420.「糸と巨岩」
身体に力が入らないわたしに変わって、ザッヘルが二人の縄をほどき、口を覆っていた布をはずした。ようやく自由になったココは大きく伸びをし、『針姐』は疲れ切った表情で胡坐をかく。
「自由だー!!!」
ココの歓声が小屋に響き渡る。そして、喜びに舞い上がった彼女に抱き着かれた。
「ちょ、ちょっと離れて……! 触られると、なんか、ぞわぞわするから……」
口にしてから、なんだか恥ずかしくなった。ココを押し戻し、取り繕うように言葉を続ける。「水蜜香を、かなり吸い込んじゃったから……」
「かなりって、どれくらい?」
「分かんないけど……力が入らなくなるくらい。ポールと我慢比べしたのよ」
するとココは、心配そうに『針姐』に顔を向けた。
「我慢比べねえ……。随分苦労したんやなぁ。面倒かけちまったねえ」言って、『針姐』は深々と頭を下げた。「ウチの旦那まで連れてきてくれて、ほんま、ありがとう」
「いいの。二人には世話になってるから」
「でも、このままじゃ気が済まんわ。ウチはどうなってもええけど、ココが連れていかれるのは可哀想やったから。……お礼代わりに、ウチに出来ることがあればなんでもしたるよ」
「今は『針屋』に――」
戻ろう、と言いかけて声が引っ込んだ。外から、靴音がしたのである。
開け放った小屋の入り口――その先に、こちらへと歩みを進める人影が見えた。星灯りを吸い込んで、まるで月のようにしっとりした輝きを放つ銀のスーツ。撫でつけた紫の髪。
もつれた足で外に飛び出した。いまだに頭は上手く働いてくれないけど、これが異常事態であることくらい分かる。ポールに勝利し、攫われた二人に再会することが出来たが、その場所にどうしてレオンが現れるのか……。
飛び出したわたしを見ると、レオンは足をとめた。
「三度目の邂逅……。偶然ではない。『煙宿』に首を突っ込みたくて仕方がない? 義侠心の塊? いや、打算があるのか?」
彼はぶつぶつと、返事を期待していない言葉を紡ぐ。前に会ったときと少しも変わらない。どんな状況であろうと乱れなく独り言に浸るレオンは、やはり奇妙だった。
「ごきげんよう、レオン。わたしは二人を助けに来たのよ。ポールに勝ってここまで来たことくらい知ってるでしょ?」
頂上に来るルートがどれだけあるのかは知らなかったが、『煙宿』のボスが敗北したことくらい耳に入っているはず。
「既知だ」
「なら、邪魔するつもりはない、ってことでいいかしら?」
この状態で彼とやり合うのは避けたい。レオンの実力のほどは知らなかったが、彼の身に宿る魔力は決して月並みではないのだ。優秀な魔術師であることは容易に想像出来る。
「ポールとは、認識の齟齬がある」彼はちらりと後ろ――昇降機の方角へ視線を向けた。「取引相手から『煙宿』を守るには、しかるべき人材を提供する必要がある」
なるほど。レオンはレオンの考えがあるというわけか。彼としては、『針姐』とココをそのまま差し出すのが最善だと思っているのだろう。
「信用して。相手がどんな奴だろうと、わたしが叩き潰す」
「妄言」
レオンの口調には、嘲りも軽蔑も含まれていなかった。ただひたすら、当たり前の事実を口にしているように。
全身に宿った魔力が、じわり、と彼の表面を覆った。
なにもなしに認めてもらえるなんて、甘い話だったか。仕方ない。信用出来ないと言うなら、態度で示すしかない。
「あなたがそのつもりなら、わたしだって黙ってないわ。実力を見せつけて――」
サーベルの柄に手を這わせ、抜き放とうと力を籠めたが、鞘から出てくれない。抜刀すら出来ないほど弱ってるなんて……。
「酩酊状態。水蜜香が原因。アドレナリンに任せて言葉にしたはいいものの、行動が伴っていない。自身の体調を忘却する程度には重篤」
つらつらと言われると、自分の大見得が恥ずかしくなった。体調のことを忘れて口走ったのは事実だし、酩酊と言われれば酩酊だ。
すっ、とわたしの前にザッヘルが踏み出した。大人しくしていろと言わんばかりに、わたしを手で制して。
