世界再生の余波は災害を呼ぶ
世界樹より生成された魔力の奔流は、南半球で眠りについていたダンジョンコアに魔力を吸収されたことにより、一時的にだがその流れを減衰させたものの堰き止めておけるはずもなく、北半球に流されたことにより多少の地殻変動を起こすこととなった。
所謂地震というものだが、その震度4~5弱程度の軽い揺れではあるものの、比較的に地震の少ない北大陸の西側地域一帯では耐震強度の低い建物が倒壊し、各国では混乱する事態にまで発展した。
被害を受けていないのは山岳地域にある小国であるイサラス王国と、同じく山脈寄りにあるアトルム皇国くらいだろう。
当然だがソリステア魔法王国でも耐震設計のなっていない建物は崩壊し、国内では一時的に政務が停止し、各行政も混乱の中に落ちていた。
領主の立場にある貴族達もそれぞれの領地へ戻りその対応に追われるなか、ソリステア公爵家の対応は思っていた以上に早く、騎士団総出で救助活動に当たっていた。
「倒壊した建物の瓦礫撤去は後回しだ。今は生存者の救出を最優先にせよ! ケガ人は医療魔導士達に回せ」
「こちらに要救護者を発見! 瓦礫が邪魔なので撤去作業の人手を回してください!」
「第七衛兵隊を救助に当たらせよ!」
「住宅街の被害が一番酷いな……」
「古い民家が多いからな。それとアパートの倒壊が酷い……」
サントールの街は古い建築物が多く、特に民家においては強度不足から建物の自体が崩れるものが多かった。街中にいたっては古い積層構造のアパートだ。
元がレンガ造りの上に周囲を漆喰で固めた建物が大半で、内部構造は柱と梁で固定され、床に薄くセメントを流しただけの耐火加工を施した程度のものと、耐震強度など気休め程度のものでしかなく横揺れに対して比較的に弱かった。
壁が崩落した程度であれば被害が少なかったほどで、完全に建物が崩壊したものも多く、瓦礫の撤去作業で救助活動は難航している。
「担架を持ってこい!」
「これは折れているな……。添え木で固定してから運ぶぞ」
「このご老人はもう……。打ち所が悪かったようだ……」
「子供の方は重傷だが息はある。なんとしてでも助けるぞ!」
救助活動には多くの人達が協力し合っていた。
被災した者達でもケガを負うことのなかった人達は騎士団と共には瓦礫の撤去に従事し、治療に当たっている医療魔導士たちは次から次に運び込まれるケガ人の治療に追われる状態。まさに戦場状態だ。
特に医療魔導士は急遽結成されたため、いまだ人員が揃わないだけでなく被災地現場での実践経験もない。そのせいか実践が実戦に変わるほど医療効率が悪かった。
野営診療所はまさに地獄のような有り様となっている。
戦場に出たことのないリサとシャクティは、『野戦病院とはこんな感じなのだろうか?』という感想を持ちつつも、あまりの悲惨な光景に言葉も出なかった。
「イデェ! イデェよぉ!! なぁ、早く治療してくれよぉ、なぁ!!」
「この子を……この子を早く助けて!! お願いします!!」
「父ちゃんが……父ちゃんが目を開けないんだよぉ! 助けて……」
次々と運び込まれる重軽傷者。
医療魔導士の中でさっそく魔力枯渇で倒れる者も出ており、治療に当たる者達に先に潰れてしまうことは避けなければならないが、状況がそれを許してくれない。
そのような地獄の状況にリサやシャクティ達も駆り出された。
因みに、デルサシス公爵やクレストン元公爵も現場に出て陣頭指揮に当たっている。彼女達はこの二人に引っ張り出されたようなものだ。
「酷い状況だね。これじゃ先に魔導士の方がもたないよ」
「医療効率が悪すぎるのよ。重傷者と軽傷者を同時に相手にしているんだもの」
「なにぶん、彼らはこのような経験は初めてだろからな。効率の良い医療行為などまだ確立してはいないのだよ。何かいいアイデアはないものかね」
