共食い
千華の前に現れたのは、他でもない、天道紡その人だった。
この状況を生み出した張本人が、悠然と地下へと歩み寄って来る。
「止まれ」
鋭い声を放ち、千華は戦斧を紡へ向けた。
「答えなさい。あなた、なにをしているの?」
「聞くまでもない事でしょう?」
朗らかな笑みは崩れない。
未だ、空から降り注ぐ澱の勢いは収まらず、もはや廃棄区域は現実界にありながら、魂魄界に限りなく近い魂の濃度で染め上げられていた。
「こんな事をして……どうなるか分かっているんでしょうね」
「それは、世界のバランスや、環境への悪影響といった話でしょうか? それとも……私の身柄に関する事ですか?」
「そんなの、決まってる」
千華が、僅かに手に力を込める。
直後、翼から衝撃波が放たれ、反動で彼女の身体が紡へと肉薄した。
「後者よ。腕一本は、まあいいでしょう?」
死ななければいいか、と千華は遠慮なしに戦斧を振り下ろした。
右の肩口に叩き込まれる一撃を、紡は……なんの抵抗もなしに受け止めた。
魂と魂がぶつかり、千華の戦斧が弾き返される、
「な……!?」
想像もしなかった結果に、千華が目を剥いた。
今や破壊の力は、第一等級においてすら最高の域にある。
だというのに、紡がそれ以上の硬度を保っているなど思ってもいなかった。
「お優しいのですね、腕を狙うなんて」
肩口を軽く払う紡は、余裕そのものだった。
そこで、千華は僅かに漏れだす紡の内に秘められた力を感じ取る。
圧倒的な、魂の質量がそこには在った。
「なによ、それ……」
「『御供夜叉』は魂の澱を手繰り寄せる……これだけ溢れかえっているのです。むしろ、この程度は当然ですよ」
「はっ……言うじゃない。あんた、意外と自信家だったわけ?」
鼻で笑いながら、千華は今度こそ一切の手加減なく、戦斧を紡の胸元へと突きこんだ。
しかし、帰って来るのは固い感触だけで、紡の服にすら傷をつけることは叶わない。
服ですら、圧倒的な魂の質量で強化が施されていた。
世界のバランスや周囲の環境など気にせず、好き放題に力を振るう『御供夜叉』の強大さに、千華の頬を一筋の汗が伝い落ちる。
「でも……」
「あら?」
それがどうした、と千華は笑い、さらなる力を戦斧へと込めた。
ガラスにひびでも入るような音がして、紡が微かに驚きの表情を浮かべた。
「これは……」
ふわり、と紡が腕を振るうと、魂の暴風が吹き荒れ、千華を吹き飛ばした。
大きく舞い上がった千華は、ビルの壁面に戦斧を突き立て、柄の上に立って紡を見下ろした。
紡の胸元が、僅かに裂けている。
「驚きました……まさか、あなたの破壊がここまでとは」
「大した事はないわね」
悠然といい話、千華は魂装に力を注ぎ、先程消費した大鎌を再生させると、抜き放った。
ただそれだけの動作で鎌鼬が発生して、ビルの壁面や地面を傷付ける。
「さあ、さっさと終わらせましょうか。なまじ硬いから、手加減は上手く出来そうにないわ……覚悟しなさい」
大鎌の刃が高速で回転し、甲高い擦過音を立てる。
「いいんですか?」
「なにが? 命乞いにしては、ちょっと意味不明だけど?」
「あなたも、お姉様に会いたくはありませんか?」
「――……」
告げられた内容に、千華の思考が不意に真っ白になった。
「……何を」
姉のことを紡が知っているのは不思議ではない。
少し調べれば分かる事だ。
だが、千華が理解できないのは……どうしてここで姉の話が出るのか、という事だった。
……いや、理解できていないわけではない。
ただ、そんなふざけたことを言う訳がない、と認めたくないだけだった。
「お兄様の魂の残滓を集める傍ら、あなたのお姉様の残滓も、集めて差し上げます」
柔らかな笑顔で告げられた内容に、千華は思考より先に、肉体を動かしていた。
一瞬のうちに彼我の距離を詰め、大鎌を横なぎに振るう。
もう真っ向から受け止めるつもりはないのか、紡は後ろに跳躍して、攻撃を回避した。
魂による後押しは単純な強度だけでなく、身体能力にまで及んでいた。
ふわり、と身軽な動きで着地し、紡は言葉を続ける。
「黄泉返って欲しくはないのですか?」
「ふざけるな!」
激昂した千華の攻撃は自然と大振りなものになり、紡は軽々と回避し続けた。
「死者は蘇らない……、戯言は聞きたくないのよ!」
「そうでしょうか?」
微笑み、紡は外套の懐から、何かを取り出した。
小さな黒い玉石が、彼女の手のひらの上に乗せられる。
それを見た瞬間、千華は動きを止めた。
恐怖が、彼女を押し込めたのだ。
紡本人など、比較にはならない。
恐ろしい規模の魂が、その玉石からは感じ取れた。
