38話/みっつめの物語
6/30 改稿
勇人が去り、アスクは壇上の偉い人たちに向かって何か話している。今のエリィにはアスクが何を言っているのか、全く理解ができなかった。否、何を話しているかはわかる。ただ、右の耳から入って左から出て行くように、何もエリィの中には届かないのだ。それでも、わかったことがひとつだけある。このままでは、ユートに会えなくなるかもしれない、ということ。
先ほどのヘルマン司祭の言葉は、衝撃的だった。あのとき、黒の森へ助けに来てくれた、一緒に、村の外れで歌を歌った、エリィに歌う楽しさを教えてくれた。時には優しく頭を撫でてくれ、時には真摯に向き合ってくれた、勇人。エリィは、このまま大好きな人とさよならするわけにはいかなかった。
父エドワルドの横をそっと抜け出す。勇人の後を追いかけようと思った。すると、誰かに手を掴まれた。ミリアンだった。
「追うのか?」
簡潔な問いかけだった。エリィはコクリと頷き返す。
「なら、行こう」
ミリアンに手を引かれ、こっそりと聖堂から出る。後ろを見ると、サリアとリュースがついてきていた。
「わたしたちもいた方が怪しまれないわぁ、多分だけど~」
その言葉は正解だったようで、何人もの教会の職員らしい人とすれ違ったが、サリアが微笑みかけ、リュースが手を挙げるだけで何もなく通過することができた。この2人はなぜかはわからないがすごい人なのかもしれない。
玄関ホールにいた女の人とも、2人はにこやかに会話している。初めてここに来たときに見た人だった。サリアたちが行けという風にこっそりと手で合図を送ってくる。出入り口を何気なく見えるようにくぐった。
教会から出て、周りを見回す。ユートはどこにいるのだろう。
するとミリアンが、おそらく厩舎だと言うのでそちらへ向かうことになった。
「せんせー!」
「ユート!」
確かに勇人はそこにいた。なんとなく少し悔しい。勇人は、朝、アスクが乗ってきた葦毛の馬の手綱を握っている。
「な、どうして……!」
勇人はこちらを見て、驚いているようだった。彼の中では聖堂での目配せが別れの挨拶だったのだろう。そんなのは許せない。
「せんせー、ほんとに行っちゃうの?」
「……ああ。ごめん」
勇人は謝った。エリィは、ぐっと口に溜まった唾液を飲み込んだ。
「戻るのか?」
ミリアンが言った。いつも通り、ぶっきらぼうな言葉だった。
「多分ね。でもまだわからないな」
勇人は、普段と違って、敬語を使わなかった。言葉遣い以外にも、雰囲気自体が村にいたときとは違っている。いつもよりもなんだか、気の置けない、気さくな感じで話してくれているような気がする。大人たちが言うところの、今生の別れ、というやつにはならないような予感がした。
「じゃあ、俺は行くから」
「待って!」
「……どうした?」
馬に飛び乗ろうとしている勇人を慌てて呼び止め、振り返った彼のところへ急いで近づく。エリィに合わせて屈んでくれるよう頼むと、いぶかしげな顔でエリィと視線を合せてくれた。あらかじめ用意しておいたそれを彼の首に掛ける。
「これ……大切なものだろ?」
「うん。エリィの大事なお守り。だから、絶対返しに来てください」
それは、エリィがいつも首から下げているお守りのペンダントだった。病弱な彼女の母がプレゼントしてくれた、太陽をかたどったもの。それはきっと、勇人をいつでも守ってくれるに違いない。エリィはそう思って渡した。
ペンダントを返そうとする勇人を、エリィは力強く見つめる。すると、ついに諦めたのか、勇人はひとつ溜息をついて、エリィの頭を撫でてくれた。
「わかった。必ず返すよ。ありがとう。エリィ」
「うん。いってらっしゃい、せんせー」
今度こそ勇人は馬に飛び乗った。馬の上で背中のギターの背負い具合を確認し、たてがみを撫でて馬に何か話しかけている。
「ユート、気をつけて。また、酒を飲もう。今度はきみの歌も聞かせてほしい」
「美味い酒を用意しておいてくれたら、歌を聞かせるよ。……あと、飲みすぎないようにね」
「おい!」
ミリアンの声に返事はせず、勇人は、手を振りながら馬を走らせて教会の門から出て行った。その姿はあっという間に見えなくなる。
「行ってしまったな……」
「せんせーがいないと、……寂しく、なるね」
急にしんみりした空気になった、そのとき、後ろから甘ったるい話し方で声をかけられた。
「なぁに?もう行っちゃったの~?」
「見送りはできましたか?ふたりとも」
サリアとリュースだ。見計らったようなタイミングで現れるあたり、おそらくどこかの物陰で様子を窺っていたのだろう。
「それにしてもぉ、ふたりともオクテよねぇ。好きな男との別れだっていうのに。折角だからキスのひとつでもしちゃえばよかったのよ~!」
「な、な、な、何を言ってるんだお前は!」
「キスだなんてはわわわわ……!」
サリアの言葉に、ふたりの顔は一瞬で真っ赤になった。湯気でも噴き出すのではないかという塩梅だ。楽しそうに笑うサリアをリュースがいつものように窘める。
「サリアちゃん!恋する女の子をからかうんじゃありません!」
「なによぅ、エリィちゃんはともかくミラなんてもう女の子って年じゃないんだから~。そのくらい積極的に行かないとますます婚き遅れちゃうわよ~」
「それは確かに……」
「サリアァ!お前、そこへなおれ!」
「やだ~、こわぁい!」
きゃらきゃらと笑いながら逃げていくサリアを、顔を真っ赤にしたミリアンが追いかける。その光景を見ながら、リュースとエリィはゆっくり歩いて教会へ戻っていく。
「大丈夫、ユート君は戻ってきますよ」
「うん。エリィのお守り、必ず返してくれるって言ってた」
そのとき、乾いた風が吹いた。整えられた教会の草木の間を通り抜けていく。暖かだが、真夏の熱は未だ内包していない爽やかな空気は、エリィの切り揃えられた金髪を揺らした。
「もう、夏も近いですね」
お読みいただきありがとうございます。
ここ数話、ものすごく難しい。




