幕間.「王都グレキランス ~暗澹行路~」
「櫛、剃刀、クリーム、紅、香水、ペンダントに懐中時計、ネックレス、指輪、お紅茶セットと角砂糖、それからお洋服――あら、ショールは入れたかしら?」
日傘を片手に、鍔の広い帽子、長手袋、純白のワンピース姿のその女性は、いかにも有閑階級の婦人じみていた。一歩引いて付き従う五人の少年少女は、さながら年若い使用人である。彼らは皆、身の丈半分ほどもあるトランクを抱えて、ぎこちない足取りで歩いていた。
小旅行に出る婦人と、お付きの従者。そんな言葉がよく似合う。
彼女たちは、王都の大通りを真っ直ぐに歩いていた。住民は道を開け、思い思いの表情で彼女らを盗み見ている。好奇、憎悪、憐憫、嘲笑、恐怖――感情こそ様々だったが、皆一様に、黙っていた。下手なことを口にしたら命はないと知っていたのである。
そんな、一種異様な行進をする彼女らは、決して旅行に出る貴族などではなく――実質的に追放されゆく騎士である。
騎士団ナンバー3、落涙のトリクシィと、見習い騎士。
「ハンカチはどのトランクに入れたかしら?」
「こ、このトランクに……」
「軟膏はどれに入ってるかしら?」
「ぼ、僕のトランクに」
「ちゃんと覚えてくれて偉いわ。貴方がたと旅に出ることが出来るなんて、あたくしは幸せ者ね」
笑顔を向けられた見習いたちは、息をとめて愛想笑いを浮かべた。
彼らがトリクシィと同行することに決めた理由は様々だったが、概ね、彼女の誘いを断れなかったことが根幹にある。
ある少女は話しかけられただけで卒倒しそうなほど緊張し、機嫌を損ねないように全部「はい」と返事をしていたら同行が決まってしまった。
ある少年は『不安なら魔物と戦わなくていいわ』と言われ、ついつい誘いに乗ってしまった。
彼女に従う見習いのなかには、騎士団長に啖呵を切った少年もいた。
彼は、『貴方の勇敢さをあたくしに分けてくださらない? 団長にあれだけ迫ったんだもの、みんなと一緒に西へ行くわけにはいかないでしょう?』と半ば脅迫され、恐怖と混乱のうちに同行を決めていた。
かくして五人もの同行者が出来上がったわけだが、誰ひとりとして進んで彼女を慕っている者はいない。恐怖に乱れ、動揺し、なにが正解か分からなくなって、今、荷物持ちになり下がっているわけだ。
彼らの持つトランクは、言うまでもなく、すべてトリクシィの荷物である。
「ト、トリクシィさん……」
「なにかしら、ロットさん?」
ロットと呼ばれたのは、騎士団長に怒りを爆発させた少年である。彼は恐る恐る続けた。
「お、俺たちは、これからどこに……」
トリクシィは口元に手をかざし、クスリと小さな笑いを漏らす。
「そんなに緊張しなくてもいいのよ。だって、大切な仲間ですもの……」
仲間。トリクシィの口にしたそれは、少なからず濁った響きが籠っていた。けれども彼女は、誓って、不純な動機など持ち合わせていない。
ある少年は戦闘能力がないが、風の魔術を多少使える。彼は空調代わりになればいい。
同じく戦えそうにない少女は、炎の魔術に心得がある。彼女は食事係にうってつけ。
同様に戦闘能力のない少年は、水の魔術を使える。紅茶と洗濯にぴったり。
鞭の魔具を持つ少女は、見習いのなかでは――トリクシィにはドングリの背比べとしか思えなかったが――ある程度戦える。彼女は雑魚を蹴散らす役目。
ロットは、自分では気付いていないようだが、防御魔術の才能がある。彼は盾にでもすればいい。
こんな具合に、トリクシィにとっての『仲間』は特別な意味を持っていた。それでも、魔物に対しては絶大な力を誇る彼女の庇護を受けられるとなれば、余りある幸福なのかもしれない。
「これからどこへ行くのか、でしたね」
門まで来ると、トリクシィは眩しげに目を細め、景色を眺めた。遥か遠くまで、街道が続いている。風に嬲られて、草原が青く波打った。彼女の瞳には、霞んだ稜線が映っている。
「手始めに、キュラスを目指しましょう。勇者様はともかく、彼の友人に異変がないかどうか探るべきだわ」
