ミヤビさんの災難
【ゲンザ・グレン】――【タカマル・グレン】と【ミヤビ・グレン】の父であり、諸島列島国家である【アキノワダツシマ国】から代々続く紅蓮新刀流免許皆伝の腕を持ち、ギズモの街を治める領主から剣術指南役を任されていた剣豪である。
性格は豪放磊落、細かいことには気にしないものの剣術に関しては真摯であり、多くの門下生からも信頼を得ていた。
「まぁ、普段は褌一丁で歩き回る裸族でしたが……」
「いや、余計な情報はもういいから……」
「話を続けてくれませんかねぇ」
どうでもいい情報を入れるミヤビに話の続きを促すおっさん。
凄く残念そうな表情を浮かべつつも彼女は続きを語る。
ゲンザは外敵から街の領主だけでなく、防衛にあたる守備隊や警邏を行う同心や与力とも交流があり、タカマル達も知らないほど幅広い人脈を持ち、豪快だが町民からも毎日挨拶の言葉を掛けられるほど気さくな人柄で、剣士としてもそれなりに信頼を得ている人物であった。
偶にゲンザのうわさを聞き付けた武芸者が道場破りに現れ、当然ながら軽く相手をしてからお帰り願うほど無敗の手練れで、それが更なる道場破りを引き寄せる原因ともなっていたが……。
「まぁ、道場破りを相手にするときは門下生がいない日に相手をしていましたが、試合中は常に全裸でしたね……」
「褌まで脱いでるんかい! それ、世間に広められたら末代までの恥じゃないのか!?」
「だから、なんで父親の性癖を僕達に暴露するんですかねぇ? はっきり言って聞きたくもない見苦しい話題なんですが……」
「やはり、父上の癖は恥以外の何ものでもないのですね。私たち一家がおかしいのかと思っていました。慣れって怖いですね……続けます。そんな父がある日、釣りに出かけた帰り、一振りの刀を持って帰りました。襲ってきた盗賊を返り討ちにしたとき、あまりにも見事な刀なので回収したようです」
「まさか……」
「それが妖刀?」
こくりと頷いたミヤビ。
そして彼女は蝋燭を前に、まるで百物語を始めるかのように本題を話し続けた。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
その刀の刀身は美しく、まるで透明度の高い湖面のように澄み切っており、一見すれば御神刀だと思うほど素晴らしい出来栄えであった。
しかし、かなりの業物ゆえに名のある刀工の作だと思ったのだが、銘は刻まれておらず出所の分からないあやしさもあった。
ゲンザはその刀を手に入れて以降、日を追うごとに美しい刀身を眺める時間が長くなり、その様子にミヤビには次第にその刀の魅力を危険視するようになる。
美しさの中にある種の不気味な何かを感じ取ったのだ。
同時に父親の奇行が目立つようになってくる。
全裸や褌一丁で歩き回るのは相変わらずだったが、ときおり例の刀を抜いては呆け続け、夜中になると『やめろ……俺に入り込んでくるな。クッ……させん! 貴様の思い通りになど絶対に……』と独り言を叫んでいたなど不穏な行動が目につくようになってきたのだ。
「あの時の私は、てっきり子供から大人になりかけの男児が患う、見ていて痛い病気に罹患したのかと疑ってしまいました……」
「あ~……うん。なんとなく分かるな」
「いい歳こいたおっさんに、それはないでしょ。いや……童心に返りたくなったら分からんが……。言っておきますが、僕はそんな経験はないですよ? なんで二人とも僕を見るんです……失礼な」
「ゼロスさんは元から大人気ない人だったろ。何を今さら……」
「アド君とは後で話をつけるよ。続けてください……」
いちいち話の腰を折ってくるミヤビ。
どこか楽しそうだ。
いくつもの脱線を得て、話はいよいよ本題に迫る。
――十日ほど過ぎた夜、ミヤビは道場で一人悩んでいた。
