60話/その頃のリダ村(仮)-3
15歳の誕生日の朝、パンとスープにおかずが2品もついた、いつもよりも豪華な食事を摂りながら、ライジアナは両親に自身の夢を打ち明けた。彼らは、初めこそ驚いていたものの、娘を応援すると言ってくれた。彼女がその家の末子、6番目に生まれた次女であったことも幸いしたのだろう。言ってしまえば、将来はどこかの農家の次男、三男にでも嫁ぐ他ない身だったのだから。
午後一番に行われた村を挙げてのささやかな成人祝いが終わるや否や、彼女は教会をひとりで切り盛りする、年老いた神父の元を訪ねた。そうして、ライジアナはその日から、アイドラ村教会の見習いとなったのだった。小さな農村に初めて教会の教えがやって来てから、5年が経とうとしていた。
* * * * *
「思えば、あのときアスク先生たちが村に来てくださったおかげで、ぼくの人生は変わったのでしょうね。」
「いいえ、それは神の思し召しですよ。」
「ええ、その通りです。」
茶のカップに口を付けながら、ライジアナは相槌を打つ。ふと、その視線が窓の向こう、未だてっぺんへとは達していない太陽、つまり光の神へと向けられた。彼女の髪とほぼ同じ、薄茶色の瞳が、睨み付けるように細められる。
「毎日、毎日、おじいちゃん神父様から教えを受け、教会の教義や歴史を学びました。そりゃ、失敗したり、叱られたり、キツイことはいっぱいあったけど、信仰がぼくを支えてくれました。特に、日々世界のために全てを捧げて祈り続けてくださる聖女様は憧れでした。」
カップをテーブルにそっと置き、彼女はアスクを真っ直ぐに見つめる。
「……でも、神様や聖女様、勇者様に仕え、信徒を守ってくれるはずの教会は、ぼくらの祈りを裏切りました。アイドラ村を、ぼくの故郷を、家族を、……切って捨てたんです。」
* * * * *
17歳になったライジアナは、州都にある神学校の受験申し込みをするべく、歩いて1日ほどの少し栄えた町にやって来ていた。アイドラ村には郵便などほとんど届かないし、村人たちも滅多なことでは手紙を書かないために、差し出し窓口などという気の利いたものは存在しなかったのだ。村の教会で神父と共に何度も推敲し、書き直された申込書は紐で巻かれ、小さな背負い鞄に大事に仕舞われていた。
この2年間、彼女は熱心に勉強し、教会の見習いとして尽くした。結果、教会の教えや歴史に始まり、読み書き、計算、教会運営についての知識……、師と仰いだ老人神父が持てる全ての情報をスポンジのように吸収し、もう一人前と言っても過言ではなかった。しかし、彼女はまだ若い。もっと多くのことを知り、広い世界を見てくることは必ず将来の糧になるだろう。そう、年老いた神父は考え、彼女に神学校へ入学することを勧めた。「紹介状をしたためるつもりだが、彼女ならば間違いなく実力のみでも入学試験をパスするだろう。」そう言って彼女の家族も説得した。
ライジアナ自身に、もちろん否やはなかったが、学費のことだけが心配だった。教会の運営する神学校の学費は安いとはいえ、アイドラ村はほとんど貨幣を持たない、ほとんど自給自足で生活している土地だ。神学校1年分の学費が、実家で手にする現金収入の約5年分という有様である。
ライジアナはなんとか自力で学費を貯めようと思っていた。僻地であるがゆえに、薬草や鉱石といった採集資源は豊富だ。教会の仕事の合間にそれらを集め、たまにやって来る行商人に売れば、少しは金になるだろう。それに神父が言うには、州都には豊富に仕事があり、学生でも『あるばいと』とかいう方法で稼ぐことができるらしい。その考えを話すと、父母は笑った。ライジアナがその真意を測りかねていると、父はどこかから巾着袋を取り出し、それを彼女の前に置いた。それは、じゃりじゃりと金属が擦れ合う音を立てた。
「……家からが半分と、あとはみんなが出してくれた金だ。お前が立派な先生になって帰って来るなら安いもんだってのが村の総意だ。」
「ど、どうやって……!?」
「みんなで色々身の回りのものを売ったんだが、……情けないことに学費分がギリギリだった。生活費の方は、本当にすまないが『あるばいと』とやらをしてほしい。」
「父さん……。」
学費を父から受け取った後、ライジアナは、村人たちひとりひとりに頭を下げて回った。その際少しだけ突っ込んで尋ねてみたら、どうやら、村を襲う獣を撃退するために集会所に用意してあった古い装備を半分ほど売り払ったらしかった。それを聞いて慌てるライジアナに、村人たちは笑った。彼らによると、獣が村を襲い、装備が必要になったことなどほとんど無いらしい。確かにライジアナの記憶でも、そんな事態に陥ったことは1度もなかった。それに加えて、こう言われた。
「こうやって毎日毎日お祈りしてるんだ。きっともしものときには神様や勇者様が守ってくれるさ。」
「そうです。勇者様が、そして教会が必ず助けてくれるはずです。」
尊敬する神父もそう付け足すので、ライジアナはやっと、少し落ち着くことができた。
そして今日が、その記念すべき第一歩。受験申し込み書を携え、日が昇る少し前にアイドラ村を出発した。家族も、神父も、そして村人たちも皆、手を振って送り出してくれた。自分の成長と帰還を楽しみにしてくれている彼らをがっかりさせるわけにはいかない。
ライジアナは、決意も新たに、生まれて初めてアイドラ村の外へと足を踏み出した。
お読みいただきありがとうございます。