「軽症者と重傷者は分けるべきね。軽症者はポーションなんかで治療できるけど、重傷者は体の損傷個所や具合によって治療方法は大きく変わるわ。場合によっては手術も必要になるから、優先度をつける必要がでてくる。特にこうした災害などは複雑骨折だけでなく、見た目は損傷がなくても内蔵なんかにしている負傷している場合があるから、念入りに診察する人も必要よね」
「あっ、医療関係の海外ドラマで見たことがあるよ。確か、負傷したケガの状態で色分けして、重傷者を優先的に治療するんだよね。かすり傷程度のケガは黄色、骨折などは青で、重傷者が赤だっけ? よくは覚えてないけど」
「なるほど……実にわかりやすい。それは戦場でも使えるな。直ぐにでも採用させよう」
デルサシス公爵は行動が早かった。
二人の話を聞いてすぐに部下へと命を下し、色違いの紐や診察に回る医療魔導士を三名ほど準備すると、即座に実践へと投入する。
同時に、診察に回る医療魔導士の傍にも護衛を就け、なるべく混乱を抑えるようにするなど、とても初めて経験するとは思えない迅速な行動をしていた。
「私達はポーション作りね。このままだと直ぐに消費しそうだし」
「それはいいけど、材料は足りるのかな?」
「そこは任せておきたまえ。材料はこちらで手配しておくのでな、君達はできるだけ質の良いポーションを製作してほしい。そろそろ錬金術師もこちらに到着するだろう」
「現場で総動員して製作することになるのかぁ~。ゼロスさんとアドさんが居てくれれば、少しは楽だったんだけど……」
「外交上の問題で、彼らには別の場所に出向してもらっているのだよ。今回は運が悪かったと思うしかあるまい」
「いない人のことを考えても仕方がないわ。私達はここでできる限りのことをしましょう」
既に錬金術師が使用するためのテントが準備してあり、リサとシャクティはさっそくポーション作りを始める。
倒壊した建物や家族などの安否を確かめようとする人込みの中を、他の錬金術師たちが必死でかき分けて来るあいだ、彼女達はそれまで医療の現場を支え続けることになる。
~~※~~※~~※~~※~~※~~※~~
突然の地震によって被害を受けたのは住宅街やそこに建つアパートだけではない。
旧市街の教会でも壁が崩落するといった被害が出たが、幸いルーセリスとそこに住む子供達はケガ一つ負うこともなく、余震も続く中で片付け作業を行っていた。
「ふい~、凄い揺れだったね。礼拝堂の十字架が倒れてくるんだもん」
「固定が甘かったんじゃないか? こんどからはドワーフの職人に修復してもらおうぜ」
天井や壁に施された装飾も剥がれ落ち、厳かな雰囲気であった礼拝堂も今や荒れ果て、並べられた長椅子には埃を被っていた。
そんな中、ジョニーの目の前に埃で汚れているが、ニスでつやを出した木目の美しい小さな小箱が落ちてくる。
「アンジェ、ジョニー……喋ってないで手を動かせ。つか、天井から変なものが落ちて来たんだが、なんだこれ」
「こんな箱、いったいどこにあったんだ? それがしの記憶でも見たことがないのだが……」
「開けてみない? もしかしたらお宝かも知れないよ。それを売って肉を食うのさぁ~、肉ぅ~~~~っ♪」
「「「「その前に壁の修理の方が先じゃないのか?」」」」
見事なまでに大穴が空いた教会の壁。
しかし、その教会の壁を修復する予算がないのも事実。
悩んだ挙句に落ちてきた箱を開けてみることにした。
だが――。
「なぁ………。これ、宝石みたいだけど……」
「うん……凄くヤバイ気配がするね」
「これは………売るとかそういう次元の話ではないな。絶対に封印しておかなければならない類のものだ。故郷を出るときに似たようなものを見た気がする。あの時はお札であったが……」
箱の中から出てきたものは黒色の宝石で、異様に禍々しい気配を漂わせていた。
本能からくる危険の報せが、この宝石は世に出してはならないと警告している。
見ているだけで怖気が走るのだ。
「ラディ、アンジェ……箱の表面をよく見ろ。これ、魔法陣じゃないのか? 読めないから分からないけど、たぶん封印の術式だと思うんだが……」
「チッ……使えねぇ。これじゃ肉が食えないじゃないか……。こんなガラクタさっさと捨てちゃおう」
