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エロムラ、社会的な死の危機に晒される



 四神VSジャバウォック&飛び入り参加の邪神ちゃんとの戦いにより、聖都マハ・ルタートは滅んだ。

 辛うじて生き延びた者や、たまたま地下にいて被害を免れた者は、そのあまりにも凄惨な光景に力なく崩れ落ち、神による断罪の結果を見て絶望する。

 ジャバウォック(正確には元勇者達)のスキルにより四神教の罪は国中に知れ渡り、もはやこの国は神聖な神の国家などではなく、世界が滅ぶ寸前にまで追い込んだ邪教国家となってしまった。

 しかも国の中枢であった旧大神殿は消し飛び、残された建物も崩れ果て、国の再建もままならない状況に陥った。


「……終わりだ。我々は………本当の神に見限られた……」

「四神は………神などではなかったのだ」

「我らの仕出かしたことは、世界を滅ぼしかけたことだけ……。しかも関係のない異世界人達を巻き込んで……」

「死んで逝った勇者達が復讐に来るわけだぁ、我らは何と愚かであさましいことか! そりゃぁ、神にも見捨てられるよなぁ? ヒハハハハハハハッ!!」


 神殿や教会を襲撃していたドラゴンの正体、四神の命で行われた勇者召喚の危険性とその結果。そして復活した真の神による断罪によって齎された現状。その後に起きた地震による被害によって絶望のどん底に落ちて行った。

 今やメーティス聖法神国という国名そのものが罪の象徴となり、そこに住む者達は共犯者という立場だ。何しろ四神教の信徒の国なのだから。


「どうすれば許される……」

「今までの教えは全てが嘘だったのか……」

「ならば、我らのしてきたことはいったい……」


 敬虔な信者や裏で私腹を肥やしていた不埒者など、本当の神の降臨を見てしまえば犯してきた罪に耐えられるわけもなく、己の行いに対して深く懺悔するしかできなかったが、どれだけ神に罪を悔い許しを請おうとも、その悲痛な声は届くことはない。

 全てが手遅れであった。

 そんな彼らとは無縁の者達もいるが……。


「うっわ……酷い惨状だな」

「僕達が地下を彷徨っている間に、いったい何が!?」

「あのドラゴンの襲撃で、ここまでの被害が出たのか!? それにしては……」


 下水道に落ちてしばらく地下をうろついていた勇者の【八坂学】、【川村龍臣】、【笹木大地】の三人である。

 彼らは邪神降臨や四神の敗北する光景を見ておらず、出口を探して歩き回っていた頃に地震が起き、天井のレンガが崩れたことでやっと地上へと出てきたのだ。

 そして目にした聖都の惨状は、まさに地獄だった。


「まるで空爆でも受けたような惨状だぞ」

「あのドラゴンがここまでやったのか?」

「んなことより、風呂に入りたい」


 下水道を歩き回った三人は、酷い悪臭を放っていた。

 そんな彼らの姿は嫌でも目立つというのに、瓦礫と化した聖都の生存者たちは見向きもせず、ただ天を呆然と眺め涙を流している。

 あるいは跪きながら必死に祈りを捧げる者や、狂ったかのように笑い上げる者。はたまた地に伏しながら泣き続ける者など様々だ。

 三人は『まぁ、今までの悪事を暴露されたんだから、しょうがないよなぁ~……』と、同情の視線を向けることしかできない。

 だが――。


「あぁ……邪神よ。いや、我らが神よ! お許しを………今一度我らにお慈悲を!!」

「見捨てないでくだされ……。貴女様に見捨てられたら、我らはどうしたら………」

「うふふ……もう、手遅れなのよ…………。私達は四神に……あの邪神たちに唆されたままその威光に縋り、今まで散々悪事に手を出してきたのだから……」

「許されるわけがない………」

「我らにできるのは、ただ静かに滅びゆくことのみよ………」


 ――何か様子がおかしい。

 それ以上に聖都の惨状が酷すぎる。

 確かに元勇者達の集合体であるドラゴンは暴れていたが、龍臣たちが見た限りではここまで壊滅状態ではなかった。それ以前にあのドラゴンは自ら姿を見せていたことで、関係のない一般人が避難する時間を与えていたように思える。