例の刀はあやしさ百倍で、なんとしても父親から取り上げる必要があることは分かっていたのだが、その父親が片時も手放そうとしない。
風呂や厠に入るときも常に持ち歩いているほどの執着ぶりだ。
隙を突いて奪うにも父親は手練れで隙を見せず、正面切っての強奪は不可能。それ以上になんかばっちぃ。
『手詰まりね。どうするべきか……』
良い手段が思い浮かばずミヤビは溜息を吐いた。
今も何の悩みもなく鼾をかいて熟睡している愚弟を殴りたくなる。
そんな時だ。
彼女の背後に気配を感じた。
咄嗟に傍らの木刀を掴むと、迷いなく振り返りながら横薙ぎを繰り出した。
『キィン』と甲高い音が響き渡る。
そして襲撃者の姿を見た瞬間、言葉を失った。
『……ち、父上』
『…に、逃げろ……ミヤ、ビ。もう………こいつを……お、抑えきれ……』
『クッ!』
出鱈目に振るわれる刀。
だが、その一撃は父親が本気で撃ち込んだ時よりも強く鋭い。
木刀などで受け止めたら両断されることは必至な威力を手の痺れで感じた。
それ以上に異様なのは、刀の鍔辺りから半透明の肉々しい触手が父親の腕から体内に侵入し、肉体を異様な姿に変容させていることだろう。
ゲンザの姿は体の半分がまるで鬼のような姿に変異していた。
右腕が異様に肥大し、まるで丸太のようだ。手にしている刀が小太刀のように見える。
胸部から下半身にいたるまで完全に別の生物にとってかわられたようだ。
しかし左半身は人の姿のままであり、そのアンバランスが異常な存在をより凶悪な姿に見せていた。
『な、なぜ……。なぜ、こんなときまで全裸なのですか……』
『気に、する……ところは、そこなのかぁ!? あっ……不味い』
『えっ?』
ミヤビのアホなツッコミ。
だが、このとき馬鹿なことを言ったせいで、ゲンザの精神力が揺らいだ隙に妖刀の支配力が僅かに上回り、凶刃がミヤビに向けて真上から振り下ろされた。
どれだけ速く重かろうと、普段であれば避けるなりできた一撃だったのだが、このときばかりは父親の変容と全裸に気を取られてしまい、木刀で受け流すという致命的な失敗を行ってしまった。
確かに途中までは受け流すことができていた。
しかし、木刀では変異した父親の一撃を絶えることはできず、そのまま左腕ごと斬り落とされてしまった。
『うぁっ!?』
『ミ、ミヤビっ!? おのれぇ!!』
最後に父親の情が妖刀の支配力を上回ったのか、ゲンザは無理矢理身体を動かし道場から姿を消した。
ミヤビは流れ出る血液を必死で止血し、そのまま気を失ってしまったのである。
騒ぎに気づき道場に様子を見に来たタカマルは、そこには左腕を斬り落とされたまま血だまりに沈む姉の姿を発見し、即座に人を呼んで診療所に担ぎ込まれることとなった。
「あのとき、父上の全裸にツッコミなど入れなければ……」
「あ~……うん。そうだねぇ………」
「なんだろうな……。悲劇なんだろうけど、ツッコミどころが多すぎて、何と言っていいのか分からん」
「ん? ちょっと待った。そのときミヤビさんは変容した父親の一撃しか受けていないんですよねぇ? なら、先ほどまでの包帯姿はいったい………」
「確かに……ちょいとおかしいよな?」
「それですが………」
騒ぎに気づいたタカマルが布団から起き、道場で姉の無残な姿を発見。
『誰かぁ!! 誰か助けてくださいっ!!』と止血をしながらパニックに陥り、気が動転していたのかミヤビを背負いながら街中を走り回り、その最中に何度も転んでは壁や街路樹にぶつかり続け、あるいは防火用の水桶などを倒すなど、散々ドジを踏みまくったのだ。
気絶していたミヤビは、当然のごとく受け身や防御など出来るはずもなく、タカマルのクッションとなり結果的に生傷が増えていくこととなる。
対照的にタカマルはケガ一つ負うことはなかった。
ミヤビが彼に苛烈な制裁を加える理由もなんとなく分かった気がする。
