426.「祝福の標」
貫かれたお腹に、じんわりと違和感が広がる。本当なら膝を突いてしまいたいくらいの痛みに苛まれるはずなのに。ココからもらった服に血が滲んで、黒地を濃く濡らしていく。
「ねえ、ココ」
彼女の肩に手を置くと、わずかな震えが伝わった。こんなことになるなんて思っていなかったのだろう、きっと。彼女がビスクの衣裳を作った理由は、輝かしいまでにポジティブなものだったに違いない。
なぜならビスクの身につけたドレスは、花嫁衣裳なのだから。
「ごめんなさい……。アタシがもっと早く注意してれば、お嬢は痛い思いなんてしなくて済んだのに……。ううん、違う。アタシがドレスを作らなければ、こんなことにはならなかった……」
「じゃあ、やっぱりあの服は――」
「うん……。お嬢に見せたハンカチと同じ。痛み以外、なかったことにしちゃう布……。ビスクが傷付かないように、って。ずっと元気でいられるように、って。だって、だって……親友だったから――」
親友だったなんて初耳だ。すると彼女は、ビスクの結婚のために一生懸命作ったのだろう。刃を通り抜け、肉体には一切の傷を残さない衣裳を。痛みだけは消えないが、それでも、充分過ぎるくらいの祝福が籠っている。
悲劇なんてこんなものだ。たとえ善意に満ち溢れていても、哀しい未来に続いていたりする。
けれど、だからこそ、過去の気持ちを否定しないでほしい。
「お嬢……?」
ココを抱きしめた。強く、強く。背後から、疾駆する靴音がする。ビスク人形に背を向けていられるのも、あとわずかだ。勝つための戦術なんてろくに考えていないし、いつまでこの身体が痛みを忘れてくれるかも分からない。一秒だって惜しいくらい切羽詰まった状況だけど――わたしは無心で、ココを抱きしめ続けた。
「ココ、ごめんなさい。あなたにもらった素敵な服……破れちゃった」
「ううん、いいの。服なんて、あとでいくらでも直せるから。でもお嬢は――!」
手を離し、立ち上がる。わたしを見上げるココの瞳に涙が伝った。夜明けの光が、雫をきらめかせる。彼女に背を向けると、双剣を構えて迫るビスクが見えた。
「なら、全部終わったら直してもらうわ。ボロボロになっちゃうかもしれないけど……それでもいい?」
「うん、でも――」
その先は、わたしの耳には入らなかった。集中力を一気に上げ、戦闘以外の音を排除する。ごめんね、ココ。今から、あなたの親友の形をした奴を討つ。
ビスクを迎え撃つように、前進した。ココのそばで戦うわけにはいかない。
火花が散り、剣戟音が鳴り響く。ビスクの繰り出す刃は少しも衰えがない。どこでこんな剣術を仕込まれたのか不思議に思うくらいの太刀筋。ただ、騎士に通用するレベルには達していない。
それにしても厄介だ。ドレス、手袋、そしてストッキングまでも刃が通り抜けてしまう。それを身に着けたのが人間であれば痛みに転げまわるだろうけど、人形に感覚なんてあるはずがない。痛みだけを残す服と、痛みを感じない人形。なんて組み合わせ……。
けど、勝つ方法がないわけではない。
ビスクの刃を大きく弾き、サーベルを振った。この人形の唯一露出した箇所――首から上を狙って。
閃光が散った。
「くっ」
弾いたはずの刃を、ビスクは驚異的な速度で首を防御するべく振り下ろしたのである。こんなに素早く対処されるなんて、思ってもみなかった。さっきまでの太刀筋とはまるで違う。弱点がひとつなら、そこへの防御にこそ全力を注ぐ、というわけか。どこまでも人間じみてる。
肩に、ぴり、っと痛みが走った。見ると、ぱっくり裂かれている。痛々しく血が流れていたが、やはり、違和感ぐらいしかない。このまま戦い続ければ、気付かぬうちに致命傷を負うかもしれなかった。そのうち違和感すら覚えなくなって、ふと自分の身体を見つめれば傷だらけ、なんてことにもなりかねない。そして、水蜜香が完全に抜ける頃には、激しい痛みに悶えることだろう。いや、下手をすれば痛みのないまま息絶えるかも……。
