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そして明日を壊す為、  作者: 新殿 翔
魂を明日へと結ぶ為、
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無垢な少女

 朝日が昇り始めた早い時間に布団を抜け出した俺は、鉄芯入りの木刀を片手に部屋を出て、まっすぐ庭に出た。


 ここ最近は毎朝、剣術の鍛錬を重ねていた。


 普段は無駄に広い自室でやっているのだが、恭は何となく、外の空気を吸いながらこなしたい気分だった。


 これまでも、鍛錬をさぼっていたわけではない。


 かといって、熱心だったわけでもない。


 あの人が教えてくれた、あの人の剣だから、力が落ちない程度に続けていたのだ。


 だが、今は違う。


 はっきりと、腕を磨き上げるという意志を持っている。


 それは、貪欲に力を求める自分の魂を自覚したから、という理由が一つある。


 もう一つ、あるいはこちらの方が大きな理由かもしれないが……あの事件の時、俺は確かに、あの人と言葉を交わした。


 夢とか妄想ではない。


 あの時、確かに、あの人はあそこにいたんだ。


 どうやって、とか、どうして、とか……そんなのは、あの人なら関係ない。そう思える。


 そういう、何でも可能だと思わせるすごい人なんだ。


 そう、すごい。


 すごいから……その力が、欲しくなってしまう。


 俺の魂は、恩人にすら飢えを抱くほどに、貪欲だった。


 食いたい。


 食って己のものとしたい。


 そんな衝動を抑えるために……自力で、あの人の域にたどり着きたかった。


 そうすれば、この飢えもきっと収まるから。


 庭の地面を踏みしめ、しっかりと自分の全身を巡る血を、魂を、現実と魂魄合わせて力を意識する。


 左手で緩く持ち、腰に当てた木刀の柄に右手を添えた。


 脳裏に仮想敵を思い描き、身を低く構える。


 相手の手にも、また刀が握られていた。


 抜刀、一閃、そこから刀を返して袈裟に振りおろし、足もとへと切り払い、敵がそこまですべて避けたと仮定し、続けざまの二連撃、刀と刀がぶつかり、込められた力にに押し負けた俺の刃ははじかれ上段に逸れる……ので刀をいっそ手放して、蹴りを放った。


