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そして明日を壊す為、  作者: 新殿 翔
魂を明日へと結ぶ為、
38/79

迷う少女

 扶桑朱莉の部屋は、他人の立ち入りを厳しく禁じている。


 その理由は、部屋の内装を見れば一目瞭然だった。


 元はほかの部屋と同様に和風の部屋だったものをフローリングに張替えて置いたベッドは可愛らしいほのかなピンク色で統一され、抱き枕替わりの巨大な熊のぬいぐるみが鎮座していた。


 窓にかかる白いカーテンは外からそれだけ見るなら特別なにも思わない平凡なものだが、内側には桜色のハートがたっぷりと刺繍されており、部屋の雰囲気をことさらに甘く演出していた。


 衣装棚や照明カバーなども、白かピンクの系統で統一されており、まさにファンシーという単語がぴったりと当てはまる。


 ベッドサイドに置かれたチェストの上にはさまざまな動物をデフォルメしたぬいぐるみとともに、洒落た形の写真立てが並び、そのほとんどには朱莉と真央を飾りたてていた。


 部屋の中央に大きな花を模したラグとガラス製のローテーブルが配置され、その上ではラベンダーのアロマが黒猫を模したポッドで焚かれていた。


 どこまでも、少女趣味な内装だった。


 朱莉は、それを必死にひた隠しにしているのだ。


 普段、彼女がとる態度には、三つのパターンがある。


 彼女自身の大人らしさを取り繕う大多数に向けるものか、真央の前でのみ見せる彼女への尊敬と信愛を前面に置いたもの……そして、彼女の包み隠さない、年相応に無邪気で未熟さの残る彼女が本来持つものだ。


 今の朱莉は言うまでもなく、自分の聖域で、本来の姿をさらけ出していた。


 そんな無防備さを他人にさらすことを、彼女は良しとしない。


 『勇者』という魂を選んだ彼女に求められるべきは、どこにでもいるような少女らしさではないと彼女は考えているから。


 故に、『勇者』の仮面を脱いだ、ただ一人の少女、扶桑朱莉の悩みを知る者も、彼女自身以外にはありえない。


 彼女の手には、一つの写真立てがあった。


 場所は、第一特務の隊舎前で、写っているのは隊長の真央を中心に、よりそう紡と啓、撮影当時は入隊したばかりで、ちょうど今の千華のように毎日仏頂面だった七海、そして朱莉の五人だった。


 そのうち二名は、もうこの場所にはいない。



「……守れなかった」



 テーブルに突っ伏して、朱莉はか細い声でこぼした。



「どうして、私は……何もできなかったんだろう」



 人々を守る『勇者』だからこそ、悔やまずにはいられない。


 残酷な現実は、誰よりも朱莉の魂を、深く傷つける。


 ましてや、年齢的にも、彼女は他の第一特務の面々と比べて未発達なところがあるのだ。


 人一倍小さな身体に、近しいものを二人も失うという現実は重過ぎる。


 それでも他人に泣き言をこぼせないのが、『勇者』としての呪縛だった。



「啓さん……紡さん……」



 朱莉の目尻に煌めく滴が浮かび……。


 勢いよく、部屋のドアが開かれた。



「へ?」


† † †


 第一特務の隊舎前で立ち止まり、俺は隣に立つ小さな姿を見下ろす。



「ここ……?」



 不安と怯え、後ろ向きな感情をいっぱいに湛えた瞳が、こちらを見上げていた。


 小さな手が俺の服の裾を、きつく握りしめている。


 ……本当なら、手でも繋いでやるのが一番なんだろうけれど。


 今の俺に、そうする勇気はなかった。


 俺なんかが……どうして、そんな考えが動きを阻む。



「ああ、そうだ。ここが今日から、お前の暮らす場所だ」

「……お、大きいん、だね……お家賃とか、大丈夫?」



 思わぬ言葉に、少しだけ、思考に隙間が生まれた。


 すぐに笑顔を作って、首を横に振った。



「ここは家賃を払わなくても大丈夫なんだよ。お前は、余計なことは気にしないでいいんだ」



 言って、俺は隊舎の中に向かって歩き出した。


 少し慌てて彼女がついてくるので、小さな歩幅に合わせ、歩調を緩める。


 彼女が不安を感じているように、俺の胸にも、不安は芽生えていた。


 本当にこの選択は正しかったのか?


