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そして明日を壊す為、  作者: 新殿 翔
魂を明日へと結ぶ為、
26/79

彼女が見た魂の原風景

 それは、歪な葛藤だった。


 なぜ、殺せないのか。


 己の殺意に何が不足しているのかが分からない。


 ずっと昔に復讐を誓い、理不尽な現実に牙を剥く悪意を常に胸に抱いていた。


 十年もの間、破壊のみを追求し、魂を研ぎ澄ませてきたのだ。


 だというのに、殺せない。壊せない。届かない。


 もっと高みを目指したいのに羽ばたけない。


 まるで、薄い硝子で閉じ込められているかのようだった。


 あちら側は、苛烈で美しい魂が跋扈する明るい場所で、こちら側にはドス黒い感情が渦巻く暗闇がどこまでも続いている。


 はたと、気付く。


 自分はこのガラスを破って、向こう側に行きたいのか、と。


 違う。


 明るい日の下を歩くことなど、十年前に忘れたはずだった。


 大切なものは全て奪われてしまったから、止める存在などなく、肥溜めのような穢れた深みへ身を沈め、汚濁を垂れ流しにしながら自分の悪意に恭順することを決めたのだ。


 ならば、明るい方を見てどうなる。


 そちらで踊る美しい魂などを目指しても、意味などない。


 己は、明るさから目を逸らし、どこまでも続く暗闇に向かって歩きだし、後戻りなど出来ない場所まで至るべきなのだと理解する。


 雛が卵の殻を破って外気に触れるように……破壊が産声を上げた。


 ――黄泉比良の命、千を殺めも分かず――


 破壊の魂が、その真価を発揮し始める。


† † †


 苛烈な戦いがそこかしこで繰り広げられる廃棄区域を、強烈な殺意が疾走していた。


 金属の擦れ合う嫌な音と、軋みをあげさせながら血錆の翼が羽ばたくと、その度に無造作な破壊の突風が周囲に巻き散らかされ、廃ビルや道路を砕いていく。


 そんなことは一顧だにしないまま、八束千華は目前を飛翔する口が集まって出来たような肉塊を追う。


 四枚の翼から尖端に鉤爪のついたワイヤーが射出され、肉塊へと絡みつく。


 モーターのような音を立てながらワイヤーが巻きとられ、一気に千華とサワリの距離が狭まった。


 サワリは無数にある口を同時に大きく広げると、加速の方向を反転させ、その中でもひときわ大きな顎で千華を噛み砕かんと迫った。


 千華は避けない。


 大の大人でも三、四人は丸飲みに出来そうな巨大な口が千華を内側に収め、閉じる。


 次の瞬間、内側から振るわれた大鎌によって歯が砕かれ、歯茎は衝撃で破裂するように飛び散った。


 飛び出した千華は、身体を捻るようにして、大鎌をブーメランのように投擲した。


 高速回転する刃が、軽々とサワリの体表を大きく抉る。


 そのままあらぬ方向へと飛んでいき、いくつもの建物を倒壊させていった。


 『人魚姫』や『勇者』ですら傷付けるのにてこずった第一等級のサワリを相手に、既に千華の攻撃は十分以上の効果を発揮していた。


 それほどまでに、彼女の魂が成長する速度は速い。


 水を吸えば吸うほど成長する植物があるとすれば、まさにそれこそ千華だ。


 強大な敵を前に、殺意や敵意、憎悪といった悪感情を水に、鮮血華は咲き誇る。


 とはいえ相手も第一等級のサワリ、つけられた傷は瞬く間に再生していき、砕かれた口に関しては既に元通りになっていた。


 それでも怯むことなく、千華は翼から赤熱した大剣を引き抜くと、肉塊へ深く突き立てた。


 直後、体内で膨大な熱が解放され、サワリのいたるところから炎が間欠泉のように吹き出す。


 抉るように大剣を引き抜き、何の迷いも無く柄を離した千華は、次いで戦斧を取り出すと、サワリに力づくで振り下ろした。


 まるでボールを打ち据えたかのように、サワリが地面に叩きつけられ、僅かにバウンドする。


 そのまま、周りの建物を巻き込みながら、地面を転がった。