「肋骨や足には罅が入り、打ち身に生傷………。この愚弟は冷静に対処できず、ただでさえ重傷の私に追い打ちをかけたのです。それほど私を亡き者にしたかったのでしょうか?」
「と、とどめを刺されなくてよかったな………」
「タカマル君……君は重症患者に何してくれちゃってんの?」
「あ、あのときは姉上が死んでしまうかと思って、とても冷静でいられなかったんですよ。誰だってあんな惨劇の場を見たら混乱くらいします!」
「「あっ、起きてたんだ……」」
あくまで姉を思っての行動だったが、その結果が酷すぎた。
まぁ、まだあどけない少年なので情状酌量の余地はある。あると思いたい。
「俺は……俺は父上を止めたい。このままでは化け物になってしまいます」
「話を聞く限りだと、その妖刀………かなり危険な力を持っていそうだねぇ」
「言い方は悪いが、人が一人異形に変容する程度であれば救いだな。これで分身まで生み出されたら洒落にならん。生気を吸い取られて干からびるぞ」
「それなのですが、父上が姿を消してから各地で辻斬りや押し込み強盗が増えています。もしかしたら、分け御霊を生み出しているかもしれませんね」
「「すでに最悪の事態じゃない!?」」
ミヤビが齎した追加情報でゼロスとアドは蒼褪めた。
反実体化した本体から小さな欠片を分けることで、妖刀の最も厄介な眷属を生み出す能力を持つタイプ。その意味と危険性を二人は誰よりも知っていた。
「不味いな……早く本体を探し当てないと、犠牲者が増える一方だぞ」
「問題は分身――あるいは分体というべきでしょうか、それがどれだけ放出されたかにもよりますねぇ。分身はそれほど強い支配能力は持っていませんが、他人の精神を誘導することに長けています。時間が経過するほどに支配する力が強まり、気づいたときには魂は食われ肉体も変容し、本体と同等の強さを発揮するようになる」
「支配型と禍霊型の両特性は厄介なんだよなぁ~……」
本体から分離した欠片は、通常であれば時間が経過することで大気に含まれる魔力により消滅していくものなのだが、他の刀に憑依することで新たな妖刀が産まれるのだ。
そして使い手である人間の精神と魂を餌に力を蓄えていく。
人を一人支配すれば単独でしばらく動けるようになるので、多くの人間を襲いその力が増していくと、やがて分身体は本体の元へと戻り糧となる。
だが、妖刀本体の力次第では、事件はより大きな面倒事の方向に動きかねない危険を秘めていた。
「ゼロス殿は妖刀に詳しいんですか? 俺はただ父上を倒せばいいと思っていたんですけど」
「この愚弟は……。妖刀がなぜ恐れられるのか、冷静になって考えてみればわかるはずです。アレは妖、それも実体の持たない半霊体――所謂不浄のものです。当然ですが、通常の攻撃など効果はありません。気の込められた武器や技でないと傷一つ負わせることなど不可能なのですよ」
「そう……依り代となった二人の父親の身体であれば斬ることができますが、本体の刀に宿った悪相思念を祓うことができない。憑依した刀が壊されたのなら、新たに別の刀へ移ればいいだけですしねぇ」
「そんで、その手の武器に限って発見が難しい。俺達も苦労したもんだ。なぁ? ゼロスさん……」
「分身体でもガワの刀を破壊したところで、内に宿った悪相思念体――怨念を倒さないと、今度はこちらの武器に宿って精神支配を仕掛けてくるから面倒なんだよ。最初から魔法や呪術が込められた武器以外は太刀打ちできない。実に面倒な存在なんだわ」
刀剣という部類である以上、特殊な効果を持った武器以外は全て悪相思念の依り代対象となってしまう。
逆に刀剣以外の武器は、【妖刀】という概念的な存在であるゆえに分身体を宿すことはできず、ガワを破壊ことは充分に可能だ。
ただし、本体や分身体の悪相思念――荒霊は祓う呪術師が必要であり、それが無理でも強力な魔法でも撃ち込めば同じ結果を齎す。
