59話/その頃のリダ村-2
「まさかこんなに早く貴女にお会いするとは思いませんでしたよ。遠いところ大変でしたでしょう」
アスクは、目の前の女をリビング、もとい応接室に案内して椅子を勧めた。
「わたしもです。アスク神父。お会いできて光栄です。お変わりはございませんか?」
「ええ、ご覧の通り、相変わらず田舎でのんびりと暮らしておりますよ」
当たり障りの会話をしながら、椅子に腰掛けた彼女を尻目に、茶でも用意しようとキッチンへ立つ。丁度今年の野草茶の走りが出来たところだったので、それを淹れよう。少し癖の強いこの村独自の味が、初夏の気候によく合って爽やかな一品だ。
「それは何よりです。……変わらず、彼も戻って来てはいないようですね」
「さあ。何のことでしょう?」
茶葉をポットに振り入れながら、アスクはそう嘯いてみせる。挨拶代わりの会話の割に、彼女の言葉はやけに攻撃的だ。これは教会側の思惑か、それとも彼女個人のものか、現時点では残念ながら図りかねる。
「ふふ、そうでしたね」
そう言って笑う彼女の声は、相変わらず鈴が転がるように耳に心地良い。ただ、少しだけ鼻にかかって甘えたような風情を醸し出している。
アスクは、茶葉をポットの中で蒸らし終え、質素なティーカップに茶を注いで彼女の前に差し出した。
「ありがとうございます。……少し、変わった風味のお茶ですのね。美味しい」
「お気に召したようでしたら何よりですよ」
熱い茶に息を吹きかけながら、女はちびちびとカップのふちに口を付けている。この様子だと、本当に気に入ったのだろう。アスクも、彼女の向かい側の椅子に腰かけた。
「ライラさん」
アスクは、女の名を呼んだ。
「いえ、ライジアナ・アイドラさん、でしたね?」
「あら、憶えてくださっていたのですね。……先生」
それは、どれほど前のことだったろうか。確か、アスクが青年から壮年になりかけた頃のことだとは記憶している。
その頃教化活動に熱心だった教会上層部の指示により、まだ若年の聖職者であったアスクは、同輩たち数人とトーキオ州の辺境に位置するある村を訪問していた。アイドラ村。人口約50人の、州都トキオン至近に位置するリダ村とは比べ物にならないほど小さな村落である。
今でこそこの大陸のそこかしこに教会はその触手を伸ばしているが、当時、そのような小さな村には、教会施設などないのが一般的だった。アスクたちに課せられた任務は、そのアイドラ村に礼拝堂を建てるべく、村人たちの支持を得ることだった。もちろんそういった仕事は、アスクにとっても初めてではなかった。
手際よく村長他、村の有力者たちへの挨拶を済ませ、定石通り村の広場にスペースを借りて説法を始める。曰く、光の神はいつも太陽と共に見守ってくれているとか、もし危機が迫れば勇者様がお出でになって助けてくださるとか、聖女様の祈りは万病を治す加護があるとか。
「あの小さな女の子があまりにお美しくなっていらしたので、気づいたときにはびっくりしてしまいましたよ」
「まあ、お上手ですこと」
「本当のことです。……トキオンで一緒にいた頃には、全く気づきませんでしたからね」
「……気づかれたのはアスク先生が初めてですよ」
ライラ、ことライジアナは、そのたっぷりとした薄い色の茶髪を揺らしてにっこりと笑った。丁度窓から光が差し込み、彼女の髪は薄い紫色に見えた。
「ぼくの出自も、名前も、ね」
* * * * *
ライラ、ことライジアナの故郷、アイドラ村は、トーキオ州の北限に位置する小さな農村だった。娯楽など何もなく、1日のほとんど全てが農作業に費やされ、その労働によって生み出された作物を売って僅かな対価を得る。そんな、村人の全てがささやかに日々を送っているような田舎だった。
それは、子どものライジアナたちにとっても変わりはない。朝起きてすぐに畑へ向かい、その合間に質素な朝食を摂ったらまた仕事をする。それが夕方まで。日が落ちるまでに家へ帰って、食事の後は少し働いてすぐに寝る。それが普通だと思っていた。
しかし、その日、彼女らの生活は一変することになる。州都から、教会とかいう組織の人間たちがやってきたのだ。
彼らは、アイドラ村では見たこともないような真っ白の衣服を身に付け、それまで聞いたこともなかった勇者やら聖女やら神やらが登場するおとぎ話を説いていた。彼らの語る夢のような物語に、村民たちはあっという間に虜になった。救国の剣である勇者がいれば、この村はどんなに暮らしやすくになるだろう。世に2人といない敬虔な聖女の祈りで、どれほど実りがもたらされるだろう。なにより神様に祈ることで、自分たちはどれだけの幸せを享受することができるのだろう。彼らの話に出てくる『都会』の繁栄ぶりが、そのことを裏付けているように感じられた。
アイドラ村は、すぐさま教会の教えを取り入れた。朝、仕事と食事の合間に神に祈った。夜、就寝する前には感謝を捧げた。それだけで、村人たちは自分らに幸福がやってくることを疑わなかった。さらに子どもたちには、教会からの使者の勧めで、午前中に少しだけ、わくわくするような勇者の冒険譚や、ロマンティックな聖女の詩に聞き入る時間が与えられた。ライジアナを含め、親から許しを得た村の子どもたちは皆こぞって村の広場に集まり、そのおとぎ話に耳を傾けた。娯楽の存在しない田舎の寒村で育った子どもたちにとって、それは、唯一の楽しみであった。
ひと月ほどでその男たちは州都へと帰っていったが、すぐに同じように白い服を着た『神父様』がやって来て、村には小ぢんまりとした「教会」という建物が建てられた。村人たちは変わらず教会の使者にもたらされる説話に聞き入っていた。その頃、ライジアナは、自分も将来は同じような村に祈りを届ける聖職者になりたいと願うようになっていた。そしていつかは、このアイドラ村に戻り、村人たちを今よりも良い幸福な生活に導くことができれば……それが彼女の夢となった。
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