434.「人買いの領地」
視界が暗転したかと思ったら、一瞬にして景色が変わった。板張りの壁に、つんつんと雑草の生えた地面。隅にはこんもりと藁が積まれていた。
空気は埃っぽく、乾いている。ぽっかりと開いた入り口から、ぼんやりと外の様子が窺えた。まだ夜は浅く、陽の名残とも言うべき儚げな光が漏れ込んでいる。見る限り、打ち棄てられた納屋といった風情だった。
レオンは先ほどの半ば強引なやり方に悪びれもせず、無言で入り口へと歩いていく。予告もなしに手を引いて、またも説明なしに物事を進めようとしているなんて……。どうしてこうもマイペースなんだ。まるで、ひとりきりで行動しているみたいじゃないか。親切とは言わずとも、もう少しくらい説明があってもいい。
彼に並んで、その顔を覗き込んだ。
「ちょっと待って。聞きたいことが山ほどあるんだけど」
「今はそれどころではない」
取り付く島がない。けれど、これ以上彼のペースで進むのも不安だ。どれほど論理的な理由があろうとも、共有されなければ考えなんて分かるはずがない。目的は同じだとしても、信用したわけではないのだから。
「話してる時間が惜しいのは分かるけど、立ち止まって作戦会議をするわけじゃないわ。歩きながらでいいから、せめてわたしたちがどこに向かっていて、これからなにをするのか詳しく教えて頂戴」
それが道理だ。どうして巌窟王と知り合いなのかはさておき、今後の動きくらいは事前に説明してくれても良さそうなものである。でなければ、レオンの意図に反した行動ばかりしてしまうかもしれない。『倉庫』での交渉だって、前もって教えてくれればもう少しスムーズにいっただろう。
レオンはこちらを一瞥もせず、淡々と言う。「これから、ルーカスの足跡をたどる」
「足跡?」
「そうだ」
あまりに漠然とした言葉である。これでは説明になっていない。
外は左右に馬車道が伸びていた。レオンは右手の方角に真っ直ぐ歩を進めている。目を凝らすと、遥か先に、なにやら柵が見えた。その先には建ち並ぶ家屋。村なのか町なのか、ここからじゃ分からない。
巌窟王の言葉通りなら、わたしたちが転移したのはマダムの領地だ。すると先に見えるのが、彼女の住む地なのだろう。
「先にあるのが、マダムの領地なの?」
「そうだ」
「で、そこでルーカスの情報を手に入れるわけね? 適当な住民を捕まえて話を聞くつもり?」
「……」
なぜ黙ったんだ。違うなら違うと言えばいいのに。そして、作戦があるのならちゃんと共有してほしい。
「まさか、なにも考えてないわけじゃないでしょう?」
「無論」
「なら、その考えを教えてよ」
ここまで追求しなければ話してくれないレオンが、なんとも厄介だった。どうしてもヨハンと比べてしまうが、彼なら平気で嘘をつくだろう。それもリアリティのある嘘を。それによって、ある程度の安心が得られるのは確かだ。真実を口にするときもあるし、レオンの完全な秘密主義よりは随分とマシに思える。
馬車道を大股で歩くレオンに合わせ、早足を続けた。彼は視線を真っ直ぐ前方に固定し、機械的な歩調を維持している。
「ねえ、わたしたちは同じ目的のために動いてるわけでしょ? なのになにも教えてくれないって、デメリットしかないと思うんだけど」
「必要なことは伝える」
「その『必要』とやらが随分少ないように感じるんだけれど」
「そうか」
そうか、じゃなくて。
まったく、出発のときにマダムやルーカスについて色々と話してくれたのが嘘のようだ。いったいなにが――。
あ。もしかして。
「……水蜜香のこと、怒ってる?」
「怒りはない。ただ、君は禁断症状が出る可能性がある。水蜜香を引き合いに出されれば、大切な作戦を簡単に喋るだろう」
そんなことない、と言うために開いた口は、ゆるゆると閉じた。自制心が役に立たないほどの強烈な欲望は、確かに経験済みなのだ。『絶対に口を割らない』なんて、そう軽々と約束出来はしない。そのつもりがなくとも裏切りに走らせるだけの、ほとんど暴力的な魅力があるのだ、水蜜香には。
