433.「魔術式通路」
魔術式の通路。それがなにを意味しているかなんて、深く考えなくても分かる。つい最近目にしたばかりなのだから。
「それって……転移の魔紋のこと?」
「ホホ……さあ、どうじゃろうなあ」
巌窟王は意地悪く間延びした口調で返した。段々と本格的に腹が立ってくる。様々な表情で人をたぶらかしてきた過去が透けて見えるみたいで、気分が悪い。
よし。なにかガツンと言い返してやろう。言われるがまま黙っているだなんて、性に合わない。
檻へ一歩踏み出すと、レオンに手で制された。
「なによ」
「熱くなるな。落ち着け」
「落ち着いてるわ。人を煙に巻くのが大好きなおじいさんに、ちょっぴりお灸を饐えてあげようとしただけよ」
「子供じみた真似はするな」
彼は淡々と返す。顔色ひとつ変えずにわたしをたしなめるその調子に、なんだか悔しくなった。そんなふうに言われると、却ってむしゃくしゃする。レオンに人を慮る力なんてないのは察してるけど、人の神経を逆撫でしてどうしようというのだ。
不意に気付いた。
駄目だ、このまま感情に流されるとろくなことにならない。水蜜香の禁断症状で、気持ちが簡単に昂ってしまうのだ。
自覚すると、心を鎮めるのはそう難しいことではなかった。目をつぶり、何度か深呼吸をすればそれですっかり冷静になれる。もともと直情的ではあるけれど、無暗に突っかかるほど愚かじゃないはずだ、わたしは。
「ホホ……レオンにお灸を饐えられたな、旅のお方」
巌窟王は相変わらず意地の悪さを強調した物言いをする。
自制心を働かせて耳にすると、彼の言葉にはなんら力が籠っていないことに気が付いた。人を揺さぶることだけを目的とした、空虚な台詞だ。
「そうね。だから、しばらく大人しくしてるわ」
老人の返事はなかった。つまらなそうに鼻を鳴らしただけである。やっぱりこの男は、わたしをからかって愉しんでいただけか。牢屋暮らしで培われた悪趣味なのだろう、きっと。
「さて」とレオンは巌窟王をじっと見据える。「目的も看破されている。となれば、いたずらに時間を費やす理由もない。巌窟王……地下を開けていただけませんか?」
地下を開ける、という表現が引っかかった。なにか、秘密の通路に続く鍵でも持っているのだろうか。檻の中で鍵を持っているなんて、ちょっとおかしな響きだ。
巌窟王の表情は賢者じみたものに様変わりしていた。じっとレオンを見返して、口を開かずにいる。考えているというよりも、観察している風情だ。
ランプの灯芯が、じじじ、と鳴る。それ以外にはなにひとつ――外の風さえも聴こえない静寂だった。
やがて老人は、厳かに口を開いた。
「わしになんの益があるのだね? お前さんをマダムの領地に送ったとしたら、わしはどんな報復を受けることか――」
「報復など恐れていないでしょう、貴方は」
巌窟王はまたも沈黙した。レオンの言葉に押されているのだろうか。それにしても……報復だとか地下だとか、わたしの分からないことばかりだ。ただ、レオンが充分な勝算を持って口にしていることだけは理解出来る。行き当たりばったりという言葉ほど、彼に似合わないものはない。
「いかにも。報復など、そよ風と同じ。予定調和ばかりの劇よりも退屈じゃ」
それは……ルーカスがいるからなのだろう。見た目こそ小太りだが、彼には少しも鈍い雰囲気はなかった。加えて、ならず者の総大将――ポールを相手に取引を続けてきたしたたかさがある。
「それに、報復されるとは限らない。場合によっては感謝されるでしょう。たとえばルーカスがマダムとの取引を終えていたとしたら、私たちは彼女の住処に踏み込む必要が出てくる」
それがどうしてマダムに感謝されることになるのだろう。
しばし考えて、ピンときた。
なるほど。つまり、わたしたちがココとビスクの救出に失敗したとすれば――マダムとしては、オマケが付いてきたのと同じだ。ルーカスとの取引とは別に、人材がさらに二人も手に入る。
ただ、それもわたしたちが失敗してはじめて得られる利益だ。この狡猾な老人が乗って来るとは――。
「よかろう」
即答が返るとは思わず、ほとんど無意識に首を傾げてしまった。が、考えてみればさして不思議ではない。目の前の老人がわたしのことを知っているはずがないのだ。レオンとは知り合いみたいだけれど、彼の実力も正確に把握しているわけではないのだろう。つまり、九割以上、救出失敗と見ているに違いない。
巌窟王の返事の直後、地面に震動が伝った。重たげな響きが室内にこだまし、小刻みな揺れが足裏を刺激する。
ほどなくして、『倉庫』はもとの静寂を取り戻した。
レオンは巌窟王に一礼し、スタスタと梯子へ向かう。
「ちょっと待って。ルーカスがどのくらい前にここを出て行ったのか聞いてないわ。もしかしたらもうマダムに――」
