424.「人形演武」
昇降機を一瞥すると、すでに『針姐』たちの姿はなかった。良か――。
「っ!!」
銀の閃光が煌めき、火花が視界に弾けた。
レオンの人形――ビスクは一瞬で距離を詰め、手にした双剣を交互に繰り出したのである。まるで踊るように。
思考に割くだけの余裕がない。太刀筋は洗練されていないものの、速度と力が尋常じゃない。水蜜香が弱まりつつあるとはいえ、まだ身体には倦怠感が残っているこんな状態じゃ……。
さっ、と視界に赤が散る。少し遅れて、頬に痛みが走った。
避けたと思ったのに、刃が掠るなんて……。
両足に力を籠め、一気に後ろへ跳躍した。そして、サーベルを構え直す。倒れたレオンの横を、ちょうどビスクが駆け抜けていった。彼には一瞥すら与えず、真っ直ぐにこちらに向かってくる。
呼吸が乱れる。普段ならすぐに集中出来るのに、心にノイズがかかっているみたいだ。明らかにまずい状況なのに、どうしてもエンジンがかかってくれない。
焦りに気を取られているうちに、ビスクの姿がみるみる迫って来る。残り三メートル弱。
と、不意に彼女が消えた。危機感が心臓の鼓動と重なり合って、焦りを加速させていく。右にも左にもビスクの姿はない。いったいどこへ――。
視界に、薄っすらと魔力の糸が浮かび上がる。それは真っ直ぐ、わたしの頭上へと伸びていた。
ああ、わたしはどうかしてる。魔力を視ることさえ出来ないほど取り乱してたなんて。
見上げると、視界に銀が閃いた。双つの刃が交差するように振り下ろされる――。
終わり。素直にそう思った。ビスクの剣はこちらの頸動脈目がけて直線軌道を描いていたし、わたしは致命的なまでに集中を欠いていたのだから。
なのに、どうしてそれを回避出来たのか、我ながらさっぱり分からない。自然と身体が動き、流れるように後退していたのである。
これまでの戦闘経験から来る、本能的な動きだろうか。いや、なんだか違う気がする。生命の危機を感じていたのは確かだったけれど、わたしはまるっきり冷静ではなかったのだ。それどころか今も、思考が千々に乱れる。
唯一変化があったとすれば、それは――心だった。なぜだか感情が昂る。興奮は目まぐるしく全身を駆けめぐり、血が滾った。
どうしたことだろう。明らかに異常だったけれど、救われたことに違いはない。
ビスクは無表情に――人形だから当たり前だけれど――追撃の一歩を踏み出した。ドレスと同じく純白の、ストッキングに覆われた足が駆動する。銀に輝くヒールが地をえぐる。肌をすっかり隠すほどの長手袋が翻り、刃が繰り出された。
剣戟音が耳を刺激し、腕に何度も衝撃が走る。
段々と、思考が薄くなっていくのを感じた。しかし、集中しているわけではない。心のままに肉体を躍動させている――そんな具合。心臓は激しく打ち、次の一手へと全身を駆り立てる。
なんだか不思議だ。身体に染みついた剣術とはまるで違う太刀筋で、わたしは戦っている。どこにそんなものが眠っていたのかと思ってしまうくらい、野性的な動きだった。
地を這うごとく大袈裟に剣を避け、立ち上がる勢いでサーベルを振り上げる。それも、ビスクの刃に向かって。これじゃまるで、火花を楽しんでいるみたいじゃないか――そんな自戒も、昂った感情の前では無意味だった。わたしはわたしのやりたいようにやるし、そのためになにかを失うのなら本望。そんなふうに感じた。
「調子に乗らないで!」
叫んでも気分は晴れるどころか、余計に興奮していく。刃を避けてビスクの身体に飛び込むと、高まった感情の命じるまま、その腹へ蹴りを放った。
黒髪が激しくなびき、宙を舞う。彼女は見事に、塔の端まで吹き飛んでいった。
少し落ち着こう。これじゃ、肝心のところで判断を見誤る。激情は諸刃の剣だ。――そう言い聞かせても、鼓動は収まらない。行き場のない感情が心に降り注ぐ。それでもいくらか、頭を働かせることが出来た。
魔力の糸は、相変わらずビスクとレオンを結んでいる。