そんなの、ごめんだ。
集中力を研ぎ澄まし、斬撃の速度を上げた。案の定ビスクは首を守ったが、それでいい。徐々に速度を上げていけば、どこかの地点でビスクの対応力を凌駕するはずだ。双剣を器用に使った防御は的確で、爆発的な速度を持っているけれど、問題ない。わたしの最高速度には遠くおよばないのだから。
ビスクは一瞬の隙を縫い、双剣を打ち鳴らした。眩い光が、わたしの視界を一瞬にして奪い去る。
三度目だ、その技は。
彼女の首へサーベルを走らせる。ほっそりとした華奢なそれに到達する前に、やはり、刃に防がれた。
問題ない。想定通りだ。
「らぁ!」
サーベルを引くと同時に放った後ろ蹴り。踵に広がった衝撃は、ビスクの軽い身体が吹き飛んだ事実を確かに伝えていた。
段々と視界が正常になっていく。ビスクは、塔の縁に倒れていた。
唯一の弱点が首で、しかし、そこへの攻撃は見事なまでに防御される。なら、別の方法を取るだけだ。
これまでは迎え撃つだけだったが、次はこっちから行く――。
ココの布は、決して切り裂くことが出来ない。あらゆる切断は、通過するだけで終わってしまうのだ。ただし、衝撃は別。これほど高さのある塔から落下すれば、彼女も自律不可能な傷を負うだろう。
「や、やめろ……」
目を覚ましたのか、レオンの小さな叫びが聴こえた。
「やめてほしいなら、あの人形を止めて!」
「無理だ、あれは――」
それ以上の言葉はなかった。おおかたの予想はついていたが、ビスクはレオンの意志にかかわらず、彼の魔力を吸収するようである。制御は出来ず、ただただ人形が止まるのを待つだけ。
ビスクが立ち上がり、双剣を構えた。ただし、突進してくる様子はない。塔の縁でわたしを待っている。
どんな戦術だろうと、打ち破ってやる。足に力を籠め、意識を研磨していった。深く集中するんだ。もっと、もっと、深く。
本来のわたしなら、とっくに『風華』の空間で刃を振るっていたことだろう。しかし今は、絶対的な隔たりを感じた。集中しているはずなのだが、普段のそれとはどうにも質が違うのである。『風華』は言うなれば、全身が透明になるような集中。一方で今のわたしは、どこか作り物めいた、極彩色の集中なのだ。周囲のあらゆるものが脳にインプットされ、それでいて、頭も身体も過剰なまでに処理出来てしまう。
ひと口に集中と言っても、雲泥の差がある。つまり、『風華』――切り札が使えない、そんな状況なのだ。
あとどれくらい、わたしの身体は持ってくれるだろう。さっきから、じわじわとお腹の痛みが大きくなっている。
大丈夫だ、きっと。最後まで集中力を切らさなければ。
ビスクまで残り二メートル弱。サーベルを大きく引き、足に力を籠めた。彼女は虚空を背に、こちらを見据えている。無表情のまま。
あと一メートルと少し。
サーベルの射程圏内に入った瞬間、滑るように急ブレーキをかけた。しかし、腕の勢いは決して殺さない。ビスクの首と刃の両方を捉えるべく、半円を描くように刃を振るった。
「ああぁあ!!」
刃の抵抗が、痺れのように腕を覆う。それでも、振り抜いた。ビスクの首にはダメージを与えられなかったが、その身は大きくのけぞり――。
「これで――!」
終わり。
そのはずだった。
渾身の力で打ち出した蹴りは、虚空を貫いた。すんでのところで、ビスクが回避したのである。わたしは大きくバランスを失い――。
サーベルが手から滑り、地で跳ねる。
直後、足から地面の感触が消えた。
◆改稿
・2018/09/21 誤字修正。
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『風華』→花弁の舞う脳内世界。集中力が一定以上に達するとクロエの眼前に展開される。この状態になれば、普段以上の速度と的確さで斬撃を繰り出せる。詳しくは『53.「せめて後悔しないように」』『92.「水中の風花」』『172.「風華」』にて




