迷子の拾い主
基本的に、千華の一日の大半はトレーニングに費やされている。
体力増強、筋力向上、武術の習熟……より自らが持てる破壊の力を高めるために、彼女は日々を過ごしている。
とはいえ、二十四時間ずっと身体を動かし続けるのはいくら何でも不可能であり、効率も悪い。
どうしたって、空き時間というのは生まれてしまう。
趣味などがあれば、それに費やすこともできる。
しかし、千華にはそんなものはなかった。
破壊の魂を持つ彼女は、それ以外のことに興味がない。
結果、手持無沙汰になる。
そんな時間を、今日は散歩で潰していた。
目的地もなく、適当な道を選び、気ままに歩く。
普通なら動物の姿を探したり、植物から季節を感じ取ったり、あるいはすれ違った人との会話を楽しんだりするだろうが、千華にそんな感性はない。
ただひたすら、面白みもなく、時間が過ぎるのを歩きながら待っているだけだ。
七海あたりが知れば、何をしているんだと呆れ返る行為だろう。
狭い路地を抜け、また別の路地へと足を踏み入れる。
その時……飛び出してきた小さな影が、千華にぶつかって、地面に尻餅をついた。
「いたっ……!」
「ん?」
聞き覚えのある声に視線を下ろせば、涙目になった結がいた。
「……」
千華は、一瞬だけ言葉に迷った。
だが、選んだのは……無視、だった。
ぶつかってきたのは結だし、それで転んだ事に謝罪する義理もない。
どうして一人でここにいるのかは不明だが、それもやはり、聞く義理はない。
であれば、声をかける必要もない。
千華が結の横をすれ違い、歩き出すと……すぐに、後ろから服の裾を引っ張られた。
「……」
いかにも面倒くさそうな顔で千華が振り返れば、物言いたげな結の顔がある。
胸が、妙にざわついた。
千華は自分の胸を抑えると、辟易したように小さく首を振った。
「適当に座れる場所に行くわよ」
「……うん!」
千華の提案に、結の表情が一気に晴れた。
† † †
近くのフェミレスに入った千華は、メニューを見て何を頼もうかと胸躍らせている結を見て、軽く嘆息した。
「それで、なに?」
「……?」
千華の問い掛けに、メニューを手にしたまま、結が首を傾げた。
「何か用があるから私を引き留めたんでしょう?」
「あっ……」
はっとした結の様子から、肝心の内容を忘れていたのだと察し、千華が半眼になる。
「言っておくけど、私は子供とくだらない会話をするつもりはないわよ。大したことがないなら、さっさと切り上げるわ」
「あのね!」
本気で席を立とうとする千華に、結は慌てて大声を上げた。
ファミレス中の視線が集まるが、千華はまるで気にすることなく、席に座り直す。
「……」
無言で頬杖をつくのは、彼女なりの、話を聞くという意志表示だった。
本来であれば、そんなことはしない。
だが、今の彼女は、本来の破壊の魂ではないのだ。
そういう、甘さとも呼べる人間らしさを匂わせていた。
「……学校に、行けって言われたの」
「当然のことじゃない。なに、嫌なの? いじめ? それとも勉強が嫌い?」
「ううん」
首を横に振る結を見て、千華は眉間に皺を作る。
今自分が口にした理由以外で、学校へ通うことを拒む理由が思いつかなかった。
「それなら、何故?」
「……離れたら、置いて行かれ、そうだから」
「置いて……? 要領が得ないわね」
千華は、言いづらそうに口ごもる結に、視線で続きの言葉を促した。
「お兄ちゃんは、きっと私の事が嫌いだから。もしかしたら、どこかにいなくなっちゃうんじゃ……」
ここでのお兄ちゃんが朔を指す言葉であることを察し、千華は眉をさらに寄せた。
結の言っていることは、前提からしておかしい。
朔が結を置いていく理由がない。
それこそ、理由はわからないが、他人をわざわざ面倒見ようと引き取ったのだ。
犬猫ではあるまいし、たかが数日で飼うのをやめて捨ててしまおう、とはいかない。
人なんてもの、いらないのなら、最初から拾わない。
だが、そんな道理よりも、感情が先行しているのは、結の不安に満ちた声色からして明らかだった。
「……」
家族が短期間の間に死んだ、という事情も関係しているのだろうが、それでも千華にはいまいち、結がこんな聞き分けのないことを言い出すのが納得できなかった。
せめて、もう一つ根拠がなければ。
「……で、どうしてあいつが、あんたを嫌いって話になるわけ?」
要点はそこだろうと、千華はあたりをつけて問いかけた。
案の定というべきか、結は気まずそうに顔を伏せる。
「だって……」
たっぷりと時間を使って、結は重々しく言葉を紡ぎだす。
「頭を、撫でてくれないから」
「……あ?」
予想外の答えに、千華の思考が停止した。
「初めて会ったときは、優しくしてくれたのに……頭だって、撫でてくれたのに!」
「……」
なんだそれは、と。
千華は、言葉すら出なかった。
困惑と呆れが混じり合い、考えるのも馬鹿馬鹿しくなってくる。
端的に言えば……朔が構ってやらないから結は寂しがっているだけだ。
つまり、拗ねている。
学校に行きたくないというのは、そこから生まれた我儘なのだ。
「……付き合ってられないわ」
嘆息して、千華は携帯を取り出すと、電話帳に登録してある数少ない番号の中から一つを選び、通話ボタンを押した。
携帯を耳にあてた千華に、結が首を傾げる。
「言っておくけど、そういう人間らしい感情を私に尋ねるのは大間違いよ。覚えておきなさい」
言い放ちながら、千華は通話がつながった電話の向こうから聞こえる声に、気だるげに応えた。
「――迷子を見つけたわよ。さっさと来なさい、迷惑なのよ」




