価値を求める者
突如、力が膨れ上がった。
最初は、それの正体が分からなかった。
サワリだと、まずそう思ってしまった。
だが、振り返り、そこに広がっていた光景と、肌に感じる魂の質を改めて確かめ、考えを正す。
寄生木妃だった。
彼女の魂が膨れ上がり、俺に寒気を覚えさせていた。
八束のことが思い浮かぶ。
あいつもまた、破壊すべき相手がいる限り、それを破壊するために常に魂が増大し続けるという、出鱈目な存在だ。
事実、今このときですら、あいつの魂は俺や遠季を狙い、徐々にその力を蓄えているだろう。
それと同等のものかとも考えたが、すぐに自分で否定する。
否定材料は、致命的なまでに確定的なものだった。
感じとれる寄生木の魂は、例えるのであれば、巨大な竜巻だ。
荒れ狂い、人としてとるべき魂の形から、枷から解き放たれたかのように歪んでいく。
俺と同じだった。
『共食い』として自分を見失い、暴れた俺と、まったく同じ状態だ。
「おい、寄生木!」
この状況は、絶対にいけない。
俺は慌てて彼女の名を呼んだが、返事はない。
彼女の瞳は虚ろで、何も移していなかった。
「この……!」
一発殴ってでも目を覚ますしかないか。
駆けだそうとした時、先程砕いたばかりの竜の魂装が、再び展開された。
一瞬のうちに寄生木を、膨大な質量の魂が包み込んだ。
その総量は、先程の比ではない。
暴走する力は、貪欲なまでに魂を取り込み、肥大化していた。
ブレーキの壊れた列車……そんなイメージを抱く。
「おいおい……話が違うだろ。なにが第一特務に入れなかった落ちこぼれだよ」
頬が引き攣る。
翼は巨大で、空を覆った。
尾は長大で、地面を打ち鳴らした。
地を掴む爪は鋭く、全てを切り裂きそうだった。
鋭く尖る牙は、凶悪な存在感を放っていた。
俺を見下ろす瞳に宿るのは、濁った魂の輝きだ。
先程までは、興味すらわかなかった。
だが今は……多少なりとも、脅威と感じられてしまう。
「――――――!」
竜が吼える。
声は大気を震わせ、衝撃波となって放射状に広がった。
俺は咄嗟に獣の尾を形成すると、それで盾にして身を守った。
脅威を感じると言っても、その度合いは低い。
子供がナイフを手にした、とでも表現すればいいだろうか。
油断すれば怪我をすることもあるだろうが、その気になれば制圧することは出来る、といった程度だ。
しかしながら、その気になれば、というのが問題だった。
いくら実力的に優っているとはいえ、この状況では、下手に手を抜くことはできない。
先程のような一方的な勝利を手にできない以上、相手を傷つける覚悟はしなくてはならないだろう。
「後で恨むなよ」
届かないとわかっていながら、そう告げると、俺は右腕を持ち上げた。
漆黒の魂が溢れだし、巨大な獣の爪を形作った。
さらに、尾が三本に分かれる。
三本の尾が伸びて、竜へと襲い掛かった。
翼が片方、右前脚、顎の一部を抉り取る。
が、すぐに再生が始まった。
「遅いぞ」
再生に魂を割いた隙をついて、爪を振るう。
竜の身体が五つに分割された。
終わったか、と思ったのも束の間、引き裂かれた竜の身体が翡翠の結晶体に姿を変えて、繋がりあった。
さらに膨れ上がり、『翡翠の薔薇』は竜の形を取り戻す。
「まったく、こっちは神経使ってるんだぞ」
ため息をつきながら、自分の爪を見つめる。
『黄泉軍』の力は強い。
それこそ、一つ間違えれば、あっさり相手の命を奪ってしまうほどに。
今も、上手く竜の魂装だけはぎ取るよう、細心の注意を払いながら力を行使しているのだ。
だというのに……。
「嫌になるな!」
竜が巨大な口を開き、息とともに無数の翡翠の結晶弾を放った。
雨のように降り注ぐそれらを三本の尾で打ち払う。
一発の重さは、朱莉先輩の一撃と同程度、といったところか。
土壇場で力が増すなんて、一体どこの主人公だ、こいつだ。
しかもそれでいくと、俺は悪役かよ。
「だからって、最後に負けてやるほど、俺は優しくないぞ!」
子供に聞かせる寝物語じゃないんだ。
悪役が主人公を叩きのめすことだってあるだろう。
宙に生み出しか無数の氷柱を降らせ、雷の球体を叩きこみ、水流の刃で切り裂く。
無数の損壊を負いながらも、竜は再生し、結晶弾を吐き出し、時に爪や尾を振ってくる。
それらを回避し、時に受け止めながら、舌打ちをこぼした。
「厄介だな……」
寄生木は、疲労を知らないかのように魂装の再生を行う。
魂の澱を注ぎ込んで、力づくでそんなことをすれば、当然、無理な部分が出てくる。
澱に含まれる穢れは、着実に寄生木自身の魂を染めていっているはずだ。
魂には、多少の自浄能力はあるものの、やはり限界は存在する。
このまま悠長にやりあっていれば、寄生木の魂は暴走が収まっても、取り返しのつかない状況になりかねない。
人の魂が穢れた時にどうなるかなど、俺には想像もつかない。
「仕方ない……どうにか、次の一撃で決めるしかないか」
自分の内側から、手頃な力を選び、展開する。