 復讐のためとはいえ、ここまで徹底した破壊の限りを尽くすとは到底思えなかった。


「あのドラゴン……容赦ないな。ほとんど更地じゃないか……」

「笹木……本当にあのドラゴンがここまでやったと思うのか? 仮にも僕達の同胞だぞ。復讐の対象は四神教なのだから、一般人を巻き込んでまで暴れるとは到底思えない」

「川村もそう思うのか? 俺も……同意見だ。でなければ外周の城壁から姿を見せ前進してきたことに辻褄が合わない。多少の犠牲者が出ることは容認していたと思うけど、彼らの目的はあくまでも四神教の総本山だったんだからさ」


 笹木はともかく、龍臣と学の意見は同じだった。

 しかし、地下から感じた限りでは派手な戦闘が起きていたことは疑いようのない。

 

「おいおい、現実をよく見たら? 現に中心街は完全に消滅しているし、第二城壁も破壊され住宅街にも被害がてるんですけどぉ~?」

「八坂はどう思う?」

「憶測だけど、たぶんあのドラゴンは四神と戦ったんじゃないか? 仮にこの憶測が当たっていたとして、勝敗がどうなったのかまでは知らんけど。気になるのは……」

「なぜ、『彼らが邪神の慈悲をすがっているのか?』だね」


 理から外れた異形のドラゴンの存在を四神が許すとは思えず、三人が地下で逃げ惑う中で戦闘が行われるとして、そこに邪神という新たなピースが加わることに疑問を覚える。


「考えられるのは………」

「ややや、八坂氏、川村氏……それとクズ笹木氏! い、生きていたんだな、だな!」

「「「 サマッチ!? 」」」


 唐突に声を掛けられ振り返れば、そこに少々小太りのオタな少年が感涙の涙を流して立っていた。

 

「サマッチ、よく無事で!」

「この有様で正直生存は絶望していたよ」

「まぁ、オタはしぶといからな。簡単には死なないと思ってたぞ」

「笹木氏は……ほ、本当は心配なんてしてなかったんだな。とってつけたような言葉で言われても、ううう、嬉しくないんだな」

「チッ!」


 今まで散々調子に乗っていた笹木大地の口から出た言葉も、日頃の行いのせいで何も響いてこないほど、まったく信用されていなかった。

 内心を見透かされてことに対し舌打ちする大地は、人として最低だろう。


「サマッチ……再会できていろいろ聞きたいことはあるんだけど、いったい何があったんだい? 地下に落とされていたから状況が分からないんだ。法皇様達も無事なのかい?」

「そ、それなんだけど……じつは……………」


 サマッチの口にした真実は、想像以上に混沌としたものだった。

 元勇者達のドラゴンは法皇を含む神官達を神殿ごと消し飛ばしたが、そこに四神が現れて交戦状態に入った。神としては理から外れたドラゴンの存在を無視することができなかったように思われ、その戦闘も四神有利に進みドラゴンは敗退したのも束の間、今度は邪神が顕現したという。

 四神はその邪神と交戦に入るも、結界を張られたことで逃げることすらできず、一方的に蹂躙されて敗北。

 恥も外聞もなく邪神に救いを求める神官達に対し、邪神に『人間に都合の良い神など存在するものか』と信仰を真っ向から否定され、彼らはとどめを刺されてしまう。

 

「――で、ご覧の有様なんだな」

「………思った通りの結果だったか。それにしても、なんてカオスな状況だよ」

「最悪だぁ!!」

「それより、皆はどうなったんだい? この状況だとまさか……」

「あ~……ほ、他の勇者達って話なら、ぶぶ……無事なんだな。さささ、作業場を地下にしていたから、入り口が瓦礫に埋もれただけで助かったんだな。皆、自力で脱出してきたんだな」