そう、荒霊は所詮魔力体であり、魔法や呪術で依り代ごと破壊すれば消滅させられる。
「純粋に魔法が込められた武器、魔剣、聖剣、呪術付与や術式付与による武器なら対抗できるでしょうが、破壊に失敗すると同じことが何度も繰り返される。その過程が凄く大変なんですよ。剣なんて折るか曲げるかすれば【ガラクタ】となるから、内に宿った魔力体は根幹の概念を乱されたことになり、停滞し続けることができなくなる。人を助けたければ武器破壊を狙い、一刻も早く事態を収拾したければ被害者もろとも魔法攻撃で殲滅。この選択以外に収拾は無理なんですよねぇ」
「あのさ、ゼロスさん? 陰陽師が呪符で憑依被害者を助けたことがあったが、アレはどんな理屈なんだ?」
「怨念の固まりである魔力体を宿した武器に、魔力を強制吸着する呪符を張り付けるんですよ。直接やろうとすれば狙いがバレますから、別の術と併用して魔力そのものを戦い削りながら奪い去る。魔力がなければ悪相思念は存在し続けられなくなるから簡単に霧散するけど、言うほど簡単な事じゃないんだよ。近づけば襲ってくるし、呪術を行使するにはある程度の時間稼ぎも必要。被害者ごと倒してしまった方が楽なんだわな」
人命優先で武器破壊を続けるにも、それを可能とする技を持つ武士を直ぐに揃えるなど不可能。
効率的に考えても、被害者もろとも妖刀を倒してしまえば犠牲者は少なくて済むのだ。
「ですが、それなら父上も救えるんですよね!?」
「理屈ではそうなんだが、実際は難しいだろうな……」
「妖刀に操られている被害者の実力が高いほど、変容したときの強さは段違いに強くなる。助けられたとしても精神の消耗と肉体の負担で、かなり衰弱するんじゃないでしょうかねぇ?」
「つまり、父上を助けるよりも、潔く斬ってしまった方が手っ取り早いということですね?」
「「「なんで嬉しそうに言うの?」」」
下手をすると親殺しになるような話題なのに、妙に高揚したような口調で意気込んでいるミヤビが恐ろしい。間違いなく修羅道を突き進んでいる。
「あ、姉上は、父上を助けようとは思わないんですか!?」
「普段はともかく、家族の前だけ全裸で過ごすような人など、別に斬ってしまっても構わないでのでは? 普通に考えても恥以外の何物でもありません」
「………どうしよう。姉上の言葉に否定できる要素がどこにもない」
「あ~、うん。そこはそちらの家庭の事情だから、こっちからは何も言えんわ」
「僕たちとしては、旅費を稼いでいる間だけ、この家……家? お屋敷にご厄介になれればという事だけですが、結局僕たちの滞在は許可してくださるので?」
「構いませんよ? 愚弟がお世話になったようですし、空いている時間にでも徹底的に揉んでくだされば宜しいですから」
『『言葉に、どこか不穏なものを感じるのだが………』』
一応は弟のことも考えて、稽古してくれる人がいてくれると助かるというニュアンスなのだろう。しかし徹底的にという一言が気になる。
そこには『泣こうが喚こうが、弱音を吐こうが、心が折れようが、遠慮なく思いっきり厳しく鍛えてください』という、修羅の道へ導こうとする意志が感じられるのだ。
確かにタカマルにはまだ幼い甘さがあるだろうが、これ幸いと今日会ったばかりの見ず知らずの他人に、宿を提供する代わりに虐待のごとき厳しい稽古を依頼してくる。
ある意味でミヤビは、どこぞのエルフ娘以上の修羅なのかもしれない。
少なくともカエデは、他人に修羅道を奨めるようなことはしなかったのだから。
まぁ、多少の影響は与えていたが……。
「で、では……数日間ですが、お世話になります」
「困ったときはお互い様ですから、遠慮なさることはありません。えぇ、タカマルを鍛えてくだされば何日でも……ねぇ?」
「「目が……笑ってねぇ」」
彼女の瞳は底冷えするほど酷く冷淡なものだった。