『『『『 肉が絡むと口調が悪くなるのはなぜなんだろう…… 』』』』
どこまでもブレない肉至上主義者のカイであった。
ジョニーは宝石をそっと箱に収めると、その上から紐でこれでもかと言わんばかりに縛り上げ、念入りに接着剤を紐に湿らせて固定した。
それでも異様な気配が出ているようなのだが、とりあえずは簡単に開けることができないようにしたので、子供達は片付けに集中することにする。
「ジョニー君、あの宝石のことをシスターに言わないでいいの?」
「後でちゃんと伝えるさ。けど、できることならおっちゃんに相談するべきだと俺は思う」
「そのおっちゃんがいねぇだろ。それまで誰かに開けられないようにしないとな」
「それにしても……この箱はどこから落ちてきたのだろうか?」
「ん~……たぶんだけど、礼拝堂の装飾裏か梁の上に隠してあったんじゃないかな。さっきの揺れで天井の一部が壊れて落ちてきたんだよ。それよりも売れるものはないの? 最近ご無沙汰だったから肉が食いたいんだ……」
「「「「 それよりって……重要なことだろ 」」」」
教会の装飾裏に隠されていたとなると、それなりに値打ちのあるものなのかもしれない。
しかし、誰にも知られないように隠していたことから、盗品の可能性も捨てきれない。
よく見ると箱以外にもカフスや指輪など、教会にはありえない高そうな小物や装飾品が床に散らばっていた。
「この箱以外は全部集めて、衛兵の詰め所に届けた方がよくないか?」
「やばい気がするよな……」
「ん~……でもおかしくない? この教会に隠されていたって、いつ頃の話なのかな。落ちてきたということは、少なくともこの教会が建てられていたときか、修繕作業の時に隠したと思った方が妥当じゃない?」
「こちらに布袋が見つかったぞ? 随分と古いものだ。おそらくだが、この袋に他の物を入れていたに相違あるまい。修繕作業中に隠したと考えると、あとで回収する気があったと見るべきであろうな。この箱だけ梁に固定していたのは、おそらく隠しておける隙間がなかったからであろう。いや、隠す時間がなかったのか?」
「どうせなら肉を入れておけばいいのに……。呪い憑きの宝石なんて、なんて気が利かないんだ」
「「「「 いや、普通に腐るだろ 」」」」
肉は時間すら超越すると本気で考えていそうなカイ君だった。
それはともかくとして、この箱に封印されていた宝石を含め、ますます盗難疑惑が強まった。しかし問題は年代だ。
この旧市街の教会はソリステア魔法王国以前の建物で、それより以前は別の国が存在しており、これが盗難品だと仮定するならば少なくとも百年近く隠されていたことになる。
法律の上で過去の盗難品を発見した場合、その所有者が誰になるのかが問題だ。発見者か教会の現管理者か、あるいはその上司であるメルダーサ司祭長か。
もしかしたら教会の所有権を持っているソリステア公爵家になる可能性もある。
「………司祭長に話すのは問題ないか?」
「うん………全部お酒に換えられそう」
「いや…………いくら司祭長でも、それは………」
「無いとは言い切れまい」
「司祭長、信用がないんだな……。肉をくれるいい人なのに……」
何気に酷いことを言う少年達であった。
とりあえず拾える者は回収しておくことにする。
「みんな、ここにいますか?」
「おっ、シスター」
「うむ、みなここに揃っておるぞ?」
「私は、これからご近所さんのところを廻ってケガしている人がいなか見てきますから、少しのあいだ留守にします。後片付けですが……」
「まぁ、家がまるごと潰れたところもあるようだしな。シスターはケガ人の治療に専念してくれていいぞ。あとのことは俺達がやっておくよ」
「ポーション足りる?」
「救急箱は持ったか? ハンカチは? 鞄に渡航許可証は入れた?」
「旅行に行くわけじゃないんだから。けど土産はバボーンさんとこの串肉でお願いぷりーず」
「…………」
こんな事態だからこそ安心させようとする子供たちなりの気配り。
しかし見事なまでにスベっていた。
