中原動乱の序章の序章
メーティス聖法神国――いや、正確には『元』であろうか。
聖都【マハ・ルタート】を失ったことにより、国内の安定は各領地の貴族たちの手に委ねられたが、派遣された文官たちに領地を任せきっていた貴族達に国の立て直しなど簡単にできるはずもなく、大きな問題となっていた。
更に問題がある。
信仰の対象となっていた四神が今や世界を滅ぼそうとした邪神扱いとなり、かつて世界を滅ぼしかけたという邪神が本当の【神】であると、生き延びた人たちの口伝えで拡散されたことにより四神教の権威は地に落ちてしまう。
しかも召喚された勇者達のその後の処遇を、死んで逝った勇者達の逆襲と悪事の暴露を受けたという不名誉まである。
これにより宗教で国を纏めることが事実上不可能となってしまった。
「困ったことになりましたね……」
「フフフ、そう思うかい? 私には好機と思えるかな」
「好機……ですか?」
貴族の代わりに領地の監理を行っていた文官たちの前で、男は楽しそうに笑いながら窓の外を眺めていた。
歳の頃は二十代後半か、ブロンドの豪奢な髪が太陽光に照らされ、まるで王冠のように思わせる。彼は決して振り向くことなくやや興奮しながら話を続けた。
「これで何かと口煩い神官達を黙らせることができる。もう彼らの時代は終わったのだよ、次の時代は若者たちの手で切り開いていくべきだと思わないかい? そう、私のような……ね」
「まさか、祖国を裏切るおつもりか!?」
「祖国? 君は何を言っている? 国などとうに滅んでいるではないか。そう、神の断罪によって跡形もなくね。では、残された者はどう動くべきか、自ずと分かるのではないか?」
「……民のために、一刻も速く領地を治め安定させる――ですか?」
「そうとも! 民は不安に思っていることだろう。信じていた神は世界を滅ぼす邪神で、神官達は我らの都合で召喚されるも懸命に働いてくれた勇者達を謀殺し、挙句に今まで信仰を名目に民達は不自由を強いられてきた。新たな時代にはもっと自由で開かれた国が必要だと思わないかい?」
振り向きもせず芝居がかった口調で語る男に不信感はあるが、彼の言いっていることも正しいこともあり、文官達は何も言い返すことができない。
国の中心であった四神教の信仰と威信は地に落ち泥まみれ。
しかも縋ろうとした真の神もまた『人に都合の良い神など存在しない』と完全拒絶。
今必要とされるものは、民を一つにまとめ上げる求心力と政治力。そして混乱を力尽くに押さえつけるほどの軍事力だ。
現在それらを有している者は限られている。
例えば、目の前の男がそうだ。
「……卿。貴方がそれを成そうというのですか?」
「いやいや、さすがにそれは傲慢と言えるのではないかね? いくら私でもそのような大言は口にできぬよ。そこまで自惚れるほど自信家でもない」
「………では、例えばガルドア将軍のような方ですか?」
「ははは、あの方は軍人ではあるけど政治家ではない。国を興そうなどという野心など持ち合わせてはいないさ」
ガルドア将軍は民を思いやる騎士の中の騎士とまで言われ、英雄の器といっても過言ではない才を持ってはいるが、その本質はどこまでも戦士なのだ。
戦場では有能な将軍でも、国を治められるのかと問われれば首を傾げるしかない。何よりも高齢で引退時期でもある。
たとえ多くの民が王に担ぎ上げたとしても、彼には王になるには時間が足りないのだ。
「王とは民に望まれて生まれる存在だ。やみくもに剣を振り回す程度では決してなれない」
「しかし、このままでは国が荒れている一方ですぞ! 一刻も早く手を打たねば……」
「他国が攻め入ってくることを心配しているのかい? 周辺は小国だから、中原奥地である我が領に侵攻してくることはないだろう。国境沿いの領地などくれてやればいい」
「そんな……」