 俺に、あの人のように、誰かの面倒を見るなんてことができるだろうか?


 俺なんかに、傷ついた心を少しでも癒すことができるだろうか?


 ……考えても、答えなんてでない。


 ただ、そうしたいと、少なくとも願ってはいるんだ。


† † †


 まず最初に、俺は居間へと顔をだした。


 遠季には話を通してあるし、もしかしたら挨拶の為に全員集まっているかもしれない、なんて考えもあったのだが、居たのは遠季と紫峰だけだった。


 相変わらず、まとまりのない連中だな、と呆れるのも束の間、意外さを覚える。


 隊の責任者である遠季はともかく、朱莉先輩じゃなく紫峰がいるっていうのは意外だ。



「あん?」



 紫峰がこちらを見て、訝しげに眉を寄せた。


 正確には、俺の隣に立つ姿を見て、だな。



「……結?」

「七海お姉ちゃん!」



 お互いを見つめ、目を丸くしながら、呼び合う二人に俺も驚きを隠せなかった。


 知り合いなのか?


 と問いかける前に、俺の隣にいた女の子――間宮結が紫峰へと駆け寄った。



「おいおい、どうして結がここにいるんだよ」



 結の頭を撫でながら、紫峰が俺に視線を飛ばしてくる。



「……まさか誘拐か? てめぇそういう趣味かよ」



 紫峰が俺から結を隠すように抱きしめた。


 張本人である結は、きょとんとした顔をしている。



「何勘違いしてるんだよ……。俺が子供を引き取るって、遠季から聞いて……ちょっと待て」



 まさかとは思うが。



「おい遠季。ちゃんと話は全員にと置いてあるんだよな? 隊長の自分が伝えておく、とか言ってたよな?」

「……」



 遠季は俺の言葉が聞こえていないかのように、ちゃぶ台に置いてあるせんべいをとって、黙々と食べていた。


 その様子だけで、遠季が伝達を忘れていたことがはっきりとわかった。


 思わず、頭を抱えたくなる。


 どうりで……ここに紫峰がいたのも、ただの偶然だったってわけだ。



「戦火、てめぇ一人で納得してないで、説明しろよ」

「……分かってるよ」



 仕方ない。全員に挨拶ついでに事情を伝えることにするか。


† † †


 結の両親が第三次大規模飽和流出の際に亡くなっており、先日の事件で唯一の肉親だった兄まで亡くしてしまったという話を聞かせると、紫峰は複雑な表情で「そうか」とうなずくと、また結の頭を撫でていた。


 結も結で、嫌な思い出が蘇ったのか、悲しげな顔を伏せてしまった。


 本人がいないところで説明すべきだった、と自分の間抜けさに嫌気を覚えた。


 どうやら紫峰は度々、結と遊んでいたらしい。


 どういう事情だったのかは教えてくれなかったが……俺も、どうして結を引き取ったのかは話せなかったのだし、お互い様だった。


 以外だったのは八束のことで、どうやらあいつも結を知っているらしい。


 顔を合わせた、程度らしいが、それでもいったいどんな接点があったのか、素直に気になる。


 が、今はそれを脇に置いて、部隊員と結の顔合わせを済ませなくてはならない。


 ちなみに紫峰にはしっかりなついていた結だが、遠季には一歩として自分から近づこうとはしなかった。


 遠季から僅かにショックを受けたような気配を感じ取ったが、おそらく気のせいだろう。


 というわけえで俺は次に、八束のもとに顔を出していた。


 八束の部屋は俺の部屋のすぐ隣で、ここに来て初めて、そのドアをノックした。



『……誰?』



 愛想のない、他人を拒絶するような声色がドア越しに届く。


 俺の服の裾を掴んでいた結の手が、小さく震えたのを感じた。


 ……あいつと合わせて大丈夫だろうか?