「それじゃ、留守のあいだお願いしますね」
「俺達なら大丈夫だから、気にしなくていいよ。早く行ってきなよ」
余震の続く中で不安は残るも、救急箱を持ち慌てた様子で教会を出ていくルーセリスを子供達は見送った。
「天井……落ちそうだよな」
「古い建物であるからな、仕方あるまい」
「シロアリに食われてらぁ~」
「実は危険な場所に住んでいた?」
「このままだと危ないから、天井の板ごと剥がしちゃおうよ。腐っているから楽勝さ」
いつの間にか柱をよじ登り、天井の梁に上っていたカイ。
太っているのに意外と身軽であった。
そして独断で天井を剥がし始める。
「……いいのかよ。アレ」
「言うな、らでぃ……。それがし達は何も見ていない、そうであろう?」
「まぁ、白アリに食べられているらしいし、後から天井が落ちてきたと言えば誤魔化せるかな?」
「口裏を合わせるのか。意外と黒いな、アンジェ………。あっ、しまった。この宝石のことシスターに言うの忘れてた」
「「「 あっ……… 」」」
緊急時なので仕方がないと諦め、瓦礫の撤去作業を黙々と行う五人。
このあと、腐食を理由に剥がした装飾や天井の板などの廃材を、どう処分をどうするべきか悩むことになるのだが、話し合いの末に焼却することに決めた。
見た目はみすぼらしいが歴史だけは長い教会で、隠れた自慢であった天井画が失われることとなったのだが、不可抗力なのでお咎めを受けることはなかったとか。
ただ、数十年後にこの教会を訪れた芸術家が、お目当てであった過去の歴史的な作品が焼き払われた事実を知り、卒倒することになるのは別の話である。
~~※~~※~~※~~※~~※~~※~~
旧市街地は新市街地の住宅街に比べ、自身による被害は大きくなかった。
だが、それでも倒壊した建物は幾つも見られ、被害の大きさに言葉をなくすルーセリス。
「これは……酷いですね」
旧市街の建物はすべて古いの建築様式のものが多く、一見真新しいように見えても壊れた個所を修繕した継接ぎ建築が多く、地震に対しては比較的弱かった。
幸いと言うべきか平屋の建物が多かったため、受けた被害も壁に穴が空いたとか天井が落ちてきたというものばかりで、住民の人的被害は見た限りでは少ない。
だが、さすがに二階建てに増築した建物は被害を免れることはできず、土台となる一階部分が潰れた家屋が多くみられ、近所の人達が総出で救出作業に当たっていた。
「皆さん、大丈夫でしたか?」
「お~、ルーセリスの嬢ちゃんかい。儂らは大丈夫だったんじゃが、イテツんとこの次男坊が潰されてのぅ」
「俺達が何とか助け出そうとしてんだが……」
「なにか問題があるんですか? 柱と瓦礫に埋もれて救出が困難とか……」
「いや………」
「なんかもう……助けなくてもいいんじゃないかと、儂ら全員が思うようになってのぅ」
「え?」
救出作業に当たっている人達が凄くうんざりした表情を浮かべていた。
中には額に血管が浮かぶほど憤慨している人達もいる。
そして、一階部分が潰れた家屋から聞こえてくる若い男性の声。
「早くしろよぉ、このウスノロ共がぁ!! 無駄に長く生きているだけのごく潰しが、先のある若者を命がけで助けろよ! なにやってんだよ、こっちは足が折れてんだぜぇ。いてぇ、いてぇんだよぉ、死んだらどうすんだぁ!! てめぇら全員、呪ってやるからなぁ!!」
「黙ってろ、このごく潰し! こっちは今、子供を助け出すので手一杯だ!!」
「ガキなんざほっとけ! 死んでも兄貴たちが夜にハッスルして、直ぐにポコポコ生えてくるんだからよぉ!! 俺を優先しろよ、俺に懐かねぇガキなんてくたばっていいだろうがっ!! 働き盛りの俺様のほうがクソガキより大事だろぉ、なぁ親父ぃ!!」
「あん? いつまでたっても定職に就かねぇクズ息子より、孫の方が大事に決まってんだろ。どうせ今日も金を盗みに来て、このざまになったんだろうが! 天罰だ。てめぇが死ねや!!」
「ふざけんなよぉ、お……親父は俺がこのまま死んでもいいってのかぁ!?」