「どのみち今の私では、さほど事態を収めることなんてできないさ。中原は荒れる――これは確定したことだよ。君達も覚悟を決めた方がいい」
集められた文官達はそれぞれの顔色を窺う。
彼らを派遣したメーティス聖法神国の政治中枢は消滅し、今後の行動は彼らの意思によって決めなければならない。もはや誰も指示を出す者がいないのだ。
そして目の前の男は遠回しにこう言っている。
『自分に忠誠を誓え』と――。
「まぁ、答えを直ぐに出せとは言わないが、時間がないことも確かだ。君達がより良い選択を選んでくれることを願う」
「………一つ、よろしいですか?」
「なにかね」
「先ほどガルドア将軍は王に向かないようなことを仰せでしたが、では【アーレン・セクマ卿】はいかがですか?」
「あぁ……彼か。彼なら覇王でも目指すのではないかと思う。ただし、そこに民を救おうとかと言う慈悲の欠片は一片たりともない。断言するよ、彼は血に飢えた獣だからね。戦いに魅入られているのさ」
「まさか! 仮にも聖天十二将の一人ですぞ!?」
「聖天十二将の空きが多いことは君達も知っているであろう? 先のアトルム皇国との戦いで戦死した者が多い。ルーダ・イルルゥ平原での戦いでも戦死者を出しているし、生き残っているのはガルドア将軍とアーレン将軍――そして、私だけだ。一応、生存者もいるが彼らは二度と戦場に立つことはできない体だ。それほどの打撃を受けた戦いがあったのに、アーレンが戦場に出されなかった理由がわかるかい? 気まぐれで部下すらも殺すからだ……毎日のようにね」
「「「 !? 」」」
文官達は息を呑んだ。
聖天十二将の実力は勇者と同等と言われている。
その理由だが、彼らには少なからず勇者の――異世界人の血が流れており、一般の騎士達に比べて群を抜いた成長速度と強さを持っていたからだ。
だが、勇者の血統も世代を重ねることで薄まり、将軍の地位につける実力者は簡単に現れることがない。だからこそ実力を持った者を相応しい地位に縛り付けたのだ。
そう、聖天十二将も実はメーティス聖法神国の上層部には信用されておらず、将軍職に就けることで監視下に置かれていたのである。
「間違っても彼に仕えることがないことを願うよ。まぁ、それは君達の自由だがね。私からは何も言うことはない。好きにしたまえ」
「……いえ」
「我々の答えは決まりました」
「あなた様にお仕えすることにします、【フューリー・レ・レバルト将軍】」
「おいおい、将軍はやめてくれないか? これでも怪我で早々に将軍職を引退した身でね」
「御冗談を……。怪我などとうに癒えておりましょうに。将軍がお嫌でしたら伯爵と呼びましょうか?」
「そうして欲しいな。何にしても我が領にとっては喜ばしいことだ。君達の選択を無駄にしないよう、私も一層奮闘することをここに誓おう。これから忙しくなる」
フューリー・レ・レバルトは一見して舞台俳優のような優男だ。
女性受けしそうな甘いマスクに、優し気のある切れ長の青い瞳の目が特徴だが、ただの色男が将軍に選ばれるはずもない。
まして聖天十二将の地位を与えられるなど、その実力は他の将軍たちと比べても遜色はないのだろう。ただしどこか享楽的であった。
「それで今後の方針なのですが……」
「先ずは私達の領地の混乱を収めることにしよう。我が聖騎士団も健在であるし、なによりも君達という優秀な部下が就いたのだ。一年以内に事を収めることにする」
「い、一年……ですか?」
「アーレンが行動を起こしたとしても、まともに領地を治めるとは思えないからね。その前に領地周辺の貴族達も平定する。必要なら――攻め滅ぼす」
「そ、それは………」
「分っている。騎士団を動かすにも兵站がなくては意味がない。長期戦も視野に入れねばならないから、迅速に内政を安定させる必要がある。アーレンに私が動いたことを悟られる前にね」
これより貴族たちの領地を掛けた小競り合いが始まる。