「それもよかろう」老人は遮り、わたしを見上げた。その瞳が、ぐにゃりと歪む。「無意味な問答じゃがな。正直に答える理由もなければ、旅のお方、お前さんもわしを信じておらぬ。……レオンは聡い。無駄な時間には目を向けん。わしは何時間言葉遊びを続けてもかまわんがなあ」
巌窟王のまとった雰囲気は、今や詐欺師のそれだった。無言で降りていったレオンの正しさを痛感する。ムッとするけど、この老人の言う通りだ。なにを言われようと、額面通りには受け取れない。言葉の真意を汲み取ろうにも、相手が悪い。この場で証明出来ない物事に費やす時間なんて、一秒だってありはしないのだ。
「じゃあね、意地悪なおじいさん」
梯子に足をかけ、言い捨てた。ちょっぴり仕返ししたってバチは当たらない。
「今生の別れじゃ、旅人よ。マダムによろしく伝えてくれ」
口の減らない老人……。言い返してもストレスがたまるだけだ。
一階に降り立つと、唖然としてしまった。先ほどまでがらんとしていた部屋の中心に、地下への階段が口を開けていたのである。揺れの正体は、これが開く音だったのか。しかし、どんな方法で巌窟王はこれを出したのだろう。魔術を使った気配もないし、魔道具を持っていれば魔力がこぼれるはず。見る限り彼は一般人以下の魔力しか持っていなかった。
とはいえ、世界にはテレジアのような例外がいる。異常なほど発達した隠密魔術なら、実力を偽ることだって可能なのだ。
レオンはさっさと階段を降りてしまったらしく、姿がない。無暗に先行して罠にはまったらどうするのだ。まったく、どこまでマイペースなのやら……。
コツコツと、自分の靴音が響く。どうやらレオンは降りた先で待っているらしく、足音はない。階下はランプの光が届かず、濃い暗闇に覆われていた。足を踏み外さないよう、慎重に降りていく。
「レオン」
不安になったわけじゃないけど、試しに呼んでみた。すると下から「なんだ」と返る。
正直、ほっとしてしまった。いなくなったら、それはそれで心細い。使命を帯びて進んでいるとはいえ、同行者の存在は――どんな奴だろうと――ありがたいものだ。
「急いでるのは分かるけど、あんまり先を行かれると困るわ」
返事はなかった。まあ、彼らしいといえば彼らしい。この暗闇を進むために、どれだけ声が頼りになるかなんてあまり意識していないのだろう。段々暗さに慣れてきたからいいけども……。
地下に降り立つと、自然と吐息がこぼれた。床いっぱいに、巨大な魔紋が展開されていたのである。籠められた魔力も、当然大きい。
「これがマダムの居場所に通じてるのね?」
暗闇に問いかけると、すぐ隣から「ああ」と聴こえた。びくん、と身体が反射的に震える。
「近くにいるなら教えてよ……! びっくりするじゃない」
レオンはこだわりなく「そうか」と呟き、魔紋の前に立った。
「ねえ」彼の隣に歩み出て、言葉を投げる。「どこに転移するのかもあなたは知ってるのよね? 進む前に、あなたがどうして色々と知ってるのか教え――」
わたしの疑問は、唐突に遮られた。彼は有無を言わさずわたしの手を引き、魔紋に飛び込んだのである。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『レオン』→ビスクの婚約者。人形術を得意とする魔術師。独り言が多く、コミュニケーションに難がある。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『ポール』→『煙宿』の創始者。水蜜香の中毒者であり、娘を溺愛していた。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『ココ』→『煙宿』にある針治療の店『針屋』に居候する女性。気さくで明るい。魔術の才能があり、得意の裁縫と組み合わせ、魔力を織り込んだ衣服を作る。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『ビスク』→レオンの婚約者であり、ポールの娘。故人。ポール曰く、控えめで優しい性格とのこと。彼女の死後、レオンはその姿を模した人形を所持するようになった。彼は人形もまたビスクと呼び、大切にしている。レオンが傷付くと、人形は彼の魔力を吸い上げて駆動する。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『魔紋』→魔術の応用技術のひとつ。壁や地面に紋を描き、そこを介して魔術を使用する方法。高度とされている。消費魔力は術者本人か、紋を描いた物の持つ魔力に依存する。詳しくは『186.「夜明け前の魔女」』にて
・『水蜜香』→微睡草と呼ばれる、麻痺毒を持つ植物を刻んで干したもの。燻した煙を吸引することで、酩酊状態を誘う。中毒性が強く、量を誤れば廃人となる場合も。『煙宿』で生産された水蜜香が、王都の歓楽街に密輸されている
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて




