよりは幾分マシだった。
ベッドを抜け出した妃は、壁の穴から外を見た。
日は既に、随分と高いところまで上っていて、夏を目前に控えた、少し湿度の高い空気が吹き込んでくる。
「今年の夏は暑くなりそうだな……」
呟いて、苦笑する。
自分の言葉を確かめられるか、自身はなかった。
今年の夏を自分が体感できるとは、とても思えなかった。
すでにその魂の穢れは、戦火朔に救われる前とほぼ同じ濃さに戻っている。
それほどまでに、彼女の自分への呪いは深く強かった。
「こんな醜い魂……早く消えてしまえばいいのかな」
自分の口から漏れたのは、決して心にも思わないことだった。
真の願いは全くの別物だ。
生きたい。
どれほど醜く何を犠牲にしようとも生きたい。
そんな渇望が蠢く自分の魂を、妃は呪う。
本来ならば自分の魂を貶せば、力は弱まる。
だというのに、尚更に、妃の魂は力を増していた。
それほどまでに、彼女の中のバランスは崩れているのだ。
† † †
朝の居間に、隊舎に住む面々が集まっていた。
「はーい、今朝は白米、なめこのお味噌汁、アジの塩焼きにだし巻き卵、自家製お漬物、あと茶碗蒸しでーす」
意気揚々と朝食の準備をしたのは、やはり満だった。
そんな彼女の姿に、朱莉と七海は一瞬だけ、困惑や苛立ちなどが入り混じる複雑な表情を浮かべるが、すぐに視線を逸らす。
「あ、結ちゃん。魚の骨はとれる? よかったらやろうか?」
朱莉は、隣に座る結に優しく微笑みかけた。
「大丈夫。綺麗にとれるんだよ!」
「そっか」
自慢げに言う結の頭を、結が撫でる。
それだけで、結の表情が崩れた。
「ふふ、結ちゃん、朱莉さんと仲良しさんだね」
ふいに、満が結に声をかけた。
「うんっ!」
結は、満にも屈託のない笑顔を返す。
それに、朱莉が一瞬苦い顔をした。
結果的に見れば、満の言葉の一端は間違いなく正しかったと、朱莉は思い知らされた。
だからこその気恥ずかしさや後ろ暗さがあった。
そういう朱莉の心情を見抜いたかのように、満はいたずらな笑みを浮かべた。
「でもごめんね、結ちゃん。朱莉さんのこと、今日は私に貸してくれないかな? 一緒にお出かけしたいんだ?」
「え?」
「えー?」
朱莉が小さく声を漏らし、それを打ち消すように結が不満の声をあげた。
「私、朱莉お姉ちゃんと遊びたい」
「うーん、困っちゃったなあ」
結の訴えに、言葉とは裏腹に、満はにこにこと笑顔を浮かべる。
「あ……」
朱莉は、ようやく満の意図に気付く。
彼女と自分が一緒に出掛ける理由など、いくつもない。
戦火朔のこと。あるいは、寄生木妃のことだ。
「そうだ、それなら結ちゃん。今日の帰りに、朔お兄ちゃんを連れ帰ってあげる!」
「え?」
その場の全員が、一瞬だけ動きを止めた。
「本当っ?」
「もっちろん。だから、おとなしくお留守番、してくれるかな?」
「うー……」
喜ぶ結だったが、話が留守番までいくと、やはり渋い顔をしてしまう。
ならば、と満は畳みかけた。
「朔お兄ちゃんには、結ちゃんに木刀の使い方とか、いろいろ教えてあげるように言ってあげる!」
「ほ、本当……?」
結は、見るからに揺れていた。
「うん!」
満がはっきりと断言すると、結の口元に微かな笑みが浮かぶ。
「そ、それなら……分かった」
「ふふ、いい子いい子」
満がくしゃくしゃと結の髪を撫でまわした。
「帰ってきた朔お兄ちゃんに、満がそう言ってた、って言えば一発だからねー。なんたって、お兄ちゃんは妹に激甘だから」
満が自信満々にウィンクを飛ばす。
「……」
そんな様子を、静かに、千華が見つめていた。
† † †