他国の動きも気になるところではあるが、小国が支配できる領地などたかが知れており、警戒するべきだが深刻に考える必要はない。
むしろ警戒すべき敵は身近にいる。
『さて……楽しくなってきたな。アーレンの奴はどう動くのか、ゆっくり雑務を熟しながら待つとするか。彼ならおそらく私に都合よく動いてくれるだろう』
この日よりフューリーは自領の周辺貴族の領地を平定していくことになるのだが、あくまでも自領の民を守ることを強調し続け、国を興す宣言は一切口にしなかった。
同時に彼と同じように動き出した貴族たちは、今まで押さえつけられていた感情をぶつけるがごとく、他家との小競り合いを率先して始めるのであった。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
そこは大量の血で赤く染め上げられた部屋だった。
その血液の主たちは全員が四肢を縛り付けられているかへし折られており、身動きできない状況であったことが窺える。おそらくは一方的に痛めつけられて死んで逝ったのであろう。
遺体となった者達は誰も元の姿が分からないほど酷いありさまだった。
そんな中、最後の生存者と思しき男を棍棒で一方的に殴り続ける人物がいた。
血のように赤い髪、喜悦な笑みを浮かべサディスティクに殴り続ける男の目には狂気が宿り、もはや何の反応も見せなくなった最後の一人を容赦なく責め続ける。
泣き叫び許しを乞うていた男は、もはや何の反応も示さなくなったと分かると、その人物はつまらなそうに血にまみれた棍棒を無造作に投げ捨てた。
「あらら……もう全員死んだのかよ。最近の盗賊は骨がねぇな。簡単に逝っちまう」
そこは拷問部屋であった。
本来であれば捕らえた罪人を責め立て背後関係を自白させる場所なのだが、今やここは赤髪の男の娯楽室と化し、罪人をただ殺すだけの場となっていた。
男――アーレン・セクマは血を見るのが好きな異常者である。
彼の率いる騎士団も多少の差はあれ似た傾向が強く、騎士の立場でなければ殺戮者の集団と変わりない。
事実、多くの人達から処刑部隊と呼ばれ恐れられていた。
「ハァ~……つまんねぇ。雑魚をいたぶったところで満たされねぇんだよなぁ……。戦争でも始めれば派手に殺せるんだが……」
彼は狭い部屋で犯罪者を殺すより、大勢のギャラリーに見られる中で合法的に人間を殺したいという欲望に苛まれている。しかし騎士である以上はそんな場面など滅多にない。
それは英雄願望などではなく、他者の目の前で暴力で人間を壊すという快楽に酔いしれたいだけであり、そこに明確な理由など存在しなかった。
捕らえた盗賊を嬲り殺しにしているのも、抑えられない衝動を鎮めるための儀式のようなものだ。
『いっそ国を裏切って戦争でも仕掛けてみっかな……。こんな退屈な日々におさらばできるなら、それもアリだと思うが…………』
かなり物騒なことを企んでいた。
アーレンは聖天十二将に選ばれるほどの実力のある騎士だが、それ以外は人間としての良識や倫理観が破綻しており、他人だけでなく自分の命すら軽んじている。
仮に戦争など引き起こせば、周辺の貴族領から騎士団が派遣され、圧倒的な数の暴力により擂り潰されることだろう。
『それはそれで面白そうだが、長く楽しめそうもねぇよな。敵を民衆の目のある場所でぶっ殺して、恐怖でびびる連中を嘲笑うのも面白そうなんだが、面倒な仕事も背負い込みそうだ』
メーティス聖法神国に対しての反乱、拠点として弱小貴族の領地を奪うとしても、その後に続く戦いには対応しきれなくなる。
領地を奪ったところで管理維持を続けなければ兵站に影響が出ることもあり、領地運営に力を入れている暇はない。そんな暇があればどこかで戦いを仕掛けているだろう。
しかしながら部下がいる手前、食料の供給は絶やすわけにはいかない。
