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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」
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422.「妬ける」

 静寂が塔の頂上を支配していた。ザッヘルは大口を開けて、声なき笑いを天へ(そそ)いでいる。愉快で愉快でたまらない、そんな感情が歯止めなく(あふ)れ出していることは明らかで――わたしは率直(そっちょく)に怖いと感じた。得体の知れないものを目にしたときに感じる、理解の追いつかない恐怖。


 両手足の『(すみ)』を抜かれたときのザッヘルを思い出す。彼はあのとき、床を転がり、愉悦(ゆえつ)に顔をとろけさせていたっけ……。墨抜きの痛みがどれほどのものかは分からないけれど、幾度(いくど)も地に叩きつけられるほうが(はる)かに痛いことなんて、誰にだって想像がつく。痛みを快楽と感じるにも限度があるだろうに。


「嬢ちゃん……どうや? 邪魔したら可哀想やろ?」


「えっ……と」


 なんて答えていいか分からない。今のザッヘルを目にして、可哀想という感想なんて出てこない。ただ、加勢したい気が薄らいだのは確かだった。その恍惚(こうこつ)とした艶笑(えんしょう)は、ひとつの世界を作り上げている。血を流して立つザッヘルと、痛みを与えた張本人(ちょうほんにん)であるレオン。登場人物はたった二人。それ以上は蛇足(だそく)でしかない。


「ちゃあんと見なきゃあかんよ。ウチらに出来るのはそれだけやからね」


針姐(はりねえ)』が落ち着いていた理由が、ようやく()み込めた。彼女はこんな展開になることを、はじめから知っていたのだ。そのうえで、自分の夫に(たの)しみを与えてやるために、加勢するのをとめたのだろう。


 はっきり言って異常だ。ザッヘルも、『針姐』も。


 ココが大人しくしているのも、『針姐』とザッヘルのことを理解しているからに違いない。まったく、誰も彼もクレイジーすぎる。ポールしかり、レオンしかり……。


 重たげな音が響き渡り、視線をレオンへ向けた。彼は魔力の糸で地面を根こそぎえぐり、それを、先ほど砕かれた巨人の足へと接着したのである。アンバランスな仕上がりではあったが、補修箇所(かしょ)には魔力が固着(こちゃく)していた。


 元が岩山だ。魔術で修繕(しゅうぜん)すれば急場(きゅうば)(しの)ぐくらいわけないだろう。ザッヘルの姿には異様な迫力(はくりょく)があるものの、相手は優秀な魔術師だ。さっきのように網に(から)めとられれば、今度は解放されないだろう。文字通り、息の根が止まるまで痛ましい打撃が続くのは間違いない。


 今のわたしに出来るのはふたつ。戦いから目を離さないことと、決定的な瞬間が訪れるまでに準備を整えることだ。加勢するのが無粋(ぶすい)だろうと、かまわない。むざむざ死なすなんて絶対に嫌だ。


 前触(まえぶ)れなく、戦闘が再開された。レオンが腕を持ち上げるとともに、巨人の腕も連動するように拳を振り上げ、ザッヘル目がけて叩き下ろされたのである。ただ、大したスピードではない。ザッヘルの足をとめるにはあまりに(にぶ)い方法だと言えよう。


 しかし――。


「しょうもない阿呆(あほう)旦那(だんな)にしちまったよ、ウチは」


『針姐』は(そで)で口元を隠し、コロコロと上品に笑った。


 ()けられるはずの攻撃。直撃したなら致命傷(ちめいしょう)(まぬか)れない一撃。それをザッヘルは、拳で受け止めたのである。(すそ)が激しくはためき、足は地面にめり込み、口からはボタボタと血をこぼしていた。強烈な衝撃だったことは傍目(はため)にも明らかである。


 ただ――岩石の巨人も決して無事ではなかった。拳の表面がぼろり、とわずかに崩れ落ちる。


 どうして避けないんだ、なんて疑問が馬鹿馬鹿しいことに思えてしまった。ザッヘルは痛みと勝利を同時に(・・・)欲している。その結論が、この戦い方なのだ。


「どうして避けない……。死にたがり? いや、だとしたら抵抗は不合理……。もう一度獣網(ヴェスレーテ)にかけて――いや、罠か? ああ! 不明瞭(ふめいりょう)不明瞭不明瞭……」


 レオンは目を()き、頭を抱えている。今のザッヘルは、論理や考察なんて軽々と振り切ってしまうほどの狂気を()びていた。だからこそ、観察によって情報を得ようとするレオンを混乱させているに違いない。


 と、ザッヘルの身が宙に(おど)る。レオンの(すき)を見逃さず、巨人の胸を目がけて一直線に跳躍(ちょうやく)したのだ。


 轟音(ごうおん)が夜空を震わす。巨人の身体がのけぞり、半歩ほど後退した。その胸には、巨大な亀裂(きれつ)


