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そして明日を壊す為、  作者: 新殿 翔
魂を明日へと結ぶ為、
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冥府の女王

 瓦礫に埋もれながら、千華は自分の無力を嘆く。


 唯一、己が持つ破壊衝動すらも他者に押し潰され、全身から力が抜けていく。


 どれほどの距離を吹き飛ばされたか分からなかったが、それでもなお地面を伝わり、化物達の闘争の余波が感じ取れた。


 『共食い』『聖域』『御供夜叉』……自分では届かぬ者達を思い浮かべ、千華は拳を握りしめ……すぐに解いた。



「なにしてるんだろ……私……」



 姉を失い、唯一、破壊の魂のみを抱きかかえ、ここまで来た。


 その道が、崩れ落ちて行くようだった。


 積み重ねてきた死骸の道は、過酷な現実によって否定される。


 ならば……自分には何が残っているのか。


 千華は、か弱い笑みを浮かべた。


 自分の中から大切なものがこぼれ出し、からっぽになっていく感覚があった。


 それは、十年前、姉を失い、心が微塵に粉砕された時に、少しだけ似ている。



「……六花」



 姉の名を口にしたのは、本当に久しぶりの事だった。


 途端、ぞわりと肌の上を虫が這うような、気持ちのわるさに襲われた。


 吐き気に、軽くえずく。



「なに……?」



 思い浮かべる、姉の姿……その声、温もり、そういったものが、千華の心を掻き毟った。



「なんで……?」



 愛する姉だった。


 当然だ。血肉を分けた、双子なのだから。


 だというのに……どうして、その存在に対し、こんな拒絶反応のようなものが出るのか、千華自身理解できない。


 否。


 したくなかった。


 どうして自分は、死者を蘇らせたいという想いを、頑なに拒絶するのか。


 紡の言葉を、千華は心のどこかでは認めていた


 どんな姿でも愛する人に傍にいてほしい。傍にいたい。


 当然の欲求だと思う。


 その為に他の何であろうとも犠牲にして構わないと、その覚悟を決めた紡を、千華は認めていた。


 姉を蘇らせたくはないか。


 問われた時、確実に心は揺れたのだ。


 だが――それら一つたりとて、千華には受け入れがたい事実だった。


 死者の蘇生は、彼女にとっての禁忌だから。



「……ああ」



 自分でも目を逸らしていた事実に、思い至る。 


 自分に残されたものが、もう、後戻りを出来なくさせていた。


 破壊の魂……自らも醜いと認める、害悪そのもの。


 千華は、汚濁にまみれながら、殺意を振るう道を選んでしまった。


 その現在が、過去を遠ざける。


 極々、単純な話だ。


 ――どこかで聞いた、ある物語が脳裏をよぎる。


 死して、愛する夫と別たれ死の国へと落ちた女がいた。


 彼女の身体は腐り、蛆が湧いて、とても醜くこの世のものからはかけ離れてしまった。


 だが、そんな暗い地の底に、愛する夫がやって来て、一緒に地上に戻ろうと誘う。


 喜びに震える女だが、夫は女の醜い姿を見た途端に、今までの愛情など捨てたように逃げ出した。


 怒り狂い、女は、夫を殺す為、その後を追う。


 そんな、どうしようもない、ある神の話。



「……ああ」



 理解した。


 だから自分は、姉の黄泉返りを、望まなかったのだと。


 死者である姉が、この話における女――ではない、


 醜く腐り果てたのは、千華だ。


 もはや昔とは違う。


 姉と一緒に居た頃と、今の彼女は、違い過ぎるのだ。


 醜い害悪、殺す頃しか知らない腐敗した魂……そんなものを抱えて、どんな顔で姉に遭えと言うのか。


 そう……姉が蘇れば、自分は姉と向き合わなくてはならない。



「嫌だ……」



 見られたくない。


 絶対に見られたくない。


 それだけは、絶対に耐えられない。


 押しつぶされるような息苦しさに、千華は喘ぐ。



「来ないで……絶対に」



 千華は、姉を拒絶する。 


 そうしなければ、それこそ、どうにか殺意という鎖で雁字搦めにすることで保たせていた心が壊れてしまいそうだった。


 そうしなければ、きっと姉は自分のことを恐れ、背を向けるから。


 そうして、愛する者に否定されたら……きっと……。


 きっと……。


 きっと……。



「ぁ……」



 不意に、瓦礫の天蓋が開いた。


 見えたのは、知った顔だ。



「おいおい、テメェ、いつまでそんなとこで寝てるんだよ」



 七海……それに、朱莉もいた。



「紡さんにやられっぱなしでいいんですか?」



 問いかけに、千華は微かな苦笑をこぼす。



「……どうにかしたいなら、自分達がすれば? 私は……もう、動く気がしないわ……」



 脱力感と無力感に、千華は瞼を落とした。



「おいおい、待て待て待て……なんだ、そりゃ」



 呆れ返った様子で、七海が鋭い眼差しを千華に向けた。



「お前……それでいいのかよ? なぁ、おい」

「……」



 無言を貫く千華に、七海が舌打ちをする。



「んだよ……折れたのか?」

「……」

「はぁ……」



 七海が乱暴に自分の髪を掻く。



「ああ、そうかよ」



 七海の右腕から茨が這えて、細長い槍の形状をとる。


 その先端を、千華の喉元へと突きつけた。



「うぜぇ……期待外れだぜ、千華。テメェはもう少しやれるやつだと思ったが……ああ、畜生が。裏切られた気分だ」

「勝手なことを……」



 千華は、あと数センチで自分の命を奪うであろう茨の槍を前にしても、眉一つ動かさない。


 それが、余計に七海を苛立たせる結果となる。



「ちょっと、七海さん」

「うるせぇ朱莉、止めんな」



 たしなめるような朱莉の言葉に耳を貸さず、七海は冷ややかに千華を見下ろした。



「見てらんねえよ、お前。アタシは割と、馬鹿みてぇに噛みついてくるテメェが嫌いじゃなかったぞ?」

「あ、そ……」

「……」



 七海が茨の槍を握りしめ、手のひらに深く棘が刺さり、血が噴き出した。



「死ぬか、テメェ」

「好きにすれば?」



 本気で言っていた。


 千華は、今なら、素直に終わりを受け入れられる気がした。


 このまま終わってしまえば、ここではないどこかへと消えられるのだから。


 きっとそうすれば、なにも悩むことなどないのだと、希望すら抱く。


 ……本当にそうか?