有効な手と言えば敵から奪い続けながら戦う戦法だが、これもあまり賢いやり方とは言えなかった。簒奪が目的と分かれば打つ手などいくらでもあるからだ。
「なぁ~にヤベェこと考えちまってるかねぇ、俺は……。こんな事を企んでいたなどと上のお偉いさんに知られたら、真っ先に異端審問に掛けられるわ。連中、俺を始末したくてウズウズしてっからなぁ~」
抑えきれない衝動と、国に監視されている立場という板挟みの中で、自由のないこの状況に苛立ち不満を覚えていたアーレンだったが、国に喧嘩を売るほど馬鹿でもなかった。
少なくとも、このときまでは……。
「お、お愉しみの最中、失礼します。将軍!」
「あん? これが楽しんでいるように見えんのか? スッゲェ不満だ。お前の目は節穴かよ。あぁ?」
「も……申し訳ありません」
「まぁ、いい……。んで、俺に何の用だ。くだらねぇ話だったらぶっ殺すぞ」
「報告します。聖都が……」
「聖都? 聖都がどうしたんだよ。さっさと言えや」
「聖都が……………ドラゴンの襲撃で壊滅しました。法皇様方の安否も不明とのことですが、おそらくは………」
一瞬だが『なんだよ。やっぱりくだらねぇ話じゃねぇか。こいつ、殺しちまうか』と思ったが、言葉の意味が脳裏に浸透してくるにつれ重大な事実に気づいた。
現在においてメーティス聖法神国の政治中枢が存在しないことになる。国内は混乱し、その波は国土全体に広がることだろう。
つまり、今後しばらくはアーレンの行動を咎める者達がいないということだ。
それどころか、将軍という地位を利用することで自由に配下を動かすこともできる。
『おいおい……マジかよ。いや、だが待て。自由になったからとはいえ、考えなしに派手に動くのはマズイな。あの気取り屋のフューリーに隙を見せるのは危険すぎる。さて、どうしたもんか……』
アーレンにとってフューリー・レ・レバルト将軍は面倒な相手であり、油断のならない敵という認識であった。同じ聖天十二将の一人とはいえ、とても気を許せるような相手ではない。
何よりもレバルト将軍は見た目以上に野心家であり、足下が不安定な今の状況下で戦うことにでもなれば、真っ先に軍を挙げて擂り潰されることだろう。
「マズイ事態だな」
「えぇ……しかも四神教が隠してきた悪事も何らかの力によって拡散されてしまい、四神の威光も地に堕ちました。このままでは国が崩壊してしまいますよ」
「バァ~カ、もうとっくに崩壊してんだよ。マハ・ルタートが滅んだ時点でな。このままだと給料が出るかのどうか怪しいぞ。(そう言えば……囚人を拷問していた時に、何か聞こえてたな。スキルか何かの力によるものだと思うが、アレ……悪事の暴露だったのか)」
「そこですか!?」
「給料は大事なことだろ」
給料云々はともかくとして、国の中枢の消滅は混乱を招く。
事を起こすにしても配下の者達が着いてきてくれるかどうか怪しいところだ。
何しろ彼らを留めておける財布が失われたのだから。
『どうすっかねぇ……。混乱、つまりは指導者がいないってことだろ? 俺がその立場に就くのは面倒だから、誰か適当な奴を見繕う必要がある。それも、とびっきり無能な奴であるならちょうどいい』
アーレンの思考はフル回転して今後の行動を計画する。
メーティス聖法神国は西や東国境付近の貴族ほど独立性が強く、有能な人物が領地を治めている。彼らの下に就くのは悪手だろう。
そうなると聖都近辺や中央と繋がりの強かった貴族を担ぎ上げた方がいい。
「なぁ、この近辺で無能な領主に心当たりはねぇか?」
「無能……ですか?」
「あぁ……本当にどうしようもなく小心者で、なんの才覚も持ち合わせないうだつの上がらねぇ、毒にも薬にもならないような貴族だ。周りに流されやすい傾向が強いなら最高だ。そんな使えねぇ貴族に心当たりはないか?」
「将軍……ズケズケと辛辣なことを言いますね。そんな中間管理職止まりのくせに、簡単な仕事すらまともに熟せない馬鹿貴族領主なんて、それこそ掃いて捨てるほどいますが?」
