魔王との会話
俺は、結が戻って来ていないか確認するため、一度屋敷へと帰ってきた。
屋敷の門をくぐり、中に入ろうとした時、ポケットにしまった携帯がメールの着信音を響かせた。
取り出して確認すると、送信者の欄には朱莉先輩の名前があった。
――結ちゃんは見つけたので、心配しないでください。
その一文に、胸を撫で下ろす。
結が無事で会ったこと……そして、今すぐ彼女と言葉を交わさずに済んだことに、俺は安心を覚えていた。
そんな自分の情けなさに、引きつった笑みが浮かぶ。
「こんなんじゃ、駄目だって分かってるんだけどな」
手早くお礼のメールを返し、俺は屋敷の中に入った。
廊下を進んで、居間へ移動すると、そこに遠季の姿を見つける。
ちょうどよかった……。
少しでも、意識を別の事に逸らしたかった。
「なあ、一つ聞きたいことがあるんだが」
「竜の、魂装者に、ついて?」
問いかける前に逆に訊ねられ面食らうが、すぐ、遠季であれば、と納得した。
こいつなら、少し離れた場所に現れた魂を感知していても、何ら不思議ではない。
そう思えるだけの力がある。
「そいつもだが、その前に俺に良く分からない絡み方をしてくる連中がいたんだが、それはどういうことだ?」
『共食い』様、とか気味の悪い呼び方をしてきた男達の姿が脳裏に浮かぶ。
依存に染まった瞳は、思い出すだけでも寒気を覚えた。
「あなたは……『黄泉軍』、あるいは『共食い』と呼ばれる存在は、それほど……影響力が、大きい、ということ……」
「そう言われても……紡の件で暴れはしたが、それだけでここまでの騒ぎになるものか?」
魂を食らい増大していく。
その力が異端であり、良くも悪くも目立つことは自覚している。
とはいえ、こんな急に俺を取り囲む環境に変化をもたらすものだろうか。
「忘れている。あなたは……第一次を、終息させた、実績がある」
「……ああ」
そのことは、すっかり頭から抜け落ちていた。
なにせ、当時のことは、まるで記憶にないのだ。
抑えの利かない魂が、暴れ狂っていたからだと思う。
俺の心や意思を魂の持つ力が上回り、塗りつぶし、本能のままに食い散らかしていた。
まあ、サワリと大差がない。
むしろ、よくぞこうして人間として正気を取り戻せたものだと、我がことながらのん気に思う。
それも二度……俺は魂の暴走から戻っている。
もし、また『共食い』の力が暴れ出せば、俺の意思という外殻は完全に砕け散り、今度こそ戻って来れないかもしれない。
……自分の魂に振り回されるなんて、滑稽な話だが。
感じる不安を、今は胸の奥に押し込めた。
「第一次飽和流出をどうにかしたから……なるほど、言われてみれば、納得できなくはないか……」
知らない所で、知らない連中が俺自身の事を好き勝手評価し、注目しているなんて、ぞっとしない話だ。
「……あなたに対して、抱かれる感情は、二種類」
「また、面倒そうな事を言い出すな」
話の流れからして、どうしたって俺にとっては面白い内容ではないだろう。
そんな俺の心境など知らぬ存ぜぬと、遠季は淡々と言葉を続けた。
「一つは、憧憬、信仰、依存。強大な存在に寄り添おうとする者は多い。それに、『共食い』は、結果として第一次で、多くの者を救ったという、義もある」
「飢えてただけだろ。肉をむさぼって褒められるなんて、ちょろいもんだな」
つい、皮肉っぽい言葉が出てしまう。
認められても、嬉しくなどないのだ。
お前の醜い魂は素晴らしい……そんな無茶苦茶な賞賛に喜ぶ馬鹿がどこにいる。
「そしてもう一つ……これこそ、一番、気を付けるべき」
白髪の隙間から、遠季が俺を見据える。
赤い瞳は澄み、俺の姿を映し出していた。
そこにいる俺は、まるで、血まみれになっているのかようだ。
「第一次大規模飽和流出において出現したサワリを収めた『共食い』とは、大規模飽和流出そのものだ」
「……はあ?」
告げられた言葉は、荒唐無稽としか表せないものだった。
大規模飽和流出とは、災害だ。
「つまり、俺個人を災害そのものだとでも?」
「あながち、間違いではないでしょう?」
遠季の口元に浮かぶのは、淡い笑みだ。
「規模が違うだろう。一つに纏めた以上、数の利は覆せない。あくまで力を振るうのは俺一人なんだから、大災害という規模の現象は起こせない」
「それは、自分を過小評価し過ぎ」
遠季は、俺の意見を真向から否定した。
まるで、お前のことは、お前以上に知っているとでも言いたげだ。
「あなたは、一人で軍勢。あなたなら、第一次くらいの、災害は……すぐにでも引き起こせる」