 数百メートル転がった先で停止したサワリの上に千華が着地すると、肉塊から太い管が伸び、その先端に大きな口が形成された、

 口管は無数に生えて、千華へと襲いかかる。


 だが、血錆の翼から放たれたワイヤーがそれらを束ね、翼の先端で足元に縫い止めた。


 その様は、まるで抵抗できない獲物に取りついた蜘蛛が、蟷螂のようだ。



「死ね」



 戦斧がサワリに叩きつけられ、衝撃で肉が弾け飛び、巨体の表面は波紋が広がるようにたわんだ。


 一度だけでなく、何度も、繰り返し、戦斧は振るわれた。


 肉が潰れ、飛び散り、形を失っていく。


 一方的で残虐な行為を、千華は……笑って行っていた。


 これこそが己の本懐である、と満足げに、破壊の力を行使する。


 もっと壊す。殺す。もがけ苦しめ抵抗してみせろ、それすら踏みにじってやる。


 常人とはかけ離れた狂気は潤いを覚えることなく、貪欲に、徹底的に、破壊を振りまく。


 気付けばもう、サワリなどそこにはいなかった、


 完全に、消滅した。



「……はっ」



 戦斧を取り落し、乾いた笑みがこぼれる。



「はっ、はは……は、はははっ、あははははははっ!」



 哄笑が、空高く響き渡った。



「なんだ……壊すことなんて、こんなにも簡単なのに」



 破壊の魂が成長していくのを自身でも感じ、千華は嗤う。


 なんだこれは、と。


 あまりにも、呆気なかった。


 殺そうと想ったら殺せた、それだけのこと。


 今となっては『人魚姫』にも『勇者』にも、負けるつもりなど微塵もなかった。


 力を手に入れて、酔っている……だけではない。


 確かに破壊の権能において、既に千華は比類のない域に至っていた。


 そして、これでも尚、破壊に伸び白があることを、感じていた。



「ああ……」



 笑いながら、千華は片手で顔を覆う。



「最高で、最低の気分」



 全てを破壊できることに、満ち足りていた。


 だからこそ……そんな己の醜悪さに、失笑する。


 悲劇の童話に憧れた?


 全てを救う勇者になりたい?


 なんと健気で美しい魂か、と思う。


 少なくとも自分と比べれば、宝石の如き輝きに違いないと自嘲する。


 破壊の魂なのだ、下種だと分かっていた。


 何かを害さなければ満たされない存在など、どうかしている。


 自覚すればするほど……破壊の魂はさらに増大する。


 堕ちるほどに、害悪の魂は育まれた。


 そのことに、千華は後悔など微塵も感じていない。


 むしろ、どうして今までこういう風にできなかったのかと、口惜しく感じていた。


 もっと早く堕ちて、駆け昇ることができれば、より多くの破壊を生むことができたというのにと。


 同時に、感謝する。


 今までの自分では、少しも足りていなかったと自覚させてくれた七海や朱莉に……こんな格好の餌を与えてくれた紡に。



「――遠季さんが、あなたをこの部隊に入れたことに、今、本心から納得しました。これがあなたの魂……震えるほどに醜く、凶悪なのですね」



 場違いな、穏やかな声が聞こえた。


† † †


 耳元を風が勢いよく通り過ぎていく。


 重力に引かれ、俺は空から地に真っ直ぐ落ちていた。


 全身を襲う痛みに視界が点滅し、意識を手放してしまいそうになる。


 だが、そうすれば、待つのは死のみだ。


 いくら常人よりも強固な肉体を持つとはいえ、今俺がいるのは周囲の建物と比較するに五十メートル弱……こんな高さから落ちてはひとたまりもない。



「こ、の……っ」



 朦朧としながら、俺は手のひらを眼下へ向けた。


 自分に生み出せるだけの炎を生み出し、放出する。


 その勢いで、どうにか落下速度は緩まったが、危機は去らない。



「あの、野郎……」



 俺の炎など、ぬるま湯につかるようなものだとでも言うように、四本腕の巨人が堂々と紅蓮の中心に立った。


 降り注ぐ灼熱を意にも介さず、巨人が俺の事を見上げ、四本の腕を構える。


 どうすればいい?