「お前も大概に辛辣だな……」
使えない貴族の心当たりが多すぎた。
まぁ、メーティス聖法神国は汚職にまみれた傾国なので、候補者が多いに越したことはない。選り取り見取りだ。
しかし、多少は貴族としての役割を自覚した小利口な貴族でなくては意味がない。本当の意味での無能者を神輿として担ぎ上げるのは愚行だ。
『まぁ、当面は文官をこき使えばいいか。楽しい戦争の舞台を整えねぇとな』
アーレンは国内が荒れることを歓迎しているが、面倒な事務仕事まで押し付けられたくはない。あくまで戦場で戦いたいだけなのだ。
民衆のような弱い相手ではなく、それなりの実力を持った騎士達を一方的に蹂躙したい。そのために必要なものは大義名分と体裁だ。
荒れた国を立て直すという合法的な名目と、民のために立ち上がった将軍という立ち位置を得ることで、合法的に武力を行使することができる。
問題は担ぎ上げる神輿だ。
「で、話を戻すが都合のいい貴族に心当たりはねぇか?」
「条件にもよりますけどね。正義感はあった方がいいですか?」
「要らねぇな。小者のくせに野心家というのが丁度いい。そこそこ領地を持っていて金払いが良ければ文句はねぇ」
「それなら、ある程度は絞り込めそうですね。少し待ってください、候補者を見繕ってみます」
「おう、早めにな。いつまでも砦に燻ぶってたら先を越される」
「誰にですか?」
「いけ好かねぇフューリーの糞野郎にだよ!」
フューリー・レ・レバルトは将軍であったが、同時に一地方を預かる若き領主でもあった。
騎士団を維持できるだけの財力や政治的な手腕を持ち、民からの信頼も厚い好人物として見られているが、アーレンは気づいている。
彼が腹黒い野心家であることを――。
ただ合法的な殺し合いを望み、殺戮衝動を開放したい欲求だけの自分とは大きく異なるが、あえて言うのであれば英雄願望とでもいうのだろうか。
「……奴なら王になることを目指すだろうぜ。今頃は机の前で虎視眈々と計画を練っているに決まっている」
「将軍も王を目指してみればいかがです?」
「冗談だろ、誰がそんな窮屈な地位に納まりたいなんて思うかよ。俺はただこの衝動を開放できればいいんだよ、戦場でなぁ」
血に飢えた獣――それがアーレン・セクマという男の本質だった。
だが、その感情はどこまでも純粋で、そしておぞましい。
抑えられない衝動を緩和するために、今まで盗賊などの虜囚や浮浪者を拉致し、暴力を加え殺してきた。
今までは報告書という紙切れ一枚で非合法な殺人を誤魔化してきたが、国が滅んだ今の状況下ではそれも難しい。だからこそ戦争を望んでいるのである。
「……奴は俺の殺戮衝動に感づいている。だからこそ動き出すのを待っているんだろうぜ。自分が英雄になるためにな」
「その病気さえなければいい上司なんですがね」
「俺にそこまで言えるのはお前くらいだ。みんな内心ではびびっているからな」
「いっそ、獣人族の戦いを仕掛けてみては? アンフォラ関門が落とされたみたいですよ」
「ことが落ち着いてからな。この平穏もせいぜい三か月で崩壊するだろ」
メーティス聖法神国は大義を失った。
四神教は既に邪教となり、今後の行く末は貴族たちの行動に委ねられる。
真っ先に動き出すのは有力な貴族だろうが、問題はアーレンの望むような戦場を用意してくれるかどうかにある。護衛務めとして傍に置かれるようでは意味がない。
「意外に早いかもしれませんよ」
「それならそれで構わん。俺は楽しい戦争ができそうな奴に売り込むだけだ」
「無能貴族は?」
「それは……アレだな。勇者共の言う保険ってやつだ。というわけで、使えそうな奴のリストアップを頼むわ」
「ハァ~………人使いの荒いことで」
騎士は頭を抱えながら拷問部屋から出ていった。
「………さて、この死体を片付けるとするか」
