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結局売れなかったバンドマン(29)は異世界で成り上がりの夢を見る  作者: 有柏くらゐ
第二部-3.イツノミヤ市:お尋ね者吟遊詩人と異世界の都市編
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小鳥の夢、その行方-8

「へ?……ど、どうしたんです?藪から棒に」

 歯切れの悪い、彼の返事。


「いえね。別に、そんな大したことじゃないんだけどね。……好きな英雄の歌を、作ってほしくなっちゃって」

 あからさまに困惑の色を滲ませた返答に、予め用意していた応えを明るい声で紡ぎ出した。言い訳じみてしまってはいないだろうか、と少しだけ不安になる。

「へえ、あなたにもそういうのいるんですねえ」

「……まあね。あんまり知られていない人で」

 だから、歌とかなくて。と続けると、彼は薄布の向こうで「へえ」と相槌を打った。


「どういう人なんですか?」

「そうね……、一言で言えば、強い人よ。力ももちろんだけど、なにより心が強くて、優しい。大昔に勇者と共に旅をしたっていう人」

「ああ、勇者パーティのメンバーですか」

「……ええ。イツノミヤの生まれだって言われているわ」

「なるほど、地元の英雄か~。それは、好きになりますよね」

 うんうん、と大げさに彼が頷いているのが、見なくてもわかった。

 その英雄が好きなのは、決してそのためだけではない。しかし、「ええ」と肯定しておいた。

「彼が、歴史の中で埋もれて、消えてしまってほしくないの。もちろん、報酬の半分は先に払うから」


 理由は半分嘘である。そうではない。彼に、こんな話をもちかけたのは。

 自分でも、なぜそこまで、と思ってしまうような、単純で、幼稚な理由なのだ。

「え?手付けですか?いいですよそんな」

「何言ってるの、出させてちょうだい。あなた、歌で食べてるんでしょ?ならもらうのは、当たり前だわ」

「いやあ、まあそうなんですけど」

 彼は逡巡しているようだった。報酬を受け取ってしまえば、「できませんでした」では済まされないと悩んでいるのかもしれない。しかし、それは自身の能力への疑念では決してないのだろう。短い間ではあったがそのくらいはわかる。彼ならば、可能な依頼に違いないのだ。

 しかし彼は悩んでいる。

 困らせてしまっている。

 

 それが、申し訳なくて、少しだけ心地よかった。



* * * * *



 もちろん、顔が好みだというのは大きな要因に違いない。

 単純に好きなのだ。黒髪で顎のすっきりとした丸顔、切れ長の黒い瞳。彫りは浅く、鼻は主張しすぎず。

 ひとつひとつのパーツは地味かもしれないが、配置はバランスの良い、そんな顔が理想だった。いつだったかそんな話をして、同僚たちには勇者物語の読みすぎだと笑われたことがある。

 確かに、それは所謂『勇者顔』なのだ。勇者の容貌を書き記されたものを読むと、大抵そんな風に記載されるのが常といえる。実際にそんな顔をした人間など、お目にかかったことがなかった。そもそも黒髪黒目というのが珍しい。

 なにせ昔から魔法研究が盛んなイツノミヤ市である。黒はおろか、それに近い色味を有した人間を目にすることがまず非常に少ない。

 黒い髪、黒い目の人間なんて、一生出会うことはないと思っていた。


 あの日、彼がドアを開けるまでは。


『こんばんは。流しのものですが、ちょっと今お時間大丈夫ですか?』

『あ、あら……可愛いわねえ。ワタシ、……あなたみたいな子タイプよ~』

『ええ……?いや、そういうのではなくてですね』

『あら、違うの?まあでも良かったらまたここに顔出してねん』


 いたのか、と思った。

 そして、そんな風に答えるしかなかった自分を恨んだ。


 あのときに、もっと、いやもう少しだけでも。と思わないではない。

 しかし、仮にもっと可愛げのある対応ができたとして、現状が変わったとは考えにくい。むしろ、客と嬢でもなく、教師と生徒でもない、対等な友人に近しい今の関係は想像しうる中でも最上に近い状態と言えるだろう。


「サクラさん?準備、できましたか?」

「あ、ああ。……ごめんなさい。もうちょっとだけ、待ってちょうだい。もうすぐ終わるから」


 目の周りの彩りは終わった。衣装も着替えているし、髪の毛も整っている。

 残りは唇に紅をさすだけだ。


「ゆっくりで大丈夫ですよ。最近、新しいバイトが入ったので。俺はそろそろお払い箱です」

「……あら、そうなの。そしたら、近い内にそのバイトくんにご挨拶に伺わなくっちゃね」

「挨拶だなんて、そんな。近い内にお店に連れていきますよ」

「ふふ。またウィリホのボトルが減っちゃうわね」


 紅筆を持つ手が震える。やはり、だ。彼は、そろそろどこかへ行ってしまうのではないか、という勘が当たってしまったかもしれない。


「はは、確かに!……あ、そうだ。サクラさんがお好きなお酒ってあります?」

「好きなお酒~?急にどうしたの?」

「いえね。次に飲みに行ったときにそれで乾杯してもらおうかなって思って」

「やった!楽しみ!……でも夜の女にそんなの言って大丈夫?一番高い酒って言われるかもしれないわよ」

「あー、そうかもなあ。言われてみれば。……でもそれでもいいと思ってるから、サクラさんなら」


 彼は笑いながらそう言った。堪らず振り返ったその先には、自分で置いた衝立しかなかったが、そこに映る彼の影を目にしたら、何故だろうか。少しだけ、目頭にじんわりときた。


 きっと、違うのだろう。

 「女」に言うのと、違うのだろう。


「あっ、でも、サクラさんはそういうことしないって思ってるからってのもあるからね!」

「ふ、ふふふ……するわけ、ないでしょ!そんなかっこ悪い真似!アタシは好きな酒しか飲まないわ」

「だっ、だよねー!」

「でも死ぬほど飲むわよ」

「えっ?」

「飲むわよ」

「えー」

「飲むわよ。死ぬほど」


「ほどほどにしてよ!」と彼が薄布の向こうで笑い混じりに叫んだ。良かった、ちゃんと冗談交じりの会話に聞こえている。


 影しか見えなかった。でも、それでよかった。

 いつまでも、とは言わない。

 まだ、彼がそばに、ここにいてくれるなら……。


「アタシがいっとう好きなのは、ピーヴォよ!ボトルなんかないから覚悟なさい!」

「え、まじで!俺もピーヴォ、めっちゃ好き!よしわかった。一緒に……樽を空けようか」

「……あら、いいわね。後悔するわよ」


 化粧の最後に、目の周りを直して、衝立を開けた。


 どうしてあなたの顔が好きなのか、それはまたいつか、酒の席で話してあげようか。

お読みいただきありがとうございました。

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