例の、血族の男が王都に災いをもたらそうとしているのなら、勇者一行を放っておくはずがない。なかでも最も重要なポジションであろう治癒魔術師は、当然狙い目となる。
トリクシィは王都の門を仰ぎ、薄い笑みを浮かべた。
一方、騎士団ナンバー1の男――紫電のザムザは、ひと足早く王都を離れていた。
王都の東に広がる草原を、特に目的もなく進んでいく。二人分の靴が、草原を踏みしめていった。
「しかし、どうして私まで一緒に……」
真偽師のカールは、眉間に皺を寄せて呟く。ザムザとともに行動することは悪くはなかったのだが、彼の行動原理が分からなかったのである。
「『声』に従っただけだ。俺はあんたを助ける。それまでは、離れるわけにはいかない」
ザムザの脳に響く『声』とやらは、カールにとって奇妙としか言いようのないものだった。そんな不確かなものに自分の未来を託す気になるなど、ナンセンスとさえ感じる。しかしながら、ザムザに放り出されたら自分に待つのは死以外にない。
いかに優秀な魔術師でも、戦闘能力がなければ魔物一匹退けることが出来ないのだ。かといってどこかの町に逃げ込もうにも、アテがない。ただでさえ、常人よりも多くの魔力を持つのが魔術師であり、その分魔物を引き寄せる運命にある。そんな存在を快く受け入れてくれる土地はほとんどない、とカールは理解していた。
事実としても、概ね彼の推測通りである。
「『声』は行き先を告げてくれたのか?」
「……『東の洞窟へ』。それだけだ」
カールはがっくりと肩を落とした。根拠もなければ、正確さを担保してくれる要素もない。行き当たりばったりと変わらないではないか、と。
とはいえ、不安は少なかった。なにせ、同行者は騎士団のナンバー1で、自分を『助ける』と盲目的な宣言している。それも『声』の命じたことらしいのだが、カールとしてはありがたいことこの上ない。護衛という意味では間違いなくトップクラスなのだから。
ともあれ、別種の不安も存在する。ザムザの行動が『声』に左右されるのなら、自分を見放すこともあり得るのではないか、と。そう考えるときりがないのだが、想像しては身震いした。
カールにとって一番大事なのは真偽師としての名誉で、次に大切なのは命である。一番目がもはや崩壊している以上、繰り上がりで、生命が最も重要度が高い。
二人はやがて、紫の鉱物が露出する洞窟へとたどり着いた。
多くの騎士は西方の、比較的無事な街を目指していた。しかしながら当然、例外もいる。トリクシィしかり、ザムザしかり。
彼らも、そうだった。
「本当に行くのか、シーモアよ」
「当然。わざわざ西に行く柄じゃねえよ、俺は」
騎士団ナンバー5、五月雨のシーモアと、真偽師のジークムント。二人は、北方に開いた門の先――『魔女の湿原』を歩いていた。
ジークムントは口髭を指でなぞり、シーモアの嘘を目ざとく発見した。柄だとか言ったが、まったくそうではない。
真偽師が隣にいることを許さない騎士もいる。とっくに王都から追放されているべき人間がまだ存在したなんて、決して快く思われない。下手をすると、王都を出る前に告発騒ぎに発展する可能性もあるのだ。それを危惧して、わざわざ誰も選ばないであろう北方へ足を向けた――そこまで、ジークムントは見抜いてしまった。
人の真偽を見抜くのが真偽師の仕事とはいえ、半ば癖になってしまっていることに、ジークムントはひとりため息をついた。
「騎士団の猛者が同行してくれるのは心強いが……負担ではないか?」
「つまんねえ心配するんじゃねえよ」
ぶっきらぼうにシーモアは呟き、大股で歩いた。ジークムントは、不慣れな湿地に足を取られつつ、なんとか彼のあとを追う。
「しかし、どこへ行くのだ? ここはもう、魔女の領地では?」
「魔女? ああ、ルイーザとかいう、勇者のツレだろ。凱旋式で見たが、小生意気そうなガキだったな。……そんなことどうでもいいが、別にこの湿原は魔女の支配地じゃねえよ」
言葉を切り、シーモアは霧の先を睨んだ。濃霧は、行き先をひた隠しにしている。
「どこでもない場所で、誰でもない人生を送るだけだ」