「嬢ちゃん! あとはウチの旦那にまかせて引っ込んでおくれ」
『針姐』の声が飛ぶ。しかし、ザッヘルひとりで相手に出来るだろうか……。サーベルひとつ満足に抜けないわたしがいても、役に立たないことは明らかだけど。
「『針屋』のザッヘル……。寡黙。手足に強化魔術。知恵はないが、機敏――」
ひとしきりザッヘルについて呟くと、レオンは手を持ちあげた。
「脅威ではない」
刹那、直線的な魔力がザッヘルを貫いた。
「ザッヘルさん!!」
思わず叫んだものの、ザッヘルは拳をかまえて沈黙している。
あれ? 血も出てないし、ダメージを負っているようにも見えない。今も、彼の身を糸のような魔力が貫いているのだが……。
不意にレオンの身体が宙に躍り出た。わたしたちの真上を越えて――小屋の後ろに鎮座する岩山に降り立つ。
一瞬びっくりしたが、なんてことはない。糸の魔術だ。最初に放ったそれで、岩山と自身を繋ぎ、魔力の線を手繰って移動したに過ぎない。確か、人形術に分類される魔術のはず。頭が回ってないから、ちょっと自信がないけど……。
レオンは岩山に立ち、こちらを見下ろしている。さして高さもないし、ザッヘルであれば楽に跳躍出来るだろう。それくらいのことは、レオンも分かっているはずだ。単に距離を空けるだけであれば、あまり意味がない。
ザッヘルの身体が、ぐっ、と沈み込む。一気に、岩山に立つレオンまで接近しようと考えているのだろう。
ザッヘルが跳躍した瞬間――。
レオンが腕を、頭上に振り上げた。その十指には、それぞれ糸状の魔力が宿っている。糸は全部岩山に繋がっており――。
ぞくり、と悪寒が全身に走る。妙なことに気付いてしまったのだ。そういえばあの岩山……ちょうど、小さく蹲った巨人のように見えなくもない。そしてレオンの指から伸びる糸は、巨人の関節らしき部分に繋がっている。
いやいや、ありえない。人形術なんて、石ころとか、単純な物体を動かすだけの魔術だ。人型の物を動かすだけの術師なんて、王都には――。
「ザッヘルさん!!」
悪い想像は、万全でない体調であっても確かな的中率を持っているらしい。
小屋の背後で、それは立ち上がった。言うなれば岩石の巨人。五メートル程度の大きさだったが、それがレオンの魔術で立ったとなれば異常どころの話ではない。
レオンは巨人の肩で滑らかに腕を振った。瞬間――。
巨人の拳が、ザッヘルに迫る。宙に躍り出た状態では、どうしたって回避することなんて出来ない。
痛々しい激突音が鳴り響いた。
目の前で起きていることが、信じられない。五メートルの人型を操る人形術師なんて聞いたことがなかった。いや、大きさなんて問題ではなく、そもそも人間をかたどった物体を操作するなんてありえない話なのだ。関節の動きひとつとっても、どれだけ複雑なことか……。
ふらつく足で、ザッヘルのそばに寄る。彼が叩きつけられた地面は、わずかに割れていた。
「ザッヘルさん、大丈夫――」
息が詰まった。彼は激しく吐血し、それでも立ち上がったのである。そして、紙束にさらりとペンを走らせ、こちらへと投げた。そして、再び身を沈める。まるで、獲物を狙う獣のように。
紙束を拾おうと伸ばした手は、空を掻いた。いつの間にか小屋から出ていた『針姐』が、先に拾い上げたのである。彼女はしばし沈黙し、じっとザッヘルに視線を注いでいた。
「そうかいそうかい……粋な旦那を持ったよ、ウチは」
彼女の手から紙束が落ちる。そこには、『手出し無用』とだけ書かれていた。
◆改稿
・2018/09/21 誤字修正。
◆参照
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『王都』→グレキランスのこと。クロエの一旦の目的地だった。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『人形術』→無機物を操作する魔術。複雑な機構のものを操るのは不可能とされている