「「「 良かったぁ~……… 」」」


 生産職の勇者達は全員無事だったことに学たちは安堵する。

 メーティス聖法神国の惨状には、今まで利用されてきたという立場上どうしても自業自得としか思えず、同情はするがそれ以外の感情は湧かなかった。

 見知らぬ他人の不幸よりも、同じ世界から来た仲間の方が優先度は高いともいえる。


「んなことより、これからどうする? もう、この国は滅亡したも同然じゃないか。これ以上義理立てする必要はないけど………」

「笹木氏の言う通りなんだな。利用されるためだけに召喚されたと判明した以上、ぼぼぼ、僕達がこの国に留まる必要もないんだな」

「僕としては復興に手を貸したいところだけど………無理だよね。僕達は戦うことしか教えられていないし、それに………」

「このままだと中原は戦場になるだろうな」

「なんで?」

「「「 ハァ~……… 」」」


 大地は何も理解していなかった。

 元より他人の功績や上前を横取りするような人間なので、その場での姑息な思い付きは得意であったとしても、政治のような先を見据えた思考が働かない。

 何しろ、勇者に与えられた特権にどっぷり浸っていた人間なのだ。この国が現在どのような状況に置かれているのか予測することなど絶対にない。


「笹木……よぉ~く考えてみて。メーティス聖法神国は四神を信仰していたけど、実は世界を滅ぼしかけていた元凶で無能神だった。それがバレたということは?」

「えっ? えっと………」

「実在する神を後ろ盾に、この国は今まで散々他国に対し圧力をかけていた。だが、その後ろ盾が無くなった以上、他の国が黙っているわけないだろ。今までのツケを払うことになるだろうな」

「つまり?」

「笹木氏がここまでお馬鹿だとは思わなかったんだな。せせ、戦争になると言っているんだな。もしくは内乱かもしれないんだな」


 それはつまるところ、勇者達の後ろ盾となっていた国が無くなるということでもある。

 給料を支払ってもらえることもなく、未来の展望や先行きが不透明になったことにより、今後の身の振り方を考えなくてはならない立場となった。

 下手をするとこの世界の人達に逆恨みされかねない危険性もあるが、なによりも勇者達はできるだけ早く決断し、行動に移さなければならない。

 でなければ見受けすることを条件に内乱に参加させようとする可能性も出てくる。そのような予想を大地に伝えると、彼の顔は蒼褪めた。


「それ……俺達も戦争に巻き込まれるってことか?」

「巻き込まれるだけならいいよ。逃げればいいんだから……」

「死んだ仲間を悪く言いたくないけど、勇者の中には特権を利用して散々好き勝手に振舞っていた。下手をすると捕まって奴隷にされるかもしれない。そうなったら逃げることすらできなくなる」

「さ、笹木氏は危ないんだな。今までやりたい放題だったんだな……」

「お、脅すなよぉ、キモデブ!」


 大地は与えられた特権を欲望のままに利用しすぎていた。

 国中を廻りながらも横暴に振舞っていたこともあり、民衆から相当恨まれている可能性が高い。メーティス聖法神国が事実上壊滅したとなると守ってくれる者は誰もいないのだ。

 当然だが他の勇者達も大地を守ってやるつもりはない。


「な、なぁ………仲間なんだから、助けて……くれるよな? な?」

「「…………」」

「なんで黙るんだよぉ、川村ぁ! キモデブぅ!!」

「諦めろ。岩田やお前は性欲丸出しで欲望の限りを尽くし、俺達の忠告をまともに聞いたことがないだろ。俺は、お前が奴隷落ちになったとしても助ける気はないぞ」

「てめっ、八坂!」

「それよりも、俺達がこの国に留まっていること事態が問題だ。後ろ盾であった四神教の総本山が滅んだ以上、おそらく領主共が独立する動きを見せるだろうから、捕まったら都合よく利用されかねない」

「そうだね。なら……僕達にできる手立ては限られている」


 学ぶと龍臣の脳裏に亡命という言葉が浮かぶ。

 問題はどこの国へ向かうかだ。


「グラナドス帝国はどう?」

「駄目だな。俺も川村も国境で一度はあの国の兵士と殺し合っている。ましてメーティス聖法神国は、昔から何度も侵略戦争を仕掛けていた。向こうにとって俺達は排除すべき敵だろ」