アーレンは拷問部屋を凍結させると、その過程で凍り付いた死体を粉々に粉砕し、水魔法で下水と流していった。
『しっかし……神官共は、なんでこんな便利な力を利用しようと思わなかったのかねぇ。かなり使えるじゃねぇか。馬鹿なんじゃね?』
聖天十二将の一人、アーレン・セクマ。
彼は密かに裏ルートで購入した魔法スクロールで魔法を覚えていた。
殺戮衝動を内に秘めた危険な男であったが、それ以上に片付けのできる綺麗好きな男でもあった。彼にとって魔法とは掃除に便利な道具という認識である。
そんな彼に掃除された拷問部屋は一流レストランの厨房のように整然と片付けられ、アイアンメイデンなどの拷問器具が磨かれ、真新しい医療器具のごとく銀色に輝いていたとか……。
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地震の影響で混乱していたソリステア魔法王国では、復興の兆しが見え始めたと同時にメーティス聖法神国の崩壊の報せが届き、王族も含め今後の対応の話し合いが始まっていた。
当然だがこの情報は各地に広がり、イストール魔法学院にも新聞という形で生徒達も知ることとなる。
「……先生があの国は亡びるようなことを言ってましたけど、本当に滅びましたね。それも、こんなにも早く……」
「わたくし達としては、あの目障りな国が消えてくれて喜びたいところですけど、現実はそれほど喜ばしいことではなさそうですわね」
「そうなんですか?」
「セレスティーナさんは貴族としての責務に携わっていないので、事の大きさにあまり実感が湧かないことも理解できますけど、かなり厳しい状況ですわ」
国の中枢ごと消滅したメーティス聖法神国。
予想できることは国が滅んでも残される貴族たちの動向であろう。
国境に面した土地を領地とする貴族は、所属する国の鞍替えをすれば混乱は収まるだろうが、聖都マハ・ルタートに近しい土地を領地とする貴族の動きは予測がつかない。
特にメーティス聖法神国は賄賂が横行していたこともあり、貴族同士の対立も根深いものとなっている。それを収めていたのが四神教という国教なのだ。
「そう遠くないうちに貴族同士の内乱が始まるというのが、わたくしのお父様の予想ですわね。戦火が広がって難民が押し寄せて来られると、現状ではさすがに対応はできませんわ」
「聖法神国は無駄に国土が広いですからね」
「貴族同士で戦争を始めるのは構いませんけど、巻き込まれる民の身にもなって欲しいですわね。あの国の貴族は傲慢な方々が多いですから、きっと酷い状況になると思いますの」
「戦争という行為自体が酷い状況なんですけどね。国土が荒れたら戦争どころの話じゃないんですけど……」
「街や村から焼け出されたことにより、貧困層が増え産業が著しく滞り、やがて我が身に返ってくるのですわ」
「戦争するにもお金がかかりますから……」
貴族同士で戦争が起きた場合、滅ぼされるか先に予算が尽きるかで勝敗が決まる。
仮に勝ったとしても失われた兵力の補充が難しく、そのうえ兵を一から育てていく余裕も時間もない。弱ったところを突かれ逆に滅ぼされかねない危険な綱渡りだ。
しかし弱小貴族にとっては旨く事を進めることで成り上がれる好機でもある。
「才能のある人が台頭してくることになるのでしょうか?」
「そうだと思いますわ。冷静で狡猾で、そして時に大胆な行動を取れる方が出世していくとは思いますわよ? ですが……勇者を利用するだけして裏で殺してきた方々ですから」
「四神教……酷いですね」
今回の事で四神教の悪事が広く知れ渡った。
聖都マハ・ルタートにいた勇者達が生きているかどうかは分からないが、真実を知った以上は離反することは免れない。つまり勇者が戦力にならないことは確実だ。
勇者に縋れない以上、持てる兵力で生き残る術を探さなくてはならない。