「お前こそ、嫌な過大評価だな」
こればかりは、はいそうですね、とは認められない。
あの災害は、俺から……そして、多くの人から、全てを奪っていった。
あんなものであるものか。
確かに食らった、貪った、自分のものとしたけれど……同一視されてたまるものか。
「万が一にも、俺にそれだけの力があったとして……けれど、絶対にそんな理不尽は行わない」
「……そう。あなたが、そう言うのなら、それでいいと思う」
あっさりと引き下がった遠季は、一体何を考えているのか……分かるわけもなかった。
こいつは、いつだって、何を言いたいのか、考えているのか、そして何をしたいのか分からない。
だから、分からないまま、気にしないことこそ、こいつと接する時にもっとも肝要なことだろう。
「……それで、あの竜の魂装者は、その俺を災害と見ている内の一人ってことか」
そこに関しては、説明をうけるまでもなかった。
あの時、あの女ははっきりと、俺に敵意を向けていた。
なぜなら、確実にあの時、あいつの攻撃は偶然や過失などではなく、はっきり害する意思をもって俺に振るわれたのだから。
とるにたらない魂から向けられた敵意など、まるで気にもならなかったし、無視していたが……。
こうして話を聞くと、あそこで対応していた方が、まだマシだったのかもしれないと思えてくる。
なにせ俺を危険視して、問答無用で攻撃してくるような手合いだ。このままおとなしくしているとは思えない。
あの場で、少し脅しておくべきだったか。
「……ん」
ふと、自分の思考が力ありきの乱暴なものになっていることに気付き、俺は表情を歪めた。
いけないな。これじゃああの凶暴女どもみたいじゃないか。
「ただの第一等級なんて、気にするだけ、無駄。それも……あれは『勇者』や、『人魚姫』にも、及ばない……脆弱」
「……」
同意しそうになる口を、きつく閉ざす。
別に俺は、誰かを卑下するために力を得たわけではないのだから。
「それでも、知って損ということはないだろう」
「……第一特務が、何のために、あるかは……覚えている?」
さほど考えるまでもなく、少し前の記憶がすぐに蘇る。
「そう簡単に忘れるわけがないだろう」
第一特務とは、いざという時に遠季真央を抹消するための部隊である。
強大な力を持つ故に買い殺せない化け物への安全装置だ。
「ちなみに……今や部隊の抹殺対象には、あなたも、入って、いる」
「……まあ、だろうな」
半ば予想していただけに、驚きは薄い。
部隊の特性を考えれば、遠季と同じ特第一等級である俺も、警戒対象であって然るべきだ。
「第一特務は、特第一等級への、カウンター……当然、求められるのは強大な力」
「……」
分かってしまう。
静かに語る遠季だが、その言葉の裏に隠れている、蔑視が。
近い場所まで上ってきたからこそ、彼女の見下ろす光景を、共有できてしまう。
『勇者』は強い。
攻撃、防御、ともに最高レベルで、白兵戦において極めて高位の力を発揮する。
『人魚姫』は強い。
願望成就というでたらめな能力は、あさゆる場面に適応し、一方的に有利な状況を作り出す。
『伊邪那美』は強い。
破壊に特化した魂は戦闘においては無比の効力を発揮するし、なによりも、その魂の肥大速度は異常だ。
だが……だが、しかし、だ。
少なくとも第一等級という枠の中にいる限り、俺や遠季には毛ほどの傷もつけられないだろう。
水の一滴では、大海の流れを乱すこともかなわない。
そんな小さな石榑を集めてどういようというのか。
遠季は……『魔王』は、無表情の裏側で嘲笑っている。
「けれど、第一等級でも、対特第一等級に用いるには、力が不足していると判断された者もいる……それらの受け皿が、第二特務」
「第二……」
「そう」
頷く遠季の目には、なんの興味もなかった。
第一特務に対しては、まだ、感情を抱いていた。
小さい者なりに足掻く姿を見降ろし嘲笑ってはいたものの、それは、その分目を剥けているということだ。
だが、第二特務……それに対し、遠季は微塵も揺れない。
足もとに這う虫など、気付きもしないように。
「第一魂装者、『翡翠の薔薇』……寄生木 妃」
「……そうか」
話は聞いた。
であれば、もうこれ以上、遠季と言葉を交わす理由はなかった。
「分かった」
短い言葉を残し、俺は居間を後にした。
話を聞けたことに、感謝はしている。
だが、それを伝える気にはなれない。
遠季真央と馴れ合うことを、俺はどこかで、心の底から、忌避していた。