 逡巡するが……答えなど出なかった。


 その前に俺は巨人の拳が届く位置まで落ちてしまい、真横から大質量の一撃が打ち付けた。


 真横に吹き飛び、近くのビルの窓を突き破ってフロアを転がり、勢いのまま反対側の壁を突き破って道路に落ちる。


 全身の骨が砕けたかのような衝撃の中、口からはどす黒い血液の塊がこぼれた。


 俺が貫通したビルを、巨人は紙で出来たジオラマを潰すような気軽さで押し倒し、俺の前へ巨躯を現す。



「とことん、しつこいな……とどめを刺すまでは逃がさないつもりか……」



 ふらつく身体でどうにか立ち上がり、炎の塊を巨人に放つ。


 防ぐ素振りすらなく、炎は巨人の胸板にぶつかり、四散した。



「あー……ちく、しょう」



 無駄と半ば分かっていたが、実際に自分の無力を目の当たりにすると、絶望感は段違いだった。



「こんなん、どうすりゃ――」



 俺の言葉を遮るように、巨人が無造作に俺を蹴り飛ばした。


 もはや、それがどんな威力だったかなど、語るまでもない。


 俺の身体はいくつものビルを貫通し、ついに市街地と廃棄区域の境界手前まで迫った。


 フェンス越しに、人気の薄いゴーストタウンが広がっている。



「ま、ず……」


 こんな状況のせいで、今自分がどこにいるかなんて、微塵も考えていなかった。


 あの巨人が市街地に出たら、どうなるか……考えるまでも無く、恐ろしい結果が待っているのは明白だった。


 俺は壊れかけの身体に鞭を打って、すぐさま立ち上がると、脚を引きずる様にしながら急いで境界を離れようとする。


 だが、それを悠長に待ってくれる相手ではなかった。


 建物を押し壊しながら、巨人が俺に追いついてきた。


 最悪だ。


 必死に、打開策を探す。


 せめて市街地に向かわせない様にしなくては。


 こんな俺でも、一般人を巻き込むわけにはいかないという思いは持っていた。


 ――脳裏を、十年前の惨劇がよぎる。



「っ……あんな目に遭う人間は、もう、これ以上いらないだろう……!」



 絞り出すような声で叫び、俺は魂を奮い立たせた。


 ここで止める。


 絶対に進ませない。


 自分の無力なら、十年前のあの時に十分すぎる程に嘆いた 


 残酷な現実に抵抗したくても、なにもなくて、蹂躙するばかりで……強く求めたじゃないか。


 だからこそ、手に入れた力のはずだ。


 この炎は。


 ――あれ?


 ふと、違和感が思考の合間に挟まった。


 俺の魂は、あの時、求めた。


 砕けた心を埋める様に、強大な力が欲しかった。


 理不尽を踏みにじる理不尽を望んだ。


 なのに、どうして……『この炎』なんだ?


 あの時、俺から全てを奪ったサワリを思わせる業火の魂装……どうして、こんなものを得たんだ?


 だって、おかしいじゃないか。


 俺自身の、魂の具現だぞ?


 『この炎』を超えるものを、選んだんじゃなかったのか?


 ……もっと……別の形では……なかったのか?


 そんな戸惑いが、全てを手遅れにさせた。


 巨人の剛腕が、俺を殴り飛ばす。


 俺の身体はフェンスを突き破り、民家を砕く。


 そして……巨人は、越えてはならない一線を、越えてしまう。


 大きな一歩が、住宅地へと侵入した。



「来る、な……」



 瓦礫に埋もれながら、俺は震える声を発する。


 身体が動かない。


 魂の具現である炎が生まれない。


 なんだ……どうして、こんな時に、俺はなにも出来ないんだ。


 俺は、十年前と、何も変わっていないのか?


