423.「欲望の戦地」
まだ勝負はついていなかった。両手足と左腕を失ってなお、岩石の巨人が脅威であることに変わりない。生物ならまだしも、魔術師に操られている無機物だ。
レオンは、やけに冷静だった。即座に魔力の糸を、残った腕に注いだのである。巨人の身体を修復するだけの余裕がないことを見抜いたのだろう。最後の最後まで自分が切れるカードを静かに見つめ、相手を倒す算段をめぐらし続ける――そういう人間だ、きっと。
一方でザッヘルは、見ている者の寒気を誘うほどの傷を負っている。なのに瞳は生き生きと輝きを放ち、嬉々とした表情で巨人を眺め回していた。もはや、どちらが不利かも分からない。そもそも、ザッヘルのようなタイプははじめて見た。
「もうじき終わってまうなぁ」
『針姐』は荒い吐息と一緒に呟いた。まるで、終わるのが惜しい、とでも言わんばかりの切なげな口調で。
そうだ……もはや、誰が見ても戦局は終盤。レオンは操り人形を手酷く痛めつけられ、しかし戦闘意欲は失せていない。ザッヘルは、いつ意識が飛んでもおかしくないほど血を流している。
今の今まで自覚がなかったのだが、段々と気分が上向いている。先ほどまで心に押し寄せていた不徳な波も、随分と収まっていた。これならサーベルも抜けるかもしれない。それどころか、加勢するのだって――。
柄へと伸ばした手を、引っ込めた。
……駄目だ。この空間に割って入るだけの資格を持った人なんて、ひとりもいない。『針姐』の言った可哀想という言葉が、ようやく、おぼろげながら理解出来た。
「あんな嬉しそうな顔……はじめてやわ。ええなぁ、羨ましいなぁ……ウチの旦那をあんなに喜ばせてやれるなんて」
つう、と彼女の頬を一滴の雫が滑り落ちる。
瞬間――轟音とともに土煙が周囲を覆った。『針姐』はともかく、ココにはなにが起こったかさっぱり分からなかっただろう。ほんのわずかだったが、わたしは確かに見た。レオンが魔力の糸をすべて巨人の腕に接続し、拳を打ち込んだのである。ザッヘルが恍惚とした目付きで拳を引いたのは見えたが、はたしてどうなったことか……。
わずかな間を置いて、再び激しい激突音が轟いた。二度三度と鳴り響き、濛々と煙が広がっていく。
まだ終わってない。きっとレオンは、最後の一塊になるまで巨人の残骸を操り続けるつもりだろう。あるいは――。
天高く、なにかが打ち上がった。
「あんた!」
『針姐』はこらえきれなくなったのか、絶叫した。宙へ躍り出たのはザッヘルで、彼の身には魔力の糸がきつく絡みついていたのである。
まずい――思って、立ち上がった瞬間。
どちゃり、と嫌な音が耳を震わした。叩きつけられたザッヘルが血しぶきを上げ――すぐさま身を起こす。そして立ち上がる勢いそのままに、魔力の糸を引いた。
こんなことになるなんて、レオンは予想していただろうか。いや、お得意の観察でもたどり着けなかった顛末に違いない。逆さまに宙へ浮かんだレオンの目は、驚愕一色に染まっていたのだから。
痛々しい破砕音が、びりびりと空気を振動させた。そして、ザッヘルの握っていた魔力の糸がさらさらと散っていく。
「大丈夫? 『針姐』」
いつからかココは、『針姐』の隣で、その身を支えていた。
「ウチは平気……けど、ああ、手当てせんと」
ふらふらと危なっかしくザッヘルに走り寄ると、彼女は血にまみれた彼の身体を、ひしとかき抱いた。ただただ無言で。
『針姐』の腕のなかで、彼は呆然と空を見上げている。先ほどまでの獣じみた高揚はひと欠片もない。すっかり脱力している。
「すごいもの見ちゃったね」とココはなぜだか嬉しそうに言う。
確かにすごかったけど……あまりにも異常で、なんて反応していいか分からない。並みの騎士でも、あれほど身体を張った戦闘は出来ないだろう。命がけの戦いに、怯えや保身を感じない者は一部の猛者だけだ。しかしザッヘルは、そんな猛者とも一線を画している。彼は自らの欲望から、痛々しい戦い方へ身を投じたのだ。