「なら小国になるね。僕としてはソリステア魔法王国が一番いいと思うんだけど」

「二大国ほどじゃないが、他の小国と比べて大きい国だからな。妥当なところだとは思うぜ?」

「じゃぁ、さっそく移住希望者を集めようか。と言っても、しばらくは宿暮らしだから大勢は無理だけどね」

「身近な人達だけでいいだろ。ぶっちゃけ、夜逃げみたいなもんだからな」


 こうして勇者達は他国への移住の決意を固め、移住に向けて準備を始めた。

 この提案に賛同したのは生産職の勇者全員と、一部の聖騎士や神官達。そして……腐の伝道師である転生者が率いる創作活動者達であったという。


 ~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~


 エロムラは困っていた。

 背中に伸し掛かる大量の本の重みで身動きが取れず、何もできないままただ地面にへばりつき、ひたすら救助を待ち続けていた。


『なんで……こんな事になったんだろうか?』


 エロムラは自問自答を繰り返す。

 なぜ彼が本に埋もれてしまったかというと、地震が起こる数時間前にさかのぼる。

 ツヴェイトの護衛役であるエロムラは、基本的に通学と寮への帰宅以外、日中は暇な時間が多い。

 偶に他の生徒の手伝いやナンパをすることがあるが、普段は学院内をうろつくだけの簡単なお仕事だ。あとは別口でセレスティーナに近づく男子生徒を報告するだけである。

 まぁ、上位成績者であるツヴェイト達は学院の講義を受ける必要もないので、もっぱら研究室で独自の研究に明け暮れているため、講義室に出入りすることはない。

 あったとしてせいぜい臨時講師の時くらいであろう。

 そんな長い暇な時間を潰すため、彼は大図書館を訪れた。


『やっぱ、邪な考えで図書館を利用した罰かなぁ~……。だって、しょうがないじゃん……偶然にも目に入っちゃったんだもん』


 そう、このエロムラ君はそもそも図書館で読書に耽るような男ではない。

 そんな彼が興味を引く本と言えば、デッサン用の裸婦ばかりの絵画を集めた画集とか、あるいは性に関する医学書か、なぜか存在した69手の達人技が記載されたHowTo本くらいだ。

 最後の書籍がなぜ大図書館にあるのかと問われると、それは学院内にいる学生は成人した者が多く、学生結婚する生徒が正しい知識を学ぶことで間違いを防ぐことを目的としたからである。

 まぁ、それでも若さゆえに恋愛に燃え上がり、デキ婚する者が多いのだが……。

 要は計画性を持って行為に励めということなのだろうが、エロムラはそんな彼らとは異なり邪な興味からその書籍を手に取り、青年向け雑誌でも読むかのごとく没頭した。

 健全な男子であれば仕方がないとも思えるが、今回はそのHowTo本を成人雑誌の代わりとして立ち読みしようと棚から引き抜いた瞬間、タイミング悪く地震が起こり大量の書籍の下敷きになったのだ。