「おう! 今まで好き勝手に生きてきたんだ。死に顔もさぞ安らかだろうな」
「それが息子に言う言葉かぁ!?」
命の危機であるほど人の本性が良く分かるというが、被災者の一人はかなりのクズだった。
周囲の人間だけでなく、実の親からも愛想を尽かされるほどの最低な人物のようで、ルーセリスが昔やんちゃしていた頃に、街でシバキ倒した覚えのある人物でもある。
悪い意味での幼馴染だった。
「………」
「なっ? 助けたくなくなるだろ」
「…………救出した後に埋めませんか? あんな感謝の言葉すら言えないような自己中心的な人なんて、生きていても仕方がないと思います」
「嬢ちゃん……過激だな。まぁ、その気持ちは良く分かる」
「むしろ助け出すのは最後でいいかもしれません。自分の行いを反省する良い機会だと思いますね」
「同感だ」
見た目が聖女でも好き嫌いははっきりしている。
特にこの次男坊には対しては今でもナンパ目的で偶にちょっかいを掛けてくるのだが、当人は過去にルーセリスによってシメられたことを思い出せないのか、そのしつこさは往診の邪魔になるほど迷惑極まりない。
そんなこともあり、ルーセリスがこの次男坊に対する態度は限りなく冷たい。道で見かけると意図して避けるほど嫌っている。
元より好かれる要素のないこの次男坊は、ご近所さん達もルーセリスと同様に嫌っていた。どれだけ注意しても態度を改めないのだから当然である。
「子供の方は救出で来たぞ! 擦り傷はあるが無事だ」
「こちらに連れてきてください。すぐに治療しますから」
この会話が聞こえたのか、次男坊は即座にルーセリスに助け求めることを思いついた。
毎日、貧乏人のために安い金額で治療をしてくれる聖女のような女だから、きっと自分を助けてくれるだろうという打算で声を荒げ叫ぶ。
「ル、ルーセリスぅ! 大事な旦那が目の前で死にそうなんだぞぉ、親父達を何とか説得して助けろよぉ!!」
「あの、旦那って誰のことですか? アナタとはそんな関係になった事実などありませんので、勝手なことは言わないでくれませんか」
「はぁ!? お前は俺の女だろぉ、なにふざけたこと言ってやがんだ!!」
「私には婚約者はいますけど、間違ってもあなたではありませんよ? 年上でとても頼りになる方ですから、周りに誤解を生むような言葉は慎んでくれませんか。迷惑です」
「そんなの認められるかぁ!! お前は俺のものになるんだよぉ、おとなしく従え!!」
「………現在瓦礫の下敷きになっているあなたに、なにができるというんですか? これ以上勝手なことを言い続けると………処しますよ?」
次男坊は勝手に俺の女宣言をしているだけだが、ルーセリスとしては看過できない発言だ。こんなところをゼロスに見られ誤解されたくない。
所用でおっさんが遠方に出かけていることが救いだった。
「ハッハッハ、俺を処すってぇ~? 勇ましいなぁ~、おい。女のお前になにができんだよ」
「そうですね。路地裏で殴り倒し、マウントポジションで拳を叩き込み、気絶させて全裸で逆さ吊りでしょうか?」
「…………はっ?」
「覚えていますよね? 昔……孤児仲間にいちゃもんつけて、私に散々殴られた後に中央広場の街灯に逆さ吊りにされましたよね? よく覚えています。あなた、あの頃と何も変わっていないんですね」
「………へっ?」
「成人したのに禄に定職にもつかず、今も遊び歩いてお金が無くなれば実家から盗むって、いい歳して何してるんですか? 大人として恥ずかしいとは思わないのでしょうか。そのくせ、たいして強くも無いくせに、女子供のような弱い相手にしか粋がることしかできず、強い相手には媚び諂うんですよね? あ~……昔のあだ名はチキンでしたっけ。今はニートチキンですね」
「あ………あぁあああああぁっ!?」
次男坊の脳裏に呼び起こされる過去のトラウマ映像。
孤児だった女の子を男の子五人で取り囲み、路地裏で悪質ないじめをしていたときに、その少女は角材片手に現れた。