「結局は才気あふれる有力な貴族の下に集中するか、迅速な行動で周辺の敵対する貴族を倒していくしかありませんわ。少なくとも中立を保とうとする方なんて信用できませんし、されませんもの。問題は……」
「その戦争がこちらにも飛び火しないかということでしょうか」
「こちら側に鞍替えする貴族は、向こうからすれば裏切り者でしょうし、罪人の引き渡し要求を名目に戦争を仕掛けてくる可能性がありますの」
「罪人って……情勢を見て賢く立ち回っただけですよね? そんな強引な……」
「馬鹿は目先のことに囚われて、多少強引な手を使ってでも領土を広げたいと思うんだよ。寝返った貴族の領地の防備など、連中とそれほど変わりないからな。奪うこと限定で行動するなら簡単にできるぞ。まぁ、順調なのは最初だけで、後に手痛い打撃を受けるだろうがな」
「「ツヴェイト様(兄様)!?」」
「随分と物騒な話をしているな。お前ら、こちら側に来る気にでもなったのか?」
いつの間にかツヴェイトが傍らに来ていた。
淑女らしかぬ話題で盛り上がっていたことに赤面するキャロスティと、背後から唐突に声を掛けられ未だに心臓の動悸が激しいセレスティーナ。
そう、二人がいるのはツヴェイト達が近接戦闘訓練をしている訓練場だった。
「まぁ、そこは裏で親父達が動いているだろうから、寝返った貴族は今頃陛下と謁見でもしてんじゃないか? 狙ったのはおそらくは辺境伯あたりだろ」
「お父様なら確実にやりますね。むしろ聖法神国が滅びる前からコンタクトを取っていたんじゃないかと……」
「だろ?」
「公爵様なら、そのようなことをしていても不思議ではありませんわ。なぜあの御方が王でないのか、本当に不思議でなりません」
「悪い意味で自由人だからな………」
教養もあり、頭もキレ、しかも大胆に行動できる度量を持つデルサシス公爵。
しかし彼は王ではない。
その才覚を持ち合わせていても、やっていることはマフィアの首領のようなものだ。しかし裏でも表でもそのカリスマ性は隠しきれていなかったりする。
「俺は陛下が可哀そうに思えてくる……。あんな化け物じみた人間が従兄弟なんだぞ? 俺だったら立ち直れない。実の息子でもキツいのに……」
「まぁ………そうですわね」
「きっと裏方仕事が好きなんでしょうね。ところでお兄様、訓練はもうおしまいですか? 先ほどウルナと格闘していたようですけど」
「あ~……さすがに獣人との訓練はキツいわ。あのタフネスさには着いていけねぇ。アレで混血だということは、純血だとどんだけタフなんだよ。聖法神国の連中も良く相手にできたな……」
「神聖魔法という切り札があったからじゃないですか?」
ツヴェイト達は聖法神国が獣人達を奴隷にしてきた歴史があるが、なぜそんな真似ができたのか理由がわからない。ウルナを相手にしていても謎が深まるばかりだった。
だが、そこにはソリステア魔法王国で暮らす獣人と、ルーダ・イルルゥ平原で暮らす獣人との間に決定的な違いがあることに気づいていない。
ルーダ・イルルゥ平原で暮らす獣人は考えなしで突撃する脳筋で、ソリステア魔法王国の獣人は文明に慣れ、考える頭を持った獣人だ。
補足すると損害を恐れず正々堂々の突撃一辺倒か、損害を極力避け戦略と戦術を用いて勝利を狙うかと、要は環境で獣人達の性質に差が出るということだ。
教育とは実に大事である。
「【闘獣化】持ちの異常なタフネスの戦士とやり合うんだぞ。神聖魔法は防御一辺倒だけでは、連中の攻撃を防げるはずもないことはお前も分かっているだろ? 罠に填めて一方的に倒すしかない。ウルナ一人でも今までの魔導士ではとても相手にならん」
「それはウルナさんが特殊だからでは……。サーガス様のお身内なのでしょう?」
「まぁ、獣人と互角に戦えるほどの実力者だからな……。養子のウルナも手ほどきを受けていたとしてもおかしくはねぇが、単純にあの身体能力は脅威だ」