朝食後、千華はいつものトレーニングを早めに切り上げて、双界庁の本庁へと来ていた。
どうしても、気になることが一つだけあったから。
用があったのは、第六書庫と呼ばれる、様々な資料が保管された部屋だ。
本来、いち魂装官が見れるものではないが、千華は第一等級にして第一特務所属だ。十分にそれだけの権利は持っていた。
書架に並ぶのは、双界庁に所属する魂装者の記録だ。
その中から選びとったのは、戦火朔のもの。
「……」
戦火満に対し、千華は疑念を抱いていた。
もちろんそれは、朱莉や七海も同じであろうとは思っている。
だが、その疑念の濃さは千華とは比べ物にならない。
真央だけはすべてを知っている様子だが、普段から秘密主義なところがある彼女に聞いても無駄だろうし、なにより答えを求める相手として不満しかなかった。
「親族は全員死亡。家族構成は……両親と、妹が一人、か」
千華が抱いた疑念の種は、自らの魂から起こる衝動だった。
彼女の魂は、破壊すべき目標があれば、どこまでも高まっていく。
そんな魂が……満に反応したのだ。
満の傍にいるだけで、千華は自分の魂が力を増していく感覚に包まれた。
既に、千華の魂は朱莉や七海では破壊の魂の糧にならないと感じている。
姉の魂によって濁った破壊の魂だが、それでも尚、今その力は『勇者』や『人魚姫』を格下に見ている。
……にも関わらず、だ。
つまり、満は、朱莉や七海よりも、千華にとって高い障害であるということ。
そんな相手は、朔や真央――特第一等級以外では初めてのことだった。
故に、その正体を見極めなくては落ち着かなかった。
なぜ戦火の名を名乗るのか。
なんの目的で自分たちの前に現れたのか。
なにより……破壊していいのか、どうか。
千華の中にある狂気の魂は、彼女に力をぶつけることを望んでいた。
しかし、その狂気に飲まれるほど、千華の心は弱くない。
だからこそ探している。
破壊する、大義名分を。
「……え?」
ページをめくる手が止まる。
戦火朔の妹について、触れられていた。
名前は、戦火満。生前の、幼い少女の写真まで添えられていた。
それを見て、千華は目を見開いた。
「どういうこと?」
同じ名前だけなら、いい。
名前を借りたと思うのが自然だ。
だが……写真に写っている少女の顔立ちは、成長すればまさしくあの満になるであろうと、容易に想像づいてしまうものだった。
もちろん、これも他人の空似と考えるのが自然だ。
だが、なぜか、千華は必要以上に動揺していた。
どこかで気付いたのかもしれない。
戦火満へ感じる破壊衝動は、戦火朔や遠季真央と同等なのではない。
戦火満と戦火朔に感じる破壊衝動が、全く同一のものであると。
「どう、いう……」
自分の中で情報を整理しようとするが、うまくいかない。
そんな時、部屋のドアが開く音がした。
「『伊邪那美』、八束千華だな?」
† † †
朱莉と満は、ともに廃棄区域まで足を延ばしていた。
「……ところで、寄生木さんは一体どこにいるんでしょうか?」
首を傾げた朱莉に、満が小さく噴き出した。
「その辺り、なにも考えてなかったの? お間抜けさんだね」
「う……」
たじろぐ朱莉に、満は自慢げに胸を張った。
「大丈夫だよ、私がいればすぐに見つけられる。なにせ、私の魂は、今のあの人の魂を見つけるのに、これでもかというほどぴったりだからね」
「どういう、意味ですか……?」
「それは秘密」
唇に人差し指を当てると、満は明後日の方向に視線を向けた。
「とりあえず……あっちに行こう」
満の先導のもと、朱莉も歩き出す。
それが、自らの魂を堕とす一歩だと、気付きもせずに。