 心の中で、黒い感情が囁いた。



「っ……」



 希望? なんだそれは、そんなものがこの世に、あの世にだって、存在するとでも?


 そんな甘い考えを抱けるほど、生やさしい道を歩んできたのか、お前は。


 自分の中で蠢く殺意が、嘲り笑うよいうに告げる。


 知っているだろう?


 この世界は、どこまでいっても残酷で、希望など一つも与えてはくれないと。


 絶望の声が告げる通りだった。


 ただ奪われ、傷付けられるばかりだったのだ。


 なのに、どこかに行けば救われるなど、そんな道理があるだろうか?


 そもそも、死んだら、どこに行くと言うのか。


 決まっている。


 死者の魂は例外なく、魂魄界へと還る。


 魂の浄化という機能が壊れた、欠陥の世界へと。


 ざわり、と胸の奥でなにかがざわついた。


 魂魄界には死者の魂の残骸が残っている。


 紡が啓の魂を呼び戻したように――魂魄界には、姉の魂も、残っているのではないか。


 そう思い至ってしまえば、もう駄目だった。


 怖くてたまらない。


 黄泉返りを祈れない。


 会いたくないから。


 しかし、千華が死ねば……結局、あちら側で再会してしまう。


 会いたくないのに。



「あ、ぁ……」



 かちかち、と歯がぶつかって音を立てた。


 極寒の地に裸で放り出されたかのように、震えが止まらくなる。


 全身の熱という熱が失われ、血が凍りつき、心臓の鼓動は止まり、どれだけ息を吸っても苦しさは拭えない。



「ほんと、見てらんねぇよ」



 そんな千華の姿を、七海はどう捉えたのか……。


 嘆息し、茨の槍を軽く持ち上げ、勢いを載せて迷いなく刺突を放った。



「折れた魂を引きずって生きていくのは、辛いだろう。お前ほど強い魂を持っているならなおさら、それは重荷になる……せめてもの慈悲だ」

「…………」

「終わらせてやるよ」



 迫る茨の槍に、千華の目が見開かれる。


 心臓が、大きく鼓動を刻んだ。


 全身を巡る血が、毒に変わり、激痛を生む。


 魂と肉体が、黒い感情に焼かれた。



「ぁ……ッ」



 気付けば、千華は槍の穂先を、掌で受け止めていた。


 槍の穂先が手を貫通するが、そのお陰で喉が貫かれる事は無かった。


 貫かれた手で、千華が槍を握りしめる。



「――私を、殺すな。殺すぞ」



 地の底から響くような声で告げた千華の前身を、力が巡った。


 七海の口元が引きつり、朱莉の顔が青ざめる。



「それでいいんだよ……とか、言ってる暇ねぇな」

「な、七海さん!」



 即座に朱莉が全力で魂装を展開し、七海を抱え込むようにして盾を構えた。


 直後、魂の赤黒い輝きが、空を穿った。


 瓦礫は蒸発し、その下から千華がゆっくりと身体を起こす。


 背中に、四枚の地錆の翼が形成された。


 そこに込められた力は、これまでの比ではない。



「……」



 僅かに息を吐き出した千華の目が、近くに転がっている七海と朱莉の姿を捉えた。


 二人は全身から死を流し、身動きする気配はない。


 微かに上下する胸が、かろうじて生きていることを主張していた。


 が、千華はそんな二人にはまるで関心を示さず、明後日の方向に視線を飛ばした。


 その先に、二体の化物と、自分に絶望を知らしめた女がいるのを感じた。



「期待、以上の……成長……」



 いつの間にか、千華の傍に、真央が佇んでいた。


 千華から放たれる威圧を前にしても平然とした態度を崩さない。



「私が、認める……第一等級『伊耶那美』。冥府の女王……そう、名乗るといい」



 魂装者の頂点ともいえる、特第一等級から与えられた忌み名を……千華は、昏い瞳で受け止めた。



「――上から目線?」



 ほんの些細な苛立ち。


 それだけで、千華の魂装は殺意を実現させるために動いた。


 血錆の翼が軋みながら蠢き、紅蓮の雷を纏いながら巨大なブレードとなって上下左右から真央へと叩きこまれる。



「まだ、まだ」



 右と上からの攻撃を右腕をかざして受け止め、左からの攻撃は左手で掴み、下からの攻撃は右足で踏むように抑える。


 舞い散る赤い電火も、真央の身体を傷付けるには及ばない。



「……ふん」



 翼を引き戻し、千華は真央から視線を逸らした。



「すぐに殺せるようになってあげる」

「それなりの期待をして、待っている」



 白髪の隙間から覗く『魔王』の口元に、笑みが浮かんだ。



「余裕がウザいのよ」



 吐き捨て……千華の姿が消えた。


 真央が視線を上げれば、そこには点のように小さくなった千華の姿がある。


 彼女は翼を羽ばたかせ、血色の流星となって魂魄の空を翔けた。


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