 今はただ救助を待つばかりである。


「お~い、無事な奴はいるか! 返事をしろ!!」

「この声、同志かっ!? お~い、ここにいるぞぉ!!」

「エロムラ!? なんでお前が……。大図書館を利用するような性格じゃないだろ」

「失礼じゃねっ!? 俺だって本くらい読むわいっ! それよりも早くここから出してくれぇ~」

「今、隣の列で救助活動中だ。幸いケガ人は少なく、無事だった連中も救助作業に加わってくれている。思っていたよりも作業が早く進んでいるから、もう少し待ってろ」

「頼むわぁ~、本が重いんだよ。暗いし狭いし、怖いよぉ~」

「お前、閉所恐怖症だったのか?」


 エロムラは別に閉所恐怖症というわけではない。

 近くまで救助が来ていると知り心に余裕ができたのか、思わずどこかの金持ち高校生ネタが出ただけに過ぎない。そのネタにツッコミを入れられる者はどこにもいなかった。

 完全に滑っている。


「まぁ、あと一時間くらい待ってろ。本棚が重くて苦戦しているからな」

「お~……待ってるよ」


 救助に難航している理由は収蔵された大量の本を移動させる作業だが、それ以上に問題なのが本棚の形状だ。

 普通の本棚であれば人手を増やすことで立て直すことも可能だが、エロムラがいる場所の本棚は微妙に湾曲しており、曲線の多い場所に設置することを目的とした特別仕様だ。

 元の状態に戻すにも順番が決められており、失敗すると最初からやり直しになってしまう。

 だが、エロムラはそのような救助活動の進行状況など知るはずもなかった。


『いやぁ~、一時はどうなることかと思ったが、何とか助けてもらえそうだ。』


 いつ救助されるか分からない不安が消え、エロムラは安心した。

 だが、彼は一つ重大なことに気づいていなかった。

 大きな震災により建物や家具によって埋もれた場合、生存に必要な事柄がいくつかある。


 その1.水分。

 身動きが取れない中で長時間生存するのは難しく、雨水などで飢えを防ぐことができれば生存率も高まり、死なないまでも衰弱状態でなんとか救助されることができる。

 現在、エロムラが水分確保必要性は皆無である。


 その2、食料。

 人は食べなければ生きていけない。閉じ込められた状態でも食べ物があれば心にゆとりも持てるだろうが、極限状態で飢えを凌ぐための計画性が求められるだろう。

 だが、もう直ぐ救出されると分かっているので、これを心配する必要はない。


 その3.排泄。つまりはトイレ。

 震災時ではライフラインの殆どが停止状態であり、まして倒壊した建物の中ではトイレなど使用は不可能。瓦礫に埋もれていた場合は特にそうだ。

 生きている以上、排泄は自然の法則なのでどうしようもなく、身動きの取れない状況下では推して知るべし。現在のエロムラがここに該当する。


 一時間ほどで助かると分かっているので油断していたが、三十分の時間が経過したときに、とうとうそれがやって来た。


『ま、まずい……。う●こしてぇ!!』


 急に来た腹痛。しかしエロムラは身動きが取れる状況ではない。

 まだ小さい方でなくてよかったが、次第に腹痛が火奥なっていく状況に、彼は脂汗を流していた。

 体の態勢を変えることができれば多少違うのかもしれないが、腹を抑えることすらできない状況に、地獄の苦しみを味わう。


「どどどど、どうしぃ~~~っ!! 同志ィ!! 早く何とかしてくれぇ、腹が……腹がいてぇ!!」

「どうしたぁ、どこかケガでもしていたのか!?」

「う、うぅ……んこしてぇ!!」

「…………は?」

「トイレ行きてぇんだよぉ、このままじゃ……大きい方…漏らす……」

「そうは言ってもなぁ……」


 現在、エロムラ下敷きとなっている本棚の二つ先の棚を、生徒達が全員で元に戻している作業中だ。

 大量の本も同時進行で運び出している途中なので、とてもエロムラが潰されている場所にまで手が回らない。何しろ一つの棚だけでも相当な量の書籍数だ。


「エロムラ……あと二時間くらい我慢しろ」

「いいい、一時間じゃなかったのぉ!?」

「思っていた以上に作業が難航している。あっ、今棚を元に戻し終えたところだ。やっと手前の棚のところまで手が回りそうだ」

「のぉおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉうっ!?」


 そう、腹痛に苛まれる者にとって、トイレに行いけないということは苦行に等しい。

 一度意識してしまうと時間が徐々に長く感じるようになり、一分一秒の時間が拷問を受けているような錯覚に陥る。エロムラにできることは待つことだけしかできない。

 断続的に来る腹痛と身動きできないもどかしさ、そして焦燥感と迫る臨界点がエロムラを苛み、それでも無様な姿を晒すまいと尻に力が入る。

 その行為がさらに腹痛を意識させる悪循環。


「どどどどどど、同志ぃ~~~っ! ヘルプ……ヘルプミ~~~~~っ!!」

「今、本を運び出している最中だ。棚に残された書籍を撤去しないと、重すぎて引き戻すことができないからな」

「あ、悪魔ガァ~~~~っ! 茶色い悪魔が迫りくるぅ~~~っ!!」

「緊急時だし、漏らしても誰も笑わないと思うぞ?」

「嫌だぁ~~~~っ!!」


 エロムラの限界は近かった。

 しかし、救助活動をしているツヴェイト達も懸命に動いており、これ以上は作業ペースを上げることはできない。

 書籍の物量もさることながら、立て直した本棚と倒れた棚の間隔は狭く、多くの人員を動員することもできない。下手に大勢を動員することで倒れた棚のバランスが崩れでもすれば、伸し掛かる本棚と書籍の重量で下敷きになっている学生を圧殺しかねない。