 蹴りで相手をたじろかせると、落ちてきた刀を握り直し、斜めに切り上げる。


 仕留められなかったが、そこで俺は一歩大きく踏み込んで、刀身ではなく柄尻で相手の瞳を狙う。


 それでも相手は急所への一撃を手の甲で軽く払うようにいなし、視界を守った。


 ならばと大きく振り下ろし、一刀両断を狙う。


 渾身の一撃を受け止めた相手が、俺を真似るように蹴りで反撃してくるので、後ろに跳んで回避、だが相手の踏み込みの方が早く、すぐに距離を詰め直された。


 とっさに斬撃の軌道も考えずに刀を振るおうとするが、右肩を掴まれ、親指を関節の隙間に差し込まれると、腕が肘より高く持ち上がらなくなった。


 絶対的な隙に、俺の咽喉元へ刀があてられた。



「……」



 仮想の敵を消し、息を吐き出す。


 やっぱり、あの人にはまだまだ勝てそうにない。


 思い出の中にいるあの人より、一段階上を想定して、ここまであっさりやられるのだ。


 あの人なら実際には俺の想像なんて二段飛ばしで上回ってくるだろうから、とても満足はいかない。



「ふうん……」



 どこか感心したような声が、俺の耳に届く。


 視線を向けると、ジャージ姿の八束が立っていた。



「……珍しいな。いつもこの時間は、ランニングだろ」

「これから行こうと思っていた所よ。あんたこそトレーニングなんて珍しいじゃない」

「……別に、少し身体を動かしただけだ。もう朝食の準備を始める」



 嫌な予感がよぎり、俺はすぐさま屋敷の中に戻ろうとしたが、八束は口元を歪め、俺の進路を塞いだ。



「まあ待ちなさいよ」

「……」



 しまった、と隠そうともせず、嘆息して見せる。


 そんな俺の気持ちなど知らんと言わんばかりに、八束は庭の隅に立てかけてあった鉄製の棍を手に取り、俺に向き直った。


 破壊狂の暴力女を刺激してしまえばどうなるか、分かり切っている事だった。



「一人じゃ味気ないでしょう。叩きのめしてあげるわ」

「そこは練習に付き合うって言えよ」



 こうなってしまえば、逃げるのは諦めた方がよさそうだ。


 仕方ない。


 適度に付き合って、適当に切り上げよう。


 それに……。



「自分がやられることは想像していないのか?」



 あの人の剣だぞ、早々負けるわけにはいかない。



「口先ばかりだけじゃなく、行動で示しなさいよ」



 八束の持つ棍が空を切り裂き、張り詰めた雰囲気が辺りを満たしていく。



「言われるまでもない」



 刀を握り直すと、俺は即座に前に飛び出した。


† † †


 特注の鉄芯入り木刀がへし折れ、鉄の棍がひん曲がったところで、勝負は打ち切りとなった。


 互いに微妙に消化不良な感はあったが、これ以上続ければヒートアップしてしまうのは目に見えていた。特に八束が。


 なので、多少強引に鍛錬の終了を告げ、俺は朝食の用意に移った。


 まだ早朝と言える時間なので、さすがに結の眠りの中で、朝食は俺一人で用意することにした。


 後で文句を言われるかもしれないが、その時はなんとか誤魔化そう。



「……」

「……で、どうしてお前はそこにいるんだよ」



 台所の入り口に、八束がよりかかっていた。



「言っておくが、いつまでそこにいたって、さっきの続きはやらないぞ」



 武器は壊れたし……それでも体術などを使い続けられないわけじゃないが、そこまでいったら確実に八束は熱くなって魂装をとりだす。間違いない。賭けてもいい。



「別に……少し、気になっただけよ」

「なにが?」

「……」



 なぜか八束は口を閉ざし、どことなく気まずそうに視線を逸らした。



「あんた、ちゃんとあの子と向き合ってる?」

「……ぇ?」



 思わぬ指摘が、思わぬ人物から飛んできて、一瞬呼吸を忘れた。


 告げられた内容な、身に覚えがあり過ぎて……けれど、よりにもよって八束に気付かれるなんて、夢にも思っていなかった。


 これでも、上手く隠せていたつもりなのに。



「お前……どうして……」

「知らないわよ」



 吐き捨てるような、乱暴な言葉に、俺は眉をひそめた。



「知らないって……お前が言った事だろう」

「そうだけど、知らないわよ!」



 苛立ちを隠そうともしない怒鳴り声を残し、八束は身を翻し、台所を去った。


 残された俺は、釈然としない気持ちで、呆然と立ち尽くす。



「なんだ、あいつ……情緒不安定かよ」



 毒を吐くものの、自分でも分かる暗い、気の抜けた声をしていた。


 それくらい、あいつの言葉は俺にとって、衝撃的だった。


 間宮結と向き合っているか、だって?


 ……ああ、そうだよ。


 自分でも分かるくらい……俺は、あの子から逃げてるさ。


 だって、そうだろう。


 守れる力があったはずなのに、守れなかった。


 そんな相手に平然としていられるほど、俺は図太くないんだ。


† † †


 また……まただ、と。


 千華は廊下で、壁に額を擦りつけるように寄りかかりながら、奥歯を噛み締めた。



「また……」



 戦火朔が間宮結と向き合ているかどうかなど、八束千華に分かる訳がない。


 そんな人間らしい機微は、破壊の魂に存在しない。



「……六花」



 胸を抑え、絞り出す様な声色で、名前を読んだ。



「千華、お姉ちゃん?」

「っ……!」



 声をかけられ、千華が弾かれる様に顔を上げる。


 二階から、結が下りて来ていた。


 彼女は眠たげな目を擦りながら、千華を見て、首を傾げる。



「どうか、したの? なんだか、苦しそう……」

「別に」



 一回りも離れた少女の言葉に、千華は本心を隠し、鋭い視線を向ける。


 少し威嚇してやれば、すぐにどこかへ行くだろう。


 そんな考えがあった。


 だが、結は千華の思い通りには動かなかった。



「お兄ちゃん、言ってたよ。辛い時じゃ、我慢しちゃいけないって」



 結の手が、千華の服の裾を掴んだ。


 彼女が今、口にした『兄』が朔のことでないのは、なんとなく窺えた。


 結にとって、実の兄を思い出す事は、決して楽しい思いではないはずだった。


 だというのに、千華の為に、その言葉を引き出したのは、間違いなく少女なりの優しさだった。



「……生意気を言ってるんじゃないわよ」



 突き放す様な言葉だったが、千華の口元には、微苦笑が浮かんでいた。


 千華の魂は破壊の形だ。


 邪魔するもの、気に食わないものは、全てを破壊し尽くさずにはいられない。


 だが……。



「調子に乗ってると、ブッ飛ばすわよ」



 自分を気遣う無邪気な心を壊そうとは、思わなかった。


 それは果たして、なぜなのか。


 あるいは……それこそが天道紡の――あるいは八束六花のもたらした、破壊の魂の弱体化なのかもしれなかった。


 千華の手が、少し乱暴に、結の髪を撫で乱す。



「えへへー」



 結は、千華の手の動きに合わせ首をぐるぐると回しながら、嬉しそうに笑っていた。


次話からはしばらく9時に投稿しようかと思います。


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