しかも、紡が力に変えているような、魂の澱とは違う。
サワリが倒される事で還元される無色の魂……その集合体だった。
魂の澱と違い、無色だからこそ、無限の可能性を秘めている。
それが恐ろしかった。
「なにを、するつもりなの……?」
「それは――」
紡の答えを遮るように……魂の殻を破り十年ぶりに生まれた黄泉竈食いの獣の咆哮が空を震わせた。
† † †
力を求めるとはどういうことか。
何よりも強くありたいとはどういうことか。
その結果が、ソレだった。
溢れだしたのは、空から降り注ぐ歪な虹色の輝きを放つ魂の澱とも、サワリの消滅後に還元される無色の魂とも異なる、異色の魂だ。
漆黒……ソレの血肉と化した魂が、苦悶の呻き声を上げながら、輪郭を形成していく。
膨れ上がる存在感は、瞬く間に空間を支配する。
魂魄界から流れ込んでくる澱の勢いが、まるでなにかが詰まったかのように、急に停滞する。
現実界側に生まれた強大な存在が、虹色の空に穿たれた孔を圧迫しているのだ。
『共食い』あるいは誰かが呼んだ『黄泉軍』という存在は、はっきりとした形を手に入れる。
地面を鋭い爪の生えた四本の脚で踏みしめ、薄く開いた口は裂けるようで刃のような牙がぞろりと並んでいた。
全身は、ゆらゆらと揺れる闇そのものにも思える霧で覆われている。
長い尾はだらりと垂れ、地面にとぐろをまいていた。
瞳はなく、まるで影が立体を得て起き上がったかのようにも思える。
「――……」
声はない。
だが、その姿を見た瞬間に伝わるのは、飢餓の気配だ。
力を求めている。
だから、ソレ――『共食い』は目の前の四本腕の巨人へと飛びあかっていた。
体躯の差は目に見えて明らかで、巨人と比べれば、『共食い』は中型犬に届くか届かないか、といったところだ。
しかし、それが力の差に直結するわけではない。
事実、巨人はまるで逃げるかのように一歩後ろに下がり、四本の腕を身体の前で交差させ、防御姿勢をとった。
理不尽をまき散らすだけの存在が、自らの保身に走る。
それほどまでに、違うのだ。
第一等級『共食い』は。
不意に、飛びかかった『共食い』の姿が消える。
と同時に、巨人の腕が四本とも、根元から消滅した。
気付けば『共食い』は巨人の背後にいて、口にくわえた四本の腕を、ぐちゃぐちゃと噛み砕き、嚥下した。
魂は、無色に還元されることなく、獣の胃で溶かされ、爪牙の一部と化す。
しかし、その程度で『共食い』は止まらない。
力を求めているからこそ、全てを喰らい散らかすまで止まらないのだ。
『共食い』の体躯に異変が起こる。
四足の獣出会ったはずが、全身を蠢かせながら、後ろの二本脚で立ち、前傾姿勢をとる。
前足が急激に膨れ上がり、左右それぞれ二又に別れたかと思うと、それぞれが足元まで届くほどの長大な剛腕へと形を変える。
それはまるで、先程まで巨人の身体に付属していた部位のようだった。
さらに、背中からは右が蝙蝠、左が鳥類の翼が生えて、大きく広げられる。
長い尾であったものは、尾羽へと変わり、首から上も獣だったものが、今度は人に近くなり、角が二本伸びた。
変わらないのは、裂けるような口腔だけだ。
非対称の翼が羽ばたき、『共食い』は空高くへと舞い上がった。
かと思えば、翼を畳んで、弾丸のように巨人へと急降下する。
勢いのまま、腕を二本、まるでかき分けるかのような動作で、巨人の胸の真ん中へと突き入れ、背中まで貫通させる。
背中側でしっかりと爪を立てると、残り二本の腕が巨人の首を掴んだ。
そのまま、なんの躊躇いもなく、巨人の首が引き抜かれる。
千切れた首から上は、すぐに『共食い』が噛み砕いた。
さらに胸に突き入れた二本の腕をそれぞれ左右に広げ、残った巨躯も縦に引き裂いた。
無残な様を晒す遺骸を、左右順番に、『共食い』が性質の悪い悪夢のように丸のみにしていく。
そして、巨人を喰らった分だけ、『共食い』の存在感は増した。
力が欲しい。
理不尽を踏み躙る理不尽でありたい。
そう願った魂が具現化した姿こそ『共食い』だ。
その力は、サワリを喰らえば喰らうほどに、際限なく上昇していく。
十年前に喰らい内に秘めていた魂だけでも、その総量は優に先程まで相対していた巨人十数体分にも及ぶ。
それでも、まだ足りない。
満たされることなどないのだ。
自分が死ぬか、全ての理不尽を喰らいつくすまで、『共食い』の飢餓は収まらないから。
翼を広げ、『共食い』は天空を舞う。
まだ甘い魂の薫りが漂っていた。
力を、餌を求めて、『共食い』が飛翔した。
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