問答無用で五人全員を殴り飛ばし、リーダー気取りだった次男坊をマウントポジションで殴り続け、気絶後は全裸にされて街灯に吊るされていた。
腹に塗料で『卑怯者のチキン野郎』と書かれて……。
「あ~……アレやったの嬢ちゃんだったのか。アレは傑作すぎて笑わせてもらったな。こいつ、昔から人の言うことは聞かなくてなぁ~」
「今もこの馬鹿の顔を見ていると、吊るされた無様な姿を思い出しちまってな。説教するよりも先に、笑いを堪えるのが大変なんだよ」
「威勢のいいこと言ってるけどよ、フル〇ン逆さ吊りを思い出すと………ブフッ!」
「泣き叫んでたよなぁ~……。『見るなぁ~、見ないでくれよぉ~……助けてママぁ~』だっけ? 今も昔もママに迷惑かけることしかできないのかよ。呆れるぜ」
「あぁああああああああぁぁぁぁぁっ!?」
人は過去を積み重ねて現在を生きている。
大なり小なり良い事や悪い事、そういった経験――とりわけ心に強く印象付けられた出来事は忘れることができず、何かの拍子で思い出すものである。
トラウマのような記憶もまたその一つで、いくら心に蓋をしても記憶の奥底にはいつまでも残り続けるものだ。けして消えることはない。
偶にルーセリスを見かけては執拗に口説いてきた次男坊だが、その彼女がまさか過去に自分に向けて制裁を下した少女であると知り、記憶の奥底に隠し続けた嫌な記憶が鮮明に思い出された。
そして年配のおじさん連中に思い出され、過去の恥が現在を塗り潰していく。
『やめ……ごめんなさい。もうしないから……』
『………』
『いたい……いたいよぉ~。なんでオレがこんなめに……』
『…………』
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……』
腹の上にまたがり、無表情のまま延々と拳を繰り出す少女。
薄暗い路地裏のしかも見上げるような被害者構図での光景は、ちょっとしたホラー的な雰囲気で記憶され、在りし日の少年の心に恐怖心マシマシで深く刻み込まれた。
気づいた時は全裸で逆さ吊りにされ、今まで馬鹿にし、虐めていた相手にも笑われ、親からは悪事がバレて怒られ、ついでに友達だと思っていた者は全員が離れていった。
それからはしばらくボッチ生活が続くこととなった。
ルーセリスが神官修業に国を出ていた頃まで引きこもり、ほとぼりが冷める頃に外に出て、以降再び同じような悪事を繰り返すようになった。
結局、同類のクズのような連中とつるみ悪事を働くしかなく、親からも呆れられ絶縁されたのだが、その愚か者が忘れていた過去が再び世間の明るみ晒されようとしていた。
「まさか、こいつが伝説の初代【全裸で吊るされし者】だったとは……。まったく気づかなかったぜ」
「伝説にまでなっているんですか?」
「あの頃、路地裏ではどうしようもない悪ガキが溢れてたからな。あの一件以来、仲間を傷つける奴らに同じ制裁をするようになったんだ。ボス気取りのクソガキが集中的に狙われて、大勢の人前で晒し者にされたんだわな。俺も五回ほど制裁した記憶がある」
「そういや、悪さしていたガキ共が急におとなしくなった時期があったな。バカ息子と同じ目に遭った連中がいたってことか」
「私、一回しかやっていませんでしたよ!?」
当時、さすがのルーセリスも全裸で逆さ吊りはやりすぎたと反省し、以降は同じ手段を用いたことはない。
まさか模倣犯が続々と現れていたとは思わなかった。
しかも、目の前にその模倣犯がいることに驚きを隠せない。
「こいつはレジェンドなんだよ。これは皆に教えてやらねぇとな」
「や、やめてくれぇ~~~~っ!! お願いだから、それだけは……」
「断る。確かお前、俺を殴って店の商品を勝手に持っていくとき、こうほざいていたよな? 『男のくせにやり返すことのできねぇチキンは、おとなしく俺に従っていればいいんだよ』ってよ。お望み通り仕返しさせてもらぜ。なぁ、伝説のフルモンティさんよ」
「それだけはやめてぇ!! ルーセリスぅ、そいつを止めてくれぇ!!」
「あっ、助けられたお子さんの治療があったんでした。片付けのお手伝いができなくてすみません」