 黒い感情が、胸の奥で蠢いた。 


 巨人は住宅地を見回すと、四本の腕を地面に深々と突き立てた。


 そのまま、めくるようにして、いくつかの建物ごと地面を抉り取り空へとほうり上げる。


 瓦礫の雨が、住宅地に降り注ぐ。


 俺には、それを阻止する事などできなかった。


 落ちてきた建物に、建物が押しつぶされる。


 巨大な瓦礫が道路を砕き、ガス管が破裂したのか、爆炎が巻き起こった。


 一瞬のうちに、静寂に包まれていた街が、災禍に包み込まれた。



「あ……」



 思い出す。


 そうだ。


 十年前も、こんな光景が広がっていたんだ……。


 視界が真っ赤に染まるようだった。


 全身を流れる血が溶岩に変わったかのように熱くて、呼吸がまともにできなくなる。


 何かが、魂の奥からこみ上げてくる感覚があった。



「なん、だ……」



 得体のしれない感覚が、恐ろしくてたまらない。


 そんな俺に、巨人が迫って来た。


 はたと、気づく。


 瓦礫の雨ですっかり様変わりしてしまったが……周りの風景に、見覚えがあった。


 ここは……そうだ……。


 紡を探している途中で見つけた女の子を、家まで送り届けた時に……。



「っ!?」



 息が詰まった。


 視界の端に、映してしまう。


 古びたアパートが、巨大な瓦礫に潰され、半壊している光景を。


 炎が、徐々に残骸すらも包んでいくところを。


 そして……そんなアパートの前で、呆然とへたり込んでいる、小さな影を。


 その目の前に、根元からちぎれた、誰かの腕が転がっているのを。



「……」



 心臓の鼓動が、耳の裏から聞こえて来るようだった。


 どういう、ことだ?


 否、分かっている。


 こんな状況で……逃げないわけがない。


 あの女の子は、誰と暮らしていた?


 兄と言っていた。


 とても、慕っている様子だった。


 姿を見ていたわけではないが、女の子を叱る兄の声は、親愛に満ちていた。


 だから……きっと兄は、妹を連れて、逃げようとしていた筈だ。


 その結末が……今、俺の視線の先にあるものだった。


 女の子の頬を、涙が伝うのが見えた。


 小さな唇が、お兄ちゃん、と紡ぐのが見えた。



「――……ぁ」



 その姿が、いつかの自分自身と、重なる。


 ――どうして家族が殺されなくてはならなかったのか。


 ――なぜこんな化け物がいるのか。


 そうだ。


 呪った。


 俺は……あの忌々しい炎を呪ったんだ。


 ――お前のような力があれば、この残酷な現実に立ち向かうことができたのか。


 ――どうして自分ではなく、お前にその理不尽の力が与えられているんだ。


 胸に降り積もった灰の山が崩れ、その下に隠れていた物が露わになる。


 種火、などではない。


 潜んでいたのは、より……禍々しいもの。


 ――強く、深く、願う。


 ――切なる狂気の祈り。


 ――許さない。絶対に許さない。


 炎なんて、ほんの、たった一部でしかなかった。


 ただの薄皮でしかない。


 ――お前のせいだ。


 ――お前と言う理不尽のせいだ。


 ――だったら僕だって……。


 俺が……僕が……あの時、望んだ力は……魂の形は……。


 十年前に魂に入った日々から、何かが吹きだす。


 俺の内に秘められていた、真実が流出する。


 不意に思い浮かんだのは、あの人の言葉だった。


 ――てっ想をか誰るいに傍今、もりよう想を者死――


 ああ……あなたは、気づいていたのか?


 俺の魂がどういうものなのか。 


 だから、そんな事を、言ったのか?


 だとしたら、残酷だ。


 残酷だよ。


 だって、俺の魂が求めたのは、より大きな力、理不尽を踏み躙る理不尽……力への、飢え。


 サワリが死者の魂から剥がれ落ちた澱から生み出された存在だとするのならば……。


 俺の魂は……サワリという理不尽が持つ力に羨望にも近い渇望を抱いた俺は……。


 次の瞬間、内から溢れだす何かに押し流されるように、俺の意識は途絶えた。


† † †


「ああ……」



 瓦礫の玉座に腰を下ろし、全てを見守っていた真央が、にこやかに笑う。


 白髪の隙間から覗く血色の瞳が、楽しげに細められた。



「私は、祝福する」



 十年前から、恋焦がれていた。


 鮮烈な魂。


 他者を寄せ付けぬ飢餓の獣。


 死者を束ねる異形の化身。



「――第一等級サワリ『共食い』――」



 いつか、どこかに生まれた、真に第一等級を冠するに相応しいサワリにして……あるいは……。



「――特第一等級魂装者『黄泉軍』――」



 十年前、その存在を知ってから、ずっと決めていた忌み名で彼を呼べることに、真央の心は歓喜に満たされた。



「もどかしい、ああ、もどかしい……。『魔獣』などという気がかりさえなければ、今すぐにでもあなたのもとに駆け付けるのに」



 高鳴る鼓動を刻む胸に両手を当てて、真央は熱っぽい声をこぼす。



「今は、まだ……あなたを魅せて……我が魂の原風景」



 咆哮が、魂の空を震わせた。



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