 まったくの初対面じゃないとはいえ、あいつって、明らかに子供に悪影響だろ。


 破壊の魂だぞ、破壊狂だ。殺す殺す普段から言っているようなやつに会わせてもいいものか……。


 とはいえ、同じ場所に住んでいる以上、顔を合わせないで生活はできないだろう。


 仕方ない。


 ……そもそも俺だって、ろくなものじゃないしな。



「俺だ。少し話しておかなくちゃならないことがある」

『あ、そう』



 ……ん?


 なんだ、今の返事は。


 入っていいってことなのか?


 待ってもそれ以上続きはなさそうで、俺は戸惑いつつむ、部屋のドアを開けた。



「邪魔するぞ……あ?」



 ドアを開けた瞬間、俺の目が捉えたのは、肌色だった。


 そう、肌色だ。肌の色だ。



「……」



 思わず、凍り付いたかのように立ち尽くしてしまう。



「……は?」



 あちらも、俺に気付いて、硬直していた。


 八束は、着替えの途中だったようで、ちょうど下着を変えていたところだったらしい。


 黒いブラジャーの肩紐を通そうとしているところだった。



「……」



 時が止まったかのような静寂が流れる。


 この感覚には覚えがあった。


 前に浴場で鉢合わせした時とまったく同じだ。


 違うといえば、あの時は後から不用心に入ってきたのが八束だったが、今は侵入者側が俺であるという点だろうか。


 微妙に着衣状態というのも、まあ、違いといえば違いか。


 ……シンプルながら、黒とは……なんというか……。


 思わず男として仕方のない思考が回転しはじめると同時、八束の頬に朱が差した。


 羞恥か、怒りか……いや、どっちもだろうな。あいつの場合、怒りの方が割合高そうだ。


 なんて、呑気なことを考えている場合ではなかった。


 この状況で、八束がどんな行動をとるか、俺はよく知っているのだから。



「で、出て、いけぇええええええええ!」



 瞬時に展開された四枚の翼から大鎌、大剣、戦斧、突撃槍が引き抜かれ、そのまま俺へと投擲された。



「全部かよ!」



 一本一本が破壊の権能で満たされた武器、その威力は冗談では済まされない。



「くそっ……!」



 ただ防ぐだけなら、正直そう難しいことではない。


 自覚した俺の魂の内には、八束の攻撃へ対処するための力がいくつか眠っている。


 しかし、ただ俺自身に攻撃があたらなければいい、という状況ではない。


 隣を見れば、状況が理解できていないのか、呆然としている結の姿がある。


 彼女に万が一にでも、破壊の刃が触れることがあってはならない。


 俺は自分よりもまず、先に結の安全を確保した。


 俺の中にある力の中から、金色の守護領域……かつて『聖域』と呼ばれた魂装者の力の一端を結にかぶせる。


 例え一かけらとはいえ、それでも尚、その防御力は俺の中にある魂の中でも隔絶したものだった。


 結はもう大丈夫だと判断し、俺は自分に迫る四つの破壊に目を剥けた。



「この、暴力女が……!」



 俺も、自分の魂がどういうものであるか自覚し、ただ漫然と過ごしていたわけじゃない。


 果たして自分に何ができるのか、この魂をどう扱えばいいのか、模索してきたんだ。


 それでもまだ扱いきれているとは、口が裂け出ても言えないが……この状況くらいは切り抜けてやる。


 というか、着替えを覗いただけでどうこうなってたまるか。



「ふ――っ!」



 小さく息を吐いて、力を行使する。


 取り出した魂は、磁力、念動力の二つだ。


 四つの武器の間に強力な磁力が生まれ、空中でくっつき、念動力により静止する。


 そのまま、ゆっくりと床に下ろした。