 被災者である生徒と救助に当たるツヴェイト達も時間との勝負なのである。


「ツヴェイト、第5班の魔力回復は終わったよ。今からいけそう」

「そうか……。ただちに作業に復帰してくれよう伝えててくれ」

「同志―――っ! 腹に……腹にガスが溜まって……。屁をこいたら中身も出そう……早く助け出してプリ~~~~ズ!!」

「………ツヴェイト。今のは?」

「…………聞くな」


 エロムラの腹に限界が来ていることはツヴェイトも気づいていたが、だからといってエロムラを優先し救助作業を大雑把に行うわけにはいかない。

 状況を見誤り下手な指示を出せば、危険になるのは救助を待つ生徒たちなのだ。


「「「「『我が意に従え、見えざる手。【念動サイコハンド】』」」」」


 生徒達は無系統魔法【念動手】を使い、大量の本を一気に運び出す。

 この魔法は言ってしまえばサイコキネシスだ。

 不可視の力場を生み出し、物体を移動させるだけの効果しかないのだが、こうした雑務に使用するには丁度良い魔法でもある。

 相当重い物体でも楽に運べて一見便利な魔法に見えるが、重量に対しての魔法消費量は比例しているので、重量が増えるほど魔力の消費率は増える欠点がある。

 ただ、単純な運搬なだけに複数人と使用することで効果も大きくなるため、その利便性から生徒達が協力して使用していた。

 しかも、ローテーションを組んでのチームプレイにより運搬作業は効率よく進み、救助作業の時間短縮も繋がっているが、消費した魔力の回復に時間が掛かってしまう。

 そこは人海戦術でなんとかなっていた。


「おっし、片付いたな」

「フックを掛けろ。手が空いている者は下場の抑えを担当してくれ」

「身体強化魔法をかけた。いつでもいいぞ!」

「「「「 せ~~ぇ~~~のっ!! 」」」」


 天井にいくつか設置してある滑車にフック付きワイヤーを通し、本棚がズレないように身体強化魔法を使用して抑え、引き上げるかのように本棚を立て直す。

 これでやっとエロムラがいる本棚に着手できるようになったのだが、ここにきて彼の尻に限界が使づいていた。


『おぉおぉおお……やばい。このままじゃ俺、社会的に死ぬ………』


 大勢の目がある場所で大を漏らす。

 ただでさえ人としての地位が底辺に落ち込んでいるというのに、ここでそのような粗相をしてしまえば立ち直れない。

 しかし、ツヴェイトの救助は間に合いそうになく、自力で何とかしなくてはならないと判断した。


『落ち着け、俺……。下腹部に力が入っているから便意が早まるんだ。いちど力を抜いて……いやいや、逆に尻の方に向かっちまう!? 穴で何とか遮りつつ、波が静まるまで待つほかねぇ……。頼む、静まってくれぇ!!』


 身動きできぬ中での苦闘。

 その足掻きが実を結んだのか、それともトイレの女神さまが微笑んだのか知らないが、迫りくる便意が一時的にだが静まるのを感じ取った。


『ちゃ……茶色い悪魔が去っていく……』


 その瞬間、好機と見たエロムラの両目は『クワッ!』と鬼気迫る表情で見開き、【ブレイブナイト】職の戦闘スキルを発動させた。


「スキル発動! 【ブレイブハート】っ、ぬおりゃああぁぁぁぁぁっ!!」


 全魔力を攻撃と身体強化に回すスキルを発動させ、エロムラは倒れた本棚を真下から強引に持ち上げた。

 突然の事態に救助作業に当たっていた学生達は驚き慌てる。


「な、なんだぁ!?」

「まさか、真下から持ち上げてんのか!? この棚、かなりの重量なんだぞ!!」

「んなことより……さっさと、本棚を……何とかしてくれ…………重い」

「フックを引っ掛けろ! 倒れる前に引き上げるぞ」


 エロムラの魔力が急速に消費されていく中で、学生達は慌ててて本棚を立ち上げる作業に入り、何とか本棚を元の位置に戻した。

 