片腕を無くしたくらいでこの気性が治まることは無いようである。
こうしておっさんとアドの居候生活は始まった。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
翌日、早速だが道場でアドがタカマルに稽古をつけるようになった。
木刀片手に構える両者だが、タカマルは緊張もあり体が硬くなっているのに対し、アドはどこまでも自然体というより無造作だった。
「アド殿、よろしくお願いします」
「あぁ……だが、俺はゼロスさんと違って人に何かを教えたことは無い。だから剣を受けて気づいたことを口で伝える。正直に言って俺は流派なんて大層なものは習っていないし、我流を貫いてきたからな」
「わかりました」
「んじゃ、打ってこい」
少年の気合の入った声と木刀のぶつかる音が道場に響き渡る。
アドから見ても、この年頃で基礎の整っている剣を放てるのは大したものだと思えたが、それでも稚拙な部分は隠しきれない。
まずは剣が綺麗すぎる。
別の言い方をすれば素直すぎる。
格上が相手なのだから、持てる技術の全て曝してでも一本取るべきなのだが、それを卑怯だと思っているのか型通りの剣戟を放ってくるのだ。
ゴブリンなどの魔物であればそれでも通用するであろうが、相手が人間の場合はそうはいかない。まして同じ剣士が相手ではその素直さは命取りだ。
「フェイント……いや、虚実を混ぜろ。格上相手にそんな素直な剣技が通用すると思うのか? 真っ直ぐすぎる剣技は相手に剣閃を簡単に読まれるぞ。もっと狡猾になれ」
「ハ、ハイ!」
「身のこなしが硬すぎる。もっと柔軟に、自然体で無理のない態勢が続けられるよう心掛けるんだ。感情や根性論が不必要だとは言わないが、相手を攻めるのであれば打ち合いながらも隙を窺え、一応だが俺も隙を見せているんだぞ? しっかり見極めろ。何度も見過ごしているぞ!」
「わ、分かりましたぁ!!」
二人の稽古を見て、アドには教師というか武術師範の才能があるように思えた。
ゼロスはどこまでも実戦主義なのに対し、アドは基礎を見たうえで的確な指導を行っている。隙を見て蹴りを入れるようなこともしていない。
これがおっさんだったら、『隙を見せるような動きは控えると良いでしょうねぇ~。でないと、足元がお留守ですよ?』などと言って容赦なく地面に転ばせる。
そのうえで首筋に木刀を当て、『これで一回死亡、実戦だったら生きていませんよ?』などと冷徹に言い切る。生死に関わることだから決して妥協などしなかった。
「アド君、僕より教職者に向いてないかい?」
「そうなのですか?」
「えぇ……彼の指導は的確ですよ。【守】【破】【離】の【守】を堅実なほど抑えていますねぇ。僕だったら、隙を見せた瞬間に体術で容赦なく投げ飛ばしているところです」
「それが当たり前だと思うのですが、違うので?」
「タカマル君は基礎ができていますから、必要なのは覚えた技の応用。実戦に根差した技の使い方ですよ。僕のやり方だと、よほど根性がない限り心が折れる。熱心に鍛錬を積んできた人には、さすがに耐えられたものじゃないでしょうねぇ。実際に何度も敗北と辛酸を舐めてもらいましたし」
「私には間違っているとも思えませんね。剣を握る意味を知らず覚悟すらない者は、例え木刀でも振るう資格はないと思っています。剣術は所詮殺人術ですから」
どこかの師匠のようなことを言う。
だが、これは正しい。
単純な暴力として振るわれる剣術と、殺し殺される刹那の世界で鍛えられた剣術と比べると、同じ剣術であっても精神――覚悟という点で大きな差がある。
死ぬ覚悟すら持てず、ただやみくもに振るわれる暴力な剣では、命を捨てる覚悟すら受け入れた高潔な剣の前では児戯にも等しい。それはゼロス自身にも言えることだ。