あまりに常軌を逸したものの前では、称賛なんてどこかへ吹き飛んでしまう。
「ザッヘルの旦那って……」わたしの耳元に口を寄せて、ココがこっそりと囁く。「ド変態だよね」
これが全部快楽だと言うのなら、まあ、確かに。
手当てしないと、なんて言ってひたすら抱き着いている『針姐』も大概だけど……。
「ほら、もう『針屋』に帰りましょ。早くザッヘルさんをなんとかしてあげないと」
レオンを倒したのだから、もう邪魔者はいないはず。頂上にとどまっていても、衰弱するだけだ。
「ほら、肩貸しぃ」
ひょいっと『針姐』が彼の脇に首を入れる。するとココも、反対側を支えた。『針姐』とザッヘルに比して、ちんまりしたココはなんとも危なっかしい。
「待って、わたしが支え――」
ぞくり、と嫌な感覚が肌を駆けた。魔力の糸が、わたしの真横を伸びていったのである。
振り向くと、レオンは倒れたままだった。しかし、その身から伸びているのは確かに彼の魔力だ。
うつ伏せになったレオンが、わずかに頭を持ち上げた。その瞳は、わたしたちよりもずっと先を見ているようで――。
魔力の糸。その向かう先へ視線を向けた。なにか、とんでもなく悪い予感がする。
糸は塔の先で消えている。いや、塔の下へ伸びているのか。この位置じゃ、先がどうなってるかなんて分からない。けれど、いったいどこまで続いているのか……。
「大人しく、捕まっていればよかったものを……」
ぼそり、とレオンの声が聴こえたけれど、糸の先から目が離せなかった。
風に混じって、軽快な音がする。
「……ココ、『針姐』。急いで昇降機のところまで行って……!」
「え、でも」
「でも、じゃなくて! 早く!」
「え、あ、うん……」
ココは釈然としない様子だったが、なんだっていい。すぐそこまで来ているなにかは、確実に良くないものだ。肌を刺す異様な気配は、魔物のものでも、血族のものでもない。ただただ不吉な予感としか言えないものだ。
すぐそばまで、それは迫っている。
「レオン……あなた、なにをしたの?」
「なにを? 痛めつけられただけのこと。傷を負い、地を這っているだけ。……君は、大切な人がいるか?」
唐突過ぎる質問だったが、これまでのレオンの調子から考えると随分まともだ。コミュニケーションを取れることに驚いてしまう。
それにしても、大切な人……。たずねられても、少し困ってしまう。誰だろう――。
『クロエ』
不意に、懐かしい声と姿が、頭に浮かぶ――激しい胸の痛みを伴って。在りし日の幼馴染の声が、心を貫いていく。
「……大切な人が傷付いていたら、君はどうする」
『おい! クロエをいじめるな!』
幼かったわたしと、幼かったニコル。彼の勇気に、わたしは救われたのだ。けれど今は……。
「もし、その――大切な人が今もいるのなら、わたしは全力で助けるわ」
ありえない空想だ。ニコルはすっかり変わってしまったのだから。けれども、幼い頃の勇姿は今も変わらず、胸の奥にしまっている。わたしの、たったひとつの宝物。
……ああ、まだ水蜜香に浮かされているのだろうか。感覚が鋭敏になったかと思えば、すぐにこうして気が散って――。
コツコツコツ、と、妙な音が耳に侵入した。それは、糸の先から響いてくる。
「逆はどうだ。君がひどく傷付いたとき、必ず助けに来てくれる相手は? ……私には、いる。こちらの意志なんておかまいなしに、私を傷つけた相手を殺しに来る子が」
やがて音はすぐそこまで接近し――塔の先から、真っ白な影が躍り出た。
薄明の空に、真っ直ぐな刃がふたつ、煌めいた。純白のドレスが、宙に翻る。ゆるやかなウェーブのかかった黒髪の間で、感情の失せた瞳がわたしを射た。
息を止め、サーベルを抜き放つ。
塔に現れたのは、昨晩レオンの小屋で目にした人形だった。
◆改稿
・2018/09/21 誤字修正。
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐




