421.「誰にも救えない男」
ザッヘルは身を低く沈め、岩石の巨人を睨んでいた。そんな彼を嘲笑うでもなく、レオンは巨人の肩で腕を下げて佇んでいる。
一触即発の空間を、風が吹き去っていく。
「勝ち目は……あるの?」
緊張感に満ちた沈黙に耐えきれず、わたしはこぼした。
『針姐』は腕組みをして、「さぁね」と呟く。その瞳は真っ直ぐにザッヘルへと注がれていた。彼女の声色のどこにも、不安げな雰囲気は感じられない。かといって余裕があるわけでもなかった。
信頼。そんな言葉がよく似合う声。
「旦那―!! ファイトー!!」
ココだけはやたらと元気である。この状況を楽しんでいるとは思えなかったが、清々しいほど一直線な声援だった。
ザッヘルは勝てるのだろうか。確かに手足の魔術は並みのものではない。とはいえ、普通じゃないのは相手も同じだ。岩の巨体を操れるほどの人形術だなんて、常識を大きく跳び越える光景である。
水蜜香の影響さえなければ加勢出来るのに……。
思って、紙束に視線を落とす。そこにあるのは、こんな状況にもかかわらず達筆な決意だ。そこに籠められた意志はあまりにはっきりとしている。まったく、器用なのか不器用なのか、よく分からない。
「嬢ちゃん、心配せんでええよ。みんなみんな、ウチの阿呆な旦那が決めたことやから」『針姐』は薄っすらと笑みを浮かべ――。
「ひゃっ!」
――わたしの肩をつついた。
「ちょ、なにするのよ」
変な声が出てしまったじゃないか。なんだか恥ずかしくて、顔が熱い。
彼女はクツクツと笑いを漏らし、ひらひらと手を振った。「おもろいわぁ。普段はツンケンしとるのに、可愛い声やねぇ」
「ふ、ふざけてる場合じゃないでしょっ!」
「アハハ。ごめんて。嬢ちゃんがどんくらいドップリなのか確かめたくって、意地悪しただけ」
なんだそれ……。悪ふざけは勘弁してほしい。ただでさえ身体と心のコントロールが効かないんだから。
不意に、『針姐』は真顔で呟いた。「もうじき反動がくるから、気ぃつけや」
「反動?」
「そ。水蜜香の効能は三段階あってねえ。まずは――そらもう、口にするのも恥ずかしい感じになるんよ」
ニヤニヤと口の端を持ち上げる『針姐』に、まったく反論出来ないのが悔しい。顔を真っ赤に火照らせるわたしがなにを言ったって上滑りだ。おまけに、また肩をつつかれたらたまらない。
「で、次には、頭の回転が早なるよ。身体もするする動く」
あ、それは嬉しい。この脱力感が消えて、サーベルも存分に振るえる、ということだろうか。
わたしが顔を綻ばせたせいか、『針姐』はたしなめるように言葉を繋げた。「けど、危険やからね。なにせ、痛みに鈍くなる。気が付いたら死ぬほど血を流してた、なんてザラだからさ」
痛みか。それらが動きの妨げになること自体が少ない。今までだって、傷の絶えない旅路を歩んできたのだから。
「最後には――」
言葉が宙に浮く。その先が『針姐』の口から語られることはなかった。彼女はぎゅっと口をつぐんで、今まさにはじまった戦闘を凝視する。
なんの前触れもなく、火蓋は切って落とされた。まずザッヘルの身体が消え、次にレオンが腕を振り上げたのである。
レオンの手に絡みついた魔力の糸が、ピンと張った。直後――。
ぐらり、と塔が揺れた。岩石の巨人が、その体躯に見合わないほど素早い拳を、背後に打ち込んだのである。巨人の身体で死角になっており、詳しいことは分からなかったが、無意味な攻撃だとは思えない。放たれた拳は明らかに、たったひとつの標的を狙っているはずだ。
ザッヘルの姿を探したが、どこにもない。まさか――。
巨人が大きく後退する。ぶつぶつと、声の断片が聴こえた。レオンが何事か呟いているのだ。それはきっと、ザッヘルに関する観察に違いない。
巨人の拳が巻き上げた土埃の先に、人影が揺らぐ。レオンも影を確認したのだろう、巨人を疾駆させ、ぼんやりした影へ拳を打ち込んだ。
「危な――」
声が中途で消える。危機を伝える言葉など、今のザッヘルには必要ない。なぜなら彼は、一瞬のうちに巨人の足元に回り込み、踵の位置に拳を打ち込んだのだから。
破砕音。砕け散る岩。ぐらり、と大きくよろける巨体。そして、意味深に膝を沈めたザッヘル。
次の瞬間、彼は一直線にレオンへと跳躍していた。さながら、弾丸のごとく。
目で追うのがやっとの速度と、岩石を砕く攻撃力。なるほど、わたしが一撃で気を失うわけだ。いかに『針姐』の魔術を支えにしていても、ザッヘルの動きは卓越していた。
気付くと、拳を握っていた。これならレオンの、常軌を逸した人形術だって敵じゃない。どれだけの攻撃力を誇っていても、当たらなければ意味はないのだ。
みるみるうちに、ザッヘルがレオンへと迫る。レオンは焦ったのか、片腕を天に向けた。巨人を動かすには遅すぎる対処である。だが――そうでないのならば適切なタイミングだった。
「獣網」
レオンの声が空間を震わす。瞬間、ザッヘルは彼の指から伸びる魔力の糸に絡めとられ、空宙で静止した。紫の網が、彼の動きを奪っている。片手から伸びる網でザッヘルを捕らえ、もう片方の手で、巨人の身体をきわどいバランスで支えていた。
あれだけ派手な人形術を維持しながら別の魔術――それも、かなり繊細な魔術を扱えるだなんて、思っても見なかった。それはザッヘルも同様と見えて、彼は焦って空中でもがいている。
「このままじゃ……」
「ああ、まずいやろねぇ」と、『針姐』は相変わらずの口調で言い放つ。心配してないなんて思えないけれど、どうして彼女はこうも落ち着いていられるのだろう。だって、レオンと戦ってるのは自分の夫で、しかもちょっとしたピンチなのだ。加勢は出来ずとも、焦るのが普通じゃないだろうか。
もやもやと奇妙な想いが胸を覆ったが、そこに意識を集中させるわけにはいかなかった。レオンが大きく腕を振り、それにつれてザッヘルの身が夜空を旋回したのである。天をひとめぐりするかのごとく、ぐるりと弧を描いて――。
「ザッヘル!!」
わたしの声は届いただろうか。激しく地に叩きつけられた彼に。
レオンの攻撃は、一度では終わらなかった。次は逆向きに半円を描き、再び叩きつけ、次はそのまた逆、その次も同じく、次も、次も、次も――。
「――っ!!」
サーベルに手をかけ、引き抜こうとした。が、まるで溶接されているかのごとく、びくともしない。どうしてわたしはこんな状況で、武器ひとつ抜けずにいるのだ。繊細で親切な男ひとり、救えずにいるなんて。見殺しにするなんて。
血が弧を描く。レオンは無表情で、ひたすら片腕を振り続けていた。そこに慈悲はなく、感情さえ見出せない。どす黒い冷酷さだけが溢れている。
「あああああああぁぁぁぁぁ!!」
咆哮に乗せて腕に力を籠める。
水蜜香がなんだ。そんなもの、意志で打ち破ってやる。堕落の煙なんて、強固な芯には傷ひとつつけられないはずだ。いや、そうでなくちゃ駄目なんだ。
ぞわり、と全身に痺れが走った。力が抜け、膝が折れる。しかし、崩れ落ちることはなかった。なぜならわたしは、背後から『針姐』にひしと抱かれていたからだ。
「嬢ちゃん。落ち着きよ」
「落ち……んっ……ついてる……!」
遊蕩の魅惑だろうが、快楽の波だろうが、今のわたしはそれどころではないのだ。しかし、身体が言うことを聞いてくれない。
やがて、ぺたりと座り込んでしまった。
「ええか、嬢ちゃん。なんでもかんでも助けられるなんて思わんほうがええよ。ウチの阿呆は、誰にも救えやしないんだ」
飛び散る血潮を、『針姐』は目にしているのだろうか。もう何度叩きつけられたと思ってるんだ。
と、不意に苛烈な攻撃が止まった。そして、魔力の網も消える。レオンは小首を傾げ、わずかに顔をしかめた。
「笑み……。嘲笑、嗤笑、戯笑……? いや、違う……」
レオンの声には、明らかな狼狽が含まれていた。その気持ちはよく分かる。
血まみれになったザッヘルは、両の足で地を捉え、恍惚と笑っていたのだから。
◆改稿
・2018/09/21 誤字修正。
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『人形術』→無機物を操作する魔術。複雑な機構のものを操るのは不可能とされている