「「「「 おーえす、おーえす……… 」」」」

「お、おい……エロムラ? お前、こんな無茶して腹は大丈夫なのかよ」

「大丈夫だ……問題……………っ!?」


 固有スキルの【ブレイブハート】で余計な力が入ったのか、エロムラに再び――いや、それ以上の腹痛が突然襲う。

 しかも限界寸前のギリギリ状態ときた。


「Oh~~~~~s、Noooooooooooow!!」

「お、おいっ!」


 腹と尻を抑え内またで小走りに、しかも高速で走り去っていくエロムラの姿をツヴェイトは見送った。

 程なくして近くのトイレから『Ohooooooow、あっ♡』と聞こえた。


『………漏らさなかったか。まぁ、掃除しなくて済んだからいいか』


 流石のツヴェイトも誰かが漏らした後始末などしたくなくい。

 とりあえず救助お呼び片付け作業に戻ろうとしたとき、彼の足下に落ちていた書籍に偶然目が止まった。

 いくつかの裸婦絵画集と共に、なぜか【漢道、薔薇色入門編。~押忍!先輩。俺をもっとシメてくれ~】という書籍が紛れていた。

 少々頭を抱えたが、不意にそこでエロムラが挟まれていた所であったことに気づく。

 エロムラが大図書館で何をしていたのか理解したくもないのに、状況証拠で理解できてしまった。そして疑惑も生まれた。


『…………あいつ、いつのまにそっちへ目覚めだんだ? つか、なんでこんな書籍が大図書館の棚に紛れてんだよ!』


 ただし冤罪である。

 唐突に湧いたエロムラへの疑惑と、大図書館の蔵書を管理している管理部がなぜこんな書籍を入荷したのか、ツヴェイトはただただ困惑するのであった。

 一方で、トイレに駆け込んだエロムラはというと、『俺は……転生者だから我慢できたけど、同志達だったら我慢出来なかっただろう』などと、便器の上で座したまま爽やかな笑みで呟いていたとか……。

 余談だが、エロムラは単にHowTo本を隣の書籍と間違えただけであるが、この日からしばらくツヴェイトから変な目で見られる日々が続いたという。


 ~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~


 いまだ余震が続くなか、学院を一望できる時計塔のテラスに二つの影があった。

 一人はメガネの良く似合うクールビューティーなメイドで、もう一人はピンクの忍び装束を着た少女である。ミスカとアンズであった。


「……これ、報告書」

「ご苦労様です、アンズさん。ふむ………建物の被害は少ないようですね」

「でも、代わりに内側の被害が大きい……。片付けが終わるまで、だいたい一カ月くらいだと思う」

「天災ですから仕方がないのでしょうが、国内全域に被害が出ていると思うと国家予算だけではどうにもなりませんね。この不安定な情勢下の中で間の悪い……」

「なにか……あるの?」


 ミスカはどう答えるべきか一瞬迷う。

 アンズには護衛だけでなく情報収集などを行ってもらっていたが、それはあくまでも学院内での話であり、彼女には政治的な問題から意図的に離されていた。

 いくら常識外れな手練れとはいえ、年端のいかない少女に政治に首を突っ込ませるのは気が引け、それ以上に政治の闇側に踏み込ませたくはなかった。

 でなければアンズのような有能な人材に護衛だけ任せるはずもない。


「何と答えたらいいか以前に、私の立場では口に出せませんよ」

「イサラス王国……戦争、仕掛けそう? この国でも被害が出ているのなら、メーティス聖法神国でも同じようなことが起きていると思う。今なら不運続きのあの国に攻め込むチャ~ンス……。私なら攻める……」