カエデや教会の子達に戦う術を教えていても、何のために剣を振るうのかという意味までは教えられない。それを決めるのは子供たちの意志だからだ。
そして、カエデは心捨身命の覚悟がある。
強者と戦い、たとえ死ぬことになろうとも勝利することに固執し、その果てが滅びであろうとも笑って突き進む意思。ただ剣技を極めるためだけに特化した精神を、おっさんは恐ろしく感じていた。
高潔とは違う、明らかに理外の先に進もうとする強靭な自我は、言葉で表すのであれば【狂気】であろうか。心・技・体を超えた先に何を見ようとしているのか、ゼロスには理解できない。
だが、この精神で彼女が確実に強くなっていることは事実である。
「力を持つ者という枠組みで見て強者か弱者かと問われれば、僕は強者なんでしょうがね。けど、自ら進んで修羅道に進もうとする人たちが理解できない。それはおそらく、剣士――武士ではないからなのでしょう」
「剣を振るうのに呪術師なのですか?」
「剣や剣術は身を守るための道具と技術にすぎませんよ。僕らは理を求めるけど、修羅や羅刹に身を落としたいわけじゃない。そこへ踏み込もうとする剣士は、いったい何を求めているんでしょうねぇ。生と死の刹那の中で何を見出したいのやら」
「父の話だと、その手の者達は戦いの中に死生の理を見出すそうです。命懸けの狭間でしか見られない刹那の光景、そこに一瞬に魅入られ抜け出せなくなるのが、剣士の性なのだとも言ってましたよ?」
「業が深い話ですねぇ」
レベルという概念がある世界でも、人が強くなれる幅には限界がある。
その限界を超えた先、信念や妄執といった精神論や感情論を抜きにした、魂と魂がぶつかり合うことで垣間見れる領域を覗き見ることにより、武人と呼ばれる者たちの精神性は高まるのかもしれない。
その刹那的なまでに苛烈な生き様は神々の言うところの【魂の昇華】、そこへ意識的に飛び込もうとする本能的な何かが働いているのかもしれないが、矮小な人という身では窺い知れないものだった。
そもそも、そんな殺伐とした世界に飛び込もうとする気など、おっさんは持ち合わせてなどいない。
「ところで、ゼロス殿は何をしているので?」
「カニとエビを焼いてます」
「良い香りですが、これって海蜘蛛と老婆虫ですよね。食べられるのですか?」
「カニを海蜘蛛呼ぶのは分かりますが、エビを老婆虫というのは……」
東大陸近辺ではカニを海蜘蛛と呼ぶのは姿が似ているからであるが、エビを老婆虫と呼ぶのは、年老いた老婆が針仕事をしているような姿を連想するというところから来ているらしい。日本では縁起物だがこちらでは縁起の悪い印象を持たれているとか。
どちらにしても甲殻類を食べる風習はないようだ。
「食べると普通に腹を下しますから、口にする人はおりません」
「まぁ、傷みやすい食材ですからねぇ。どんなものでも腐りかけていたら腹くらい下しますよ」
エビとカニを焼きつつ、焼きあがった方は凄い速さで身を抜き取りほぐし、次の調理の具材として皿の上に置かれていた。
他にも傍らには焚き上げた米と調味料、そして大量に保管しいたコッコの卵が、出番が来るときを今か今かと待っている。
「下処理は完了、ここからは早いですよ」
取り出したるは中華鍋。
窯の火力を上げると油をサッと流し、そこへ卵を投入してかき混ぜ、固まってきたところへ香辛料・飯米・刻み葱・玉ねぎ・ニンジン・緑豆・醤油・エビとカニの身を投入。
手早くお玉で取りさらに盛り付け。
出来上がったのは、おっさん特製の海老蟹チャーハンだった。
「まだまだぁ!」
魔法まで使い火力を上げ人数分のチャーハンを作り上げると、続けてエビとカニの殻を投入し、ゴマ油で焼く。
火が通る頃合いを見計らい、殻を砕き、そこへ水を入れて煮込み続ける。
煮込まれる水は沸騰することで透明な色合いは赤く染まっていった。