「いや、良いって。嬢ちゃんは自分ができることをやりな」
「はい、救助活動頑張ってください」
「おう、任せとけ」
「ちょっとぉ!?」
この災害時に自分のできることを成すため、ルーセリスはその場から離れ救助された子供に治療行為を始めると、他の男達もまた片付け作業に移ろうと動き出す。
だが、ここにまだ瓦礫の下敷きになった者が一人いた。
「なぁ、おっさん。こいつを助け出すのか? 俺的には2~3日このままでもいいと思うんだが」
「反省しないフルモンティなバカ息子だからな。放置でもいいだろ」
「だな。ロクデナシがくたばろうとどうでもいい」
「なっ、嘘だろ!? 助けてくれるよなぁ、おい! 親父よぉ!!」
日頃の行いが非常時に大きく災いする。
散々横暴な態度で迷惑をかけまくっていた男は、親を含め周囲の人々から完全に見捨てられ、しばらく瓦礫の中で泣くこととなった。
救出される頃には彼がレジェンドであることを広められていたという。
~~※~~※~~※~~※~~※~~※~~
地震の被害は各地で起きている。
中央通りに面した堅牢な建物は棚や家具などが倒れる程度で済んだのだが、いくつかの建物は完全に崩壊していた。
その中にベラドンナの魔道具店も含まれていた。
「……まぁ、しょうがないわよね。古い建物だったし」
一階の店の部分が完全に潰れた自分の店の姿を見て、ベラドンナは諦めの言葉を呟いた。
しかも二階部分が見事な傾斜で傾いており、このままでは通りに向かって倒壊の恐れもある。道行く人々にとっては危険な状況だ。
「こうなると建て直すお金もないし、店は閉店ね。さて、今後どうしようかしら」
ベラドンナは現実を受けとめられるだけの器量を持った大人の女性だ。
元より経営状況が悪かったこともあり、近いうちに潰れるなとは思っていたが、まさか物理的に潰れるとは思ってすらいなかった。
とは言え、以前から覚悟はしていたこともあり、閉店する時期が早まった程度のことでしかない。それに以前から仕入れる素材などの量を調整していたので、さして被害を受けたわけでもなかった。
『大事なものは身近に置いておくべきとは言われていたけれど、その言葉が本当に役立つときがくるとは思わなかったわ。ありがとう、お母さん……』
使い古されたボロボロの鞄を軽く手を叩き、ベラドンナは安どのため息を吐く。
この鞄、実はダンジョンから発見された【マジックバック】で、見た目以上に物をかなりの量で収納することができる優れものだ。
質屋にて格安で売られていたところを見た時は正気を疑ったほどだ。
その収納量からしても国宝レベルなのだが、見た目のボロさから誰からも気づかれることなく、以降はベラドンナの大事なものを隠しておく倉庫の役割を果たしていた。
この見た目のおかげでクーティーですら騙されていたほどである。
そして、そのクーティーだが――。
「あははは! てぇ~んちょ~ぉ~、お店が潰れちゃいましたねぇ~。 今日から文無しですよぉ~、ざまぁ~♪」
――人の神経を逆なでる態度で不幸を喜んでいた。
そんな彼女に対し、ベラドンナは無言で一瞥をくれると、いきなり華麗な回し蹴りを食らわせた。
『けぷらぁ⁉』と変な叫びを上げながら、クーティーはダイナミックに吹き飛び、そのまま街灯に激突する。
「貸家がこれじゃ店を続けることもできないし、今日限りで閉店ね。大家さんにも言っておかないと……」
「いたた……て~んちょ~、酷いですよぉ~」
「アンタの方が酷いけどね。まぁ、いいわ。もう店も続けられないし、今日限りで魔道具店は閉店ね。惰性で続けてたけど、ふんぎりがついたわ」
その一言を聞き、まるで鬼の首を取ったかのような笑みを浮かべるクーティー。
そして、やらなければいいのに余計なことを言いだす。
「ハァ~、これで店長も無職ですねぇ~。行き遅れで、しかも職無しなんて恥ずかしい限りですよぉ~。だめだめですよねぇ~」
「………おい」