「そのようですわね………」
三人の視線の先では、ウルナとウィースラー派の学生達が組み手をしていた。
ウルナ一人に対して男子学生が数人がかりとは少し卑怯くさいが、彼女はその数の優位を技量で凌駕している。大人を相手に子供がじゃれついているようなものだ。
「あははは、もう少し切り返しを良くしないと、隙を突かれて吹っ飛ばされるよ? こんなふう、に――!」
「ごはぁあ!!」
「くそ、なんであの角度から蹴りが放てるんだよ! しかも体勢の立て直しも速い。まじぃ……惚れそうだ」
「おま、こんな時になに言ってんだ!?」
「強い女が好みだったのかよ!? どうでもいいけど包囲網を崩されるな、各個撃破されるぞ!!」
「嬉しいけど、告白するならアタシより強くなってね~。それじゃ、いっきまぁ~~す!」
「「「「ぐぅ~~~あぁ~~~~~~~~~っ!!」」」」
ウルナの竜巻のような蹴り技で包囲陣形を組んでいた男子たちが全員吹き飛んだ。
【闘獣化】のような戦闘スキルは使用していないが、蹴りを放った瞬間に発生した衝撃波は明らかにスキルと同等の威力を持ち、ウルナよりも身長や体重に勝る男子達が面白いように弾かれる。
「さぁ、もう一勝負いってみよぉ~か。もし勝てたらデートしてあげるよ」
「マ、マジ……ですか? なんという……ご褒美を…………」
「しゃらぁっ、ぜってぇ勝ってやんぜぇ!!」
「女の子とデート……。ここまで餌をぶら下げられて逃げるなど、それはもう男じゃない!」
「本気ってやつを見せてやらぁ!!」
欲に塗れた男子達は一斉にゾンビのごとく起き上がる。
彼女いない歴=年齢の彼らにとって、デートという言葉は闘志に火をつけるどころか爆発させるのに充分な効果を発揮した。たとえご褒美程度の一時事的なデートでも彼らにとっては命を懸けるに値する価値がある。
やる気の炎が宿った彼らは三割増し男前な真剣な表情で構えをとると、我先にとウルナに挑んでいった。だがいくら真剣になろうとも実力差が埋まるわけではない。
程なくして返り討ちとなった男子達は宙を舞う。
そんな哀れな彼らの姿を見て、ツヴェイトは額に手を当てて『あの馬鹿どもが……』と呟いた。
「ウルナ……強くなってねぇか? 前に戦闘訓練に紛れ込んでいた時よりも、技にキレがあるんだが……」
「出会った頃、魔法が使えないことで虐められていたのが嘘のようですね。今なら魔力の塊くらいなら簡単に放てますよ? 魔法もいくつか覚えたようですしね」
「それ、とんでもなく成長が早いですわよ!? どうやったらあそこまで……」
「知らないところで過酷な修行でもしてんのか? あいつは……」
ウルナにいいようにあしらわれ続けていた男子達は、一撃でKOされていく。
死屍累々の彼らとは異なりウルナだけが元気一杯だ。
疲労とダメージによって困憊し地面を舐める男子に彼女は目もくれず、高々と拳を天につき上げ、『ダァ~~~~ッ!』と可愛らしく咆えていた。
「どうでもいいが、お前らは訓練しないのかよ」
「えっと……さすがにあそこまで実戦向きなのは、ちょっと……」
「男性を相手に一対多数なんて無理ですわ」
「自分の身くらい守れなくちゃ駄目だろ。男の10人くらい同時に相手して、返り討ちにできなくてどうすんだ?」
「「 無茶です!! 」」
ツヴェイトは貴族として敵から身を守る訓練は必要と考えていたが、淑女に求めるには少し考え方がズレていた。
ゼロスの影響で常識の枠組みから若干外れているきているのかもしれない。
対してセレスティーナとキャロスティだが、筋肉がついて手足が太くなることが嫌で、あえて実戦訓練を減らしていた。
複雑な乙女心と武への向上心、決して交わることのできない境界がそこにある。
この後、脳震盪を起こして気絶した男子を医務室に運ぶため、担架が何度も訓練場を往復することになるのであった。