出汁をとった殻を精密機械の如くカス揚げで取り去り、そこへ唐辛子にニンジン・タマネギ、白菜のような葉野菜を豪快にぶち込み、塩コショウと醤油&酒で味付けを施した。
「キクラゲっぽいキノコはどうするか……いいや、ぶち込んじまえ」
「そのような適当に調理するなんて………。あぁ、駄目だわ。おなかに嘘はつけない。良い香りが食欲を掻き立てます」
「特製海老蟹チャーハンと殻出汁野菜スープ、お待ち!」
「あの……アド殿と愚弟より先に食べていいのですか?」
「一向にかまわん、食え!」
おっさんは、朝食作りでかなりとばしていた。
それはもう、おかしなテンションになるくらいに。
食欲をそそる豪快男飯にミヤビは戸惑う中で、目の前にレンゲが差し出される。
『これは、食べなければ納得しそうにないですね。まぁ、これだけの香りを嗅いでしまっては我慢できませんし、タカマルのことはどうでもいいか……。』
酷い姉だった。
しかし暴力的なまでの香しい匂いを放つ料理を前にして、さすがのミヤビも自制し続けるなど不可能であり、手にしたレンゲでチャーハンを救い上げる。
そしておもむろに口へと運んだ。
「っ!? これは………止められません!」
一口食べたが最後、スイッチでも入ったかのように無心でチャーハンを食べ続けた。
口休めに野菜スープをすすってみれば、その濃厚な旨味の衝撃に翻弄され、更にチャーハンを頬張り続ける。
「おい、ゼロスさん……朝練の最中になにやらかしてくれてんだよ。腹が減るじゃねぇか!」
「なんですか、この強烈な香りは………。異常なまでに鼻と腹を刺激してくるんですけど」
「食え、とにかく食えっ! 準備はできてるか? 僕はとっくにできている」
「お、おう………」
「い、いただきます」
朝から油を使ったチャーハンは胃に重かった。
味は良い。しかし軽くではあるが先ほどまで稽古をしていたアドとタカマルには濃厚系はつらく、純粋に味を楽しむことができない。
だが、野菜スープを口に含んだ瞬間、劇的な変化が起こった。
「な、なんだぁ!? だ……唾液が溢れる。こんな濃厚スープなのに!? ゼロスさん、何をしたんだ!?」
「止まらない……。食べる手が止められない!? なんで……」
「そうか、酸味! このスープには、かすかではあるが優しい酸味がある。これが食欲を促進させているのかぁ!! この酸味の正体はいったい………」
「それ、【謎酢】だけど?」
「な、なに………?」
【謎酢】――それは、ソード・アンド・ソーサリスにおいて製造過程や材料が一切不明な、ダンジョン産の超激レアなアイテムである。
一瓶丸ごと水で薄め畑に撒けば、数年は害虫が寄ってこないという強烈な防虫効果を発揮し、マジックロットなどの木製武器などの防腐剤を兼任した着色剤としても使用される。
入手方法は単純でも恐ろしく低確率で、料理クランたち垂涎の超絶激レアな隠し調味料。
さすがにアドも、まさか料理にも使えるとは思っていなかった。
それ以前にゼロスが持っていたことにも驚きだ。
「う、嘘だろ……。あの強烈な酸性臭が、こんな………」
「スポイトで数滴垂らすだけで、爆発的な食欲増進効果が望めるんだ。しかも胃にやさしいどころか胃腸強化の効果もあるんだなぁ~。抗菌作用も強いうえに爽やかな酸味と風味も与えてくれる。だから、朝から重い料理でも美味しく食べられるんだ」
「防腐剤に使っていたものを、よく料理に使おうと思ったな?」
「いや、僕たちは謎酢と呼んでいるけど、正式名は【ミステリアスビネガー】だよ? ビネガーなんだから料理にも使えるでしょ」
「写真用の現像液以上に強烈な酸臭なのに、実は食用だったとは………」
強烈な酸臭のお酢。
しかも何から作られているのか一切不明ゆえにミステリアス。
生産職の料理人たちがこぞって再現に挑んだが、並みいる挑戦者たちに絶望を刻んだ、ある意味で絶対の強者である謎のお酢である。