「勝てるかも……」


 ぼそりと呟くと、隣でココが嬉しそうにはしゃいだ。「かも、じゃなくて、ザッヘルの旦那は絶対に勝つんだよ!」


 絶対に、か。こうも信頼されれば気分がいいだろうなあ。当の本人は悦楽(えつらく)(ひた)って、少しも聴いてなさそうだけど。


 ココは断言(だんげん)したが、勝負はどうなるか分からないのが(つね)だ。一瞬の油断でなにもかも終わるなんて、ありふれている。


 拳をかまえて腰を落としたザッヘルの頭上に、再び巨人の拳が振り下ろされた――かのように見えた。拳は直撃寸前(すんぜん)で止まり、迎撃(げいげき)のためにザッヘルが振るった腕が(むな)しく宙を(ただよ)う。その直後、巨人のもう片方の腕が地を()ぎ払った。


 鮮血が軌跡(きせき)を描く。ザッヘルの身体は、冗談(じょうだん)のように、塔の(はし)まで吹き飛んだ。


「ああ」と、『針姐(はりねえ)』の吐息(といき)が聴こえた。見ると彼女は、目尻(めじり)に光るものを()めている。あんなことを口にしても、ザッヘルの身を(あん)じている証拠――と思ったが、違った。


『針姐』は目尻を(ぬぐ)い、「()ける」と呟いたのである。


「妬けるって……どういうこと?」


「恥ずかしいこと言わせんといて。ほら、ウチの旦那を見てみい。あんな(たの)しそうな姿はじめて見たわ。嫉妬(しっと)するやろ、レオンに」


 立ち上がったザッヘルは、『針姐』の言う通り、恍惚(こうこつ)を全身に(みなぎ)らせていた。血まみれで、足はふらついているのに。悦楽が彼の肉体を強烈に引っ張っているのだろう。


「ウチの阿呆(あほう)は、欲張りやからねえ。きっと今のもわざと当たったんよ。血が噴き出して、意識が飛びそうになって、命の()り切れる絶叫が頭のなかでぐわんぐわん鳴っとる。ウチの旦那にとっちゃ、串焼きなんて目じゃないくらいのご馳走(ちそう)……」


 ザッヘルの瞳がぎらりと輝き――巨人めがけて疾駆(しっく)した。それに合わせて、巨人も足を大きく引く。


 レオンの狼狽(ろうばい)は明らかだった。冷静なふうに見せていても、その対処方法には破滅が匂い立っている。接近するザッヘルを()れば、なるほど、致命的な一撃になることは間違いない。ただ、性急(せいきゅう)だ。


 巨人の足が振り抜かれると同時に、びくん、と隣で『針姐』の身体が跳ねた。なんで彼女は親指を噛んで、自分の肩をかき抱いているのだろう。ほんのり(ほお)まで上気(じょうき)させて。


「ええなあ」


 彼女の瞳は、ザッヘルを()がさんばかりに(そそ)がれていた。


 巨人の蹴り。それは間違いなく渾身(こんしん)のスピードで、ザッヘルに激突するタイミングも申し(ぶん)なかった。しかし――。


 岩石製の足は、(ひざ)から下が見事に吹き飛んでいた。ザッヘルは真っ赤に染まった拳を、振り抜いたかたちで静止している。決して声にならない愉悦(ゆえつ)の絶叫を上げながら。


「ありえない……。痛覚(つうかく)がないのか?」


 巨人を器用に片足だけで立たせながら、レオンは乱れた口調でぶつぶつと呟く。


「痛みがなきゃ意味ないやろ、レオン!」


『針姐』が叫ぶ。


 痛みがなければ意味がない……わたしには、ちょっと言葉の意味が分からないんだけど……。


 刹那(せつな)、レオンの腕が宙を()いた。巨人の操作のためではない。バランスを失い、思わず宙に手を伸ばしたのだ。巨人のもう片方の足――それを、ザッヘルが砕いたからである。


 地鳴りがし、塔が震えた。こんなに衝撃を与えて大丈夫だろうか、とは思ったが、この戦いの結末から目が離せない。


 レオンは背から地面に落下したが、すぐさま起き上がった。そして、腕を振り上げる。すると巨人は半身(はんみ)を起こし、腕で地を()ぎ払った。


 窮地(きゅうち)に追いやられた状況にしては、スムーズで適切な対処である。並みの相手なら、敵が尻もちをつけば多少なりとも油断するはずだ。しかし、レオンにとっては実に不幸なことに、ザッヘルは『普通』から程遠(ほどとお)い人種である。


 消し飛んだ腕――飛び散る岩石のなかで、ザッヘルは、深紅(しんく)の愉悦を顔いっぱいに浮かべていた。

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