ぽつりとこぼれた彼の言葉を耳にして、ジークムントはそれが、真偽の間で微妙な揺れを持っていることに気が付いた。嘘とも言えるし、真実とも言える。どちらでもあって、どちらでもない。
「どこでもない場所とは?」
問われて、シーモアは足をとめた。「名前も肩書きもいらねえ、悪党ども理想郷に行くのさ」
騎士団本部の中庭で、騎士団長のゼールはひとり、空を仰いでいた。見送りさえ許されなかった立場を呪いながら。
これで王都に残る騎士は、自分ひとりになった。おそらくは、王子の目論見通り。
きっと、王都を去った騎士たちは永久に戻らないだろう。そして私は――。
思って、ゼールは拳を握る。――私は、憎悪を一身に背負って、それでも騎士であり続ける。それもまた、王子の望んだことだ。
もし、と彼は続けて思う。
もし、願うことが許されるなら。王都を去った騎士が、不遇な死を遂げぬように。過酷な試練が幾度も訪れるだろうが、いつか、王都への帰還が許されるように。再び騎士として、グレキランスの誇りとして戦えるように。
「君たちの歩む道に、栄光の光が注ぐように」
胸に拳を当て、ゼールはこみ上げる涙を懸命にこらえた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『例の、血族の男』→ここではヨハンを指す。
・『紫電のザムザ』→騎士団ナンバー1の男。銀の髪を持つ魔術師。幼い頃の記憶がない。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~啓示~」』にて
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて
・『五月雨のシーモア』→騎士団ナンバー5の男。槍の魔具使い。詳しくは『366.「落下流水」』『幕間.「王都グレキランス ~騎士と真偽師~」』にて
・『ジークムント』→壮年の真偽師。王への謁見前に、クロエを真偽判定にかけた。謁見中の事件により、王都追放の処分を下された。詳しくは『261.「真偽判定」』『幕間.「王都グレキランス ~追放処分~」』にて
・『カール』→クロエたちが王に謁見した際に、同席した真偽師。王都随一の実力者だが、メフィストの嘘を見抜くことが出来なかった。謁見中の事件により、王都追放の処分を下された。詳しくは『263.「玉座と鎧」』『幕間.「王都グレキランス ~追放処分~」』にて
・『ゼール』→騎士団長。王都の騎士を統括する存在。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『第九話「王都グレキランス」』『幕間.「王都グレキランス~騎士の役割~」』にて
・『王子』→名はゼフォン。メフィストに王が射られたことで、王位を継いだ。旧態依然とした価値観を嫌い、真偽師や騎士を信用していない
・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』参照
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『治癒魔術』→読んで字のごとく、治癒の魔術。それほど高い効果はない。他者を癒すことは出来るが、術者自身にかけることは出来ない。詳しくは『131.「ネクスト・ターゲット」』にて
・『紫の鉱物が露出する洞窟』→『271.「二重思考」』でクロエたちが潜伏していた洞窟
・『魔女の湿原』→王都の北部に広がる湿原。かつてルイーザが暮らしていた場所も、この湿原にある。今も彼女が住んでいるのかは不明。湿原の中には、ならず者の生活する宿場町『煙宿』が存在する
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『キュラス』→山頂の街。牧歌的。魔物に滅ぼされていない末端の街であるがゆえに、『フロントライン』と呼ばれる。勇者一行のひとり、テレジアの故郷。一度魔物に滅ぼされている




