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結局売れなかったバンドマン(29)は異世界で成り上がりの夢を見る  作者: 有柏くらゐ
第二部-1.さすらいのミュージシャンとまだ見ぬ異世界編
50/92

45話/時には昔の話を

7/9 改稿

2025/03/05 修正

 しんとした店内で、勇人の歌声と、トイピアノのアルペジオによる伴奏だけが響いている。年配のズィルダ町民たちは声の主をじっと見つめ、その他の、旅人や少し若い男たちもが店内の妙な雰囲気に当てられたようで同じように勇人を見ている。

 張り詰めた空気の中、勇人は最後の歌詞「なにもこわくはない あたたかいひにつつまれて」を歌い終わり、静かで暖かなアウトロを奏でた。ようやく、時間にすれば30秒もない、たった4小節のそれが終わる。


「ありがとうございます」


 ふぅ、と息をついた勇人が礼を述べると、緊張の糸が切れたらしい客たちが我先にと拍手を贈る。店の大きさ、客の人数に見合わぬ、盛大な拍手だった。老人たちなど席から立ち上がっている。さらには店の外にも音が漏れていたらしく、壮年男性たちがドアベルを鳴らして店内に雪崩れ込んだ。

 彼らも、ベンの祖母の歌をかつて聞いていたクチなのだろう。


 勇人は、久しぶりに心の中のよくわからない部分がじんわり暖かくなるのを感じた。自分に対してこれだけたくさんの真摯な拍手をもらえるのは本当に久しぶりだ。

 聖歌隊大会は子どもたちがメインだったから少し違ったし、『ラ・リダ』はこう言ってはなんだがそんなに客もいなかったし……それに、元の世界でも、こんなに多くの視線と拍手といえば、ずいぶん昔にまで遡らなければいけない。


 それこそ、勇人のバンドが、あの界隈の音楽シーンでは1番の売れっ子だと言われていた、あの頃まで。


「まさか、この曲がまた聞けるとは思わなんだ」

「ほんとにな」

「ばばあもいっつもなあ、酔ってくるとこの曲ばーっか歌ってなー」

「俺は感動した!にいちゃん、一緒に飲もうぜ!」

「おい!ベン!にいちゃんにピーヴォを樽で出してやれ!」

「はあ?樽?」

「お前ずるいぞ!俺も酒奢ろうと思ってたのに!」

「2人で割り勘にしたらいいんじゃん?」

「そうはいくか!俺も樽で出すぞ!ヴィノーだー!」

「樽はやめろおっさんども!せめてデキャンタにしてくれ!」


 それが、自分の曲でないことに、そして自分の歌でないことに、わだかまりがあるものの。

 それでも。

 それでも、やはり、自分が歌ったときに喝采を浴びて昂揚しない歌い手がいるだろうか。


 拍手がだんだんと小さくなり、老人たちがベンの祖母の話に花を咲かせ始めた。おばあさん様々だと思いながら、彼らの思い出に水を差すようなことにならなくて良かったと改めてホッとしていると、聞き捨てならないセリフが耳に飛び込んできた。


「樽……だと……!」


 戦慄した。樽だと。しかもなんだ、聞いていた感じ、2樽とか出てくる予感がする。流石に樽は未経験の単位だった。いくら酒が強くなったとはいえ、これ死ぬんじゃないの?不二勇人、異世界で死す。死因は飲みすぎ……って冗談ではない。

 カウンターの中にいるベンも、客たちを(すか)そうと必死だ。しかしその頑張りも空しく、勇人の目の前のテーブルには酒樽が運び込まれてくる。


「ひええええええええ……。マジで来っつまった」

「にいちゃん!ぐいっといこうぜ!」

「さ、流石にグラスをくんちぇえ……!」

「それもそうだな!おーい、ベンー!」


 いつの間にか押し合いへし合いになっていた店内を、リレーのようにして、勇人の手元までデキャンタがやって来た。異を唱える間もなく、木製の樽に刺されたネジ式の注ぎ口から、なみなみとビールが注がれる。大ジョッキもびっくりの量だ。それをそのまま持たされる。

 ベンに抗議の視線を送ると、彼の口が動いた。「す・ま・ん」と。そして両手を上げる。酔っ払い相手にお手上げということか。それでも酒場の店主か……と憤っていると、店の中心辺りでひとりの男が盃を掲げた。


「懐かしいばばあの歌との再会を祝して!」

「「かんぱーい!」」

「今頃空の上で悪態をついているだろうばばあに!」

「「かんぱーい!」」

「そして何より、このにいちゃんに!」

「「かんぱあーい!」」

「……か、乾杯」


 こうなったら男らしくいくしかない、腹をくくって勇人もデキャンタを持ち上げ、中身を流し込んだ。


「流石にいちゃん!ばばあもよくそれで飲んでたぜ!」

「まじかよ」

「そんで酒焼け声でよー!」

「ひっでえのひどくねえのってひっでえの!」

「で、飲みすぎてマスターに怒られてよー!」


 周りの男たちがベンの祖母の昔話でからからと笑う。ひとりはいつの間にか勇人のデキャンタにビールをまた注いでいる。ちょっとちょっと。ステルスで酒を入れるのはやめてください。

 カウンターの向こうにいるベンはというと、おそらく今まで知らなかった祖母の一面を聞かされて苦笑いしていた。やっと客たちが椅子に座り始めて店内を歩けるようになったので、カウンターに行ってグラスをひとつもらい、樽からビール(?)を注いでベンに手渡す。


「おい、こりゃあ……」

「飲みきれん」

「まあそうだろうな」

「まあ、みんなで分け合って飲んでくれるとは思うけど」


 無言でベンとグラスを打ち合わせる。……勇人のはデキャンタだったが。

 そのままお互い言葉を発さずに酒を飲んでいると、ぽつりとベンが言った。


「ばあさんが元気だった頃は、こんな感じだったのかねえ」

「……かもな」

「そうじゃの。こんなに祭りじみてはなかったが」


 いつの間にか隣に座っていた老人がしみじみと言った。なみなみとビールが注がれた自分のグラスと、デキャンタを持っている。もちろん片方は勇人に渡してきた。また気づかぬうちに注がれていたらしい。


「ばばあはダメな酒飲みじゃったが、すごい女じゃった。ここにくる客たちはみんなばばあの歌が聞きたくて、一言でも喋りたくて、来とったんじゃよ」

「……そうなのか」

「若い頃は大層な美人でなぁ。みんな酒を奢らされたわ」


 老人がベンの顔を見て楽しそうに笑った。そしてグラスを傾ける。このおじいさんも相当飲んでいるはずだが、全く乱れた様子を見せない。若い者に負けないという言葉は伊達ではないようだ。


「村の男はこぞって贈り物をしての。……ワシも、のう」


 そう言うと、寂しそうに笑って、またビールに口をつけた。


「にいちゃん、いつこの町を起つんじゃ?」

「明日の予定です」

「そうか……そしたら、出るときに向かいの道具屋に寄ってくれんかの?」


 思いのほか真剣な老人の瞳を見つめながら、勇人は頷いた。デキャンタのビールを飲みこむ。美味い。まだ酔ってはいないようだ。酒は飲みすぎると味がしなくなる。


 幾分か静かになった店内を見回すと、半数ほどがテーブルに突っ伏して、もしくは床に転がっていびきをかいていた。はしゃぎすぎたのだろう。

 いつの間にかベンが眠った男たちを起こし、帰るよう促して回っていた。


 旅立って初日の夜は、こうして更けていく。

お読みいただきありがとうございます。

ビールうめえ。

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