 かと思えば、突撃槍が真紅の光を放ちながら加速を始め、俺の念動力を引きちぎるように迫ってきた。



「ちょ……、ふざけんな!」



 思いもしなかった追撃に、氷結の力を取り出し、叩きつける。


 真紅の光を放っていた突撃槍は巨大な氷塊に包まれ、今度こそ沈黙した。



「お前、どこまでふざけてんだよ!」

「ふざけてるのはどっちよ!」



 思わず叫んだ俺に、怒声が叩き返された。


 八束はいつの間にか手にしたシャツを胸元に抱き寄せ、身体を隠していた。


 が、ほとんど隠せていない。



「この変態! 変質者! 覗き魔が! 死ね! 殺す!」

「お前が返事したから部屋に入ったんだろうが! 着替え中ならそう言え! っていうかドアに鍵くらいかけとけ馬鹿!」

「返事? はあ? 誰がいつ開けていいって言ったのよ!」

「そりゃ言ってねぇけどさあ……! あの状況だったら入っていいのかと思うだろ、普通!」

「どこの世界での普通よ! そこは部屋の主が開けるまで待つところでしょうが! っていうか、いつまで見てるのよ!」



 血錆の翼から、無数の杭が放たれ、俺へ飛んでくる。



「うるせぇ、誰が見たくて見るか!」



 勢いよくドアを閉めると、いくつもの杭が向こう側から突き刺さり、半ばまで貫通してきた。


 串刺しになったドアを見つめ、深いため息をこぼす。



「……こいつは後回しでいい」



 頭を掻きながら、俺は横に視線を滑らせた。



「悪かったな、結。怖かっ、た、ろ……あれ?」



 そこに、結の姿はなかった。



「あれ?」



 周囲を見回すが、二階の廊下に彼女の小さな姿はない。


 少しだけ、焦りが生まれた。


 家の中だし、大事にはならないだろう。


 そうは思うものの、今日引き取ったばかりの小さな女の子が相手だ。


 どうしたって不安になってしまう。


 幸い、『聖域』の力をかぶせたままだ。集中すれば、自分の力がどのあたりから感じるかは分かる。


 感覚を頼りに、近くにあったドアの向こうに彼女がいるのが分かった。


 軽く胸をなでおろす。


 俺と八束のやり取りに驚いて、とにかく隠れようと思ったのだろう。


 悪いことをしたな……謝らないと。


 そう思いながら、俺は深く考えないまま、ドアに手をかけ、開けた。



「――……え?」


† † †


 扶桑朱莉は困惑していた。


 いきなり部屋に入ってきたのは、まだ幼い女の子だった。


 彼女はすっかりおびえ切った様子で、部屋に飛び込んでくるなり、隅っこに移動し、朱莉の様子を窺っていた。


 自分の聖域を害されているわけだが、相手が見知らぬ女の子というのは救いだった。


 これが互いに知った部隊の仲間であれば、冷静ではいられなかっただろう。



「あの……あなたは、一体……」



 朱莉が問いかけようとした時、部屋のドアが再び開いた。



「――……え?」



 ドアの向こうから顔を出したのは、戦火朔、その人であった。


 朱莉の頭が、真っ白になる。


 対して朔も、部屋の中を見て、呆然としていた。


 朱莉の姿を見止め、この部屋が彼女のものであると思い至ってからは、その様子は唖然と言っても差支えないものへ変化する。


 朔の反応に、朱莉の顔がみるみる赤く染まっていく。


 感情の高ぶりが、魂を振るわせた。


 朱莉の手の内に膨大な魂が集まり、白銀の剣を生成する



「で、出ていけぇえええ!」

「またこのパターンか!?」



 投げつけられた『勇者』の剣に朔が目を剥き、結は気の毒なくらい怯えきった様子で、涙目になりながら肩を縮めていた。


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