「よく、そんなものを手に入れられたな?」
「いや、普通に欲しいダンジョンアイテムを狙って宝箱を開けたら、必要もないのに簡単に手に入ったんだよねぇ。代わりに欲しかった素材は一つもゲットできなかったんだわ」
「物欲センサー~~~~~~ッ!!」
ダンジョン内では地上では手に入れることのできない特有のアイテムが手に入る。
生産職ですら再現は不可能で、それゆえに武器や防具の強化には欠かせないアイテムなのだが、手に入れるにはどうしても運要素が必要だ。
ゼロスもまた強化素材目的にダンジョンへ潜っていたが、物欲センサーに引っかかりお目当てのものは入手できず、代わりに謎酢をいくつかゲットしてしまった。
「ダンジョンの稀少アイテムってさぁ~、狙っても簡単に手に入れることはできないんだよ。そんで必要ないときに限って無駄に入手してしまうんだ。アド君にも覚えがるだろ?」
「まぁ………そういう事もあるな」
「どのみちカニやエビは消費しておかないと駄目になるし、在庫処分はしておくべきでしょ。僕たちだけじゃ食べきれん」
「在庫処分………」
無駄に捕獲したカニやエビを、ミヤビとタカマルに食わせて処分することに、アドの良心が痛んだ。
そんな彼の横では、一心不乱にチャーハンと野菜スープを平らげる姉弟の姿があった。
「ミヤビさん、左手がないと不便そうですねぇ」
「これは私が未熟だったために負ったケガです。不便なのは確かですが、自身の戒めとして心に刻む証と考えていますから、お気になさらずに」
「義手、作りましょうか? 腕を生やすことは無理ですが、多少の不便は解消できますよ?」
「客人にそこまでしていただかなくても結構ですよ」
「居候させていただく身ですしねぇ、家賃代わりに作らせてくれませんかい? 鍛冶場を使わせてくれるなら数日で完成させますよ」
おっさんの提案にミヤビは迷った。
ゼロスを信用できる人間かと問われれば、まだ分からないところが多い人物であり、簡単に気を許してはならない相手のような予感がある。
しかし左腕がないことで不便があることも確かなので、何とかしたいという思いもあるも、自分の迂闊さが招いた結果なのでゼロスが善意で言っているのであれば、その厚意に甘えるのは違う気もする。
かといって現時点で生活が難儀している事実は変わりない。
実に悩ましい。
「ふむ………なら実験と思ってくれませんかねぇ?」
「実験……ですか?」
「えぇ、僕はゴーレム――所謂魔力駆動式のからくり人形も作りますから、その技術の応用で義手も作れると思うんですよ。いろいろと試したいこともありますので」
「その『試したいこと』というものが気になります。その内容次第ですね。何をなさるつもりですか?」
「そうだねぇ、腕の部分に仕込み刃を入れたり、手の甲から気弾を放てるようにしたり、殴った瞬間に衝撃波を叩き込む仕様にしたりですかねぇ?」
「ぜひ、お願いします」
「「即答っ!?」」
ミヤビは兵器化した義手の構想に対し大いに興味津々になった。
相も変わらず人形のように無表情だが、多少興奮しているのか頬が少し赤い。
どうやらロマン武器に心が動かされたようである。
「ゼロス殿、それって義手じゃありませんよね!?」
「どう考えたってゼロスさんお得意の兵器化構想だろ! この機に乗じて趣味に走るんじゃねぇよ、普通の義手にしろや!」
「アド君や、普通の義手に何の意味があるんだい?」
「そうです。武家の者として、戦える手段と手札は多いに越したことはありません。有事に備えて武器を揃えておくのは当然のことではありませんか?」
『『駄目だ……この二人』』
ゼロスとミヤビ。
この二人は出会ってはならない危険物同士であった。
ギズモの街にきて三日目の朝、やばい職人とやばい思想持ちの二人は意気投合し、さっそく義手製作が始まるのである。