現に、その言葉を耳にしただけで全身に渇きが走った。
「……確かに、あなたの言う通りかもしれない。……なら、話せる範囲のことを教えてくれないかしら? でないと、さっきみたいに余計なことをしちゃうかも……。無駄な行動で時間を浪費したくはないでしょ?」
しかしレオンは、ばっさりと切った。「時間の浪費は避けたいが、作戦の漏洩よりは重大ではない。加えて、話せる範囲のことは出発前に共有した。これ以上は余計なリスクを負うことになる」
多分、レオンは正しいのだろう。禁断症状に陥り、彼に失礼なことをしてしまったのは事実だ。
「……分かった。もしわたしが、あなたの言う作戦に反するような行動をしそうになったら――そのときは、なんとか止めて頂戴」
「当然」
レオンは短く返しただけだった。そう簡単なことでもないように思えるけど、まあ、そこは信用すべきだろう。
段々と柵が近付くにつれ、『マダムの領地』とやらが分かって来た。煉瓦造りの似たような家の並び。ちょっとした菜園。背の高い建物は見えず、灯りはない。遥か先には、切り立った崖が見える。
そういえばレオンは、『倉庫』でココを救出できなかった場合には、高原からマダムの住処を見下ろして作戦を立てるとかなんとか言ってなかったっけ。確かに、あの崖からなら町を一望出来るだろう。もしかすると、それも全部、わたしの禁断症状が壊したプランなのかも。あるいは、巌窟王との交渉に失敗したときだけそうするつもりだったのかもしれない。
いずれにせよわたしは、マダムについてほとんど知らないまま、見たことのない土地に足を踏み入れようとしている。
「それにしても……領地ってことは、マダムがこの町を治めてるのかしら?」
「そうだ」
この、おそらくは百戸もないささやかな町なら、一介の富豪にも統治出来るに違いない。しかし、マダムが人身売買をしていることを住民は知っているのだろうか。全部を承知で住んでいるとしたら、よほどの恐怖政治か、巧みな洗脳か、すっかり他人の苦しみに鈍感になってしまったか……。いずれにせよ、明るい想像は出来ない。
馬車道に面した柵は、曲線の多い、蔦をモチーフにした巨大な門になっていた。てっぺんには王冠の飾りが取りつけられている。この規模の町にしては、どうにも貴族趣味だ。これもマダムの望んだ意匠なのだろう。
「……ルーカスは到着しているようだ」
ぼそり、とレオンは言い、門の先を指さした。そこには、小型の馬車が停まっている。
「あれに運ばれたのね……二人は」
ここに馬車があるとなると、二人はすでにマダムの住処まで行ってしまったと見るべきか。
ぐっ、と拳を握った。可能性の話でしかないが、わたしが禁断症状なんかに陥らず、休憩なしに進めていたら……あるいは、『倉庫』ではなくマダムの領地を真っ直ぐに目指していたら……。
たらればが、じわじわと心に爪を立てる。今さら悔いても仕方のないことなのに、どうしても考えてしまうのだ。
「これから、マダムの邸に入る。誰と相対しても、決してサーベルを振り回すな」
レオンははっきりと命じ、門をくぐった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『レオン』→ビスクの婚約者。人形術を得意とする魔術師。独り言が多く、コミュニケーションに難がある。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『ココ』→『煙宿』にある針治療の店『針屋』に居候する女性。気さくで明るい。魔術の才能があり、得意の裁縫と組み合わせ、魔力を織り込んだ衣服を作る。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『水蜜香』→微睡草と呼ばれる、麻痺毒を持つ植物を刻んで干したもの。燻した煙を吸引することで、酩酊状態を誘う。中毒性が強く、量を誤れば廃人となる場合も。『煙宿』で生産された水蜜香が、王都の歓楽街に密輸されている