それにしても、どうして人形にあれほどの身のこなしが出来るのだろう。常識を笑い飛ばしてしまうほどの異常だ。それを実現しているのはレオンに違いないけれど、彼は地に伏し、こちらを虚ろな眼差しで見つめるばかり。戦う意志すら見出せない。そのくせ、糸を通じて大量の魔力をビスクに送り込んでいる。
「レオン! 馬鹿げたことはやめて! もうあなたは負けたのよ!」
ザッヘルとの戦闘で思い知ったはずだ。なのに、こうして自分の婚約者――を模した人形――を使ってでも戦おうとする。そこまでの動機がどこにあるというのか。『針姐』とココはとっくに階下へ降りていったことだろう。もはや、取引のために拉致した人材は彼の手にないのである。
「あなたが取引相手を恐れるのなら、いいわ、わたしが代わりに戦ってあげる! 人攫いだなんて、馬鹿げたことをスッパリやめられるように!」
疲れ切った、短い笑いが聴こえた。それを発したのがレオンであることに気付いて、少し驚いてしまった。笑うことが出来たのか、彼は。
「もうどうにもならない。誰にも、ビスクを止められない。彼女は、私を傷つけた相手を地獄の果てまで追い詰める。他ならぬ私にさえ、どうにも出来ない」
「それってどういう――」
疑問の言葉は、途中で掻き消えた。ビスクがすぐそこまで迫っていたのである。
再び、薄刃の剣が宙を裂いた。耳元で、風を斬る音がする。間一髪で回避し、刃を受け止め、その身に蹴りを放った――が、今度は避けられた。ビスクはまるで、先ほどの攻撃を学んだかのように、咄嗟に後退したのである。
この子は……本当に人形なんだろうか。これだけ見事な戦闘をする人形がいるはずない、というのも疑問の要因だけれど、根本は違う。彼女は、戦えば戦うほどに、動きが洗練されていくのである。わたしのサーベルを先読みするように避け、双剣を振るうその様は、優秀で賢い戦士のそれだ。
わたしは妙な錯覚をしてるんじゃないか? 目の前の敵は、人形という言葉があまりに不似合いだ。たとえば本当は人間で、魔術による錯覚をかけられているだけだとか……。いや、まったく論理的じゃない。彼女を人形に見せることに、なんの意味もない。
本当はただ、安心したいだけなんだ。彼女の異常さを解き明かして、すっかり納得したいだけ。わけの分からないものほど怖ろしい。敵として刃を振り回すんだからなおさらだ。
やや距離を置いたかと思うや否や、ビスクは一直線に突進してきた――刃を引いて。
力押しで来るつもりだろうか。
二メートル。まだサーベルの届かない距離で、ビスクの両腕が駆動した。彼女の手にした両の刃が獰猛な速度で打ち合わされ――。
甲高い音が耳を貫くと同時に、視界が白光に塗り潰された。火花というよりも、閃光。それ自体は魔術でもなんでもない。武器を折らんばかりに打ち合わせた結果の、あまりに意外な目潰しだ。
まずい、と思ったときには、すでに身体は後退していた。しかし――。
腹に鈍い痛みが走り、一瞬頭が真っ白になった。
意趣返しだろうか。ビスクはわたしを、猛烈な力で蹴り飛ばしたのである。
視界ががくがくと揺れる。目の焦点が合わない。蹴られたくらいでこんなことになるだろうか、と感じてようやく気が付いた。
『針姐』はしっかり、わたしに忠告を与えてくれたではないか。水蜜香がもたらすものを。
快楽の次には、頭の回転が早くなり、身体も機敏に動く。彼女はそう言っていた。さっきからやたらと頭の回転が早くなっているのは、このせいか。はじめは肉体の動きに負けていたが、頭は急速に回りつつある。そのせいか、周囲の情報が怒涛のように押し寄せてきて、かえって混乱するばかりだった。
今わたしを襲っている眩暈は、好調になるための必然的な段階なのだろう。
しかし、最低のタイミングだ。ぐらぐらと揺れる視界――仰いだ空を覆い隠すごとく、無感情な顔が現れた。彼女の手には、銀に輝く凶器が握られていて……。
混濁のなかで、必死に身体を動かそうとしたが無駄だった。刃は、確かな軌跡を描いて振り下ろされる。
「ビスク!!!」
不意に、刃が静止した。彼女の名を呼んだ声。それはあまりに哀切で、必死で、どこか虚しい響きを持っていた。
遥か先――昇降機の方角に、ココの姿が見えた。
◆改稿
・2018/09/21 誤字修正。




