71.「馬上にて~きたるべき別れへの想い~」
早朝、ランタナを出発した。
相変わらずの曇天の下、朝靄を切り裂くように駆ける。次の村――ハイペリカムを目指して。
途中何度か休憩を取り、ひたすらに街道を進む。昼過ぎになっても、一向に馬車や馬とすれ違うことはなかった。「ハイペリカムからランタナに来る人間なんていませんからね。貧しい村ですから、馬だって所有していないはずです。唯一街道を辿ってくるのはハルキゲニアの使者くらいでしょうね」とはヨハンの言葉だ。
ハイペリカムの村自体が、ハルキゲニアの馬車が休憩地として寄るくらいのささやかなものらしい。この一帯で唯一、タソガレ盗賊団の縄張りではない土地とのことである。
理由について尋ねてもヨハンははっきりと知っているわけではないようだった。真偽のほどは定かではないが、おおかたの予想として「ハルキゲニアに一番近い村だからでしょう」と言うのみであった。
グレゴリーが『ユートピア号』を襲撃する以前から、タソガレ盗賊団はハルキゲニアを避けていたとヨハンは語った。ハルキゲニア自体が外界との接触を極端に忌避していることと、ならず者に対する警戒心が強い性格の都市らしい。ハルキゲニアの使者と邂逅する可能性の最も高い場所であるハイペリカムは、タソガレ盗賊団の側で縄張りから除外しているのだそうだ。不要な闘争を避ける意味合いが強いのだろう。加えて、応分の利益を上げられるほど資産のある土地ではないので、リスクを負ってでも警護対象にすべき場所ではない、という話だ。
何度目かの休憩の際に「ハイペリカムがタソガレから守られていないのなら、どうやって魔物を退けているの? 自警団でもあるのかしら?」と問いかけた。
するとヨハンは困惑したように眉尻を下げて「ささやかな自警団と、あとは、魔物除けの風習のおかげですかね」と答えた。
魔物除けの風習。それについては訊ねてもはぐらかされてしまった。
当然ヨハンは知っているのだろうが、わたしに教えたくない理由でもあるのだろうか。知るべきではないと彼が判断するのなら、それは確かに知ってはいけないことなのだろう。けれど、あからさまに隠されると気になって仕方がない。
もやもやとした気持ちを抱えながら午後の道を駆け続ける。
空はどんよりと曇っていたが、雨が降りそうな気配はなかった。雨具をなにひとつ持っていないので、降られると困ってしまう。せっかくマルメロで買った服を台無しにしたくはなかった。
ノックスは馬での旅にすっかり慣れたらしく、乗馬姿勢もそれらしくなっていた。
相変わらずの無表情と自己表現の少なさは変わらなかったが、それでも徐々に彼のことが分かってきた。マルメロで贈った時計は気に入っており、逆に服はあまり頓着していない。疲れたときや眠いときは動きがやや緩慢になる。一方で体力が余っているときは馬のたてがみをこっそりいじっていたり、自分の服の裾を掴んだり離したり、手遊びが多くなる。
出会ったときこそ凍り付いた心の少年と思っていた。けれども旅路を共にしていると、決して心が死んでいるわけではなく、おおっぴらに表現されないだけであることが分かった。
よく観察していると、それまで見えなかった些細な挙動に彼自身が表れている。それに気付いたとき、思わず顔が綻んでしまうのは自然なことなのだろうし、歓迎すべき発見だ。
唯一問題があるとすれば、明日の晩か、あるいは明後日にはハルキゲニアでの別れが待っていること。
別れ際もノックスはやっぱり無表情なんだろうなあ、と少し切なく思った。情が移ってしまっていることに気付いても、やはり冷たくすることはできない。運び屋としては失格だろう。
ふと、馬上で考える。今まで数日間に渡って子供を預かるような経験ははじめてだけど、誰しもこんな感覚になるのだろうか、と。
ヨハンを見ているとそんな素振りはなかったが、内心でどのように感じているのかは知りようがない。
実はナーバスになっていたりして。
そんなことを考えてクスクス笑っていたら、ノックスがきょとんとこちらを振り仰いでいることに気付いた。
「なんでもない」と笑いながら答えると、ノックスは小さく頷いて前方に顔を戻した。
その髪を撫でようとしている自分に気が付いて、手綱を握り直した。
冷たくもなく、情も入れ過ぎず。それって、とっても難しい。
刻一刻と別れが近付いていることは事実で、けれども必要以上の哀しみや切なさに囚われてはいけない。わたしは元騎士だ。けれどもその事実と同じように、少女であることも確かだった。
ヨハンぐらいの年齢になれば、自分の外側にある物事に揺さぶられることもないのだろうか。ひょろりと長い彼の背を眺めながら考えていると、なんだか馬鹿らしくなった。あんなに功利的な中年にはなりたくない。
やがて景色は枯れ草が目立ち始めた。
ノックスの時計をちらと確認すると、既に時刻は六時を回っていた。
ヨハンの馬が速度を落とし、わたしたちに並ぶ。
「じきにハイペリカムです。予想以上に早く着きそうですねぇ。魔物をかわして村に入る災難は避けられそうです」
ヨハンはからからと笑う。骸骨顔にはいつも通りの濃い隈がついていた。
「ところで、村に宿はあるのかしら?」
「ありません。だから今晩は自警団に話を通して、夜警の代わりに自警団員の家でノックスを保護してもらいましょう。我々は日が昇ってから昼までひと眠り。午後一番で出発すれば、夜までにはハルキゲニアに到着します」
夜通しの戦闘を考えて、少し憂鬱な気分になった。
とはいえ、タソガレ盗賊団の保護下にない村だ。ヨハンとノックスの魔力を考えれば、わたしたちが手を貸さないわけにはいかない。グールよりも厄介な奴が姿を現す可能性だってある。
「分かった。その段取りでいきましょう。ノックスもそれでいいかしら?」
彼は小さく頷いて「大丈夫」と答えた。
それから暫く進むと『ハイペリカム』と書かれた木の立て看板を見つけた。枯れ色の草に下半分を覆われた簡素な看板。
前方の薄暗がりに柵が広がっている。そこから突き出るように、見張り台がいくつか建っていた。
それは村というよりも、少し大きい集落のようなものだった。どことなく、不吉な雰囲気が漂っている。
ハルキゲニアまでの旅路。その最後の村、ハイペリカム。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・ハルキゲニアの使者→54.「晩餐~夢にまで見た料理~」