「まぁ、しょうがないですよね。店長の唯一のとりえであるお店が潰れちゃいましたからねぇ、これで良いところは全くなくなりましたよ。ただの行き遅れです。今日から路地裏生活ですよぉ~、落ちぶれちゃいましたねぇ~」
「………こら」
「だから前から言っていたじゃないですかぁ~、お店はこの私に任せてくれればすべてがうまくいったんですよ。それなのに無能者が意地を張っちゃって――ゲフッ!?」
クーティーの鳩尾にベラドンナの黄金の左ボディーブローが突き刺さった。
しかも拳に魔力を込め、衝撃波が内側に浸透するように強化し、クーティーの内臓に深刻なダメージを叩き込む。
普通なら即死レベルなのだが、ベラドンナも『こいつは、この程度で死なんやろ』という謎の認識をもっており、情け容赦遠慮なく危険な攻撃を繰り出せた。
まぁ、いつものことである。
「随分なことを言っているようだけど、アンタ……わかってる?」
「うぐぐ……なにがですかぁ~…………」
「店は閉店、つまりアンタも無職になるということよ。今後の生活はどうするつもり? 言っておくけど、私はアンタの面倒を見る気はないわ」
「………た、退職金は?」
「あると思う? アンタのせいで客足は遠のくし、おまけに無駄飯ぐらいの役立たず。他人の足を引っ張ることしかできない無能に退職金が出るとでも?」
「……」
「しかも勝手に食堂で食い散らかしては店のツケにしようとしてたわよね? 言っておくけど払わないわよ。それと、どこの食堂もアンタの出入りは禁止だって。この街で暮らしていけるの?」
現実を突きつけられ、次第に表情が蒼褪めてくるクーティー。
そう、よく考えればわかることを彼女は失念していた。
「て、店長はどうする気ですかぁ~」
「私? 田舎に帰るわよ。けど、アンタは帰る場所もないわよね」
「………えっ?」
「おじさん達、引っ越したって。住まいは誰にも教えていないそうよ。アンタが戻ってくるのを恐れて夜逃げ同然で村から出ていったらしいわ」
「じゃぁ、店長の実家で……」
「無理でしょ。私のお父さんがアンタを許すと思っているの? それどころか昔の恨みもあるし、村総出で私刑に遭うわよ」
クーティーに帰る場所など存在しなかった。
「店長が面倒を見てくださいよぉ~」
「ごめんねぇ~、私……もう店長じゃないのぉ~。つ・ま・り、アンタの面倒を見る必要がないのよねぇ~♪」
「酷いぃ、無責任ですぅ!!」
「存在そのものが無責任の塊であるアンタに言われたくないのよ! 日頃の行いが悪かったと思いなさい。でも駄目ね、アンタ……反省を生かすことができないんだから、今日のことも直ぐに忘れるんでしょ?」
「そんなことはないですぅ! 私はちゃんと反省を生かせてますよぉ~、天才なんですから」
「じゃぁ、なんでいつも同じ間違いを繰り返すわけ? 他人の言葉なんて戯言としか思っていないんじゃない?」
「…………」
思いっきり顔を背けるクーティー。
ベラドンナの指摘した通り、クーティーは自分を天才と信じて疑わず、他人の言葉に耳を傾けるつもりは一切ない。
今の苦境をその場限りで切り抜けることができれば、あとのことなど本当にどうでもいいのだ。どんな愚か者でも反省くらいはできるというのに、彼女にはそれができない。
ある種のサイコパスで、重度のDQNなのだ。
「じゃぁ、私は大家さんのところに行ってから田舎に帰るけど、アンタは好きなように暮らしなさい。ばいば~い、永遠にね」
「ま、まってくださ……ごふ!?」
先ほどの内臓を撃ち抜くボディーブローが効いていたのか、クーティーはその場に崩れ落ちた。
そんな彼女を放置したままベラドンナは人込みの中へと消えていく。
こうして彼女は無職になった。
余談だが、ベラドンナは別に田舎に帰ったわけでもなく、恋人の家にお世話になっていた。
その後は籍を入れ、本格的な夫婦生活に入るのだが、それはどうでもいい事である。
保護者という存在がいなくなったことで、結果的に悪質な猛獣が解き放たれた状況に陥り、以降クーティーによる傍迷惑な被害が増えることとなった。