獣の右手の中に形成されたのは、一本の槍だった。
二本の棒が螺旋を描く構造になっている槍を、高く構える。
途端、異変が起きた。
竜の全身が痙攣するように震え、後ろに後ずさる。
その目に宿していた狂気は失せて、代わりに、動揺と恐怖が滲んだ。
「なんだ……?」
訝しむ俺の目の前で、竜が地を蹴り、翼を羽ばたかせた。
夜空へと巨体が舞い上がる。
「っ、おい!」
さっきまで散々攻撃をしかけておいて、今更逃げ出すなんて、どういうつもりなんだ。
「くそ……!」
暴走している状態の寄生木を放っておくわけにはいかない。
もしもあのまま市街地にでも出れば、下手をすれば一般人相手に暴れかねない。
そうなってしまえば……もう、サワリと変わらない。
俺は槍を逆手に構えると、そのまま投擲した。
風を切り、槍が竜の脇腹へと突き刺さる。
「――――――!」
悲痛な叫びが、大気を振動させた。
それでもなお逃避を続けようとする『翡翠の薔薇』だったが、俺はその阻止を確信していた。
突き刺さった螺旋の矛先が、解ける。
絡み合った二本の糸をそれぞれ引っ張って解くかのように、槍は突き刺さった場所から竜を内側から引き裂いた。
翼が、脚が、尾が、細かく分割され、巻き散らかされる。
宙に虹色の粒子となって溶けていく竜の内側から、寄生木の身体が現れ、自然落下を始めた。
どうやら、意識を失っているらしい。
「どこまで手間をかけさせれば気が済むんだ」
俺の尾が地面を叩くと、反動で身体が宙に打ち出された。
落下している寄生木を、魂装を解いた腕の中に抱きかかえると、自分の落下速度は、地面に尾を突き立てることで相殺する。
気絶している寄生木の顔を見ると、額にはびっしりと汗が浮かび、顔色は青を通り越して、土気色になっていた。
魂装の暴走といい、明らかに尋常な様子ではなかった。
「まずは双界庁に連絡して――」
「……だ、め」
細い指先が、俺の服を掴み、か弱く引っ張った。
薄く瞼を開いた寄生木が、俺を見上げていた。
「駄目、って……そんな状態なのに、無理するなよ。病気かなにか知らないが、おとなしくしてろ」
「連絡しても、どうしようもない……ううん、もっと、悪いことに……」
息も絶え絶えに、寄生木は必死な眼差しを俺に突き刺した。
鬼気迫った様子に、小さく息を飲む。
「……私は、まだ、死にたくない……だから、価値を、示せば……そうしないと、私も……」
「お前、何を言って……」
力尽きたように、寄生木の身体から力が抜けた。
「おい!」
軽く揺さぶるが、閉じられてしまった目は開かない。
かすかに上下する胸の動きがなければ、死んでしまったのではないかと疑うほどに、今の寄生木からは生気を感じなかった。
「どうしろって言うんだ……」
立ち尽くす俺だったが、不意に、瓦礫の崩れる音がして振り返った。
そこには、見覚えのない双界庁の外套を着た集団が立っていた。
……いや、違う。
一度だけ、見ていた。
今日、俺のことを『共食い』様とか呼ぶ連中に絡まれた時、寄生木と共に現れた魂装者達だった。
おそらくは、第二特務の所属なのだろう。
不気味なのは、全員が一貫して無表情で、まるで人形を思わせることだ。
「なんだ、お前らは」
「『共食い』、寄生木妃を引き渡してもらおう」
自分の目尻が、微かに震えたのを自覚する。
「悪いがこいつとは話の途中だったんだが……どうしてお前たちに渡さなくちゃならないんだ?」
「……」
無言は、答える気がない、ということだろう。
別に寄生木を守るとかではないが……こうも一方的だと、さすがに癪にさわるな。
「こいつが何かしたのか?」
「……」
また無言か。
話すつもりがない……上等だな。
「どうでもいいんだが、知り合いに一人、背伸びしたがる年下の女がいてな……そいつが言ってたんだが……」
薄く笑って見せると、第二特務の連中が少し身構えた。
警戒心剥き出しかよ。
それに俺のことを魂装者としての忌み名ではなく、サワリとしての名で呼んだ以上……最初から敵と思ってるってことだろう。
結構だ、こっちとしてもやりやすい。
「目上の人間は敬って呼べよ。テメェらにとっては寄生木『隊長』だろうが」
少し、灸をすえてやるくらいのつもりで、尾を振るう。
音を追い越した尾によって生み出された衝撃波が、第二特務の連中へと襲い掛かる。
「っ……! 総員、戦闘開始!」
「おいおい、こっちはちょっと尻尾を振ってやっただけだぞ。親愛の表現だっていうのに……」
皮肉をたっぷり込めて告げると、俺はつま先で地面を軽く叩いた。
直後、地面が砕け、あちことで陥没と隆起が発生する。
「もういい加減、付き合ってられないんだよ」
とどめに目くらましに強烈な光を発生させ、俺はすばやくその場から離脱した。
腕の中に、気絶したままの寄生木を抱えたまま。
「……最悪だ」
厄介ごとに首を突っ込んでしまい、俺は深いため息をこぼした。
ひとまず、逃げる。
それから寄生木に事情を聞かないとな。
一体、なにが起きているのか。