「ハァ~……政治の世界には踏み込ませたくなかったのに、いつの間にそのような情報を………。そうです。そして、それは中原で戦争が頻発するということになりますね。この国にも飛び火するかも知れません」

「国境に多少無理してでも部隊を集中させておくべき……」

「このような状態で?」

「難民……困るでしょ?」


 大規模な地震の影響によって各国が混乱する中、領土拡大に動く国は二か国。

 ソリステア魔法王国は支援している立場だが、今この時に動かれるのは困る。食料や武器だけでなく資金援助も同盟するにあたり確約された条件だからである。


「各領地で復興の目途がつかない中で動かれるのは、正直よろしくない事態です。ですが動かせる人材に限りがある以上、国境に派遣する騎士の数が足りないのですよ」

「………魔導銃は?」

「部品の量産は始まっていますが、ある程度数を揃えてから組み立てるつもりでしたので、騎士団全体に回す余裕はないわね。というか、アンズさん。なぜにそんな軍事機密を知っているんですか?」

「魔法ヲタの部屋に設計図があった。あと大砲の……」

「機密である設計図を持ち出したのですか…………。あの馬鹿は……って、大砲? なんですか、それは……。私は知りませんよ」

「ん……わかりやすく説明すると、魔導銃を大きくしたもの。理論上、製作可能。たぶん、学院で製作して実験するつもりだと思う」


 クロイサスがソリステア領から持ち出した魔導銃の設計図。

 それを基に、より大きな武器の設計図を描いたクロイサスは間違いなく天才なのだろうが、そこに常識や軍事機密といった重要な要素が綺麗さっぱり抜け落ちていた。

 大砲という新兵器の設計図には興味あるが、この事実を放置して学院でクロイサスに勝手に動かれては困る。この学院には他国からの留学生もいるのだ。

 情報が洩れて他国でも開発量産されては洒落にならない。


「その大砲の設計図、魔導銃の設計図と共に回収してきてください」

「設計図は、魔法ヲタの頭の中にもある……。記憶がなくなるまで殴る?」

「外傷が残らないよう、薬物で記憶を消すことは可能かしら?」

「……無理。私に………そんな薬物は作れない。ミノムシ状態にして一週間の逆さ吊りでは?」

「それも面白ですが、記憶を消すことができたか判断しにくいですね。確実に消去できる方法はないものでしょうか?」

「………難しい」


 ミスカとアンズの二人は過激な性格という部分で意気投合していた。

 それはともかくとして、今は設計図の回収が急務である。一応は軍事機密の扱いになるのだ。

 

「折檻は保留として先ほどの設計図回収、お願いしますね。現状調査の二度手間になりますけど」

「……了解。すぐに終わらせてくる」

「あっ、くれぐれもクロイサス様を人生終了(終わり)にしないでください。あんなのでも使い道がありますから」

「……承知した」


 一瞬にして姿を消したアンズに頼もしさを感じながらも、公爵家の次男坊のいい加減さに頭を痛める。今は魔導銃の存在すら他の貴族にも極秘とされている段階なのだ。

 実用性を追求し、軍での運用に試験部隊の設立を検討されている最中であり、ソリステア公爵家配下の騎士達に性能テストをさせてはいるものの、未だ威力が大きいだけで弓の代替え品程度という意見が多い。

 弾の連射ができないため、魔法を込めた矢を使用するのとさほど違いがない状況だ。むしろ射撃音がしないだけ弓の方が静穏性で優れているともいえる。


『まぁ、どんな武器も使い方次第ということなのでしょうが……。次弾装填だけは早いですしね。さてさて、どうなることになりますやら』


 隣国との情勢と今回の震災による影響、そして同盟国の動きに魔導銃の量産化と、この流れがどのような事態に発展するのか先行きが不安であった。

 だが、ミスカを含めたこの世界の住民たちは気づいていない。様々な情勢以外のファクターが既に動いていたなど……。

 もっとも、超常的な存在の動きなど、ごく少数を除いて誰も知りようはないのだが――。



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